朝の挨拶はできる。
雑談もできる。
でも「昼休み、どこで食べる?」ってなった瞬間に、ちょっと悩む。
輪に入るのがイヤなわけじゃない。
ただ、無理に混ざると疲れる日もある。
逆に一人でいると「大丈夫?」って心配されたりもする。
主婦だと、ママ友とかご近所とか。
会えば話すし、笑うし、感じよくできる。
でも、深くなるほど「うっかり何か言ったらどうしよう」とか、
距離の取り方に気を使ってしまうこともある。
休日もそう。
一人でカフェに行きたい日もある。
でも、ふと「これを誰かと共有できたらもっと楽しいのにな」って思ったりもする。
……この“ちょっとした揺れ”って、
たぶん、誰にでもある。
一人は、平気なんかじゃない
「一人で平気そうだよね」
そう言われることがある。
でも、平気なわけがない。
一人って、
共感を得られない寂しさであり、
感情を打ち明けられない寂しさであり、
助けが欲しい時に頼れない不安であり、
弱音を吐ける安心感がない時間だ。
一緒に楽しみたい、盛り上がりたい、感動を分かち合いたい。
そんな瞬間に、向けどころがない寂しさもある。
そして何より、夜に訪れる言葉にならない感情。
不安や後悔を紛らわせられず、負の感情が内側に向く時間。
これが、私が感じる「寂しさの辛さ」だと思う。
人はそれを全部抱え込んで生きていけるほど強くない。
少なくとも私は、そんなに強くない。
だから、吐き出す場所を探してしまう。
SNSでも、文章でも、言葉でも。
「弱いだけなのかも」って思いながら、
それでも、どこかで救いを探してしまう。
寂しさの正体は「共有できない感情」
寂しいのは、単に「一人」だからじゃない。
たぶん、
感情を共有できないことが辛いんだと思う。
嬉しかったのに言えない。
頑張ったのに言えない。
しんどいのに、笑ってしまう。
誰かがいれば全部解決するわけじゃないけど、
「今の気持ち」を置ける場所があるだけで、
人って少し楽になる。
だから「一人は平気?」と聞かれたら、答えはNO。
平気なわけがない。
それでも誰かを傷つける方が怖い
それでも私は、こう思ってしまう。
誰かを傷つけるくらいなら、そのリスクは避けたい。
誰かを悲しませて、傷つけて、
取り返しがつかない状況になって、
謝罪も贖罪もできないまま、
後悔だけが残ってしまうくらいなら。
それなら、
一人の方がまだましだと思ってしまう。
ここ、誤解されたくない。
「自分が壊れる方を選んだ」んじゃない。
私は、ただ——
誰も壊れない選択をしたいだけだ。
一人を選んだのではなく、距離を選んだ
私は「一人が好き」な人間ではない。
他者に依存することで得られる共感や救いを、
自己の中で完結する方法を探している。
自己理解。
否定や後悔を、学びや経験に変える。
それは、私なりの“生き方の整え方”だと思っている。
私は常に取捨選択に重きを置いている。
優先順位なんだ。
他人との繋がりで得られるメリットより、
傷つけないメリットを選ぶ。
そして、自分だけでは乗り越えられない葛藤や寂しさの中から、
自由という可能性を見出していく。
だから私は、「一人」を選んだんじゃない。
距離を選んだ。
近すぎない距離。
深く入りすぎない距離。
でも、ゼロじゃない距離。
一期一会で十分だと思っている
特別な関係にならない。
深い関係にもならない。
でも、仲の良い人がいないわけじゃない。
ただ、深くならない。
そしてそれは「なれない」ではなく、望んでいない。
適度でいい。
その時その時に、ちゃんと誠実でいられたらいい。
一期一会。
それ以上でも、それ以下でもない。
「長く続けること」が正解じゃないなら、
「その場でちゃんとすること」も正解でいいと思う。
マイノリティとして生きる選択は、意味がある
社会的には、こういう生き方は「失敗」に見えるのかもしれない。
繋がり、関係、他者性、社会性、公共性。
そういうものがあって初めて、共同体に属せるのだとしたら。
私はその設計から外れている。
マイノリティかもしれない。
でも私は思う。
マイノリティとして生きる選択にも、ちゃんと意味がある。
誰も傷つかない。
傷つけない。
悲しまない。
そこにピントを合わせて生きる。
それは言い訳でも自己都合でもない。
「自分が望んだ未来の願いの叶え方」だと思っている。
自分の人生を自分のために生きて、
その結果、どこかで誰かと繋がるなら、それは素敵。
でも、繋がるために生きるんじゃなく、
自分のために生きることが最初の優先順位に来ているだけ。
理解してもらう必要はない。
でも、私はこれを「意味と価値がある行為」だと思っている。
1人の自由は、孤独と同義じゃない
寂しい夜があるのは当たり前。
苦しい時間があることも知っている。
でもそれ以上に——
自分のために、自分に使える時間がある。
休日の過ごし方も、
食事の内容も、
お金の使い方も、
時間の使い方も。
誰かがいるときに得られる選択肢と、
一人だから得られる選択肢は、きっと違う。
私が選んだのは、
「一人だからできる選択肢」を
ちゃんと自分の優先順位の上に置くこと。
それを“強がり”じゃなく、
“合理的な選択”にしていく。
そうやって、今日も生きている。
そして最後に、これだけは言いたい。
一人でいることは、寂しい。
でも同時に、
自分に使える時間が増えるのは、私にとって最高のご褒美だ。
シンプルフレーズ
孤独と自由は同義じゃない。
自分の為の生き方と他人が歩む道が交わる時もある。
その時々に、選んで、取捨選択するのが生きるっていうことだ。


















