旅行って本当に多忙w

限られた時間に予定と欲望を詰め込むからね!

時間の限りに移動と物色を繰り返し・・・この欲望こそが人間の行為の理由なんだろう感じるね!

 

「自由は消えたんじゃない」北海道で思い出したあの感覚

北海道2日目。
レンタカーを借りて、ただ走った。
でも、それだけじゃ終わらなかったって言う話し!

 

  同じ景色のはずなのに、違う世界だった

高速を走る。

札幌インターから

どこも似たような景色だなって思う。
正直、最初はそうだった。

でもね、違うんだよ。

ふとした瞬間に、別世界が混ざる。

 

鹿がいる。めぇ~?
馬がいる。ひひ~ん?
牛がいる。もぉ~?

 

「見れた!」じゃない。
“そこにいるのが普通”の空気。

 

ああ、ここは自分の知ってる日常じゃないって、
じわっと侵食されていく感じ。

 

広すぎて、感覚が狂う・・・?

 

交通量、少ない。

いや、本当に少ないのか?
それとも、道が広すぎるからそう感じるのか?

 

分からないけど・・・確実に言えるのは・・・

自分の感覚が当てにならなくなるってこと。

 

しかも、みんな速い(笑)

普通に走ってるだけなのに、置いていかれる。

「え、これが普通なの?」っていう違和感。

でも、その違和感がちょっと楽しい。

自分の“当たり前”が崩れていく感じ。

 

 

 

 

  山に入った瞬間、北海道に飲まれる

高速を降りて、山へ。

白樺が並ぶ。
曇った空。
刺すような風。

寒い。

4月終わりだぞ?

でも、その寒さすら、ちゃんと景色の一部になってる。

ダム湖を見たときに思った。

「ああ、これが北海道か~」って。

観光地じゃなくて、ただそこにある自然。

それに自分が入り込んでるだけ。

美瑛神社で、ちょっと笑いながら願う

 

 

最初の目的地、美瑛神社。

パワースポット。
恋愛運アップ。ハート探し。

 

…やるでしょ?今でしょ?(笑)

「よろしくお願いします!頑張ります!」

ちょっと笑いながら、でもちゃんと願う。

ハートも探した。

見つけた。

こういうのさ、バカにするもんじゃない。

やる時は全力でやった方が、絶対楽しい。

青い池、綺麗だけじゃ済まない

 

 

そして青い池。

有名なやつ。

確かに、綺麗。

色がおかしい。
現実感が消えてる。水の色じゃない。その池から流れる水も青い。

大丈夫なのか?魚住めなくね?

青い池の青は「アルミニウム」が流れ込んでいるかららしい。そのせいで青いんだとか。

それって、環境大丈夫なん?池には生物は住めないらしいけど、そんな水垂れ流しの川。超綺麗です💦

 

でもね、この日は天気が悪い。

完璧じゃない。

寒い。

風も強い。

…でも、それがいい?

 

全部整ってたら、ただの“消費”で終わる。

ちょっとズレてるから、ちゃんと私らしい記憶に残る。

白髭の滝、寒さに負ける

 

 

白髭の滝!

ここもすごいよ、確かに。

でもさ、

寒い(笑)

もうそれしか出てこない。

景色よりも、寒さが勝つ。

 

滞在時間、数分。

写真だけ撮って・・・「無理無理無理」って言いながら戻る。

でも、この“無理”すら、なんか楽しい。

車に戻って一人で爆笑(笑)www「寒すぎるわ!」って(笑)

  もう観光じゃない、走るだけでいい

ここで気づいた。

「今日はもう、観光じゃない!!!ドライブだ!!!!」

🚗

真っ直ぐな道。
どこまでも続く直線。

何もないのに、満たされる。

ただ走るだけでいい。

 

『嫌いだったはずの運転が、楽しい!!!』

 

正直に言う。

私は運転が好きじゃない。

ルールが多い。
考えることが多い。
めんどくさい。

だから普段は、車なんていらない・・・って思う。

 

でも、ここでは違う(笑)

信号もない。
人もいない。
ただ、道と空と木。

それだけ。

 

 

 

車を借りて、久しぶりにハンドルを握った時はドキドキだ(笑)

周りをキョロキョロ、車線移動もドキドキ、信号の停止線はどこ!?

車線や停止線や道路に書かれているはずのアレコレが・・・除雪の影響だろう・・・ない。

見えないとかそういう問題じゃない。無いんだ。消えているんだ。

こえーよw

 

それでも、景色を見る余裕が生まれた時には、

気づいたら、運転を楽しんでいた(笑)

  思い出した、“自由だった感覚”

免許を取った時の・・・あの時の感覚。

どこにでも行ける気がした、あの感じ。

 

忘れてた。

 

不自由で、どこにも行けない苦痛から解放されたあの時の思い。

趣味と好きを詰め込んだ車に、解放感と可能性を詰め込んだ時間。

 

いや、違うな。

消えたんじゃない。

上書きされてただけだ。

不安とか、ルールとか、責任とか。

いろんなもので塗り潰されてただけ。

 

出来ない事やダメなことばかりに気が向いていて、

「どうせこうなるでしょ?」「だってこうじゃないか」「これが出来なくなる」って、失うことばかりに目を向けて・・・

自分に言い聞かせて・・・18歳の時に感じたあの自由を感じる感覚を否定していたんだろう。

 

でも、ちゃんと残ってた。

私の中には、まだあの時の感覚が残っていたんだと思った。

 

  帰り道、雪で全部回収

そして帰り道。

雪。

4月終わりだぞ?(笑)

でも、それで全部納得した。

寒さも、景色も、今日の全部。

北海道だわ、って。

他にも、富良野神社に行って「北の国から」の出演者たちの写真を見たり、御朱印を貰ったり

道の駅でハンバーガー食べたり、寒い風の中ホットコーヒーに癒されて

車の中で全力で歌ってみたり(笑)

楽しませてもらいました!さーんきゅ!

 

 シンプルフレーズ

「自由を手にしたと感じた思いは、無くなるんじゃなく・・・

いつの間にか、不自由に上書きされただけなんだ。」

 

2日目は、景色を見た日じゃない。

自分の感覚が壊された日。

そして、少しだけ取り戻した日。

 

 

 

 

 

人生初の北海道。
テンションは高い。でも現実は、時間も予算も足りない。
だからこそ、全力で楽しむしかないよね。


桜・神社・競馬…帯広1日目、全力で遊んできた



  帯広という選択、悪くないどころか正解

行きたい場所なんて、正直いくらでもある。

でも、全部は無理。

だから削って、選んで、決めたのが――帯広。

札幌からバスで3時間ちょい。
いや長いって思うじゃん?

 

でもね、この移動すらもう“北海道”なんよ。

 

景色が違う。スケールが違う。
ただボーッと車窓から見てるだけで楽しい。



  桜と、名前も知らなかった花

帯広ついてまず思った。

桜、満開やん🌸

 

しかも、なんか違う・・・
ピンク濃くない?幹も違うくない?

 

あとね、地味に感動したのが花。

リンドウ?違うな。
ラベンダーには早いし…。

で、Googleカメラで調べたら

エゾエンゴサク

名前かっこよ(笑)


小さいラッパみたいな形してて、めちゃくちゃ可愛い。

こういう“知らないものとの出会い”って、いいよね。
旅してる感じ、ちゃんとする✨

  帯広神社、静かすぎて逆に良い

次は帯広神社⛩


…人、いなさすぎん?

寒いからか?って思ったけど、この静けさ、めちゃくちゃいい。

 

鳥の鳴き声、風で花が揺れる音、
たまに遠くから聞こえる子供の声。

 

隣、学校っぽかった。

なんかさ、こういう時間って
「ちゃんと私の時間だな」って感じるんよね。

 

あと、ここシマエナガ見れるらしいんだけど…

まあ、そんな都合よくは来ないよね(笑)

さすが私。運ゲーは弱い。

  念願!ばんえい競馬🏇。ここは行くしかない😆

今回のメインイベント(笑)

ばんえい競馬。

これの開催日に合わせて、帯広来てるからね。
 

ガチです。


・・・で、結果。

 

…馬券?当たらんよ(笑)

でもそんなのどうでもいい。

馬、デカい。迫力エグい。
毛並みツヤツヤ。鬣サラサラ。リボンついてるの可愛い🎀

 

目の前で見るとね、全然違う。

砂煙、鼻息、観客の声。

「頑張れ!」って叫んで、
勝っても負けても拍手。

あの一体感、いいね!!!

 



ただ・・・寒い(笑)

マジで寒い。

 

レース見て外、すぐ中。
パドック見て外、また中。

忙しい(笑)

 

  帰りのバスと、余韻とジンギスカン

気づけば3時間くらい競馬場にいた🤣

正直楽しみました(笑)

 

で、またバスで札幌へ。

これがまたよく寝れる(笑)
疲れてるんよね、ちゃんと楽しんでる証拠。

 

で・・・一日目の締めはジンギスカン!!🐑


正直さ、もっとクセあると思ってた。

匂い強いとか、脂ギトギトとか。

全然違う。

 

食べやすい。軽い。普通に美味い。
店員さん焼いてくれるし最高。

「あ、これ好きだわ」ってなった🤭

 

 シンプルフレーズ

帯広の滞在時間はそこまで長くない。

でもね、十分すぎた。

桜見て、神社で静かになって、
シマエナガには振られて(笑)、
競馬で叫んで、ジンギスカンで締める。

完璧じゃないけど、満足。

 



「全部手に入らなくていい。だからこそ、手に入れたものを全力で謳歌する。」

ことわざも、名言も、格言も、みんな“立派な言葉”に見える。

言葉は世界を変えるっていう。
でもそれは、正しい言葉が正しい世界を作るってことじゃないんだと思う。
今の自分に合う言葉を選べた時、やっと自分の世界が少し変わり始めるんじゃないだろうか。

ことわざも名言も、結局は“今の自分の為に使う言葉”なんだと思う

「その言い方は違うよ」
「もっと正しい表現があるよ」
「その言葉選びは誤解されるよ」

そんなふうに言われることって、けっこうある。


たしかに、その通りなんだろう。


もっと丁寧な言い方もあるし、もっと賢そうに見える言葉もあるし、誰にも引っかからない表現だってあるのかもしれない。

 

でもね。
私は最近、よく思うんだ。
正しい言葉を使ったからって、正しい世界になるわけじゃないって。

  言葉は、正しさの為だけにあるわけじゃない

ことわざも、名言も、格言も、論語だって、結局は言葉なんだと思う。


すごい人が言ったから立派に見えるし、昔から残っているから深く感じる・・・


でも、それでもやっぱり、言葉なんだよね。

 

そして言葉って、飾るものじゃなくて、使うものなんだと思う。
どれが絶対に正しいかを競うものじゃなくて、どれをどう使うか?を選ぶものなんだろう。

 

だから、ここで必要になるのは、たぶん「正しさ」よりも「語彙力」なんだ。
知っている言葉の数。
選べる言い回しの幅。
自分に合う表現を見つける感覚。
それがあるだけで、同じ現実の見え方が少し変わることもある。

  日本語だけでも、言葉の景色は全然違う

日本語なんて、本当に面白い(笑)🤪


敬語、尊敬語、ため口、方言、言い回し、含み、柔らかさ、刺々しさ。
同じ意味でも、どんな言葉を選ぶかで、印象はまるで変わってしまう。

 

優しい言葉に見えて冷たいこともある。
乱暴な言葉に見えて、やけに本音が宿ることもある。
丁寧だから誠実とは限らないし、くだけているから雑とも限らない。

 

つまり、言葉って単なる情報じゃないんだよね。
その人の距離感や、立ち位置や、心の向きまで映してしまう。
だからこそ難しいし、だからこそ面白い。

 

「正しい言葉を使いましょう」って言われると、たしかに聞こえは良い👈


でも、正しい言葉だけで生きられるほど、現実は親切じゃない。
正しさだけでは、自分を支えられない日もある。
綺麗な言葉では、どうにも立て直せない夜もある。

 

  今の私を活かす言葉を、自分の為に選びたい

過去の偉い人の言葉を借りて、自分を励ます時があってもいい。
ことわざを引っ張ってきて、「なるほど、そう考えればいいのか」と思える日があってもいい。


それっぽい言葉を使って、「知っている人」「分かっている人」に見せるのだって、別に悪いことじゃないと思う。

だって世界は、ずっと言葉で印象を作ってきたんだから。
 

誰かが都合の良い正義を使うなら、こちらだって、自分を活かす為に言葉を選んでいい。
自分を潰す正論を、わざわざありがたがる必要なんてない。

私は、正しい言葉を使いたいわけじゃない。


今の私を活かす言葉を、今の自分の為に選びたい。

 

それは、甘えでもないし、逃げでもない。
むしろ、今の自分が生きる為に必要な言葉を、自分で探して、自分で取捨選択するってことなんだと思う。

 

きっと、言葉は世界を変える。


でもそれは、正しい言葉を使ったら正しい世界になる、なんて単純な話じゃない。
今の自分に必要な言葉を見つけた時に、世界の見え方が少し変わる。
その積み重ねが、自分の世界を変えていくんだろう。

  都合の良い言葉を探そう

私はこういうの、けっこう好きなんだよね。
ちょっと皮肉があって、ちょっと強くて、でも妙に本質を突いてくる言葉。

 

たとえば、
「復讐は、冷めてから供されるのが一番美味い料理である」
みたいな言葉。私めっちゃ好き(笑)🤭

 

品があるのか無いのか分からない。
優しいのか怖いのかも分からない。
でも、こういう言葉には、不思議と人の感情をそのまま否定しない強さがある。
怒りや悔しさを「そんなもの持つな」と切り捨てるんじゃなくて、
「持ってていいよ。ただし、どう使うかは選べ」って言われている気がするんだ。

そういう言葉に、救われる時がある。


立派な正論より、ちょっと都合の良い言葉の方が、今の自分を立たせてくれることもある。

だから私は思う。
もっと都合の良い言葉を探していい。
もっと自分に合う言葉を選んでいい。
もっと、自分を活かす為に言葉を使っていい。

 

  正しい言葉より、大切なもの

言葉には、正しさもある。
マナーもある。
常識もある。
もちろん、それを無視していいと言いたいわけじゃない。

 

でも、それ以上に大切なのは、
その言葉が今の自分を少しでも支えてくれるかどうか?
なんじゃないだろうか。

立派じゃなくてもいい。
綺麗じゃなくてもいい。
誰かに褒められなくてもいい。

 

今の自分に必要な言葉を見つけられること!!


その言葉を、自分で選べること。
それだけでも、十分に大事な力だと思う。

正しい言葉より、今の私を活かす言葉を選びたい。


私はたぶん、これからもそうやって、自分に必要な言葉を探していくんだろう。

そして、そうやって見つけた言葉が、
いつか誰かにとっても、少しだけ優しい灯りになったら素敵だと思う。

 シンプルフレーズ

言葉に正しさなんていらない。
今の自分を活かせるかどうか、それが言葉の価値になる。
だから私は、今の私を活かす言葉を、今の自分の為に選びたい。

「風向きを変えることはできないが、帆の向きを変えることはできる」
そんな言葉がある。
ドイツ語では „Wir können den Wind nicht ändern, aber die Segel anders setzen.“ という形で広く知られているが、古いドイツのことわざと断定できるほど出典が固いわけではなく、19世紀英語圏の類似表現が有力な先行例らしい。

 

けれど、誰が最初に言ったかより、この言葉が今も残る理由の方が大事だと私は思う。

私の経験では、現実を一人で支えるのなんて正直無理なんだ。


愚痴りたいし、逃げたい。


・・・いや、違うね。

愚痴りたくて逃げたいからこそ、もうその時点で、現実を一人で支えられない状況なんだろう。

風は変えられない。でも、帆は一人じゃ張り直せない

私の場合、現実を受け入れるほどメンタルが強くないし

かといって、目的地に進めるほどの力を持っていない。

 

でも、だからこそ思うのは・・・

毎朝、行きたくない、起きたくないって思いながら嫌がる体を引きずっている姿が、一番私らしい・・・

 

風は向かい風

帆は折れてどこかに行った

仲間も友人も・・・新しく作っている最中

船は泥船。背中は火傷で・・・うさぎが笑ってる。

 

それでも止まれないのは、朝が来るから・・・

  帆を変えれば進める。でも、それが簡単なら苦労しない

たしかに、帆の向きを変えればいい・・・


帆の張り方を変えれば、向かい風にだって切り上がることはできる。
凪の時ですら波はある。

 

完全な無風も、完全な平穏も、たぶん人生にはあまりない。

 

でも、凪の時って、実際は流されるしかないんだよね・・・


そして人は、流される方が楽だ。
受け身で、指示待ちで、誰かの判断に乗っかる方が楽だ。

だって、自分で決めたら責任がついてくるから。責任を負いたくない。

失敗したくない。間違えたくない。だから、「このままでいい理由」を探してしまう。

 

それは怠けとか甘えとか、そういう話じゃない。
ただ、人間ってそういうものなんだと思う。
疲れてる時に帆なんか張り直せない。

 

心が擦り切れてる時に、舵を握って進路まで考えろなんて、だいぶ無茶な注文だ。

  日本は流される美学を持っている

このことわざには、進む意思がある。
風がどうであれ、目的地に向かう為に工夫する。

状況に文句を言うだけじゃなく、どう進むかを考える。そういう強い行動の匂いがある。

 

・・・でも日本だと、少し違う気がする。


諸行無常という言葉があるように、変わっていくもの、流れていくもの、どうにもならないものを受け入れる美学がある。


それはそれで、すごく日本らしいし、この国には合っているのかもしれない。

組織で生きること、人間関係で摩擦を減らすこと、空気を読むこと。

 

そういう社会の中では、「抗う」より「受け入れる」方が上手く回る場面も多いからだ。

ただ、受け入れることと、諦めることは違う。
ここを雑に一緒くたにすると、苦しい。

やるだけ無駄。
言っても仕方ない。
どうせ変わらない。
そうやって自分を納得させることはできる。

でも、心の中に愚痴や不満が溜まっていくなら、本当はまだ受け入れられていないんだろう。

  見方は一人では変えられない

難しい話や根性論や正論で殴りたいわけじゃない。
行動しない理由、できない理由、逃げたい理由。そんなものは、いくらでも出てくる。


そして実際、逃げたい時だってある。愚痴りたい時だってある。

 

だから私は思うんだ。
人は、自分だけの価値観じゃ、世界を変えられない。


それどころか、自分の見方すら、そう簡単には変えられない。

自分の中だけで考えていたら、同じところをぐるぐる回るだけだ。


だから必要なのは、誰か・・・自分以外の「何か?」なんだと思う。
 

知らない世界。違う価値観。自分とは違う目線。
他人の目でしか自分を測れないのが人の性質なら、その他人の目を借りて、新しい角度から自分を見直すことだってできるはずだ。

帆だって一人じゃどうにもならん。
風なんて、もっとどうにもならん。
だったらせめて、自分がどこへ向かいたいのか、その為にどんな帆の張り方があるのかを、他人の視点から知るのは悪いことじゃないと思う。

 

  草を花だと言う人を、笑わなくていい

フィンランドには、幸せな人には草も花に見える、そんなニュアンスの言葉があるという。

フィンランド語でのニュアンス

"Iloiselle on ruohokin kukka, synkälle kukka on vain ruohoa." 

(幸せな人には草も花であり、陰鬱な人には花もただの草である)

 

事実かどうかを厳密に問い詰めたいわけじゃない。

私が惹かれたのは、その見方の方だ。
 

受け入れるだけじゃない。
見方次第で、幸せや価値を見出だせるということ。

たしかに、草を花だと言い張るのはナンセンスかもしれない。


でも、その人がそう見えたのなら、それを頭ごなしに否定するほど、世界は親切でもないし、他人の為に言葉を使ってくれる人も多くない。

 

だからこそ、他人から得られる可能性を自分で選ぶことは必要なんだろう。
帆の向きを変える為に、他人の目線を知る。
そして、それを自分の意思で、自分の気持ちで、目的地へ向かう方法として使えたら最高だ。

  目的地を失わないこと。それでも、迷子もまた一興

あとは、自分の目的地を失わないことかな?


私みたいに迷子が好きで、ヒンメルみたいにダンジョンを全部回りたいタイプには、

目的地より過程を重視してしまう。

寄り道もしたい。全部見たい。無駄も味わいたい。

 

でも、それも一興だと思えるなら、凪の波に身を任せる諸行無常は、ある意味で美徳になるんだろう。
 

ただ流されるだけじゃない。
過程を愛するから、流される時間にも意味を見つけられる。

 

風は変えられない。
でも、帆は変えられる。
ただし、その帆は一人じゃ張り直せないこともある。

 

だからこそ、人は誰かの目を借りる。
誰かの言葉を借りる。
知らない世界を知って、自分の進み方を少しずつ覚えていく。

 

それでいいんだと思う。
一人で全部できなくてもいい。
愚痴っても、逃げたくなってもいい。
それでも、自分の目的地だけ見失わなければ、航海はまだ終わっていない。

 シンプルフレーズ

風は変えられない。
帆は変えられる。
でも、帆を変えるには、自分以外の手や、自分以外の視点が要る。

 

帆の向きは変えられる。
でも、張り直す手が足りない夜もある。
そんな時は、ひとりで沈まないことの方が先だ。

仕事ができる人って、当日うまくやる人だと思っていた。
要領が良くて、頭の回転が速くて、その場で何とか出来る人。
でも、本当に人を惹き付けるのは、見えないところで小さいことを積み重ねている人なのかもしれない。

 

人を惹き付ける人は、才能よりも「積み重ねる姿」を持っている

準備に200%のエネルギーを注ぐから、本番で120%の力を発揮できる

という言葉は、メジャーリーグでも活躍したイチロー選手(鈴木一朗)の姿勢を象徴する有名な考え方らしい…。

  イチロー選手の言葉が刺さった理由

イチロー選手の言葉に、
「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」
というものがあるそうだ。

 

この言葉を聞いた時、すぐに職場のある人の姿が浮かんだ。

その人は、当日だけ頑張る人じゃない。
本番で何とかする人でもない・・・


その前の準備、段取り、事前の確認、その姿勢が本当にすごい。

 

当日には、必ずミスもある。
予想外のこともある。
想定外なんて、むしろ当たり前だと思う。

だからこそ、その人は「そうならない為にどうするか?」を先に考えている。


そこまで踏まえて、当日に臨めるように計画を立てて、話をして、周囲を動かしていく。
それを見ていて、ああ、これが社会人の姿なんだろうなと思った。

 

  仕事ができる人は、当日ではなく前日までに見える

次の仕事の準備をしている時、その人のすごさがよく分かった。

 

他チームとの連携の話し合いをして、同じチームの中でも話をまとめていく。
何をやるか、何が必要かを明確にするのはもちろんだけれど、それだけじゃない。

 

当日のトレース表には、作業内容だけではなく、仕事の流れや順序まで落とし込まれていた。

 

どの順番なら他チームと連携しやすいのか。
自チームはどの流れで動けば詰まらないのか。
相手の流れに合わせる為には、どこを調整するべきか。
それをきちんと考えて、交渉して、準備を整えてくれていた。

 

効率も大事。
でも、確実さを捨てない。


時間配分も見て、時間内に終わらせる為の用意もする。
必要なら人員編成の見直しを上に上申して、ちゃんと結果も持ってくる。

 

そこまで出来る人を前にすると、もう「流石です」だけでは足りない。
出てくるのは、尊敬だけじゃなくて、ありがとうという気持ちだった。

 

安心してついて行けます。
そう思えること自体が、その人の魅力なんだと思う。

  才能という言葉で片づけたくない

もちろん、こういう人を見ると「才能なんだろうな」と思いたくもなる。


先を読む力、段取りを組む力、周囲を見ながら調整する力。
簡単に出来ることじゃないからこそ、そう言いたくなる。

 

でも、才能って言葉は時々、便利すぎる。
「あの人だから出来る」と言ってしまえば、自分は努力しなくて済む。


見習えない理由にもなるし、逃げ道にもなる。

たぶん本当にすごいのは、才能そのものじゃなくて、
面倒なことを面倒なまま放置しない姿勢なんだと思う。

 

誰だって、自分への言い訳を作りたい。
逃げ道を残しておきたい。
出来ない理由を並べたくなる。
それでも、その人はそれを知ったうえで選ばない。

 

その強さは、誰もが簡単に持てるものじゃない。
だからこそ、人は惹き付けられるんだろう👏

  積み重ねてきた事実は、自分を裏切らない

イチロー選手は大谷翔平選手にも、
「自分の才能とかやってきたことをもっと信じたほうが良い」
とアドバイスしたそうだ。

 

この言葉も、すごく深いと思う。

 

才能は目に見えない。
でも、やってきたことは消えない。
生きてきたことも、積み重ねてきた時間も、全部事実として残っている。

 

どんな人生だったとしてもそうだと思う。
押しつぶされた日も、流された日も、抗えなかった日もあったかもしれない。
波に乗れなかった日だってあるだろう。

それでも今があるということは、今までを超えてきたということだ。
立派じゃなくてもいい。
華やかじゃなくてもいい。
ちゃんと今日まで来たという事実は、それだけで簡単に否定してはいけないものなんだと思う。

  人を引っ張るのは、派手さではなく積み重ね

人を惹き付けて、人を引っ張っていく魅力。
それは、急に現れた派手さじゃないんだろう。

過去という事実を積み重ねて、
その積み重ねを雑に扱わず、
意味のある今を過ごしている。
その姿が、周りに伝わるから、人はついていきたくなるのだと思う。

 

「なんとかなる」という精神も大切。
本番で力を出すことも大切。

でも、その言葉に重みが出るのは、その前に準備や小さい積み重ねがあるからなんだろう。

 

どんなに小さなことでもいい。
それを手放さない。
雑にしない。
見えないところで積み上げる。


それが結局、人を惹き付ける強さになるのだと思った。

 

私も完璧には出来ない。
面倒だと思う日もあるし、雑になりそうな日もある。
それでも、そういう姿を見たからこそ、今日を雑にしない人でいたいと思えた。

 

仕事の話なのに、少し生き方の話みたいだね。
でも、きっとこういうことの積み重ねが、その人らしさになっていくんだと思う。

 シンプルフレーズ

人を動かすのは才能じゃない。
小さいことを、今日も捨てなかった姿だ。