NGOのアナログマインド -16ページ目

犬の思い出

2007年12月24日 18時03分31秒 janicのブログに投稿したものです。


ちょっと犬の思い出を書きます。(まったくNGOとは関係ありません)


小さい頃から実家では大きなシェパードを飼っていました。父はブリーディングビジネスに関心もあってメスのシェパードを飼い、子犬を生ませるなど(多い時は15匹生まれたことがあります)、とにかく犬がいなかった生活はありませんでした。今でも1匹、1匹の犬の名前を思い出せます。


大学では寮生活をしていましたが、寮の前に子犬が4匹捨てられていたので、悩んだすえ育てることにしました。エサやりは寮生交代の約束でしたが、最後は私だけという実態になっていきました。犬を寮で飼っていると大学当局からひどく怒られたのですが、抵抗して飼い続けました。しかし私が授業にいくと、犬も教室についてきたり、大学校内でケンカをしたりと、随分迷惑をかけてしまい、大学側は毒ダンゴをバラマくという手段に出ました。そのため4匹のうち1匹が死にました。(死んだのはピーコという犬です)その後いろいろあったのですが、もう1匹が死に(由美子という犬ですが、これもつらい体験でした)、2匹は他の友人の家に引き取られていきました。2年におよぶ育犬生活にようやくピリオードがつきました。その後とうとう犬は飼わないままです。


今でも家族間で「犬を飼いたい」という議論になりますが、私は大学時代の育犬体験からか、犬の気持ちになるとどうしても気軽にイエスとはいえないでいます。1年間に保健所で殺処理される犬、ネコ、その他ペットは約50万頭、1日約1400匹が殺されていることになります。そこで動くお金の額を想像すると恐ろしくなります。ペットを飼っている方を批判したいというわけではないですが、50万頭の犠牲はその裏表の関係だと感じます。現代社会は、犬と人間との共存が非常に難しい時代なのかもしれません。


バングラデシュのバナナ、小さいが味が濃い

JANICの20周年シンポジウム

2007年12月24日18時02分48秒 janicのブログに投稿したものです。



なかなかブログに集中できず、間があいてしまってすいません。みなさんはどんなクリスマスイブを過ごしていることでしょうか。

12 月14日(金)にJANICの20周年行事がありました。午後からシンポジウム「沈黙の人道主義から語る公共へ」の後、夕方からパーティという内容でした。多くの方々にご参加いただきありがとうございました。内容的には十分な準備ができずに、ご不満の点も多かったかと思います。また、遠方から不自由なお体を押してご参加くださった高見敏弘先生、ありがとうございました。「ちょっと今日のシンポジウムは真面目すぎるな・・・」とパーティの会場でご挨拶の中でおっしゃっておられたのが印象的でした。


シンポジウムは、最初の大橋理事長の日本のNGOの50年を振り返る講演の後、60年代、 80年代、90年代に活躍をされた中心的な人物ということで、元JOCS総主事の塩月先生、JVCの初期にも関わってこられた熊岡さん、プラット・ホームの中心的活躍者である長さんに、それぞれ個人的な視点もまじえて、当時のNGO観のようなものをご発表してもらいました。それを受けて、G8サミット NGOフォーラムの代表の星野さん、プラン事務局長の鶴見さん、ACE代表の岩附さん、そしてJANIC理事長の大橋さんをパネリストに向かえ、私がコーディネーターをさせていただきました。豪華ゲストの1日でした。アンケートを見る限り、「個人に焦点をあてたプレゼンが新鮮」といったコメントが多く、まずまずだったのか・・・とほっとしています。


今回私個人としては、戦後JOCSが立ち上がるまでの歴史を講演していただいた塩月先生の話に、心が動きました。強い反戦思想、アジアの草の根の人との出会いからくる衝撃、共存の必要性を個人のつらい過去から語っていただいたことは、私にとっても新しい発見でした。日本のNGOはこうした戦後時代を作り出す個人の葛藤から、生まれているのだと強く感じました。その後の熊岡さんも、長さんも、自分の時代と葛藤しながら、生きてきた中にNGOという場とつながっていったことがよくわかりました。NGOで主張することは簡単な時代ではなかったのだ、とこの50年間を語ってくださっているような気持ちになりました。


その後のパネルデカッションでは、大きく3つの問題提起があったと思います。(1)政策提言をNGOの大切な活動して確立していくこと、(2)今の日本のNGOはまだ、十分市民社会に認知されていない。支持者層の拡大をすべき、(3)企業との連携において新しい場作りをすべき、(4)そのために他セクターに積極的に働きかけつながりあうネットワークが重要、といったことが主な問題提起だったかと思います。最後の大橋理事長から「民間性がつよい、NGOへの資金配分組織が必要」といった発言も最後に出て、私としては「え、本当にやるんですか???」と胸中不安が???・・・よぎりました。


ご参加いただいた多くの皆さん、そして裏方のスタッフの皆さんありがとうございました。


バングラデシュの犬

沈黙の人道支援

2007年12月10日18時02分09janicのブログに投稿したものです。


皆さん、長い間グロブを休んですいません。忙しくて、パソコンの前に座って考える時間がありませんでした。今日は久しぶりの休みで、少し時間ができましたので、おもいついたことを書きます。


実は今日、「人道支援の今とNGOのこれから ~軍と人道支援の接近によってもたらされる問題~」のパネリストとして参加してきました。人道支援活動に軍が入り込むことの問題、またNGOは警護の目的で軍と連携することの問題を中心に扱った内容でした。


人道支援は現場で活動するために、紛争のどちらにも加担しない、または告発しない「沈黙」が必要になります。確かに現場で活動するにあたって、「この行為を止めなさい」と軍隊に向かって意見していては、その紛争の現場にいることすら、難しくなります。このことを、ひとりのパネリストは「悲しき共犯者」という表現で、難しさを語っていました。私も、人道支援がなくなっては困るし、そこで活動する限り、政治的言動は慎む必要があることがよくわかります。しかし、こうした「沈黙の人道支援」でいいのでしょうか。


ここからが、私の問題意識なのですが、

(1)まず人道支援は、わざわざ国際NGOがしないとできないのだろうか。そこのローカルなNGOの活躍が期待できないのか、という気持ちがあります。国際NGOは資金提供をすばやくし、実施は現地のNGOにまかせることで、役割分担ができないのだろうか。国際NGOはどうしても現場でのリスクを避けようとする気持ちが強くなり、結果として軍との連携につながりやすくなるのではないでしょうか。もうひとつは、

(2)多くの紛争は国際社会の介入がないまま、放置されているものが圧倒的に多い。人道支援が可能な現場というのは、国際社会の介入が許されたわずかな例である。むしろNGOは放置されている紛争にどう答えるかを大切にしなければならないのではないか、という問題意識です。むしろ、中立を保って、これらの問題に声を挙げることをためらってはいけないのではないでしょうか。

最後に(3)人道支援は注目を集めた紛争に偏る、またNGOの資金調達という経営戦略とつながりやすいということです。多くの開発NGOは自分たちが日常長期にかかわっている国内の人権問題にあまりふれず、そうした場にだけ登場することが多すぎないでしょうか。


小さな紛争、国連などが介入できない置き去りにされた紛争、自分たちが長期に活動を展開している国の人権侵害にこそ、声を上げることが、NGOの最初の役割ではないかと思いました


自分の尾を噛む犬(バングラデシュ)

顔の見える援助、汗をかく援助

2007年11月13日 18時00分49秒janicのブログに投稿したものです。




先ほどまで、法政大学で授業をしていていました。授業の中で「顔の見える援助」「汗をかく援助」という日本のODA関係者がよく口にするスローガンに関して触れましたので、ちょっと一言。


ODA 関係者の方々が、このスローガンを言い始めたのは、90年代中盤以後だったと体験的に思います。おそらく、お金だけ出すのではなく、もっと現場に入り、最貧層の人々と一緒に考え、日本人が現場で頑張るODAの新しいあり方を伝えようとしていたと思います。いつ、誰がこのスローガンを始めたのか知りませんが、官僚、政治家の方々がよく使っていたので、印象的に覚えています。


アジアの多くの国々では、数の上でも質の上でも草の根の支援活動は、現地のNGO(南のNGO)が主流になってきています。この兆候は80年代後半からは顕著です。開発途上国の活動は、現地の人びとが主体となって進めるのが普通で、現場で過剰に頑張る外国人に対して「やれやれ」といった雰囲気が南のNGOの中にはあります。現地の言葉がわからない、2,3年で帰国する、「民主主義」「ジェンダー」といった理想を口にするが現地の文化には疎い、「お金を出しているのは俺たちだ」といった態度がちらつく・・・・残念ながら開発途上国で外国人が頑張ると、現地のやる気のあるリーダーは「またですか・・・」と引いてしまいます。お金を出す側は、現場で頑張りすぎてはいけないのです。


「顔が見える」って、つまり日本人の顔のことかなって、思ってしまいますよね。つまり日本人が現地で頑張っているわかりやすい様子が大切というメッセージに思えてしまいます。国民的指示が望むODA関係者の願いが率直に出ているように感じます。


それに代わるスローガンをもし提案するならば「現地の人が頑張る顔が見える援助」「現地の人が汗をかける援助」でしょうか。


P.S: 今日、映画ドラエモン「のび太の結婚前夜 おばあちゃんの思い出」(2004 小学館)を買ってよみましたが、子どもともども、涙、涙です。オススメです。


民族対立のひどいバングラデシュのチッタゴン丘陵の視察。軍人や警察が動向する。

キャリアフェア

2007年11月11日18時00分24秒にjanicのブログに投稿したものです。


このところ、忙しくてブロクをさぼっていました。すいません。


11月10日に、JICAの国際協力総合研究所で、「国際協力キャリアフェア」があり、JANICも相談および本の販売ブースを出しました。雨にもかかわらずたくさんの若者が会場を埋め尽くしていました。中には遠方からこられた方々もいました。何人こられたのか、主催者(国際開発ジャーナル社)の発表を待つしかありません。私も2回、「NGOで働く」という講座をもたせてもらいました。私の講座2回とも、会場はいっぱいで、立ち見の状態でした。


NGOで働くことの難しさ、労働環境の悪さはこれまでも何度も伝えてきました。年収平均が300万円前後だということ、8割のスタッフが現地でなく国内事業に関わっていること、残業はあたりまえ、といった状況であること。今回もそれは同じでした。しかし、それだけのメッセージでは本当にNGOを目指す人にとって、意味があるのかと最近私は思っています。


「なぜ私自身が20年近くもそういった職場で仕事を続けてこれたのか」を伝えることが大切だなと最近考えるようになりました。厳しさだけを伝えるなら簡単ですが、片方でNGOが意味のある仕事だと伝えたことになりません。大変な労働環境でありながら、続けてこられた理由を伝えることが、これからNGOで働こうと考えている若者にとって重要なメッセージになるだろうと思ったからです。しかし、これがなかなか簡単ではありません。


実は、これまでNGOの仕事が続けてこられた理由というのが自分でもはっきりしないのです。無自覚に夢中でやってきた、それだけ目まぐるしかったともいえますが、今回の講座で二つだけ伝えることにしました。ひとつは、「活動を支えてくれた会員や寄附者、ボランティアの人たち」です。「応援するから頑張ってね」といってくださった支援者の方々の顔が今も忘れられません。本当に元気がでました。


もうひとつは「シモバイ」と呼んでくれていろいろと交流をさせてもらった村人のことです。お茶を出してくれた人、一緒に食事をした人、娘を死なせた母、ミーティングでケンカした人、一緒に木のぼりした子ども、日本にいきたがった学校の先生などなど・・・。そういった人のことを忘れてはいけない・・・・といった漠とした気持ちです。


そういった出会いからのエネルギーが私を支えてくれていたことは確かです。仕事を継続した理由として説得力は十分ではありませんが、「NGOの仕事って結構いいな」と思ってくれる話をこれからもしたいと思います。



10月6日、グローバルフェスタ、パレスチナの刺繍ワークショップ(by JVC)

ボランティアする理由

2007年10月27日17時59分22秒janicのブログに投稿したものです。


シャプラニールという日本のNGOで働いていたとき、現場のバングラデシュの村人から「なんであんたは、わざわざこんな村にきて、俺たちのため苦労してくれるんだ??」とよく聞かれました。そう聞かれれば、本当にそのとおりです。これに答えるのは非常に難しく、ずっと苦労してきました。私の前に駐在員だった中田氏(現:シャプラニール代表理事)も、同じ感想を自分の本の中で触れています。

下澤 「もちろん、外国人であっても人間同士助け合うのはあたりまえでしょう。私たちは国境や宗教を超えて、人を助けたいのです」・・・と答えると

村人「????」

毎日ギリギリの生活をしている村人にとって、高い交通費を払って村人のために働く外国人の姿は奇異な感じがすると思います。ましてや抽象的な人類愛的な答えはさっぱり伝わりません。彼らにとってわかりやすい回答例は「今度村の選挙に出たいとおもっている」「これは仕事だからさ」あたりなのかもしれません。

この質問を受けるたびに「なぜ私はここにいるのか」という素朴な疑問を自分の中で繰り返します。なぜ私は、お金にもならないことを、わざわざ危険を冒して遠い国の人々を助けたいと思うのか。日本国内にも困った人がたくさんいるのに、わざわざバングラデシュを選ぶ理由は何か。自分ではどうしても説明できず、じれったかったのを覚えています。今でもうまく説明できません。


経済発展した国に住む人々は自分が役にたてる場所を求めて、さまよい続けているように思います。自分が認められる場所というのが少なくなってきています。自分にしかできない、自分が必要とされる、「かけがえのない」ものを探しているのかもしれません。それは会社だったり、家族だったりすることもあるかもしれませんが、多くの場合それでは満足できず「もっと別の関係」を求めているようです。そういった気持ちが共鳴しやすい場所は、開発途上国のあちこちにあるのかもしれません。そういった閉塞感が、ある人は開発途上国の現場で、「プチン」とはじけるのかもしれません。そういった意味では、私はバングラデシュという国にお世話になっている、また精神的に頼っている面があるのかもしれませんね。

現地の村人はそんなこと関係ありませんから「人のいい、不思議な外国人」と映るのは当然ですね。最初の頃は返事に頭を抱えてしまっていましたが、最近は「バングラデシュが好きだから」と答えるようにしています。


今日のわんこ :ラッキーちゃん(峯浦さんのお友達が寄贈)

最近考えたこと(2)

2007年10月22日17時58分39秒janicのブログに投稿したものです。



10月12日、JICAの新しい研修のヒトコマで、NGOの歴史の講義をしてほしいという言われ、19世紀から最近までのNGOの動向を10年ごとの年表にして、そこから感じられる動向を発表しました。これまでバラバラとその時代にはやったこと、話題になったことなどを取り上げることは多かったのですが、5,60年分をまとめるのはちょっとシンドイ作業でした。特に戦前から1960年くらいまでのまとめはちょっといい加減なところがあったので、よい勉強になりました。ちょっと簡単に傾向をまとめますと、


戦前    人道的な緊急支援、奴隷解放運動、

50年代  戦後復興、教育支援、孤児支援、難民支援

60年代  小規模なコミュニティ開発・技術移転、ボランティア派遣

70年代  住民参加、意識化、識字

80年代  適正技術、南のNGOとのパートナーシップ、ODA機関との連携

90年代  持続的開発、政策提言、人権基盤アプローチ

00年代  政策提言、人権基盤アプローチ、平和構築、アカウンタビリティ


かなり乱暴ですが、こういった特徴がそれぞれの時代にあったと思います。この流れを見ていくと3つの大きな流れあるように見えます。一つは「現場のNGOのイニシシャティブの増大」、2つ目は「人間中心で主体的な草の根の開発へ」、3つ目は「人道支援から政策提言へ」です。


人道支援というのは中立とよく言われてきました。これは紛争地などの現場では非常に重要な概念だと思います。


しかし、緊急的な支援だけに留まらず、長期的な開発支援活動にもNGOは深くかかわるようになって、中立的な立場では問題解決しない事態が多くなってきて、「政策提言」の領域も大きく踏み込んできているのだと思います。また、現場の活動は南のNGOの意義と活躍が大きくなってきたこともひとつの背景にあるのかもしれませんね。この講義で最後の私のキャッチ・コピーは「沈黙する人道主義から、語る公益へ」で終わりました。以上です。


これで最後です。天心丸(寄贈:浅沼さん)

G8の中間地点

2007年10月21日17時57分18秒janicのブログに投稿したものです。


さて、10月14日(日)にG8サミットNGOフォーラムのキックオフ企画としてシンポジウムを企画しました。合計208名の方が来場いただき、それなりのキックオフになったと思います。


さてなぜキックオフか。実はNGOフォーラムは第1期(2007年1月~9月)と第2期(2007年10月~2008年9月)に分かれています。おかげさまで第2期の総会も終わり、同じ役員が選出されました。その第2期のキックオフという意味です。開発途上国から4名のゲストスピーカーを招き、午後はユニットごとに発表したポジションペーパーをもとに議論をしました。準備等で関係された皆さん、本当にご苦労さまでした。


一連の議論の中で印象に残ったのは、「気候変動は貧困者を襲う。気候変動と貧困問題はつながっている」という考え方を海外のゲストのほとんどが述べたこと、聴衆の中から「多くの市民が参加できる方法を提案してほしい」という意見に会場から拍手が起こったことでした。気候変動と貧困の問題をくっつけてどれだけ提案できるのか、また市民参加型のキャンペーンを立ち上げることができるのかが、第2期の活動のキーであることは明確でした。


NGOフォーラムは新聞や雑誌にも掲載されるようになり注目されるようになったものの、まだ活動資金は厳しいものがあります。なんとか日本のNGOとして提言をすることができるよう頑張らねばと思います。


しかし、個人的によく思うのは、8年後の日本サミットのことを今どう考えて動くかです。その頃私は60歳近くになっていますので、当然活動の真ん中にはいないでしょう。今30代で活躍しているNGOスタッフがその中心になることは間違いありません。彼らにとって学びの多い場に・・・・とよく思います。日本 NGOにしかできないことを・・と激励される方もいますが、私は今の日本のNGOの政策提言活動はそこまで成熟しているとは言い切れません。むしろ欧米の NGOがやってきたことを、基本からキチンとやることかな、と思っています。


G8サミットNGOフォーラムのサイトがありますので、こちらもご覧ください。

http://www.g8ngoforum.org/


前回に続き天心丸(寄贈:浅沼さん)

グローバルフェスタのこと

2007年10月09日 17時54分40秒にjanicのブログに投稿したものです。


10月6日、7日、日比谷公園で「グローバルフェスタ」が開催されました。今年は二日とも快晴で、約8万人の来場者が来ました。今年のNGOの出展団体は137団体です。いずれにしてもグローバルフェスタは日本で最大の国際協力のイベントであることは事実だと思います。


各NGO のテントを回りましたが、どのNGOさんも、よく売れたようで、「売り切れ」「昨年よりも売れました」というレスが多かったのがよかったです。JANIC のブースでブックフェアを開催していましたが、100万円を超える売り上げとなり、終了時はみんなで拍手しました。


JANICは資金などを出しているわけではありませんが、ずっとグローバルフェスタの主催団体となっています。主にNGOの出展の告知と選別、またNGO企画の調整、ボランティアの募集とオリエンなどを手伝ってきました。

しかし、関西で1993年からずっと開催されている「ワンワールドフェスティバル」は、ほとんどの資金は企業協賛などをNGOが集めた自己資金で運営されています。もちろんテント、機材、会場など自前で確保し、NGOや企業の実行委員会で手作りで進めてきています。本当に関西の人たちは「すごいな」と思います。グローバルフェスタはほとんど外務省、JICA、JBICのODA資金で運営されていますし、今年初めて企業の参加があったぐらいで、正直官主導のイベントの実態があります。


ワンワールトフェスティバルの中心的な裏方をしている関西国際交流団体協議会(通称:関団協)の河合さんが、今年のグローバルフェスタを視察にこられていました。私がそのことをほめると、「いやー。だんだんメンバーが固定化しつつあって、悩んでいます」と言っていました。しかし、毎回機材や資金を依頼するために企業やその他の関係団体に毎年依頼をし、信頼関係をつくってきた基盤は、おそらくこのイベントが終わることがあっても、それが財産として残ることは間違いないと思います。グローバルフェスタはそういった財産があるかな・・・・・と考えてしまいました。


前回に続き天心丸。(浅沼さん寄贈)

最近ひらめいたこと

2007年09月22日17時54分13秒にjanicのブログに投稿したものです。



犬の写真が途切れたましたが、お二人から寄贈いただきました。ワン。


最近思いついたことを書きます。


JANIC は名称どおり、「国際協力」のNGOのネットワーク組織です。外務省もODAのセクションを「経済協力局」から「国際協力局」に変え、この名称って定着しつつあるのかな、と感じます。「国際協力」を簡単に言うと、外から開発途上国の問題に取り組む、またはプロジェクトを実施することになるでしょうか。 JANICもこの20年の間に、純粋な「国際協力」の世界を作ってきました。JANICの入会規定も、結構厳密に「国際協力」を限定しており、規模や活動年数の基準があり、結構入会するのは大変な感じです。反面、ちょっと専門家の世界になりつつあるような傾向を感じます。それはそれでいいことなのかもしれませんが、プロ化するほど新しい動きに対して反応が鈍くなっているように感じられ、このままでは、JANICも業界団体の利益を守るためだけの組織になってしまう脆さを内面に持っている予感がします。グローバル社会の中で注目されている動き、例えば「地球温暖化」「多文化共生」「生物多様性」「紛争解決」といった世界の動きと、「国際協力」は結構関係が薄く、なんか、縦割り行政の仕切りのまま、関係をもたないようになっているのではないでしょうか。


私は、地球上の問題解決を真剣に考えるうえで、外国人が、開発途上国の問題に直接的にかかわること(つまり国際協力)は重要なことだと思っています。しかし、それはひとつのチャンネルと方法でしかありません。実は地球の課題を考えるチャンネルはいっぱいあります。例えば、自分の住むコミュニティの外国人の権利の問題、国内の難民の問題、国際条約に働きかけ健全なグローバルシステムを提唱する動き、実はすべて目標は同じなのではないかと思います。ひとつの部分にだけ専門家していくのではなく、それらを総合的に取り入れた視点で活動を提案することができないものかと想像します。あたらしいネーミングを勝手につけるなら「市民グローバル活動」でしょうか・・・・(あまり自信なし)。国や民族の単位にこだわらない意識で、ひとりひとりの権利や存在を認めていく活動・・・。そうなると「JANIC=(特活)国際協力NGOセンター」は、「Civil Global Action Center=(特活)市民グローバル活動センター」・・・か。「とんでもない、反対だ」という数名の理事の顔が浮かんできます・・・・。


今の「国際協力」が「市民グローバル活動」の形に変わっていくとする仮定ならば、専門家が活躍し市民が寄附するだけの役割から、市民が活動の主役になれる可能性が出てきます。


今JANICでアルバイト中の浅沼さん宅の柴犬、「天心丸」。別名「くり」。見事なり。