NGOのアナログマインド -15ページ目

Civil G8対話 終わる

2008年04月27日18時14分26秒janicのブログに投稿したものです。

新聞報道などですでに流れているので、ご存知の方もいるかもしれません。4月23日、24日と京都で9カ国のシェルパと世界のNGOがG8サミットのアジェンダをシェアする会議「Civil G8対話」が開催されました。シェルパとは、G8会議に向けてアジェンダ調整を任された官僚の別称です。「山の頂(サミット)の案内任」ということで、ネパールのひとつの民族名の「シェルパ」が使われるようになったようです。


この「Civil G8」なるものは、原型は2005年のイギリス、グレンイーグルスの時にあると言われていますが、この名称でNGOとの対話を意識的に行なったのは 2006年のロシアのG8サミットでした。ドイツでも同様の形の会議が開催されました。G8サミットにおいて、世界のNGOとG8のシェルパが数ヶ月前に事前に話す場をもつこの方法は、この2,3年でほぼ定着したと言えます。この京都の会議はそれを実証したともいえます。


このためにNGOフォーラムの皆さんは、随分前から準備を進め、かなりの議論と準備を進めてきました。とにかく無事終了できたのは、そういったNGOフォーラムの一人一人の誠意のある努力の結果だと思います。当日は約170名のNGO関係者、マスコミ、政府関係者が参加しました。マスコミは約40人近い参加でした。

この会議を終えて気づいたことがいくつかあります。


この会議は半公開型でした。参加した170名全員が議論に参加するわけでなく、約30名ほどのNGO関係者がラウンドテーブルで議論をし、残りの人は聴衆として聞きながら、時として質問の機会も与えられていました。シェルパはマスコミやNGO関係者の前で公式の見解を求められるスタイルです。そこでは当然発言は控える必要があります。そのため、そのシェルパも慎重かつ、具体的なコミットメントを避ける発言を続ける傾向がありました。そのため、会議の成果が伝わりにくい部分があったかもしれません。


しかし、反面公式の場で、NGO側から様々な指摘を受けることで、NGOの意向や感じ方をシェルパが受け止め、いい意味でのプレッシャーをつくる場になったのと思います。そうなると、この会議の成果は7月9日にサミットが終了してみないとわからないといった面があります。ゆえにCivil G8対話は、すぐに効果を期待してはいけないし、ある意味でどのくらいの効果があったのか、その測定は難しい面があると思いました。


おそらくこのCivil G8対話のスタイルも年々変わっていくのだろうと思います。実際にサミットのコミュニケに反映されない会議は見直されるでしょうし、最近はコミュニケにコミットメントを謳っても、実際に実行されないことが多くなっています。そういう意味ではG8そのものの意味、そのコミットメントの重さが、次第にためされるようになってきているように思います。

住民参加とは

2008年04月05日18時12分18秒janicのブログに投稿したものです。

2週間ほど前、JICA主催の「住民参加の評価」の発表会に招かれ、コメントしました。以前の所属団体が農村開発を得意とするNGOであったので、「住民参加」は耳タコ状態でした。どちらかというと「もう議論は止めたい」といった気分でした。なぜか久々に私がコメンテーターに指名されました。


住民参加という言葉は90年代くらいから、様々なNGOで重要なテーマとして取り上げられました。その概念を体系化し、PRA(Participatory Rural Apprisal)で有名になった、ロバート・チャンバースの登場でさらにそれは加熱していきました。徐々にJICAやODA機関にもその議論は広がり実際に住民参加を前面に出したODAプロジェクトなども現れてきました。今回の住民参加の評価のセミナーは、JICAとNGO関係者が合同で検討したものの、中間発表的な場でした。参加の度合いにあわせて、ランキングしていく方法でした。


「参加」という言葉は、外からコミュニティニ入ってくる部外者で何かを仕掛ける(プロジェクトをする)立場の側が使う言葉で、そこに住む住民と部外者のプロジェクトの関係をあらわす言葉だと思います。住民参加の評価を「参加」の度合いだけで見ようとすると、住民の立場からの考え方が少し見えにくくなる部分があるなと思いました。住民の立場から言えば、以下のような表現を使う方が適切かなと思いました。


「消極的な参加」 → 「プロジェクトを住民が認識」

「積極的な参加」 → 「プロジェクトを住民が受容」

「自立的な参加」 → 「プロジェクトの意図が住民の中で内部化され、持続的に行動様式にそれが現れる」


といった表現に改めてみると、「自立的な参加」は明らかにプロジェクト以後評価をしなければいけないことがわかります。外からの影響を与える側から見ると「参加」という言葉は対等なイメージで美しいのですが、住民から見れば生存のための部分的な選択のひとつにしかすぎないと思います。そういった住民の受容感覚、選択的な視点を取り入れて評価軸を検討する必要があるなと思いました。 


以上です


カトマンズの壁に彫りこまれたガーネシュ神(犬の写真ネタきれです)

フェアトレード

2008年03月30日18時11分36秒janicのブログに投稿したものです。

フェア・トレードは私の得意な分野ではないのですが、いくつか気になっていることがあります。「フェア」の意味があいまいなまま、急速にマーケットを広げつつあるからです。最近のフェア・トレードの動向はJANIC理事の渡辺龍也氏がまとめた論文「フェア・トレードの形成と展開」(現代法学大14号 2007年12月)が詳しいです。


もともとフェア・トレードって開発途上国の貧困層住民が作成した手工芸品などを、NGOが販売するところから始まった運動です。手工芸品だけでなく、徐々にコーヒー、紅茶、バナナと、食料品もアイテムに加えられていきました。その後、取引条件が「フェア」であれば、つまり取引価格、労働条件、情報の透明性、環境への配慮、が認められればフェア・トレードと呼ばれるようになっていきます。またフェア・トレードを自称するネットワークもいくつも生まれていきました。


90年代に入って伸びてきているのが、「ラベル」によるマーケットの拡大です。企業でもNGOでも一定の条件さえ満たしていれば「フェア・トレード」だよ、というマークをつける運動が徐々にヨーロッパで広がってきているのです。最近はバラバラだったネットワークも一体化が進んできているようです。いくつかの大手コーヒーショップチェーン店が、フェア・トレードのコーヒーを扱っているのも、話題を呼びました。・・・・・・でもこんなに簡単に「フェア」って使っていいの???が私の不安です。心配しているポイントは以下のような点です。


(1)ラベルの運動がコーヒーにやや特化されていること、

(2)ラベル化が可能な商品の生産が都市や農園型(輸出型)農業地に偏りやすいこと、輸出品がない地域や零細農民にとっては実益がないのでは、という疑問、

(3)マーケットの拡大が優先されていくことで、生産地に過剰な負担がかかり始めないかという不安、

(4)結果的に市場経済の一角に位置づけられてしまい、運動的な面が弱くなる?、

(5)企業のCSR的配慮が進んだ商品とフェア・トレードの違いは何か?(ちょっと考えすぎかもしれませんが)などです。


私の不安は、ちょっと過剰なものかも知れません。ぜひ、このあたりに詳しい方、ご一報ください。


寝犬(タイ 渡辺さん寄贈)

CSR推進NGOネットワーク

2008年03月21日18時11分05秒janicのブログに投稿したものです。

2007年は、外務省のNGO研究会の事業で、CSRとNGOの連携事例の調査と、発表会をやりました。その時のテーマは、「開発途上国の事務所をもつ企業とNGOの連携」でした。つまり、日本国内の企業本部とNGOの日本事務所が連携でなく、開発途上国の事務所どおしが連携する事例を調査して調べました。開発途上国側の住民にとって、そういった協働事例の方が、わかりやすいし、親近感も湧くと思います。何よりも、現地ニーズを敏感に感じながら活動をつくることができます。まだそういった事例は少なかったものの、いくつかの事例を見て、可能性を感じました。


この研究会の成果をもとに、2008年2月に「CSR推進NGOネットワーク」を10数団体のNGO有志で立ち上げました。このネットワークは、MDGsの重要さを訴え、少しでも多くの企業のCSRの方々に企業としてMDGsを考慮した活動を推進してもらうための後押しをしようとするものです。もちろん、それ以外の情報と経験交流、勉強会、CSRレポートを読む会、シンポジウムなどを企画する予定です。NGOであれば、どんな団体でも参加できますが、月最低1回の定例会や勉強会がありますが、3分の2以上の出席が前提となります。遠隔地の方々にとっては、ちょっと参加が難しい設定になっています。すいません。


まるお(写真提供:渡辺さん)

NGOとパートナーシップ

2008年03月04日18時10分40秒janicのブログに投稿したものです。


すでに一度ここでご報告させてもらっていますが、「開発NGOとパートナーシップ 南の自立と北の役割」(コモンズ)という単著を昨年の8月に出版しました。最近、アマゾンの自分の本のサイトをなにげに見ていると、以下のようなコメントが書かれていて、ちょっとうれしかったのと、同時に考えさせられました。参考にそのコメントを紹介します。(どなたのコメントかは知りませんが、ありがとうございます)


南北NGOの関係について正面から取り組んだ意欲作

 本書は、「先進国(=北)」のNGOと「開発途上国(=南)」の NGOとの関係を主題として取り上げた本である。日本では未だに、NGOによる開発援助と言うと、「日本人が途上国の現場で汗を流す」といったイメージで語られる。しかし実際には「現場で汗を流す」仕事は南のNGOによって担われ、北のNGOは資金提供をもっぱら担当していることが多い。「パートナーシップ」という言葉で表現されるこの関係は、実は南のNGOの、北のNGOに対する依存を生みやすい構造的な問題を抱えている。著者は、この問題の解決策として、南のNGOが自己資金を獲得できるようになれば、北のNGOへの依存から脱却するだけでなく、自国の市民社会から支えられるNGO本来の姿に近づくことになると主張する。その上で、北のNGOは、南のNGOに開発事業の資金を提供するよりも、民族対立の解決や平和の構築のように、国家の機能を超える役割を果たすべきではないかと問いかけている。
 従来取り上げられることの少ない地味な、しかし重要なテーマに取り組んだ著者の姿勢は評価できる。だがもう一歩踏み込みが弱いと感じられる点もある。最大の弱点は、南のNGOによる自己資金獲得の重要性を一貫して主張していながら、それに対して北のNGOがどのように支援すべきかについて、考察がほとんどなされていないことだ。著者は前職でシャプラニール事務局長として、SOUPというネパールの NGOの自己資金獲得を支援する立場にあった。その経験から得た学びを読者と共有することも可能と思われるのだが、最終章に至って、この主題は脇に退けられ、唐突に「民族対立」や「平和構築」の問題が取り上げられる。従来の開発事業は南のNGOに任せ、北のNGOは別の課題に取り組むべきだ、というのが著者の主張なのかもしれないが、論理に飛躍があるように思える。
 とは言え、南北NGOの関係について正面から取り組んだ著作は他に類書が無く、NGO関係者にとって、本書は必読書と言えるだろう。


このコメント指摘の弱点である「北がどのような支援をすべきか不明」「論理に飛躍がある」というご指摘、・・・・・・なるほど、と思いました。もっと踏み込まなければと思いました。

遅ればせながらこのコメントに答えさせてもらうなら、「開発途上国内で資金集めをするNGOをどんどんつくってしまったらどうか」になるかもしれません。 SOUP方式がいいかどうかわかりませんが、「私たちの団体はプロジェクト支援だけでなく、南のNGOが自己資金を真剣に集めるならお手伝いしますよ」といったお付き合いの方法を考えることになるのかもしれません。


砂浜で眠るフィリピンのイヌ(寄贈:井端さん)

ネットワークNGOの経営

2008年02月27日18時08分59秒janicのブログに投稿したものです。


JANICの事務所の近くの早稲田通りには、本当にたくさんのレストラン、食堂があり、比較的値段も安いです。客の方もよく観察しており、はやる店、そうでない店とはっきりわかれるようです。店のデコレーションがおしゃれでも、サービスや味の悪い店は早ければ3ヶ月、遅くとも1年くらいで閉店となります。とくにラーメン戦争といわれる、早稲田どおりのラーメン屋の寿命は短いのです。ラーメン一品だけの店で勝負するというのは、商売として非常に過酷なことです。


話は変わって。JANICのようなネットワークNGOにとって、お客さんは誰なのでしょう。またそのお客さんがどのように喜んでくれるのがいいのでしょうか。ラーメン屋にたとえるのは乱暴ですが、はやるネットワークNGOというのは、こうしたレストラン経営的な視点を忘れてはいけないと思います。


これまでの市民活動の中間支援組織は、比較的行政主導で作られてきた歴史があります。そのため、これらの組織は官の都合や官の政策を反映する面が強く機能し、結果的に自分たちの味になじむ市民に対応していたところがあったかと思います。利用する市民にお金を出しておいしい料理(つまりおいしいサービス)を出すというよりも、行政に支えられた資金で安い食事(例えば会議室が無料とか、無料のセミナーを開催したり)を出し、安いことに敏感な市民が結果的にその組織に集まるような面があったかと思います。


ネットワークNGOにとってお客とは、間違いなく参加しているNGOだと思います。会員NGOがお金を出したくなるようなサービスをしているか、お客の満足がどこにあるのかを知ることがネットワークNGOの経営の原点だと思います。安ければいい店ではないですし、高すぎても客は寄り付きませんよね。店主の味を押し付けたり、客にこびたりするのでなく、客の声に答えながら、店の味を発展させていく姿勢が大切なのかもしれません。


ネットワークNGOはNGOの情報や関係を使って、外のセクターとつながることに忙しかったり、自分たちがNGOの主役と勘違してしまうリスクを内包していると思います。


JANICはそれができているのか・・・・。「またいきたくなるレストラン」のようなJANICができるでしょうか。


さんま大好き

ISO-SR26000について

2008年02月10日18時08分24秒janicのブログに投稿したものです




実はいろいろな縁があって2006年11月から、私はISO-SR国内委員会になりました。これは最近話題になり始めた、「ISO26000」の議論を進めるための委員会です。


ISO はもちろん説明が必要ないと思いますが、SRとは「Social Responsibility(社会的責任)」の意味です。企業の社会的責任(CSR)はすでに多くの方が知るキーワードですが、その「C」をとり、すべての組織のSR基準を話しあう場なのです。この委員会では、企業だけでなく、労働組合、消費者団体、NGO、政府、専門家の6領域のステークホルダーがバランスよく集まり議論することが原則となっています。これは「マルチ・ステークホルダー・アプローチ」という新しい議論のあり方で、この方法は今後いろいろな場面で広がっていきそうです。


ISO26000の詳しい情報は、委員会の事務局を務めている(財)日本規格協会のサイト、http://www.jsa.or.jp/stdz/sr/sr.asp  をご覧ください。なかなか複雑ですぐに理解できないかもしれません。私も毎回冷や汗を流しながら、委員として参加しています。


このISO26000は第三者認証でなく、ガイダンス(指針)として、大枠であらゆる組織のSRの基本原則を決め、それを世界中のSR基準とするのが狙いです。SRを考える領域は全部で7つです。「組織のガバナンス」「環境」「労働慣行」「人権」「公正な事業活動(コンプライアンス)」「消費者課題」「コミュニティと社会開発への貢献」で、2010年には決定させるという見込みです。


さて、企業のCSRの基準に気を配りつつも、NGO自身として、何をこれから考えておくべきか。


ひとつは「NGOもSRを問われる時代がそこまで来ている」ということです。会計報告、労働環境、環境負荷に対して、ちゃんと敏感に対応しているか、CSRと同じように問われる可能性があります。正しいことをしているからSRが必要ないということではないのです。正直日本のNGOはダイジョウブ???と不安な気持ちになります。

もうひとつは。このガイダンスが始まると、この基準をもとにいろいろなNGOのSR基準が生まれてくる可能性があります。欧米のNGO基準や、コンサルタント会社の基準が日本にやってくる前に、「日本のNGO自身が自らガイドラインを先につくる必要」がありそうです。


今JANICでいろいろと議論している「NGOのアカウンタビリティ基準」も、いずれNGOのSR=「NSR基準」と呼ばれる日がくるのでしょうか。


バングラデシュの犬。丸くなって眠る

また犬の話

2008年01月20日18時06分28秒janicのブログに投稿したものです。



特に動物保護活動家でも愛犬家でもないのですが、犬の写真をここに貼るうちに、お写真をお貸しいただいたり、犬のことを考えることが増えてきたように思います。今回はNGOで話でありません。すいません。


偶然ですが、お正月にYoutubeのサイトで「私と犬の10の約束」というムービークリップを見つけました。http://jp.youtube.com/watch?v=4Tfd7U10IbU  小田和正の「たしかなこと」がBGMで流れ、犬の写真のスライドといっしょに以下のようなメッセージが出てきます。(なぜか小田和正の曲はこういったメッセージとマッチしますね。某生命保険会社のCMみたいです) けっこうグッときます。


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私と犬の10の約束

1 私と気長につきあってください。
2 私を信じてください。それだけで私は幸せです。
3 私にも心があることを忘れないでください。
4 言うことをきかないときは理由があります。
5 私にたくさん話しかけてください。人のことばははなせいないけど、わかっています。
6 私をたたかないで。本気になったら私の方が強いことを忘れないで。
7 私が年を取っても仲良くしてください。
8 私は十年くらいしか生きられません。だからできるだけ私と一緒にいてください。
9 あなたには学校もあるし友だちもいます。でも私にはあなたしかいません。
10 私が死ぬとき、お願いです、そばにいてください。

どうか覚えていてください、私がずっとあなたを愛していたことを。犬と私の10の約束
犬はあなたを愛している。だって犬にはあなたしかいないのだから。
(制作 M.Maeura)

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いろいろ調べてみると、これは作者不詳で、インターネットでひろがった「犬の十戒」 (The Ten Commandments of Dog Ownership 原文は英語のようです。検索ですぐに出てきますから、ご覧ください)の簡易版のようです。また3月には同じタイトルの日本映画が上映される・・・・と言うことだそうです。するととある方のブログから「ネコの十戒」という短編詩が出てきました。こっちは爆笑モノです。ぜひ検索してみてください。こちらも作者不詳のようです。


ボローニャ広場の忠犬(写真提供 柏木さま)

12月に出した文章です

2008年01月20日18時05分13秒janicのブログに投稿したものです。



私は昨年新評論から出された本「国家・社会変革・NGO」で1章文章を書きました。新評論の協力で、その編者たちとつくった「NGOと社会」の会のニュースレター第2号(2007年12月9日)で、以下のような文章を書きましたので、参考にご紹介します。お時間のある方だけお読みください。

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慢性的で小さな紛争を考える

下澤 嶽 ジュマネット代表

 

「ベルリンの壁崩壊後、地域紛争が増えた」と言われる。日本で平和構築の議論が活発になったのは、ウガンダの内戦(1994年)、コソボ紛争(1997~99年)や東チモールの独立(1998~2002年)の頃だったと思う。そしてアフガニスタンの空爆(2001年)、スリランカの和平プロセス(2003 年)が話題になり、平和構築の議論は一度ピークに達したかのように見えた。

 私はバングラデシュ、チッタゴン丘陵*の紛争に深くかかわる立場からも、こうした議論の盛り上がりに違和感を覚えていた。この手の議論には国家の外交政策や利害関係が強く反映するし、議論される活動が紛争後の人道支援に特化されているからだけでない。チッタゴン丘陵問題のように、その他数多くの慢性的で小さな紛争が議論の対象からまったく置き去りにされていると感じたからだ。

 最近、ガー**の調査報告書を読んで、このあたりの事情に対する心の霧が晴れた。彼の研究グループは第二次大戦後発生した275 の紛争を詳細に調べている。その結果、戦後の紛争は50年代に上昇傾向が始まり、70年代に激増し、90年代初頭にピークがきて、94年以後に減っていることがわかった。さらに、その多くは長い間に何度も衝突や小競り合いをくり返してきたものばかりだというのである。つまり、紛争の多くは、以前から慢性的に続いてきたものが、あるきっかけで噴出したケースが多く、それは70年代から80年代がピークだったということである。これに対し、90年代以後の紛争は、その異常性、規模、介入のあり方において注目されたものの、新たに発生した件数は少ないのである。

慢性的紛争にNGOが果たしうる役割
バングラデシュ、チッタゴン丘陵における紛争の歴史は、ガーの紛争の時間的な分析にぴったり当てはまる。国際的に注目を集めないこのように慢性的で小さな紛争に対して、国家機関は明確な対応方法を打ち出してきていない。そのため、今もマイノリティ・グループに対する弾圧は「内政干渉」の壁に大きく覆い隠されている。例えば日本政府は、チッタゴン丘陵問題に積極的に対応してほしいという私たちの再三の要請に対し、開発事業には熱心だが、政治問題は「内政問題」と片付けて積極的な姿勢を見せようとしなかった。

 こうした紛争に多少なりとも役割を果たしているものに、「人種差別撤廃条約」「世界人権宣言」「先住民族の権利に関する国際連合宣言」などの様々な条約や宣言がある。しかしこれらの条約や宣言には強制力がなく、当事国に対する正統な干渉を認めるものになっておらず、その効果は非常に限定的だ。実際にバングラデシュ政府も、国連の人種差別撤廃委員会などから勧告を何度も受けているが、いっこうに高圧的な政策を変えようとはしていない。

 このように、国家が他国の内部紛争にまったく解決能力をもたず、その結果、犠牲者を生み出し続けている現状においては、慢性的で規模の小さい紛争に草の根レベルで対応できるのは NGO だけである。それは、NGOが果たしうる重要な役割の一つであると思う。NGOはこうした紛争の草の根の部分についてこそ、議論をもっと深めるべきではないだろうか。

*― バングラデシュ東南部に位置する丘陵地帯で、約60万人のモンゴロイド系住民が焼畑農業を中心に生計を立てている。バングラデシュ政府の強行な開発と土地収奪で、1970年代より紛争が始まり、1997年に和平協定が締結された。
**― Ted Robert Gurr, 2000, “Peoples Versus States-Minorities at Risk in the New Century,”United StatesInstitute of Peace Press.

G8の年です

2008年01月20日18時04分10秒janicのブログに投稿したものです。



すっかり、ブログにごぶさたしてました。新しい年が明けました。今年はTICADⅣ、そして洞爺湖G8サミットの年です。そのせいか、事務所への問い合わせや要請が増え、私もあわただしく過ごすことが増えてきました。ブログが書けなかったのもそのせい?・・・・・・・かも。

昨年、12月20日に、G8サミットNGOフォーラムのロゴ、キャッチコピー、キャンペーンのイメージを整理するワークショップを関心のあるメンバーともちました。G8サミットNGOフォーラムは今105団体になり、多様な団体の集まりであるがゆえに、なかなかひとつの統一イメージをつくることが難しい状況でした。このワークショップで、貧困・開発、環境、人権・平和の3つのユニットから20名近くが参加して、1日かけてお互いを知り合い、フォーラムの意義、ビジョン、イメージを出し合ったのです。私も1日参加しました。楽しいひとときでした。

実はこのワークショップのオーガナイザー某大手広告代理店有志の方々でした。そして、そのイメージ結果を受けて、代理店のデザイナーの有志の方々がロゴ、キャッチコピーを手がけてくれることになりました。これはもちろん社会貢献活動として内部の有志メンバーで無料でやっていただけるものです。もし、全部有料だった・・・・と仮定するとすごいお金になるのかもしれません。こうした協働の場が、NGOが結果的につくってしまったことは今回の中でも一番おもしろい出来事でした。発表は1月末か2月中旬になりそうです。

この勢いを得て、キャンペーンのチームは7月7日のサミットの日に標準をあわせて「七夕キャンペーン 100万人のメッセージ」(仮称ですが)を展開する見込みで協議しています。資金調達も必要で、いよいよ、忙しくなりそうです。


イタリアの犬 トビイさん(写真提供 柏木さん)