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慢性的で小さな紛争を考える
下澤 嶽 ジュマネット代表
「ベルリンの壁崩壊後、地域紛争が増えた」と言われる。日本で平和構築の議論が活発になったのは、ウガンダの内戦(1994年)、コソボ紛争(1997~99年)や東チモールの独立(1998~2002年)の頃だったと思う。そしてアフガニスタンの空爆(2001年)、スリランカの和平プロセス(2003 年)が話題になり、平和構築の議論は一度ピークに達したかのように見えた。
私はバングラデシュ、チッタゴン丘陵*の紛争に深くかかわる立場からも、こうした議論の盛り上がりに違和感を覚えていた。この手の議論には国家の外交政策や利害関係が強く反映するし、議論される活動が紛争後の人道支援に特化されているからだけでない。チッタゴン丘陵問題のように、その他数多くの慢性的で小さな紛争が議論の対象からまったく置き去りにされていると感じたからだ。
最近、ガー**の調査報告書を読んで、このあたりの事情に対する心の霧が晴れた。彼の研究グループは第二次大戦後発生した275 の紛争を詳細に調べている。その結果、戦後の紛争は50年代に上昇傾向が始まり、70年代に激増し、90年代初頭にピークがきて、94年以後に減っていることがわかった。さらに、その多くは長い間に何度も衝突や小競り合いをくり返してきたものばかりだというのである。つまり、紛争の多くは、以前から慢性的に続いてきたものが、あるきっかけで噴出したケースが多く、それは70年代から80年代がピークだったということである。これに対し、90年代以後の紛争は、その異常性、規模、介入のあり方において注目されたものの、新たに発生した件数は少ないのである。
慢性的紛争にNGOが果たしうる役割
バングラデシュ、チッタゴン丘陵における紛争の歴史は、ガーの紛争の時間的な分析にぴったり当てはまる。国際的に注目を集めないこのように慢性的で小さな紛争に対して、国家機関は明確な対応方法を打ち出してきていない。そのため、今もマイノリティ・グループに対する弾圧は「内政干渉」の壁に大きく覆い隠されている。例えば日本政府は、チッタゴン丘陵問題に積極的に対応してほしいという私たちの再三の要請に対し、開発事業には熱心だが、政治問題は「内政問題」と片付けて積極的な姿勢を見せようとしなかった。
こうした紛争に多少なりとも役割を果たしているものに、「人種差別撤廃条約」「世界人権宣言」「先住民族の権利に関する国際連合宣言」などの様々な条約や宣言がある。しかしこれらの条約や宣言には強制力がなく、当事国に対する正統な干渉を認めるものになっておらず、その効果は非常に限定的だ。実際にバングラデシュ政府も、国連の人種差別撤廃委員会などから勧告を何度も受けているが、いっこうに高圧的な政策を変えようとはしていない。
このように、国家が他国の内部紛争にまったく解決能力をもたず、その結果、犠牲者を生み出し続けている現状においては、慢性的で規模の小さい紛争に草の根レベルで対応できるのは NGO だけである。それは、NGOが果たしうる重要な役割の一つであると思う。NGOはこうした紛争の草の根の部分についてこそ、議論をもっと深めるべきではないだろうか。
*― バングラデシュ東南部に位置する丘陵地帯で、約60万人のモンゴロイド系住民が焼畑農業を中心に生計を立てている。バングラデシュ政府の強行な開発と土地収奪で、1970年代より紛争が始まり、1997年に和平協定が締結された。
**― Ted Robert Gurr, 2000, “Peoples Versus States-Minorities at Risk in the New Century,”United StatesInstitute of Peace Press.







