へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -30ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇3篇】019  ダビデがその子アブシャロムからのがれたときの賛歌


psm3:1  主よ。なんと私の敵 がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。

psm3:2  多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない 。」と。セラ

psm3:3  しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。

psm3:4  私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山 から私に答えてくださる。セラ

psm3:5  私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。

psm3:6  私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。

psm3:7  主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵 の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。

psm3:8  救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。セラ

。。。。。。。。。。


おはようございます。

今日は海の日。

友人達と加太の海水浴場へもう少しで出発予定。

楽しんでいってきます。




では今日も共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm3:6  私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。

psm3:7  主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵 の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。

psm3:8  救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。セラ




昨日のアリさんの話ではないけど、

ここでは、幾万の民をも私は恐れない。だって。


正直、僕らは恐れるよね。。。恐れない訳がない。

怖いもん。




でも、ここでも視点の変換だね。

いつまでも肉体から見えるもので判断しても仕方が無い。

見えないものにこそ真実はあるもんだからね。



神様から見たとき、当然恐れることは無いだろう。

それは僕らから見てアリさんいや、ミジンコ以下のモノだもんね。


いくら問題があっても

どんなに敵が取り囲んでいると見えても

僕らにはその敵対する者の意味すら解らない状況になるから。



だって、

僕らの味方は神様なんだから。







大丈夫。

眠れないと思える夜も、まったく大丈夫。

自分の心では苦しいくらいシンドイかもしれない。


見えない信仰を働かせてみよう。

「もし、神様が働かれるのなら・・・絶対大丈夫」だと叫んでみよう。

僕らは神様の約束を受け取ることになるから。




今日も神様の素晴らしさを体感できますように。

隠された神様の恵みを数えに今日も一緒に出かけましょう~。


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


a-men.




・・・・・・・・・・

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詩3篇(1) 「頭を高く上げる」 רוּם ルーム

〔カテゴリー救出〕

3節「・・主よ。あなたは・・私のかしらを高く上げて下さる方です。」(新改訳)
3節「・・あなたこそ、ヤーウェよ、・・わが頭をもたげる方」(岩波訳)

Keyword; 「頭をもたげる」 lift up, raise up, 旧約190回、詩篇50回

  • 「頭を高く上げて下さる」と訳されたルームרוּם(rum)は、神が人の名誉を回復してくれるという意味ですが、この動詞が神に向けられる場合には「あがめる」となります。ルームרוּם(rum)の本来の意味は、「高く上げる、高くする、引き上げる」です。
  • 表題にもあるように、詩3篇はダビデが有能な息子アブシャロムの周到な謀反によって都落ちした状況が背景にあります。だれもが「彼に神の救いはない」と思いました。すでにダビデの時代は終わったと思ったようです。神がどのようにしてダビデの名誉を回復してくださったのか、そのことを思い巡らすのが、この詩篇の瞑想のキーポイントです。
  • 「主よ。あなたは・・私のかしらを高く上げて下さる方です。」という言葉の裏には、自分でも頭を上げることができないほど、ダビデはうなだれていたに違いありません。私たちも、信頼している者から裏切られたり、あるいは自分に逆らって立つ者が多いのを目の当たりにしたりすると、がっくりとうなだれてしまう弱い者ものです。こんなときには自分で頭をもたげることも、祈ることもできなくなってしまうのです。
  • ダビデが都落ちして命からがら逃亡する先―エルサレムから北80キロほどのマハナイムーで、ダビデの一行に生活必需品を大量に運び込んでくれた者たちがいました(Ⅱサムエル17章27~29節)。この思いがけない者たちの励ましは、ダビデにとって、涙が出るほどうれしいものであったはずです。まさに「敵の前で・・食事」(詩23:5)が整えられたのです。ダビデを支援した者たちの行為は、一歩間違えば、アブシャロムの政権樹立後に謀反者として裁かれかねないものでした。にもかかわらず、彼らの存在はダビデに大きな励ましを与え、ダビデに祈る力を与えたに違いありません。
  • “You raise me up”という有名な賛美歌があります。とても励まされる歌です。

    打ち伏し弱り果てるとも 重荷につぶされるとも 
    なお今 静かに待ち望む、あなたの御救いを 
    You raise me up  高く引き上げてくださるあなたの愛 
    あなたの助けがあれば 私は強くなれる」 (私訳)

  • 詩27篇でもダビデは自分の名誉を回復してくださった主をほめたたえています。
    「今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。私は、その幕屋で喜びのいけにえをささげ、歌うたい、主にほめ歌を歌おう。」(6節)
  • うなだれた頭(かしら)をもたげてくださる方がおられることで、だれでも再起することが出来、安心して眠ることができるのです。このダビデに対する神の祝福は、今も、私たちに注がれています。

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詩3篇(2)「ささえる」 סָמַך サーマフ

〔カテゴリー防衛〕

5節「私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。」(新改訳)
5節「神にささえられ、私は伏して眠り、また目をさます」(典礼訳)

Keyword; 「支える」 sustain,  up hold,
3:5/37:17, 24/51:12/54:4/111:8/119:116/145:14

  • 「ささえてくださる」と訳されたサーマフסָמַך(samakh)は、旧約で48回、詩篇では11回使われています。詩篇特愛の恩寵用語です。神の支えと私たちの安眠は密接な関係があります。今日多くの者たちがさまざまなストレス、将来の不安、人間関係における恐れなどによる不眠で悩まされています。ダビデのように、自分の座を追われ、先の不安の中に陥れられても、彼が「身を横たえて、眠り、また、目を覚ます」という驚くべき安眠の祝福は、ひとえに神が彼を支えておられたからであり、ダビデはそのことを信じていたからに他なりません。
  • 御子イエスが暴風の中でも舟の中で眠っておられたのは、御父か自分を支えておられるという絶対的な信頼によるものです。弟子たちは水の上では舟が唯一の支えですが、その舟に水が入ってきたとき、舟が沈没してしまうかもしれないという死の恐れにおびえました。私たちは支えなしに生きることはできません。しかし、私たちの本当の支えはいったい何なのか。私たちの人生においてそのことを深く問われる試みを経験することがあるかもしれません。しかし、主を支えとする者は幸いです。
  • 詩篇には、いついかなるときにも神の確かな支え(サポート)があることを教えています。「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。」(37:23~24)「まことに、神は私を助ける方、主は私のいのちをささえる方です。」(54:4)「主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。」(145:14 )
  • モーセの訣別説教の中に「永遠の腕が下に」という表現があります(申命記33:27)。イスラエルの愛称である「エシュルンよ」と呼びかける神は、ご自身の民の内に臨在されるばかりか、天を駆け巡って彼らを助けます。民はその神を自らの「住む家」として持ち、「永遠の御腕が下に」あるという確かな支えによって守られています。この神の支えがあることを、私たちは朝ごとに心の中にしっかりと刻む必要があります。
  • サーマフסָמַך(samakh)の類義語は、以下の通りです。
    (1)サーアドסָעַד(sa`ad)・・旧約12回、詩篇6回。18:35/20:2/41:3/44:18/104:15/119:17
    (2)アーウドעָוּד(`awud)・・旧約44回、詩篇6回。146:9/147:6/ etc
    (3)クール  כּול(kul)・・旧約38回、詩篇2回。55:22 he will sustain(NIV)
    新改訳では「主が心配してくださる」と訳されています。

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。。。。。。。。。。

 

【詩篇2篇】【psm1】


psm2:1  なぜ国々 は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。

psm2:2  地の王たち は立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者 とに逆らう

psm2:3  「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」

psm2:4  天の御座 に着いておられる方は笑う 。主はその者どもをあざけられる。

psm2:5  ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。

psm2:6   「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山 、シオンに。」

psm2:7   「わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、 わたしの子 。きょう、わたしがあなたを生んだ。

psm2:8   わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。

psm2:9   あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」

psm2:10  それゆえ、今、王たちよ、悟れ。地のさばきづかさたちよ、慎め。

psm2:11  恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ喜べ。

psm2:12  御子 に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

新しい一週間の始まりですね。先週も色んな場所で色んな事が起こり

ため息をつくことしか出来ない状況jにおかれている方も多いですね。

共に立ち上がりましょう。

僕らには神様が共に居られるんですから。



では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな箇所。

psm2:4  天の御座 に着いておられる方は笑う 。主はその者どもをあざけられる。




此処では下記説明文でも解るけど

神様が敵を笑う場面が見られる。




笑う。

あざける。





僕らはそんな場面を思い出すとき、圧倒的な力の差があるにも関わらず

敵とする相手はその力の大きさも知らずに立ち向かおうとする時じゃ無いだろうか?







例えは余りよくないかもしれないが

小さなアリさん一匹が手に噛み付いたかのような感じとも云えるかもしれない。




アリさんが一匹噛み付かれたって

皮膚をその口は貫通することも無いだろう。


痛みも感じる事が出来ない程




アリさんは何故、立ち向かおうとするのか?

不思議に感じさえするほどの力の差があるけど、

実際アリさんの視点に立てば、何に噛み付いているのかも解らないんだと思う。

目の前に腹が立つことがあり、それに噛み付いただけの話なのかもしれない。






アリさんがその敵である僕の視点で考えるなら

そんな攻撃は初めから思いつくことも無かったかもしれないよね。







神様もそんな感じ。


人は神様にたて突く。(ま~その事にも気付いてないだろうけど・・)

神様なんて絶対居ないなんて・・・。

人は偶然生きて、人こそが勝手にこの世界を支配できる・・・なんてね。




人って何も見えてないもんね。


アリさんみたい。





でも、その存在を知り

その存在こそが僕ら一人一人を愛して支えられる方だって気付くことが出来れば

僕らは無敵になる。


だって、神様が僕らを愛して

圧倒的な力で守ろうといつも傍にいてくれるんだから。





僕らがすべき事は

神様って素敵な存在に気付き、その存在を喜ぶことだけ。


なんて凄い環境なんだろう。

神様は人を特別な存在として創られてるんだもんね。





今日も素敵な神様を傍に感じながら

過ごすことが出来ますように。


こんなお祈りも忘れずにね。


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


a-men.


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詩2篇「笑う」 שָׂחַק サーハク        

〔カテゴリー統治〕

4節「天の御座に着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。」(新改訳)

Keyword; 「笑う」 laugh, 2:4/37:13/59:8

  • 「笑う」(典礼訳では「見下す」、口語訳では「あざけり笑う」)と訳された神の「笑い」は、サーハクשָׂחַק(sachaq)で、旧約では36回、詩篇では5回使われています。しかしその5回のうち神が主語であるのは2:4を含めて3回です。
    37:13「主は彼を笑われる。彼の日が迫っているのを(=自滅すること)ご覧になるから。」
    59:8 「しかし主よ。あなたは、彼を笑い、すべての国々を、あざけられます。」
  • 4節の「笑う」サーハクשָׂחַק(sachaq)の同義語として、同節に「あざける」ラーアグלָעַג(la`ag)があります。しばしばサーハクとセットで用いられます。訳としては、新改訳の「あざける」の他に、典礼訳「恥をさらす」、関根訳「嘲笑する」があります。旧約で26回、詩篇では12回使われています。
  • 詩2篇の視座は、神の視点から「地的現実」を見るという見方です。その視座は、私たちに「安息」「確信」「平安」「希望」をもたらします。いつの時代にもおいても、神に敵対する勢力は存在します。バベルの塔を建てようとしたときも、またイエスを十字架につけたときも、そしてやがてキリストの再臨前にすべての国民が神の民イスラエル(ユダヤ人)を攻撃するときも、地上の支配者たちは、常に「主と、主に油注がれ者とに」逆らうのです。
  • 詩篇の中に「敵」ということばが多く出てきますが、その多くは神に逆らう者のことです。詩1篇では「悪者」ということばで表現しています。この敵の攻撃に対して、敵の策略に対して、「正しい者」たちが天の御座という視座からものごとを見ることができるならば、嘆きは賛美へと変わっていくはずです。神の笑いは、神に敵対する者にとってはやがて裁きを招きますが、神に身を避ける者にとっては恩寵なのです。この視座をしっかりと身につけていたいものです。
  • 高き御座から見下ろしておられる神の荘厳な姿とゆとりを思い起こすことによって、その神に身を避ける者に、落ち着きや、内なる静けさとゆるがされない確信が与えられるのです。しかもこのことが幸いだと作者は述べています。

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。。。。。。。。。。

【詩篇1篇】o19


psm1:1  幸いなことよ悪者のはかりごと に歩まず、罪人の道 に立たず、あざける者 の座 に着かなかった、その人。

psm1:2 まことに、その人は主のおしえを喜び とし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

psm1:3 その人は、水路のそば に椊わった木のようだ。時が来ると実がなり 、その葉は枯れない。その人は、何をしても 栄える。

psm1:4  悪者 は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。

psm1:5  それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどい に立てない。

psm1:6  まことに、主は、正しい者の道 を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。


 

。。。。。。。。。。


おはようございます。

今日は土曜日。お仕事の方も多いと思いますがイッチョ頑張りやしょう。


では昨日詩篇最終章終わったんで今日は最初から

改めて見ると素敵を更に発見できるから楽しみですよ~。

では早速。





今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm1:2 まことに、その人は主のおしえを喜び とし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。




主(神様)の教えを喜びと出来るのは


まず、①神様の存在に気付くこと

そして、②その方が全てを秩序立てて全てを創られたことを知り

③僕らの繋がりをぶっ壊そうとサタンが働いている事を知らなければならない。




神様は僕らをとことんまで愛されているが故

僕らが神様の存在を忘れてしまっていても

絶えず僕らに声を掛けてくださっている。


気付くことが出来れば

僕らは神様の教えであるバイブルを通して語られる言葉に耳を傾けることが出来る。




神様は僕らを素敵な水路に移し変えて下さる方。



先ずは、

気付くことから

気付くことが出来たら、言葉を発してみましょう。

詩篇の作者と共に。



水路の喜びは、

信じた行動から始まる。

サタンの支配の中から、神様を選び、神様の言葉を発する事から。。




今日からまた詩篇宜しくお願いしますね。

では、今日も神様の水路(大庭)を楽しみながら、大胆に過ごせますように。


eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



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詩1篇 「植える」 שָׁתַל シャータル                  

3節「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。」(新改訳)

3節「・・・・・流れのほとりに移し植えられた樹のように」(関根訳)

Keyword; 「植える、移植する」  planted, plant, is transplanted 1:3/92:13 

  • 詩篇における最初の恩寵用語―神が人に対してなされる恵み深い行為を表わす動詞―として取り上げたいのは、「植える」という動詞です。ここでは、幸いな人というのは、「水路のそばに植わった木」にたとえられています。
  • 「植わった木」とは、本来のそこにあった自然木ではなく、異なった場所に植わっていた木を水路のそばに(水の流れのほとりに)移して、植え直された木のことです。大切なのは、木ではなく、その木を水路のそばに移植した主体の存在です。水の流れのほとりに移し換えられることで、どんなに灼熱の太陽の下でも、決して枯れることがなく、むしろ、根を深く下ろして頑強な木として成長し、多くの豊かな実を結ぶようになります。
  • 使徒パウロは「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」(コロサイ1章13節)と述べています。「暗やみの圧制から愛する御子のご支配の中に」です。この「移し変えの恵み」が、詩1篇にはっきりと描かれています。
  • 「植わった」と訳されたシャータルשָׁתַל(shatal)は救出用語です。旧約では10回、詩篇は2回使われています。92篇13節では植えられた場所が、水路のそばではなく、主の家、神の大庭とあります。また、この動詞はエレミヤ書(17:8)やエゼキエル書(17:8, 10, 22, 23, 19:10,13)にも見られます。エゼキエル書では、木が「ぶどうの木」、「杉の木」とされていますが、いずれも神ご自身がそれを植える(移植する)ことが強調されています。
  • 詩1篇の木は、常緑樹の「なつめやし」(棕梠)だという説があります。その木は1本につき6~7房の実をつけますが、その一房にはおよそ千個の果実があるそうです。乾燥させるとその実はとても甘く、栄養価も高いようです。そして、その木が十分な結実を見るまでには、実に40年の歳月を要し、しかも150年もの間にわたって結実を続けるのだそうです。エレミヤが「主に信頼し、主を頼みとする者・・は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、・・いつまでも実をみのらせる」(17章7~8節)と言ったように、主に祝福された者をなつめやしにたとえることは、実に、妙を得ているのです。
  • 私たちはすでにキリストといういのちの水の源泉にふれています。このキリストのうちに神の知恵と知識との宝がすべて隠されています。ですから、キリストのことばを私たちのうちに豊かに住まわせ、キリストの中に根差し、主にある者と共に建てられていく者とされているのです。

・・・・・・・・・・

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【詩篇150篇】o19


psm150:1  ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ 。御力の大空で、神をほめたたえよ。

psm150:2  その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。

psm150:3  角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。

psm150:4  タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。

psm150:5  音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。

psm150:6  息のあるもの はみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

熊本では酷い被害になったですね。皆さん大丈夫だったでしょうか。



では共に詩篇を。

今日が最後の詩篇ですが、僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm150:2  その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。





神様がされた偉大さのゆえに、喜ぼう。

しっかり一つ一つをみつめてみれば、本当にその一つ一つの素晴らしさを実感できる。


まずは、関心を持つことから。

しっかり見つめてみることで僕らは実際の素晴らしさを実感できる。


でも、

中々それを知る事が出来ないのも事実。

だって、今そんなに知ることが出来ていない事もあるんだから。。ネ。





知ることが出来たら見える世界が変わる。

これはホンマ!!


次の言葉は

僕がその実際を見始めるキッカケになった言葉。

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。

eps1:18  また、あなたがたの心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。





ここで記されてるのは

僕らの心の目がハッキリ見えるようになっていないという事と

神様が目を開かせてくれるという事。。神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。

キーポイントは、神様を信じた時に約束された神様の霊 『 御霊 』。



是非、この言葉を日々の祈りにしてみてください。

今まで見えなかった真実が、全てを創られた神様の霊によって知り始めるから。


当たり前にある事の一つ一つが、メチャ楽しくなる。

だって、当たり前は全能の神様が最高の知恵で創られたものだから。






是非、この言葉

日々繰り返して発してみませんか!!

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。




神様は僕らの祈りを聴いて

必ず目を開かせて、神様が創られた当たり前の素晴らしさに驚くことが出来るようになる。

日々喜びに満たされて

この詩篇の作者さんのような言葉を僕らも自然に発しているに違いない。



だから、

僕のお願いでもあるんだけど

是非、今日からこの言葉発してみましょうね。

宜しくお願いします。




では、今日も素敵な一日を目を開いて過ごせますように。。

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇149篇】o19


psm149:1  ハレルヤ。主に新しい歌 を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。

psm149:2  イスラエルは、おのれの造り主にあって喜べ。シオンの子らは、おのれの王にあって楽しめ。

psm149:3  踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。

psm149:4  主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。

psm149:5  聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。

psm149:6  彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。

psm149:7  それは国々に復讐し、国民を懲らすため、

psm149:8  また、鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため。

psm149:9  また書きしるされたさばきを彼らの間で行なうため。それは、すべての聖徒の誉れである。ハレルヤ。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

今日は朝から雨。

雨。



雨。



雨を必要とされる人も居る。だから・自分の感情に支配されずにね。

そうすりゃ、きっと雨も喜べる。



多分ね。


では今日も詩篇を共に。

僕の心に留まった言葉はこんな言葉。

psm149:2  イスラエルは、おのれの造り主にあって喜べ。シオンの子らは、おのれの王にあって楽しめ。

psm149:3  踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。





僕らを造られた創り主に会って喜べだって。

そして、僕らを本気で守ろうとされる支配して下さる王として神様を喜ぼうだって。


いつも、どんな時にも喜べる環境と違うかもしれない。

例えば、この雨みたいに。  ね。

自分が今希望しているものがいつも与えられるのではないからね。

でも、それは僕を含めた愛される一人一人に必要なものなんだから。。。




雨を喜んでみよう。

そしたら、そこに神様が注ごうとしている素敵を見出せる筈だから。



きっと僕らは喜べる。

だって、僕らは神様に似せて創られたんだしね。



では、今日も目に見えるものダケに支配されず

隠された素敵を捜しに今日も一緒にでかけましょうね。