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psm2:1 なぜ国々 は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。
psm2:2 地の王たち は立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者 とに逆らう 。
psm2:3 「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」
psm2:4 天の御座 に着いておられる方は笑う 。主はその者どもをあざけられる。
psm2:5 ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。
psm2:6 「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山 、シオンに。」
psm2:7 「わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、 わたしの子 。きょう、わたしがあなたを生んだ。
psm2:8 わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。
psm2:9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」
psm2:10 それゆえ、今、王たちよ、悟れ。地のさばきづかさたちよ、慎め。
psm2:11 恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ喜べ。
psm2:12 御子 に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。
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おはようございます。
新しい一週間の始まりですね。先週も色んな場所で色んな事が起こり
ため息をつくことしか出来ない状況jにおかれている方も多いですね。
共に立ち上がりましょう。
僕らには神様が共に居られるんですから。
では早速共に詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな箇所。
psm2:4 天の御座 に着いておられる方は笑う 。主はその者どもをあざけられる。
此処では下記説明文でも解るけど
神様が敵を笑う場面が見られる。
笑う。
あざける。
僕らはそんな場面を思い出すとき、圧倒的な力の差があるにも関わらず
敵とする相手はその力の大きさも知らずに立ち向かおうとする時じゃ無いだろうか?
例えは余りよくないかもしれないが
小さなアリさん一匹が手に噛み付いたかのような感じとも云えるかもしれない。
アリさんが一匹噛み付かれたって
皮膚をその口は貫通することも無いだろう。
痛みも感じる事が出来ない程
アリさんは何故、立ち向かおうとするのか?
不思議に感じさえするほどの力の差があるけど、
実際アリさんの視点に立てば、何に噛み付いているのかも解らないんだと思う。
目の前に腹が立つことがあり、それに噛み付いただけの話なのかもしれない。
アリさんがその敵である僕の視点で考えるなら
そんな攻撃は初めから思いつくことも無かったかもしれないよね。
神様もそんな感じ。
人は神様にたて突く。(ま~その事にも気付いてないだろうけど・・)
神様なんて絶対居ないなんて・・・。
人は偶然生きて、人こそが勝手にこの世界を支配できる・・・なんてね。
人って何も見えてないもんね。
アリさんみたい。
でも、その存在を知り
その存在こそが僕ら一人一人を愛して支えられる方だって気付くことが出来れば
僕らは無敵になる。
だって、神様が僕らを愛して
圧倒的な力で守ろうといつも傍にいてくれるんだから。
僕らがすべき事は
神様って素敵な存在に気付き、その存在を喜ぶことだけ。
なんて凄い環境なんだろう。
神様は人を特別な存在として創られてるんだもんね。
今日も素敵な神様を傍に感じながら
過ごすことが出来ますように。
こんなお祈りも忘れずにね。
神様・・
eps1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に与えてくださいますように。
eps1:18 また、私の心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
eps1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、私が知ることができますように。
a-men.
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詩2篇「笑う」 שָׂחַק サーハク
〔カテゴリー統治〕
4節「天の御座に着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。」(新改訳)
Keyword; 「笑う」 laugh, 2:4/37:13/59:8
- 「笑う」(典礼訳では「見下す」、口語訳では「あざけり笑う」)と訳された神の「笑い」は、サーハクשָׂחַק(sachaq)で、旧約では36回、詩篇では5回使われています。しかしその5回のうち神が主語であるのは2:4を含めて3回です。
37:13「主は彼を笑われる。彼の日が迫っているのを(=自滅すること)ご覧になるから。」
59:8 「しかし主よ。あなたは、彼を笑い、すべての国々を、あざけられます。」
- 4節の「笑う」サーハクשָׂחַק(sachaq)の同義語として、同節に「あざける」ラーアグלָעַג(la`ag)があります。しばしばサーハクとセットで用いられます。訳としては、新改訳の「あざける」の他に、典礼訳「恥をさらす」、関根訳「嘲笑する」があります。旧約で26回、詩篇では12回使われています。
- 詩2篇の視座は、神の視点から「地的現実」を見るという見方です。その視座は、私たちに「安息」「確信」「平安」「希望」をもたらします。いつの時代にもおいても、神に敵対する勢力は存在します。バベルの塔を建てようとしたときも、またイエスを十字架につけたときも、そしてやがてキリストの再臨前にすべての国民が神の民イスラエル(ユダヤ人)を攻撃するときも、地上の支配者たちは、常に「主と、主に油注がれ者とに」逆らうのです。
- 詩篇の中に「敵」ということばが多く出てきますが、その多くは神に逆らう者のことです。詩1篇では「悪者」ということばで表現しています。この敵の攻撃に対して、敵の策略に対して、「正しい者」たちが天の御座という視座からものごとを見ることができるならば、嘆きは賛美へと変わっていくはずです。神の笑いは、神に敵対する者にとってはやがて裁きを招きますが、神に身を避ける者にとっては恩寵なのです。この視座をしっかりと身につけていたいものです。
- 高き御座から見下ろしておられる神の荘厳な姿とゆとりを思い起こすことによって、その神に身を避ける者に、落ち着きや、内なる静けさとゆるがされない確信が与えられるのです。しかもこのことが幸いだと作者は述べています。
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