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【詩篇3篇】019 ダビデがその子アブシャロムからのがれたときの賛歌
psm3:1 主よ。なんと私の敵 がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。
psm3:2 多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない 。」と。セラ
psm3:3 しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。
psm3:4 私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山 から私に答えてくださる。セラ
psm3:5 私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。
psm3:6 私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。
psm3:7 主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵 の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。
psm3:8 救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。セラ
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おはようございます。
今日は海の日。
友人達と加太の海水浴場へもう少しで出発予定。
楽しんでいってきます。
では今日も共に詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm3:6 私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。
psm3:7 主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵 の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。
psm3:8 救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。セラ
昨日のアリさんの話ではないけど、
ここでは、幾万の民をも私は恐れない。だって。
正直、僕らは恐れるよね。。。恐れない訳がない。
怖いもん。
でも、ここでも視点の変換だね。
いつまでも肉体から見えるもので判断しても仕方が無い。
見えないものにこそ真実はあるもんだからね。
神様から見たとき、当然恐れることは無いだろう。
それは僕らから見てアリさんいや、ミジンコ以下のモノだもんね。
いくら問題があっても
どんなに敵が取り囲んでいると見えても
僕らにはその敵対する者の意味すら解らない状況になるから。
だって、
僕らの味方は神様なんだから。
大丈夫。
眠れないと思える夜も、まったく大丈夫。
自分の心では苦しいくらいシンドイかもしれない。
見えない信仰を働かせてみよう。
「もし、神様が働かれるのなら・・・絶対大丈夫」だと叫んでみよう。
僕らは神様の約束を受け取ることになるから。
今日も神様の素晴らしさを体感できますように。
隠された神様の恵みを数えに今日も一緒に出かけましょう~。
神様・・
eps1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に与えてくださいますように。
eps1:18 また、私の心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
eps1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、私が知ることができますように。
a-men.
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詩3篇(1) 「頭を高く上げる」 רוּם ルーム
〔カテゴリー救出〕
3節「・・主よ。あなたは・・私のかしらを高く上げて下さる方です。」(新改訳)
3節「・・あなたこそ、ヤーウェよ、・・わが頭をもたげる方」(岩波訳)
Keyword; 「頭をもたげる」 lift up, raise up, 旧約190回、詩篇50回
- 「頭を高く上げて下さる」と訳されたルームרוּם(rum)は、神が人の名誉を回復してくれるという意味ですが、この動詞が神に向けられる場合には「あがめる」となります。ルームרוּם(rum)の本来の意味は、「高く上げる、高くする、引き上げる」です。
- 表題にもあるように、詩3篇はダビデが有能な息子アブシャロムの周到な謀反によって都落ちした状況が背景にあります。だれもが「彼に神の救いはない」と思いました。すでにダビデの時代は終わったと思ったようです。神がどのようにしてダビデの名誉を回復してくださったのか、そのことを思い巡らすのが、この詩篇の瞑想のキーポイントです。
- 「主よ。あなたは・・私のかしらを高く上げて下さる方です。」という言葉の裏には、自分でも頭を上げることができないほど、ダビデはうなだれていたに違いありません。私たちも、信頼している者から裏切られたり、あるいは自分に逆らって立つ者が多いのを目の当たりにしたりすると、がっくりとうなだれてしまう弱い者ものです。こんなときには自分で頭をもたげることも、祈ることもできなくなってしまうのです。
- ダビデが都落ちして命からがら逃亡する先―エルサレムから北80キロほどのマハナイムーで、ダビデの一行に生活必需品を大量に運び込んでくれた者たちがいました(Ⅱサムエル17章27~29節)。この思いがけない者たちの励ましは、ダビデにとって、涙が出るほどうれしいものであったはずです。まさに「敵の前で・・食事」(詩23:5)が整えられたのです。ダビデを支援した者たちの行為は、一歩間違えば、アブシャロムの政権樹立後に謀反者として裁かれかねないものでした。にもかかわらず、彼らの存在はダビデに大きな励ましを与え、ダビデに祈る力を与えたに違いありません。
- “You raise me up”という有名な賛美歌があります。とても励まされる歌です。
打ち伏し弱り果てるとも 重荷につぶされるとも
なお今 静かに待ち望む、あなたの御救いを
You raise me up 高く引き上げてくださるあなたの愛
あなたの助けがあれば 私は強くなれる」 (私訳)
- 詩27篇でもダビデは自分の名誉を回復してくださった主をほめたたえています。
「今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。私は、その幕屋で喜びのいけにえをささげ、歌うたい、主にほめ歌を歌おう。」(6節)
- うなだれた頭(かしら)をもたげてくださる方がおられることで、だれでも再起することが出来、安心して眠ることができるのです。このダビデに対する神の祝福は、今も、私たちに注がれています。
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詩3篇(2)「ささえる」 סָמַך サーマフ
〔カテゴリー防衛〕
5節「私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。」(新改訳)
5節「神にささえられ、私は伏して眠り、また目をさます」(典礼訳)
Keyword; 「支える」 sustain, up hold,
3:5/37:17, 24/51:12/54:4/111:8/119:116/145:14
- 「ささえてくださる」と訳されたサーマフסָמַך(samakh)は、旧約で48回、詩篇では11回使われています。詩篇特愛の恩寵用語です。神の支えと私たちの安眠は密接な関係があります。今日多くの者たちがさまざまなストレス、将来の不安、人間関係における恐れなどによる不眠で悩まされています。ダビデのように、自分の座を追われ、先の不安の中に陥れられても、彼が「身を横たえて、眠り、また、目を覚ます」という驚くべき安眠の祝福は、ひとえに神が彼を支えておられたからであり、ダビデはそのことを信じていたからに他なりません。
- 御子イエスが暴風の中でも舟の中で眠っておられたのは、御父か自分を支えておられるという絶対的な信頼によるものです。弟子たちは水の上では舟が唯一の支えですが、その舟に水が入ってきたとき、舟が沈没してしまうかもしれないという死の恐れにおびえました。私たちは支えなしに生きることはできません。しかし、私たちの本当の支えはいったい何なのか。私たちの人生においてそのことを深く問われる試みを経験することがあるかもしれません。しかし、主を支えとする者は幸いです。
- 詩篇には、いついかなるときにも神の確かな支え(サポート)があることを教えています。「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。」(37:23~24)「まことに、神は私を助ける方、主は私のいのちをささえる方です。」(54:4)「主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。」(145:14 )
- モーセの訣別説教の中に「永遠の腕が下に」という表現があります(申命記33:27)。イスラエルの愛称である「エシュルンよ」と呼びかける神は、ご自身の民の内に臨在されるばかりか、天を駆け巡って彼らを助けます。民はその神を自らの「住む家」として持ち、「永遠の御腕が下に」あるという確かな支えによって守られています。この神の支えがあることを、私たちは朝ごとに心の中にしっかりと刻む必要があります。
- サーマフסָמַך(samakh)の類義語は、以下の通りです。
(1)サーアドסָעַד(sa`ad)・・旧約12回、詩篇6回。18:35/20:2/41:3/44:18/104:15/119:17
(2)アーウドעָוּד(`awud)・・旧約44回、詩篇6回。146:9/147:6/ etc
(3)クール כּול(kul)・・旧約38回、詩篇2回。55:22 he will sustain(NIV)
新改訳では「主が心配してくださる」と訳されています。
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