
自分がまだ小さい頃には自宅で亡くなる人がいたようですが、現状では病院で死ぬ、死亡判断される方がほとんどだと思います。
その医療関係者のなかでも、お医者さんが生死の境の場面に立ち会う機会が多いです。
生と死は表裏一体。
先ほどまで元気でぴんぴんしていたとしても急に亡くなる可能性があります。
日頃の生活において、充実した時間を過ごしてより良く生きることがより良い死に繋がります。
いつか必ず訪れる場面にあたり準備することには早いに越したことはありません。
色々な人や本から学ぶことはよいことです。
心がまえはしておいたほうがよいでしょう。
久坂部さんは、研修医、勤務医、海外勤務などの経験を経て医者ならではの鋭い視点で小説をたくさん書かれています。
患者さんと向き合う機会が多くあり、自分事のように考えていた、自分の父親のときにおいても十分に洞察し学んだ久坂部さんの意見はぜひ拝聴すべきだと思いました。
いつか迎えるときのためには、「どう死ねるのか」を検討しておくべき時期に来ていたと思います。
7P
「死に関する新しい教科書」
家族や自分の死が間近に迫った時、最良の方法を選び、亡くなったあとに悔いを残さないようにするには、やはり死の実際を知ることが大切でしょう。
一回きりの死を失敗しないために、多くの人が死の恐怖から解放され、上手な最期を迎えられることを、心より願っています。
看取りについて、久坂部さんが言われているからこそわかります、伝わります。
50P 望ましい看取り
在宅で私が看取った患者さんたちは、ほぼ例外なく穏やかな最期を迎えました。
それはやはり、最後を迎えることを受け入れ、無意味な医療行為をしないほうが、死にゆく当人のためであることを、事前に十分、理解していたからだと思います。
死の直前には点滴も酸素マスクも効果がなく、むしろ当人の負担になるだけで、それをすることで当人が楽になったり、ましてや寿命が延びたりすることがあり得ないと、わかっているからこそ、静かに見送ることができるのです。
家族の多くは、死にゆく人に何かしてあげたい、少しでも死を押しとどめ、死の苦しみから救ってあげたいと思います。その気持ちはわかりますが、点滴や酸素マスクがその助けになるという根拠はどこにもありません。
57P
ある程度の歳になれば、死を受け入れるほうが上手に死ねます。
そのためには、どこかで覚悟をする必要があります。父が比較的、抵抗なくそれを受け入れたのは、医者という職業柄、超高齢になって生きることのつらさを熟知していたからでしょう。
さらには仏教やタオイズム(道教)的な素養も影響していたかもしれません。
-足るを知る。
これが私が父から受け継いだ上手に死ぬための秘訣です。
賛成、反対どちらにも言い分はあります。
世の中で議論すべき時期にきていると思います。
161P 尊厳死と安楽死の賛成派と反対派の言い分
賛成派
・死ぬ意外に極度の苦しみから逃れることができない場合に必要
・医療によって無理やり生かされることは、人間の尊厳を損ねる
・人には自分の最期を決める権利がある
反対派
・尊厳死も安楽死も命を見捨てる行為であり、死んでもいい命などは存在しない
・命はいったん失われたらもどらないから、早まった行為は慎むべき
・尊厳死や安楽死は、いわゆる“滑りやすい坂”だから、いったん許容すると、坂道をすべるように歯止めが利かなくなる
・社会的圧力や周囲への遠慮などで、本人が望まない安楽死や尊厳死が行われる危険性がある
・家族や医療者が自らの利益のために、法律を悪用する危険性がある・
虐待に等しい終末期医療で苦しみ、悲惨な死を迎えることになりかねないことからも、この本の流れに沿って、ぼくは在宅死に憧れます。
188P 病院死より在宅死
病院に行くなら、助かる可能性もあるけれど、悲惨な延命治療になる危険性もある、病院に行かないなら、そのまま亡くなる危険性もあるけれど、悲惨な延命治療は避けれれるということを、心得ておくしかありません。
こころとカラダとともに、良い人生となるためには、毎日が幸せになるよう積み重ねていくことです。
204P
「もう十分、生きた」「いい人生やった」
精神面での上手な死は、自分の人生に満足し、十分に生きたと感じ、心置きなくこの世から去っていく最期でしょう。
求めなければ与えられないものです。
208P 求めない力
少しでも長生きしたい、いつまでも元気でいたい、充実した人生を送りたい、もっと人生を楽しみたい、最後は苦しみたくない、楽に死にたい、そこに、いろいろと求める力を働かせない。
自己肯定と感謝の気持ちという視点は、取り入れていきたいものです。
212P 最後は自己肯定と感謝の気持ち
人生の最後の残り時間には、思い切り自分い都合よく、自己肯定の快楽に身を任すのも悪くないでしょう。
今一度、感謝の気持ちに立ち戻ることも一法です。これも父に教わったことですが、感謝の気持ちを深めれば、不平も不足も不満もかすみ、自分に与えられた多くの恵みや親切、幸運に気づき、穏やかな気持ちになれる可能性が高いです。
現役医師でもある久坂部さんならではの視点だからしっくりきました。私も斯くありたいものです。
いざ自分がそうなったとき、どういう思いでどういう行動を取るかはそのときにならないと分かりません。
彼の意見は大いに理解できました。
多くの死を見てきた人の言うことだけに説得力は十二分に強かったです。
216P
私自身、どんな最期を迎えるのかわかりませんし、上手に死ぬ自信もありません。あれほど在宅死を勧めていたのに、自分は病院で死ぬかもしれません。最後の最後まで治療にこだわり、チューブや機械につながれて、尊厳のない状態で死ぬ可能性があります。そのときは嗤っていただいて結構です。たぶん、そんな嘲笑は私の耳には届かないでしょうが。
結局、だれしも一回きりの死は、自分自身の死を死ぬ以外にないということです。
<目次>
はじめに
第1章 死の実際を見る、心にゆとりを持って
第2章 さまざまな死のパターン
第3章 海外の“死”見聞録
第4章 死の恐怖とは何か
第5章 死に目に会うことの意味
第6章 不愉快な事実は伝えないメディア
第7章 がんに関する世間の誤解
第8章 安楽死と尊厳死の是々非々
第9章 “上手な最期”を迎えるには
おわりに
参考文献
1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部附属病院の外科および麻酔科にて研修。その後、大阪府立成人病センター(現・大阪国際がんセンター)で麻酔科医、神戸掖済会病院で一般外科医、在外公館で医務官として勤務。同人誌「VIKING」での活動を経て、『廃用身』(幻冬舎)で2003年に作家デビュー。2014年『悪医』(朝日新聞出版)で第3回日本医療小説大賞を受賞