
酒井順子さんらしい鋭い視点からのエッセイ集でした。
『負け犬の遠吠え』や『男尊女子』などのように、日本人の根深く続いている階級意識をあぶり出していたと思います。
男女雇用機会均等法などにより制度上の平等が進んでいると思っていたが、まだまだ平等ではないという考え方もあります。
27P 男高女低神話のゆらぎ
結婚する人が減り続け、子どもの数が減り続け、そうして日本の人口がへっていくのは、制度上の平等と精神的平等の乖離から日本人が目を逸らし、放置し続けているから。表面的には「平等ですよ」と言われながら、奴隷的日常を課せられ続けるならば、女性達の腰が引けていくのは当たり前のことです。かといって男性だけが悪いわけでもなく、「自分が下にいることにしておけば、面倒臭くない」と、「下」やら「低」やらにあえて身を置き続けた女性もまた、責任が無いとは言えないのではないか。
「やった!」成功したときに出てくる脳内ホルモンのドーパミン。麻薬のような魔力があるのならば、選手を応援してそれを出したくなるわな。
86P ドラえもんが表わす子供社会格差
ワールドカップやオリンピックへの日本人の熱狂ぶりからは、人々が本当はいかに勝ち負けをつけることが好きなのかが感じられるものです。
力と力がぶつかり合う勝負は、人間にとって麻薬のような魔力を持っているのであり、勝利がもたらす歓喜も、敗北による悲哀も、我々に強い陶酔感を与えてくれます。その欲求を野放しにしてしまうと、やれ喧嘩だ戦争だときな臭いことになってしまうので、ルールを定めたスポーツという範囲の中だけで、人々は勝負というレジャーを愉しむことにしたのではないか。
ワールドカップやオリンピックで巨額の金が動くのも、スポーツが合法的な麻薬のようなものだと考えれば、納得がいくものです。「勝ちたい「相手を倒したい」という禁断の欲求を、思う存分放出してもよし、とされているのがその手の場であり、欲求が集まる場所には金も集まるのですから。
その無名性の価値観は、それはそれで有名になったら下がるんじゃろ。
99P 有名になる価値の今昔事情
かつては価値あるものとされた全方位的な有名性は、今やムダな重荷となりつつあります。ネットを利用すれば、一介の無名人が有名になることも可能な時代ではありますが、これからは無名性の価値というものが、さらに求められるようになる気がしてなりません。
家柄や血筋の高貴さが残っている代表的な事例として。
178P 姫になりたい女の子と、姫として生まれた女の子
現在の皇族というのは、人間平等の世にはそもそも存在しないはずの「無条件の偉さ」を引き受けなくてはならない人々、ということができましょう。それはある種の特権ではなるけれど、その代償として背負わなくてはならないものは、あまりに重い。
格差や差別が水面下に潜っていくと一旦に見失いますが無くなってはいないのですから、成熟した社会でまた表面上に上がってくるときがくるのでしょう。その膨張した欲求が爆発しないようにと願いつつも、格差や差別に対抗するために鍛えておく!?どうやって?
262P おわりに
様々な格差や、人を上に見たり下にみたりする欲求は残り続け、その欲求は水面下で膨張しているのではないか。……という思いを持って書いたのが、本書となります。平板化が進む世においては、人々は差を乗り越える術を失い、微細な差にもつまずくようになったのはないか、と。
表面的な格差や差別は、今後も減少し続けるであろう日本。そうしてできたつるつるした世の中は歩きやすいだろうけれど、滑って転んでしまう人もいるに違いありません。つるっとした世では、段差の多い世よりもずっと、立つ時も歩く時も力が必要となるに違いなく、そんな世に向けて、今はせっせと筋力を鍛えるしかないのでしょう。
<目次>
はじめに
・男高女低神話のゆらぎ
・五十代からの「楢山」探し
・まぶた差別と日韓問題
・“親ガチャ”と“子ガチャ”
・東大礼賛と低学歴信仰
・『ドラえもん』が表す子供社会格差
・「有名になる」価値の今昔事情
・「ひとり」でいることの権利とリスク
・おたくが先達、“好く力”格差
・バカ差別が許される理由
・ミヤコとアズマ、永遠のすれ違い
・「かっこいい」、「ダサい」、「センスいい」
・超高齢化社会のおばあさん格差
・姫になりたい女の子と、姫として生まれた女の子
・デジタル下層民として生きる
・男性アイドルは無常の風の中に
・世代で異なる、斜陽日本の眺め方
・反ルッキズム時代の容姿磨き
・モテなくていいけど、出会いたい
・稼ぐ女と、使う女・遅ればせながらの金融教育
おわりに
酒井順子san
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞