きしめん食べたことある?
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地球を平面だと仮定します。
空間は「3D( 立体)」だから、
画用紙に描いたような平面には成らない。
故に
地球に、側面と、裏面か有ると考えられる。
そんな訳で、
この時点の地球の形は平面と側面と裏面の立方体なので、
(サイコロの形?)になる
だけど、
地球の重力が働いて、物質は中心に集まり(偏りの消失)
立方体は徐々に「丸くなってゆく」と考えられる。
つまり
地球は(元の形が何であれ)球体に成るのです。
「偶像崇拝」を禁止している、らしいけれど
ヘブライの古代人は、文字の画数が
「奇数」ならば「女」
「偶数」ならば「男」
と決めていた。
「さむらい」=「士(11)」ですが、
数秘術では
数字を「ひとけた」に成るまで足し算します。
数秘術では「11」→「1+1=2」なので「11」は「2」です。
数秘術敵には「11」の扱いは「2」と成るのです。
つまり、
偶像崇拝とは「男像」を神として信仰してはいけない。
と伝えているのです。
フラフープしたことある?
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サンスクリットの文字で、「梵」は産まれる。
「凡」は死ぬ。を意味します。
「凡」は、
動画で「台湾の天桃燈」を検索すると「凡」が見られます。
「梵」は、
この「凡」に「木木」=「両親」が付いた字です。
「凡」
↓
「し」=「死」=「止」=「白(白装束)」
「梵」
↓
「も」=「産まれる」=「正(五⇔互)」=「生」
なので、
本来なら、葬儀に出る時の服は「白」
そして
「も」の色だと、何色か分からないでしょうが、
更に「も」を足すと「もも」
なので「も色」は「もも色」だと分かります。
赤子の着る「産着」が「ももいろ」故に「赤」となる。
赤色の服が「も服」=「産着」なので、
還暦の60歳に成ると「赤い服」を着ます。
本来は「西」を「束」と書いていた。
「束」=「つか」とは「塚」なので、
古代エジプトでは、勘違いされて「墓所」にされていました。
本来の「つか」は「産まれて来る」場所です。
なので、
前方後円墳は女性器は「女性器」を模しています。
「束(西)」は「女(か)」を意味します。
「つ」は指示語です。
正しいシュメールの習慣で、「束(西)」は、
寺子屋(育児施設)が有る所です。
西遊記で「西」へ向かう理由は、シュメール文明で、
「知識」は「西に集まっていた」から
「知識」を得る為に、「束(西)」に、向かったのです。
なので「西遊記」と成るのです。
まとめ
本来の喪服は「白」=「白装束」です。
産着が「も服」=「もも色」=「赤色」と成ります。
なので
白装束が「葬儀の服」=「喪服」は「白」です。
邪馬台国で「人」は「ひ=ヒ=日=女」と「と=斗=男=子」
なので、「ひと」とは「母と子」でした。
やがて、子は労働者になり、「子」=「ロ(ろ)」となる。
これを踏まえて、
木=女
ロ=男(労働者)
と考えて
呆(男性上位=呆れる)
束(女性のこと)
杏(あんしん=女性上位)
と考えていました。
女性上位とは「育児が中心」の社会です。
束は「子(ロ)」を守り女を意味する。
東は「女(日)」を守り男を意味する。
古代では字画の奇数が「女」で、偶数が「男」でした。
ちなみに
人という字は「母と子」
「人(ひと)」は母が大きく
それに対して
「入(いれる)」は「男」が大きい。
この場合は、母ではなく女になる。
「入」=「女男」
昔の人はもう・・・(笑)
ブッダは北枕で人が寝る事が「世界を救う」と悟りました。
世界が救われては困る権力者は、
座禅だの写経だの修行を課して、修行という名のサボタージュ
無為な行為を行わせている。
「ム」を「無」と言い換え無意味な行動を推奨しています。
「無」は「無意味」の「無」
本来の「ム」とは「報いる」これは「助け合い」を意味しています。
人を救えば「経験値」が貯まり、「魂がレベルアップ」します。
基本は人の傍に居るだけでも救済になる。
だから、悪党は僧侶に「世を捨てさせる」のです。
走るのが速くなりたければ、走る練習をする。
当たり前の理屈です。
「救いの力が欲しければ」
自分に出来る事で「他人を救えば良い」のです。
「ム」というのは、
至極単純な
行動の「お手伝い」日々の「積み重ね」なのです。
「祈り」は、誤った選択で、絶対に間違っています。
イエスは「神に祈れ」と「絶対」に言わない。
祈りは「行動させない」為のミスディレクションです。
人が「他人を救う」事が、未来を開きます。