欲しい本がある。
特定の本が欲しいわけではなく、あるジャンルの本が欲しい。
そのジャンルをずらりと見てみたい。
手にとって見たい。
インターネットは、手にとれないのでだめだ。
なので、本屋にいってその本があるか見る。
本を手に取ると、大きさやページ数、字の大きさや読みやすさが分かるので非常に良い。
このとき、必ず巻末の発行日をみる。
最近の本であれば、買う。
最近の本でなければ、買わない。
帰ってからネットで検索。
アマゾンで中古が安いかもしれない。
ブックオフにあるかもしれない。
口コミも見ておきたい。
半年以上前ならネットで検索する。
本を買うときはそんな感じ。
テレビが壊れた。
壊れたので、以前かった手回し充電式ラジオを使っている。
使っているといっても、すぐに充電が切れてしまうから、あまり使っていない。
手回しして充電するのは、非常に疲れる。
電池の偉大さを感じる。
手回しするとラジオが聞こえるという事実もすごい。
運動を音エネルギーに変換しているのだ。
連続で3分回すのも実は大変。
片手でできればいいのだけど、一方の手で回し、一方の手で押さえないとうまく回せない。
カタイのだ。
ある程度の抵抗があって、それが電気を生み出していると思われる。
おまけに、こいつは光を放つ事もできる。
すごいのだ。
すごいのだけど、疲れる。
すごい事は、疲れることなのだ。
つまり、何かすごい事をしようと思ったら、疲れなければならないのだー。
グーグルのアドセンスというサービスがある。
広告サービスである。
例えば、このブログにアドセンスを表示したとする。
このブログの閲覧者が、アドセンスの広告をみて興味を持ち、そこをクリックする。
クリックすると、広告主のサイトに飛ぶ。
このブログの管理者である僕は、広告主から少しばかり広告費をもらう。
とーぜん、グーグルも手数料としていくらかもらう。

このサービスにはなぜか釈然としない。
このサービスを見に来たユーザーが、

「お!面白そうだな」

とおもって、アドセンスをクリックする。
検索がユーザーからの意識的な行動によって起こるのに対して、アドセンスは無意識的で衝動的な行動に訴求している。
これはつまり、詐欺ではないのか。
といっても、何兆円市場だしお世話になる事もあるから文句は言わないけど。
一人殺すと犯罪者だが、何万にも殺せば英雄となる。

要するに、広告主は自分のサイトに来て欲しいわけだ。
来てから次の行動に移すかどうかは、広告主にかかっている。
その前段階の集客をどうにかしたいのだ。
どうにかしたいから、誇大広告とか起こってしまって、世の中が混沌としてしまうのだ。
それを、デザイナーがデザインという。

そこで、別のアイディアを考えた。
ユーザーに対して、直接お金を払うのだ。
広告代理的サイトを作って、広告主からサイトへのリンクを集める。
そのサイトがユーザーに閲覧されると、10円支払うようにする。
そのうち5円を広告代理店に、残りの5円をユーザーに支払う。
そんなビジネスモデルである。
ヤマダ電機の入り口にあるポイントスロットと同じだ。

まず、ユーザーは広告代理的サイトにユーザー登録をする。
個人情報とのマッチングが命だから、ユーザー登録ではかなり細かく情報を入力する必要がある。

ユーザー登録が終わって、ログインすると自分の趣味趣向にあったサイトがいろいろと表示される。
その中から、興味のあるサイトを見ていく。
一日100サイトまで、などと初めのうちは決めておいた方がいいかもしれない。
無意味に見まくるユーザーが出てくるからだ。

問題点は何か。

ユーザーはせいぜい500円しか稼げない事にある。
キャパシティが決まってしまっているのだ。
もって魅力を出せれば・・・
今日は、仕方ないけど悲しい事があった日。
一瞬だったけど、家族になってくれてありがとう。
デザインのスパイラルにハマってしまった。
何をしてもいいと思わない。
「こんなもんだろ」
と、思ってしまう。
これは、非常に危険だ。
その時のデザインは絶対に良くないからだ。
良くないと分かっていても、続けてはいけない。
その壁を乗り越えて、生まれるものは結局良くないのだ。
では、どうするか。
気分を変える。
そして、ゼロから作り直す。
僕は、この方法しか知らない。
ただ、そんな事ができる機会は少ない。
納期の問題があるのだ。
ここんところが、クリエイターの悩み。
そういうスパイラルに陥らない為に、日頃から努力を怠ってはいけないということなのだ。
分かっているけどなぁ
人と会う機会が多い。
それもことごとく、いい人が多い。
追い風が吹いている。
俺に前へ進めといっている。

相手にも同じように感じてもらいたい。
それにしては、スキルがない気がする。
向かい風が吹いている。
俺にとどまれといっている。。。
今日、帰りの電車で美しい人を見た。
年は、30代半ばといったところか。
なかなかの美人。
指輪をつけていないところを見ると、独身だろうか。
派手ではないが、羽振りの良さそうな洋服を着ていた。

僕は、その人の隣にいた。
本を読んでいた。
前には座席。
おじいちゃんが座わっている。

電車が混んでくる。
金曜の遅い時間は、いつもこうなのだ。
自然、その女の人とも密着してしまう。
女の人を、よしこと名づけよう。

突如、後ろにいた男がふらついて、もたれかかってくる。
座席前のつり革に捕まる事のできる人は、限られている。
電車を輪切りにすると、座っている人、つり革に捕まっている人、真ん中で困っている人、反対側のつり革に捕まっている人、座っている人の5段階に分けられるはずだ。
僕にもたれかかってきた、若い男は真ん中捕まるところが無いのだ。

彼は泥酔のようで、ゆれていないのにゆれている。
少し、隣のよしこによりかかった。
よしこは迷惑そう。
チラチラ振り返る。
電車がゆれる。
ヨシコにカラダをあずける、ケイタ。
少し嫉妬する俺。

駅で電車がとまる。
前のおじいちゃんが、
「俺はここでおりるから」
とヨシコに席を譲る。

おじいちゃんもケイタの嫌がらせに目をつぶってられなかったのだ。

エライぞ!ジジイ!
と俺は思う。

ヨシコの幸せを考えると、ケイタとは分かれたほうが良い。
ケイタの自分勝手な行動に振り回される必要はないのだ。
ヨシコは、一人でもやっていける強い女性。
しかし、ケイタは酒をあおっては家族をかえりみずフラフラと電車に揺られているような男なのだ。

ヨシコよ、コレを縁にケイタと分かれろ。
そして新しい、終電人生を迎えるがいい。
周囲の男は誰もそう思ったはず。

しかし、ヨシコの次の行動は皆の度肝を抜いた。
ちなみにおじいちゃんは僕の目の前で、ヨシコからみたら斜め向かい。
おじいちゃんがヨシコを指名した為に僕を含めた周囲の人間は、ただただ、ヨシコが座ることをいのるのみであった。

はたして、ヨシコは座らなかった。
なんと驚くべき事に、ケイタに席を勧めたのだ。
譲ったのではない。
肩をたたいて、

「こちらに座ったら」

と勧めたのだ。
人間のクズであるケイタは、酔いに負けてヨシコの顔もみず座った。
ただ、横柄に手で挨拶するのみだ。

それでもヨシコは笑顔だった。
びっくりしたおじいちゃんに、
「えらいねー」
といわれた事も理由だろうが、いい事をしたという充実感がみなぎっていた。

僕は、心のそこから拍手を送った。
ただ、心の外からその音が漏れることは無かった。
しかし、素晴らしい。
ヨシコは、出来た人間だ。
ムカついてしかるべき人間に、席を譲るのだ。
ムカついていると思いきや、心配していたのだ。
僕に同じ行動が出来るだろうか。

次の駅、僕の目的の駅でもあるので降りる。
ヨシコもつづいて降りる。
あぁ、なるほど、一駅だったから座る気はなかったのだ。
なるほど、なるほど。
しかし、イタズラをされた男に肩をたたいて席をゆずるんなんてすごいなー。

などと感心しながら、エスカレーターを降りようとすると、前を強引に割り込む女が!
テメェ、コノヤロー!!
と思って、みるとそれはヨシコであった。
彼女の本性はいったい。。。
今日は非常に眠い。
眠いときは寝た方がいい。
でもそうもいかない事もある。

どうするか。

僕は立つのである。
立って仕事をするのだ。
パソコンに向かう仕事は座ってばかりなので、カンタンに刺激となる。
しかし、それでも眠い事がある。

どうするか。

手を洗うのである。
手を洗うという事は、手を洗いに洗面台まで移動する、冷たい水に触れる、石鹸で手を洗う、これらのアクションを起こす事になる。
それで、目覚める。
冷たい水は飲んでも、触れても刺激となる。

ぜひ、お試しを(常識だったりして)。
娘がコワイコワイと泣く。
コワイ事は何もないが、おそらく、コワイ=いやな事という意味で使っているのだと思う。

コワイ、イヤダ、イタイ。

こういう言葉は、自分を主張するときに便利だ。
肯定するのではなく否定する事が楽なのだ。

忙しい、時間がない、金がない。

ホントに便利な言葉たちだなぁ。
どうにか、肯定する言葉を楽に使えないものだろうか。

ハイ、やります、承りました。

こういう言葉を使うと、難儀が増える。
これは楽ではない。
楽に肯定的な言葉を使うには、地位が必要なのかもしれない。
ということは、楽に地位を手に入れる方法を考えるのがいい。
日本の場合、なんといっても学歴だろう。
勉強さえすれば、地位を手に入れられる。
思い切って、地位試験という制度を設けて、地位を視覚的に見えるようにすればいいのになぁ。
クリックしたり、キーボードを叩いたりすると、パソコンは反応してくれる。
インターネットに繋がっていれば、世界に向けて情報を発信している。
当たり前のように使っているが実はすごい事なのではないか。

江戸時代に置き換えて考えてみよう。
まず、江戸時代は鎖国である。
世界にアクセスするには、日本史上もっとも困難な時代だったのではないか。
あえて、この時代とインターネットを比較する事で、よりすごさを際立たせてみたい。
江戸時代。
情報を発信する場合は、まず、硯と筆と紙を用意しただろう。
硯を摩る。
墨ができる。
筆を墨に浸らせる。
→ここまでが、パソコンでいうところの電源を入れるであろう。
次に紙を左手で押さえる。
情報を書く。
→ブログだとしたら、管理画面から書いている最中である。

ここからが大変だ。

紙を丸めるかたたむかする。
飛脚を呼ぶ。
版画を行う人まで届ける。
版画を作る人は、墨の部分が残るように板を掘る。
これを刷り師に渡す。
刷り師は版画をもとに何枚か刷る。
何枚も刷る。
世界に発信ということであれば、この時代の世界人口3000万人分をする。
というのはいくらなんでもひどいので、この時代の東京の人口130万人分をする。
一日に1000枚刷れたとしても、3年半だ。
その後、飛脚を使いまくって全ての地域にばら撒く。
江戸~大坂間は、3日半かかったらしい。
値段にして40万円らしい。
全国にばら撒くのだから、相当の金額である。
かくして、墨で書かれた情報は日本中に発信された。
江戸時代にだとこんな苦労があるのだ。
これが今では、プロバイダーに月々数千円払えば、即座にできる。
インターネットってすごいなー。