読みたい本を図書館で借りる。
なければ、アマゾンで中古を買う。
中古本屋に行くときは、気になっている本のメモをケータイに記憶させる。
そこまでやっているのに、本屋に行くと、なぜか買いたくなる。
今すぐ欲しいという感情はなんなのだろう。
ぐっと我慢して、家に帰って調べると、買わなくて良かった思う事は多々ある。
本代はバカにならない。
今すぐ欲しいと思って買っても、読みはじめるのに意外と時間がかかるものだ。
いやぁ、飲んだ飲んだ。
高いものほど、時間も使う。
漫画は500円程度で、時間も1,2時間くらい。
ゲームは、ソフトが一つが5000円くらいとして、100時間くらい遊べる。
単純にものによって、楽しむ時間はさまざまだが、高いものほど比較的、時間も使うようだ。
そう思ったのは、コンビニで雑誌を買おうとおもった時だった。
500円程度の雑誌に目を通すのは、2時間くらいかかるかもしれない。
「ちょっと見てみたいな。財布の具合はどうかな」
という程度で、判断しがちだが、
「これを買うことによって、どれくらい時間を使うのか」
と疑問を持ったとき、その雑誌には2時間の価値はないと判断した。
高い買い物は、お金も時間も使う、案外リスキーな買い物かもしれない。
それに見合った利益は、ちゃんとあるのだろうか。
外食、ビデオ、車、iPod、株、家などなど。
様々な商品を買ったときの気持ちは、時間的投資にキチンと見合うのかなぁ。
境界線というのが気になる。
境界線という線には、面積があってはいけない。
国境には、面積がないのだ。
「これが国境です」
と、指をさして説明したいが、厳密には指をさす事ができない。
仮にフェンスをして、「これが国境です」といったとしても、フェンスには厚みがあるので、フェンスの両端は両国のものとなる。
境目を目で確認する事はできないのだろうか。
日常、境目を気にすることはないと思うが、たとえば隣の家との境目はどうだろう。
塀があったとしても、その塀は誰のものなのだろう。
落語に、釘をさしたら隣の家にいってしまったという話がある。
この場合、釘は誰のものになるのか。
うーん、気になる。。。
飲んだ帰りに買ったアイスが硬かった。
アイスは硬い。
今日のアイスは普段よりもっと硬い。
なぜだろう。
今日、買うときに、アイスの前には業者がいた。
あきらかにアイスを補充している様子。
僕が手に取った「ジャンボモナカ」は、一番上にあった。
つまり、業者が最後に置いたものだ。
ひるがえせが、出来立てホヤホヤのアイスという事になる。
出来立てのアイスは、普段買う出来たでないアイスよりも硬い。
出来立てのアイスは、硬いのだ。
という事は、お店の冷凍庫は、冷えていない。
食物連鎖のピラミッドのごとく考えると、最下層だ。
すぐ上にあるべき、トラックは、お店の冷凍庫より冷えている事になる。
トラックがいくら冷えているとはいえ、移動には熱を要する。
つまり、トラックよりも製造工場の方が寒い事になる。
製造工場でだって、エネルギーがあるわけだから、熱を放出する。
アイス作りだって例外出ではない。
という事は、製造工場に来る前から冷たくなくてはいけない。
製造工場に来る前のトラックの方が製造工場よりも寒いのだ。
しかし、このトラックもまた移動するから、その前の方が冷たい。
アイスが牛乳で出来ているとすれば、牧場が怪しい。
牧場はトラックより冷たくあらねばならぬ。
牧場にもその前の過程がある。
牛だ。
冷えた牛でなければ、冷たい牛乳は出ない。
これで解決と思いきや、牛の前がある。
牧草だ。
牛の体内はあったかいので、牛の体内が冷えているは、当然だ。
酪農は寒いのだ。
牧草が究極なのかと、枕を高くして眠ろうと思ったら、その前があった。
大地だ。
大地が熱を奪わない限り、牧草は冷えて育つわけがない。
大地といえば、地球である。
地球は、生命の母だ。
これ以上はあるまい。
これで安心して眠れる。
と、いうのは早漏で、地球の温度は外に放出されている事を忘れていた。
そうか、だから宇宙は寒いのかー。
納得。
遅読をすすめたい。
一冊の本を何度か読んで、しっかり理解するのだ。
速読で紹介されるようなビジネス本には、以下の様な特徴がある。

・筆者の成功事例
・本からの参照
・時代とタイミング
・字が大きくて行間が広い

ビジネス書に限って言えば、速読多読でいいと思う。
ただ、その中でも自分で、

「おっ!いいな」

と思う本は、ゆっくり何度も読むべきだ。
本は速さではなく、落とし込み度だと思う。
そう考えれば、小説なんかもすんなり読める。
速読のススメには、必ず、

「自分が必要とする本を読む」

とある。
これは、とてもいい事だとおもう。
自分が必要だと思う本は、落とし込みやすい。
必要とする本が見つかるまでは、速読多読乱読でいいと思う。
でも、面白い本はやはり遅読したい。
盟三五大切という歌舞伎をみた。
歌舞伎の料金は、以下のようになっており

桟敷席…\17,000-(税込)
1等席…\15,000-(税込)
2等席…\11,000-(税込)
3階A…\4,200-(税込)
3階B…\2,500-(税込)

昼の部と夜の部に分かれる。
今日見た盟三五大切は、昼の部で二幕に分けて行われる。
僕らの様な、
「ちょっとだけ見てみたいぜ」
という初心者連中には、幕見という一幕料金で見られるプランがある。
一幕900円である。
なかなか親切だ。
とりあえず、どんなものかと、幕見席で見た。
並んでいる最中、前の人がケータイクーポンをゲットしていたので、僕らも同じようにした。
ただ、ナゼかソフトバンクからはたどり着く事が出来なかったので、今後は注意が必要。
-200円のクーポンだ。かなりお徳。
幕席は、最上階の一番端っこで、役者は遠く、花道も見えない。
ただ、雰囲気は味わえる。
歌舞伎は、能や狂言の様な分かりにくいものではなかった。
言葉もシチュエーションも分かりやすい。
ストーリーもなかなか面白い。
が、ネットで演目のストーリーを抑えておいた方がいい。
今回の演目は派手さがなかったが、次は少し派手な演目を見てみたい。
連獅子なんか、ぜひみたい。
帰りに食べた、となりのラーメン屋はなかなかうまい。
沖縄プリズムにいった。
とても面白かったので、多くの人に行ってもらいたいと思った。
前半のビデオでは、第二次世界大戦前の沖縄を流していて、昔の日常や風景がよかった。
内地に向けての映像なので、偏見が入っていたのだけど、沖縄の人はフツーに豊かそうだった。お金はなくても。
次のビデオで、コザ暴動が流れていて、日本に再復帰した時の戸惑いなどが流れていた。
最初のビデオと次のビデオの間には、内地から来る文化と沖縄の文化の共存が戸惑いになっていて、チャンプルー文化というような柔軟さはないように感じた。
それは内地が沖縄を蔑んだり、もてはやしたりしたせいだと思う。
コザ暴動ビデオ移行は、全体的に悲しいムードがあり、被害者としての沖縄を伝えようとしていた。
沖縄を語るとき、そうしたムードはどーしてもついて回るもので、そこが無性に悲しかった。
「基地を無くしたい。しかし無くせば食えなくなる。」
県民がそう思ってしまうのは、まんまと日本政府のシナリオどおりだと思ったりする。
貧しくなるかもしれないが、やはり基地は無くすべきだ。
最初のビデオでは、そう言っているように感じた。
お金から自由になりたい。
その次にカレンダーから自由になりたい。
カレンダーから自由になる事は、時間を意識しなくなるという事だ。
約束や決め事、習慣など、普段やっている事はカレンダーとリンクしている。
でも、カレンダーとリンクする必要はあるのだろうか。
問題は、土日祝日というイレギュラーな存在である。
特別である事は、他との調和を乱していることになる。
ここに気をとられて、「やるべき事」も乱れるのだ。
ならば、カレンダーとリンクさせない方がいい。
単純に「やるべき事」を優先順位で行えばいいのではないか。
優先順位の高いものをそのつどやっていく、というやり方ならば、時間をある程度無視できるかもしれない。
でも、それだと休みも働くのかという事になる。
そこをどーにか出来るようになれば、カレンダーから自由になれる気がする。。。
星新一の本に「ようこそ地球さん」というのがある。
その中に、「証人」という話がある。
今、それを読んだのだが、あまりにも衝撃的だった。
星新一は、SF短編小説がとても優れていて、非常に面白い作家だ。
ときには、ユーモアがあり、ときには恐怖があり、まさにスパイス的な短編を多く出していて、ぼくはもう、とにかく大好きなのだ。
学校の教科書にも話が載った事がある。
まぁ、それくらいすごい人なのだ。
しかし、この証人という話には、戦慄した。
世界観も星新一とは思えない。
SFでもない。
タンタンと進んでいく話が非常に不気味で、最後の2行で戦慄した。
よくもまぁ、こんなに冷静にそんな事が書けるなと。
非常に不気味だ。
どんな話なのか、ここに書くのは簡単だ。
しかし、書いたところで、これを読んだ人には伝わらない。
なぜなら、星新一のこれまでの作品を読み、精通し、それから読む必要がある。
ここにつらつらと書いても伝わらないのだ。
というわけで、興味のある人はコレを機に星新一にはまってください。