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simachyanのブログ

シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。

1972年(昭和47年)に「大塚たけし」と言う芸名で歌手デビューするも、不発。
その後、博多のクラブでの弾き語りの活動などが評判になり、
渡辺プロからの誘いを受けて上京。
1976年(昭和51年)6月26日、「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」で
大塚博堂として32歳の再デビュー、この曲が評判となりジワジワとヒット。
続いて「めぐり逢い紡いで」「過ぎ去りし想い出は」や「季節の中に埋もれて」などの
名曲を次々と発表し、活発な音楽活動を行ったが、
1981年(昭和56年)5月18日に脳内出血のため37歳で急逝した。
5年間の活動に凝縮された彼の作品は、レコード化されたものが約80曲、
没後に発表されたものを含めて約90曲あると言う。
その他、岩城滉一氏、ペギー葉山氏等・他の歌手に提供した曲が40曲程あるようだ。
根強いフアンが現在も多く存在して「博堂を歌おう」と言うような会を
毎月主催しているライヴハウスもあるほどだ。

参考(私選・和シャンソン)
  歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
  時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
  涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
  身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q         
     見送った季節のあとで
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E

Cover歌 by Sima
Pf    江口純子   in  ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109...
何故私に愛を語らない 
TU NE ME PARLES PLUS D'AMOUR(愛の苦しみ) 
シルヴィー・ヴァルタン & ミーノ・レイターノ

ヴァルタン版は1976年「そよ風のブロンド」と言うタイトルのアルバムに
「愛の苦しみ」として収録。

原曲は、1974年サンレモ音楽祭入賞曲「INNAMORATI(恋人たち)」で
ミーノ・レイターノの作品。
スペイン語の歌詞も「Ya no me hablas mas de amor」で歌われているようだ。
原詞 Liciano BERETTA
原曲 Mino REITAINO & Franco REITANO
と言うのが通説だが、レイターノ兄弟は作詞としてベレッタと共作、
作曲は Mariano Dettoだと言う説もある。
フランス語歌詞は、ピエール・ドラノエがつけ、パトリック.ラリュが編曲として関わっています。 
ヴァルタンは「アイドルを探せ」で日本でも100万枚を売り上げて一世を風靡したが、
1965年5月、20歳の時に初来日した機会に制作された
婦人服メーカーレナウン「ワンサカ娘」のCMソングは巷にあふれた。

日本語歌詞の「何故私に愛を語らない」は、カンツォーネ歌手の
松宮一葉氏が多分スペイン語の歌詞からの訳詞した際に付けられたものと思われる。
スペイン語とフランス語の詞の内容はほぼ同じと言われています。
私の日本語詞はフランス語版を元にしていますが、
完璧とも思える松宮さんの訳詞に対してかなり躊躇し迷いましたが、
思い切って取り組んでみましたら・・・恐れ多いことですが、
なんだかアンサーソングみたいになったと感じるのは
思い過ごしでしょうか・・失礼しました。_(_ _)_

この作品も、いつもお世話になっている「村田ナオミ」氏の「INNAMORATI」の
下記ページも参考にさせていただきました。
http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/post/112199601202/innamorati-恋をして

訳詞・歌 Sima
Pf      江口純子   in 市川 ラ・メール 
訳詞 no.122 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos
これが私の人生 &  人生を歌う    
Ma vie je la chante & Questa è la mia vita
ダリダ & Dalida
ドメニコ・モドゥーニョ & Domenico Moudugno

ダリダの「人生を歌う」は、Questa è la mia vita「これが私の人生」でドメニコ・モドゥーニョが74年のサンレモで準優勝した作品が原曲。
作詞 LUCIAN BERETTA(伊) 作曲 DOMENICO MOUDUGNO 仏作詞 PASCAL SEVRAN

★ドメニコ・モドゥーニョは、シンガーソングライターとして1958年のサンレモ音楽祭で「ヴォラーレ」を歌い見事入賞し、一躍世界的に知られるようになる。
それまでのカンツォーネの潮流を変えたと言われる存在となってゆく。
米国で第1回グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞も受賞。
その後も1959年「チャオ・チャオ・バンビーナ」1962年「Addio Addio(アディオ・アディオ)」1966年「Dio come ti amo(愛は限りなく)」で通算4度、サンレモ音楽祭で優勝している
そして1987年にイタリア国会議員に当選、1994年にランペドゥーザ島で66歳で没した。
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★ダリタは、1933年1月17日エジプトのカイロで生まれ、ミスエジプトにも選ばれてモデルになるも、女優を目指して渡仏。
生活の為にナイトクラブで歌っているところをオリンピアの支配人の目にとまり、レコード会社に紹介されて才能が開花し運が開く。
1957年「バンビーノ」を発表して大ヒット、フランスで初めて踊りながら歌う歌手として大成功を収め、ヨーロッパから世界制覇へと羽ばたいていく。
‘67年のサンレモ音楽祭に出場するに当たり、彼女の曲を作ることになった若きシンガーソングライターのルイジ・テンコと知り合い恋に落ちる。
パートナーとしても歌うことになったルイジ・テンコは初日の審査に落ち、落胆とダリダとの格の違いも感じショックを受けたのか、一人ホテルに帰り自殺をしてしまう。
第一発見者はダリダで、半狂乱となったと言う。
一ヶ月後、傷心の彼女は彼と初めて会ったパリのホテルの一室で服毒自殺を図り昏睡状態に陥るが、発見が早く命を取り止めた。
そして、隣人でもあったアラン・ドロンの励ましもありデュエットした「甘いささやき(Paroles,paroles)」が大ヒットとなり見事に復活。
ダリダは生涯4回結婚し、内3人の夫も自殺していて魔性の女などとも称された。
ルイジ・テンコが自殺して20年目の87年5月パリ・モンマルトルの自宅で 「人生にもう耐え難い。私を許して」と遺言状を残し、睡眠薬自殺、モンマルトルの墓地に眠る。
「人生を歌う」は、1976年1月発表の「愛の追憶」と言うアルバムに収録されている。
「私は、人生、それ自体をあまり良く見ないで、渡ってきた。
 私は、私の人生が何なのかを知っている。
 私の夫、それは大衆。歌は、私の子供達。」<ダリダ> 

この作品は、いつも対訳でお世話になっている「村田ナオミ」さんに今回もお願いしたところ、仏語のみならず原曲の伊語も訳していただきました。
双方を見て取り組み、相変わらずSima World の日本語歌詞を作成させていただきました。
http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/post/137249649407/questa-e-la-mia-vita-これが私の人生
http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/post/137514456872/ma-vie-je-la-chante-人生を歌う

参考
 「ブリュッセルに注ぐ雨」(雨のブリュッセル)
https://youtu.be/hSbuF7m6uds
 「それぞれのテーブル」
       https://youtu.be/exhVbpiwbyM
 「めぐり逢いたくて」(めぐり逢うために)
       https://youtu.be/gQBOFy_JoMY

訳詞・歌 Sima
Pf      江口純子   in 市川 ラ・メール 
訳詞 no.121 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos
 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド DTBWB cover
作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童
1973年12月に東芝/エキスプレスレーベルからシングル「知らず知らずのうちに」でデビュー。
翌’74年にリリースした「スモーキン・ブギ」が70万枚の大ヒットとなり、一躍人気バンドとなる。
更に1975年、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で不動の地位を築く。
DTBWBとしての活動期間は1973年~1981年。
その後、1987年12月、2002年8月にシークレットライブ、2003年6月 “dmx in YAON ”でライブ、2007年11月と特別企画のライヴ毎に、度々再結成している。
「身も心も」は、松田優作の「探偵物語」の最終回、主人公の工藤俊作が刺されて死んでいくシーンでも使われたことでも知られている。
ブルースロックを基調としたようなDTBWBの曲の中でも珠玉の作品と感じていますが、私的に和シャンソンと勝手に採り上げcover&upさせていただきました。
「人生をかけて、一生歌い続けていく一曲」とは、宇崎竜童氏自身の言葉。
1977年9月5日シングル盤発売 「身も心も / ダウン・タウン・エンジェル」
1977年10月20日「身も心も」をタイトルとしたアルバム盤発売 

Cover歌 by Sima
Pf    砂原嘉博   in  ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos
後姿 & 去りゆく君に 
Pra Não Ver Voce Ir Embora 
ベニート・ジ・パウラ & Benito Di Paula 

日本では、長谷川きよし氏が最初に採りあげて「後姿」というタイトルで紹介された。
別れの朝、見送る男の複雑な葛藤を描いたブラジルのシンガーソングライター
「ベニート・ジ・パウラ」のラテンポップス。
「去りゆく君に」 として訳詞。

既に、Ver.2としてアップしていましたものが、
リズムを踏み外したりしていてピアニストさんに申し訳ないと
以前から思っていましたので、不得手なボサノヴァですが
同じピアニストの江口さんで録り直しをさせて貰ったものです。
既にアップしてある同曲のピアニストの違うバージョン
Ver.1との奏法の違いを楽しんでいただくのも一興かと思います。
よろしかったら、下記「去りゆく君に」Ver.1 もどうぞ。
http://youtu.be/4m5--r53WxQ

参考
  歩き続けて(長谷川きよし 作詞・作曲) Cover版
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I

訳詞・歌 Sima          /   Ver.2
Pf      江口純子         /   in  市川 ラ・メール
訳詞 no.29 (up no.123)

シャンソン・訳詞のチャンネル
http://www.youtube.com/user/fwhy3109?ob=0&feature=results_main
ピア・コロンボ & PIA COLOMBO
作詞 リュック・ロマン 作曲 オスワルド・ダンドレア
日本では’75年に発売されたエスプリ・ドゥ・シャンソンという
アルバムに収録されている珠玉の一作。
このアルバムにはピアの代表作の一曲としても知られる
「スカーフ」を筆頭に「五月の夕べ」「すでに」等の
傑作が収録されているが、未だCD化されていないのが残念。
作曲のダンドレアは、ピアの専属ピアニストで彼女の為に幾多の作品を提供している。

ピア・コロンボは、イタリア人の父親、仏系ジプシーの血を引く
母親の間に産まれたが(1934年とも、’37年とも言われるが不明)、
生後まもなく修道院の前に捨てられ、孤児として幼少期を過ごした。
1956年パリ左岸のキャバレーで歌い始めた推定19歳の時、彼女に転機が訪れる。
若い作詞作曲家モーリス・ファノンと出会い、
恋に落ち結婚に至るも離婚することになるが、
ふたりは生涯の友として音楽で結ばれていたという。

そしてバルバラ、グレコとともに、セーヌ左岸を代表する歌手となった。
主としてモーリス・ファノン、レオ・フェレ、ムスタキ、ブレヒト等の作品を歌い、
現実派の歌手としてエディット・ピアフと比較されたこともあったようだ。
歌詞を重視して、歌うということよりも語る歌い手として「ディズーズ」とも言われる。
ピアは、常に自分の政治的立場を鮮明にし、
68年の5月革命では、ストライキ中の工場を慰安・激励したりし、
大統領選挙では、一貫してミッテランへの支持を表明したりしていた。

1979年から81年にかけては、自ら癌と闘いながら、
主としてかつては夫であり生涯の友人となっていた
モーリス・ファノンの曲を歌い、そして1981年4月22日、
彼女はオランピア劇場に髪の毛のない病身の最後の姿を現して
ステージに立ち、大喝采を浴びる。
1986年4月16日、闘病から身を引くように、享年51歳(52歳?)でその生涯を閉じた。

参考
 「すでに・・」
   https://youtu.be/oazKJCiHA0I
「スカーフ」
   https://youtu.be/bPuMN0W9dY4

訳詞・歌 Sima
Pf      江口純子   in  銀座 月夜の仔猫 
訳詞 no.122 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

永遠に別れを & 哀しみを捨てて 永遠に別れを & 哀しみを捨てて
Hasta siempre,amor,  アスタ・シェンプレ・アモール
ウルグアイのバンドネオン奏者であり中南米で広く活躍していたタンゴバンドのリーダーでもあるドナート・ラシアッティによって作られたタンゴが原曲。
作詞はフェデリコ・シルバで、1958年頃の発表と思われる。
日本では「哀しみを捨てて」という曲名でグラシェラ・スサーナやトリオ・ロス・パンチョス等でもタンゴではなく、ラテンポップス調で紹介されている。

この作品は、拙訳(作)詞「それが愛でないなら」(オルネラ・ヴァノーニ/アラビア)「その日の愛を歌に込め」(ジプシー・キングス/その日限りの愛)や「まどろみの中でも」(ミーナ/子供の頃)でお世話になった村田ナオミ氏に再度対訳をお願いし、原典とさせていただきました。
http://shinshun-chanson-show.tumblr.c...哀しみを捨てて

訳詞・イントロ篇曲・歌 Sima
Pf      江口純子   in  銀座 月夜の仔猫 
訳詞 no.121 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109...

作詞 康珍化・作曲  鈴木キサブロー
1982年8月発売のセカンドシングル「涙をふいて」が
ドリンク剤「新グロモント」のCMソングに起用されて全国的に大ヒットして知られる。
その後「すごい男の唄」がサントリー生ビールのCMソングに起用されたりと活躍するが、
TBSドラマ「人間万事塞翁が丙午」で三貴哲成(読み同)に改名して
俳優としてもデビュー。
ビートたけし主演のTBS「刑事ヨロシク」で同僚の田所刑事を演じているほか、
刑事ドラマ「西部警察PARTⅢ」や
ミュージカルの舞台等にも活動を展開しているようだ。

本作品は和製ブルースとしても傑作ではないかと思うが、
私的に和シャンソンとして勝手に位置付けてのCover第三弾です。
違和感がありましたら申し訳ありません。(^。^)y-.。o○

Cover歌 by Sima
Pf    砂原嘉博   in  ラ・メール
UP no.120

シャンソン・訳詞のチャンネル chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

Love Theme from The Godfather
「Speak Softly Love」
フランシス・フォード・コッポラ監督による ゴッドファーザー三部作の第1作で、1972年のアメリカ映画「ゴッドファーザー」のために「ロミオとジュリエット」「太陽がいっぱい」などで知られるニーノ・ロータによってインストゥルメンタル用に作曲された。
英語ボーカルのバージョンでは「ゴッドファーザー愛のテーマ」として知られ、ラリー・クジックによって英語の歌詞が「Speak Softly Love」として作られ、日本ではアンディ・ウイリアムスが歌ったものが同年のオリコン洋楽部門の年間1位になっている。
また、ボリス・バーグマンがフランス語歌詞を付け’72年にダリダが歌いシャンソンとしてもヒットさせている。「PARLES PLUS BAS」
映画『ゴッドファーザー』は1973年度、アカデミー賞8部門で10個のノミネートを受け、3つのアカデミー賞を獲得した。
• 作品賞
• 主演男優賞 マーロン・ブランド
• 脚本賞 フランシス・フォード・コッポラ、マリオ・プーゾ
 主な出演
 - マーロン・ブランド、ロバート・デ・ニーロ(Part IIの青年時代)
   - アル・パチーノ
続編の『Part.II』もまたアカデミー作品賞を獲得したため、正編・続編が作品賞を受賞した唯一のケースとなっている。また、『ゴッドファーザー』はそれ以外にも5つのゴールデングローブ賞、グラミー賞など数々の栄誉を受けている。
当時のパラマウント社最大のヒット作であり、社長のロバート・エヴァンズ自らが企画・製作し、同じく自身が製作した「ある愛の詩」と並ぶ興行成績を上げ、この2作品により倒産寸前だったパラマウント社を立て直したと言われる。

参考
  ひまわり・sunflower
           https://youtu.be/cTaGsT0OwtM

訳詞・歌 Sima
Pf  砂原嘉博   in  市川 ラ・メール 
訳詞 no.119 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

妻にA MA FEMME(私の妻に)は、作詞・作曲ともアズナヴールの自作で ’72年のアルバム「愚かな恋IDIOTE..JE T'AIM」に収録されている中の一曲。
このアルバムには、「昔かたぎの恋」「人々の云うように」「孤独の心」等の著名な曲が多く入っています。
アズナヴールは、‘64年に「我が娘に」を発表しているが、この曲では「我が妻に」として作られ歌われている。
同年に同じアルバムが、日本では「シャルル・アズナヴールの素晴らしき世界」というアルバムになり、その中でこの曲を何故か「恋人」というタイトルで蘆原英了氏によって解説・紹介されている。

訳詞・編曲・歌 Sima
Pf    にしかわまこと   in  市川 ラ・メール 
訳詞 no.117 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos