ピアノ協奏曲といっても、ロマン派と比べると極端に採り上げられることの少ない曲ではないでしょうか?
冒頭部分の弦の響きがとても特徴的で、ベートーヴェンの第九の出だしのように、この曲でしか味わうことのない不思議な響きです。やがてオケの音がフッと消えるや、取り残されたピアノの音の澄み切った美しさにうっとりとしてしまいます。

バルトークというと、弦楽四重奏曲に代表されるように、人間の狂気でも描いているのではないか、と勘違いしそうな曲が多いのですが、結局は、爾来の作曲家が敢えて避けてきた音を積極的に取り上げただけのことであって、いつも私がやるような理屈をこね始めると、逆に、その本質を見逃してしまいます。
聴き手にとっては馴染みがない音や響きだけに、見知らぬものに対する畏怖心から、これをおどろおどろしく捉えてしまう。
そんな心理作業が働いているだけだと思います。
氏には音そのものに対する興味しかなく、そういう意味で、この作曲家が現代音楽のはしりだったと言われるのも十分に頷けるのです。

話は変わりますが、この先進性を積極的に取り入れて来たのが、70年代に流行ったプログレッシヴ・ロックであり、中でもキング・クリムゾンのロバート・フリップなどは自身がバルトークファンであることを認めています。
エマーソン・レイク&パーマーなどにも、ピアノ協奏曲からの引用と思われる箇所が見受けられるのはバルトーク・ファンにとっては実に興味深いことです。

時には、ロマン派から距離をおいて、こうした曲を聴くのも楽しいものです。
師走がひたひたと歩みを進めているというのに、ブログはいつまでも晩秋のまま時を止めたようになっています。

いかんですなぁ・・・。
ということで、ピリッと身も縮まりそうな朝に合ったものを探していて、目に留まったのがブラームスのピアノ協奏曲1番です。
成熟したブラームスもいいですが、若い頃のムラっ気たっぷりの曲も聴いていて気持ちいいものです。特に、運命を翻弄しそうな出だしは交響曲1番に通じるものを感じます。
とはいえ、ピアノが主役ゆえに、ピアニストが深く掘り下げようとすればするほど、オケも上品になってしまうパターンが多いように思えます。もっとも、これはこれで傾聴するに値するのですが、最近関心したものは、先日来日したポリーニとティーレマン指揮ドレスデン国立管弦楽団の2011年の演奏です。
NHKでは今年の前半に放送されたように記憶します。

今や初老がかったポリーニは、よくあるように、ゆったりと老練な曲を聞かせてくれるのだろうとタカをくくっていたのですが、良い意味で私の予想は裏切られました。
冒頭から波濤のような勢いで、小柄なポリーニに対してオケは容赦なく襲いかからんばかりの演奏です。片やポリーニはというと、あくまでも平静を保ちつつも、その眼は、内面に溢れんばかりの闘争心を感じさせる鋭いもので、気がつけば、ヘミングウェイの「老人と海」の主人公を重ね合わせている自分がいました。
そして、小柄なポリーニの指から、オケに負けない大きな音が弾き出るのを聴く頃になると、氏の自信あふれる態度が単なる名声に頼ったものでないことも頷けたのです。
結果、ドレスデンとポリーニの白熱したやり取りは、この曲を緊張感あふれる峻厳なレベルにまで高めることに成功しています。
こうした演奏を聴くことを出来るのはライブならではでありますが、反対に、オケの向こうを張った大きな音を出すことのできるピアニストというのも、そうそう多くはないことを思うにつけ、ポリーニの映像記録として、素晴らしい放送であったと感じ入っています。

そういえば、ポリーニの先日の来日公演の映像も明日あたり放送されるようで、楽しみにしています。

なぜか、晩秋になるとブラームスを聴きたくなります。
必然性は・・・全くないわけですが、ブラームス独特のナルシズム的な曲調が、日本人の郷愁好みにピタッとくるからではないでしょうか?
特に交響曲4番に、郷愁感を求める方が多いと見受けられます。

私自身は、つい1カ月ほど前に、年一回の恒例となっている真空管アンプのバランス調整を済ませ、ブラームスを聴こうとしていたのですが、その後、あまりの多忙さに灯をともすことなく本日に至っており、通勤時の車の中がリスニングルームと化しているのが実情です。

ブラームスの4番とくれば、私も大好きな曲で、音楽雑誌で紹介されている演奏はほとんど聴いているのですが、個人的に大切にしている演奏は、意外と思われるかも知れませんが、サヴァリッシュとロンドン交響楽団による演奏なのです。
指揮者の灰汁が出易い曲だけに、さらさらっと、筆を滑らせるような演奏でもって、この曲自体がもつ本来の魅力を浮かび上がらせる・・・秀逸な一品です。