ピアノ協奏曲といっても、ロマン派と比べると極端に採り上げられることの少ない曲ではないでしょうか?
冒頭部分の弦の響きがとても特徴的で、ベートーヴェンの第九の出だしのように、この曲でしか味わうことのない不思議な響きです。やがてオケの音がフッと消えるや、取り残されたピアノの音の澄み切った美しさにうっとりとしてしまいます。
バルトークというと、弦楽四重奏曲に代表されるように、人間の狂気でも描いているのではないか、と勘違いしそうな曲が多いのですが、結局は、爾来の作曲家が敢えて避けてきた音を積極的に取り上げただけのことであって、いつも私がやるような理屈をこね始めると、逆に、その本質を見逃してしまいます。
聴き手にとっては馴染みがない音や響きだけに、見知らぬものに対する畏怖心から、これをおどろおどろしく捉えてしまう。
そんな心理作業が働いているだけだと思います。
氏には音そのものに対する興味しかなく、そういう意味で、この作曲家が現代音楽のはしりだったと言われるのも十分に頷けるのです。
話は変わりますが、この先進性を積極的に取り入れて来たのが、70年代に流行ったプログレッシヴ・ロックであり、中でもキング・クリムゾンのロバート・フリップなどは自身がバルトークファンであることを認めています。
エマーソン・レイク&パーマーなどにも、ピアノ協奏曲からの引用と思われる箇所が見受けられるのはバルトーク・ファンにとっては実に興味深いことです。
時には、ロマン派から距離をおいて、こうした曲を聴くのも楽しいものです。
冒頭部分の弦の響きがとても特徴的で、ベートーヴェンの第九の出だしのように、この曲でしか味わうことのない不思議な響きです。やがてオケの音がフッと消えるや、取り残されたピアノの音の澄み切った美しさにうっとりとしてしまいます。
バルトークというと、弦楽四重奏曲に代表されるように、人間の狂気でも描いているのではないか、と勘違いしそうな曲が多いのですが、結局は、爾来の作曲家が敢えて避けてきた音を積極的に取り上げただけのことであって、いつも私がやるような理屈をこね始めると、逆に、その本質を見逃してしまいます。
聴き手にとっては馴染みがない音や響きだけに、見知らぬものに対する畏怖心から、これをおどろおどろしく捉えてしまう。
そんな心理作業が働いているだけだと思います。
氏には音そのものに対する興味しかなく、そういう意味で、この作曲家が現代音楽のはしりだったと言われるのも十分に頷けるのです。
話は変わりますが、この先進性を積極的に取り入れて来たのが、70年代に流行ったプログレッシヴ・ロックであり、中でもキング・クリムゾンのロバート・フリップなどは自身がバルトークファンであることを認めています。
エマーソン・レイク&パーマーなどにも、ピアノ協奏曲からの引用と思われる箇所が見受けられるのはバルトーク・ファンにとっては実に興味深いことです。
時には、ロマン派から距離をおいて、こうした曲を聴くのも楽しいものです。