※ 特別機動捜査隊 まえがき

捜査担当班の詳細については、wiki特捜隊-キャストを参照、また、(本放送)とはNETでの放送、(再放送)とは東映chでの放送を指します。出演者については配役名を略していますが、本文で書くこともあります。なお、出演者をもっと知りたいときは、リスト特捜隊で検索。

また、(出演者)は、エンディングで、一列~三列で表示された男優・女優に限定しました。

1963年公開の、映画版・特別機動捜査隊全2作とは趣が異なることに注意。

 

☆・・・#731  昭和枯れすすき

 

 

 

(本放送)・・・1975年11月12日

(再放送)・・・2019年12月19日

(脚本)・・・西沢治

(監督)・・・鈴木敏郎

協力)・・・無し

(協賛)・・・無し

(捜査担当・オープニング表記)・・・矢崎班

田中係長(山田禅二)、鑑識員(田川勝雄)、鑑識員(西郷昭二)、

谷山部長刑事(和崎俊哉)、神谷刑事(山口暁)、岩本刑事(萩原信二)、

桂刑事(佐竹一男)、田坂刑事(倉石功)、矢崎主任(亀石征一郎)

 

(出演者)・・・

田中明夫、市東昭秀、野村けい子、山田きよし、郷浦澄人、かずみあい、

さくらと一郎、奥野匡、津路清子、花岡菊子、梅津栄、沼田曜一

 

 

(あらすじ・予告篇から)

・・・ ※当時のナレーションをそのまま聞き写しています。

 

学校を捨て、親に逆らってまで、

愛する女と好きな歌で生きようとした、青年の死体が発見された!

捜査に当たった矢崎班は、青年が生前、父親の反対で、

愛する女を自殺に追い込んだことを恨み、

親子の間に醜い対立があったことを突き止めた。

そして父親は、

「こんな奴は、どんな生き方をしようと、

どんな死に方をしようと、関係無い!」

(と、)冷然と言うのであった。

矢崎班は、父親の行動に不審をいだき、内偵したところ、

何者かに、「息子を殺したのはお前だ!」と、

脅迫されていることがわかった。

そんな時、死んだ青年の書き残した1通の手紙が発見された。

そして、そこには意外なことが・・・。

次回、特捜隊、「昭和枯れすすき」、御期待ください。

 

 

(備考)・・・

・劇中の「大正枯れすすき」とは、「船頭小唄」のことであり、作詞・作曲とも著作権が消滅しているため、ネットにも出ている。これと対比させるかのように、ラスト近くで、さくらと一郎が出演、「昭和枯れすすき」を歌う場面がある。

・劇中の「流し」は、大河内傳次郎主演「沓掛時次郎」でも観られるように、楽器は違えど歴史あるものであったが、カラオケの普及とともに衰退しているのが現状である。自分自身の経験でも、直に2人1組の流しを見た最後は、学生時代の昭和60年前後だと記憶する。

・実見したところ、鑑識員(西郷昭二)の出演場面は見当たらない。

・知子を演じた、かずみあいを検索すると、「おんな花」でヒットを飛ばした演歌歌手と出る。

・本放送された1975年11月当時は、55歳定年が通例であり、併行して年金支給は60歳からという背景がある。

・序盤にかかってくる脅迫電話の内容を、以下に抜き出す。

>俺は見たんだぜ。

>ゆうべ、息子をどうしたんだ?

>自分の息子を、その手でどうしたんだ?

>ゆうべ、お前がやったことを思い出してみろ。

>俺は見たんだぜ。

 

 

(視聴録)

・・・開始約14分前半まで

 

朝早くから脅迫電話を受けた秋葉淳之助(田中明夫)は、霊園に墓地物件を業者(未詳)と来ていたが、高い金額に、生きにくい世の中なんだから死にやすくしてほしいと愚痴をこぼす。と、そこに岩本・神谷がやって来て、ある死体の写真を見せ聞きとりを行なう。写真は、今朝ほど新宿のアパートで発見された、秋葉の息子・一夫(市東昭秀)であった。

霊安室で一夫の亡骸と対面した秋葉に、矢崎主任は、死亡推定時刻は昨晩11時、死因は窒息死、洗濯紐(註・劇中ではロープと表現)が首に巻きついていたことを話し、一夫がこうなった心当たりを聞く。しかし秋葉は、一夫は親に逆らい、高校を中退、女と家出して、あちらこちらへと放浪していた経緯から、一夫の死に関心を持とうとはせず、席を立つのだった。

 

並行して、現場のアパートを検証する矢崎班は、矢崎主任・谷山が管理人・木島(沼田曜一)に聞きこみ。一夫はユキ(野村けい子)と4年間全国を流しで回り、ギター、カバンを抱えた2人は先月末に帰京、このアパートに住むようになったという。しかし、ユキは間もなく部屋でガス自殺、原因は警察の捜査でも不明で、遺体は神田のユキの母親が引取ったこと、一夫がユキの遺体を抱え、「2人で新しく生きていこうと誓い合ったじゃないか」と叫んでいたことも判明する。さらに、田坂・神谷がアパート住人から、一夫の部屋には城東大学の学生たちが出入りしていたことを聞きこむ。これらから、谷山の後追い自殺の線もさながら、矢崎主任は一夫への秋葉の憎悪の点から他殺の線も考え、神谷・岩本を城東大学へ向かわせる。

 

城東大学では、一夫と同じ高校出身の学生・堀内(山田きよし)に聞きこみ。堀内は、2人はコンビでTV局・レコード会社のテストを受けたこと、その結果は芳しくなかったが、歌という夢を捨てきれず2人で流しの旅に出たこと、高校同級生たちがよしみで「ユキと一夫を励ます会」をつくり、2人を送り出したことを話す。さらに、帰京したときに、一夫親子の間に衝突が起こったと話しかけたところに、神谷の追及の激しさか、就職活動の沈滞もあるのか、堀内は駆け出し校内に立ち去るのだった。実際、この時期は景気の悪さもあり、各企業から募集中止が相次ぎ、就職相談室・担当者(奥野匡)は学生たちから突き上げにあっていた。担当者は、募集されるのを待つのではなく、自分たちから出向いて売り込むほかは無いというしかなく、学生は、就職の当ては無いが卒業までの授業料は払えというのかと、言い返すばかりだった。

 

一方、秋葉は自宅で、一夫が幼少の頃に妻と3人で撮った写真を見て微笑んでいたが、成人した一夫の写真を見ると顔色が変わる。そんな時、秋葉の旧友(梅津栄)が来訪。旧友は、お互い定年退職するのが2年遅かった、どうせなら石油危機の前に定年を迎えたかった、今日も職安に行ったがこの年齢だと再雇用先は無い、と愚痴をこぼすのだった。そして、ふと一夫のお骨箱が、部屋の片隅に置いたままであることに訝しがるが、その時電話がかかる。受話器をとった秋葉の、「私を脅しているつもりだろうが、私は何もしていない」の慌てた言葉に、旧友は顔を背けるのだった・・・。

 

 

ストーリーはその後、帝王化学に就職活動をする「ユキと一夫を励ます会」の長沢(郷浦澄人)を、帰り際に谷山・桂が尋問。一夫親子の衝突原因は、一夫・ユキが結婚式を挙げることだったと聞き出します。そして部屋で、ユキのほか、会の長沢、あさの知子(かずみあい)とが明日に結婚式を挙げると話し合っていたところに、秋葉がいきなり訪ねて来て、ユキを川べりに連れ出すことに。そしてそこでは、秋葉は結婚式に反対であり、一夫を引き留めるためユキから言い出したことだろうと責め、たったひとりの息子ゆえ一夫と手を切るよう懇願したことが明らかになります。駆けつけた長沢・知子は、さもユキが誘惑したかと誤解していると反論しますが、秋葉は、今どきの歌は堕落した歌であり、その歌が一夫の性根を腐らせ、女の誘惑に負けたものだと聞く耳を持たなかったことで、事件の輪郭がようやく掴めてきます。

 

そして、これから事件はどのように展開していくのかというところで、後半は、秋葉と旧友が行きつけの小料理屋・いなほで酒を酌み交わし、女将(花岡菊子)、行商の老婆(津路清子)と雑談をしているところからのスタートとなります。

 

 

当作を振り返ると、正直、刑事ドラマとしては面白くありません。

・序盤早々で、#567 女を棄てた女たち 、#631 大爆発 、の前例のごとく、脅迫電話の興味が薄れてしまう点。

・事件の真相が、7年前の関西の某事件のように、可能性はあるものの納得しづらい点。

・予告篇にある「1通の手紙」はいつ書かれたものか、伏線も追及も無い点。

など、個人的な視点になるものの、首をかしげることがあります。

さらに、#646 嘆きの天使 を観賞した立場からでは、事件の真相は現場検証時の洗濯紐(註・ロープと劇中では表現)の捜査で、これからの捜査の方向性は決まるのではないか、という疑問も出るなど、感心できない場面が目立ちます。

 

しかし、当作を、人間ドラマとして描こうとしたねらいはわかります。事件の背後にある、父と息子の関係もさながら、父が直面している再雇用問題も、息子の世代の就職活動に重ね合わせることにより、同じ境遇を描こうと脚色・演出したものだと推察します。

ただ、父親である秋葉の頑固というか、支離滅裂さは観ていてどうも受けつけにくい。とにかく、場面ごとに性格が異なる感が強く、その場で感情のまま発言・行動するのが目につくのです。息子をぼろくそに貶したと思えば、実は息子が可愛かった、それは構成としては悪くないのですが、それが繰り返し出て来ることで、「この人大丈夫?」という感が強くなります。

 

それがゆえ、息子の一夫は秋葉を避けるようになった、というふうにストーリーを展開させたかったと思うものの、一夫の生き方自体も賛同しにくい。

就職活動中の「ユキと一夫を励ます会」の人たちの温かい目は、一夫・ユキにとってありがたいものだったでしょう。しかし、劇中には全く描かれてないですが、現在就職で苦労する人たちから見れば、ユキを放っておいた一夫、4年間全国を放浪してきた一夫を、本音ではどう見ていたのか? こういった点に注目します。自分自身は、厳しい見方ですが、一夫には甲斐性が無かったのではないかという思いが強い。多少なりとも甲斐性があるのなら、いくら理由があっても、「1通の手紙」の宛先はもう少し考えるべきだと思います。

 

あと、疑問に思うのは、いくら時代背景が違うとはいえ、大学の就職相談室に、すべて「おんぶにだっこ」という学生の姿勢にも?がつきます。自分自身の経験でも、そこまで就職活動で、学生課が世話を焼いてくれたか?とも思うのです。せいぜい、就職セミナーを開き聴講、あとは学生個人で就職募集の貼紙先や、就職ツールを当たり活動するパターンくらいしか、思い出せません。

単純に考えても、授業料の件でも「学卒」という看板で就職するのだから、文句を言う学生もオカシイとも見えてしまうのです。

 

これらから、人間ドラマとしてのねらいに重点を置きながらも、スタッフが実情をわかっているのかいないのか、視聴者にわかりにくいつくりになってしまったとも考えられます。まあ、当作のスタッフは戦前生まれが多いと思われ、「限りなき前進」(1937年日活、脚本・八木保太郎、監督・内田吐夢、主演・小杉勇)での定年退職(註・当時は年金制度無し)のイメージで制作にあたった可能性があり、2019年の再放送の視点で観るのは酷ではあるのですが。。。

 

「限りなき前進」は、戦前作品ですが戦後再公開の際、当時の風潮に併せてフィルムカットした状態でリバイバル上映されたものであります。内田吐夢監督が満洲から引揚後に、この欠落版を封印、現在見れるのは欠落部分を字幕で補った増補版で、完全版というのはありません。その増補版を観れる機会があればと思っていたのですが、なんと2017年8月20日-10月21日に「昭和の銀幕に輝くヒロイン 第86弾 轟夕起子」の一作品として、東京・ラピュタ阿佐ヶ谷で公開されていました(映画ナタリー・2017年8月14日記事)。

まったく見落としていた記事で、なかなかお目にかかれない轟夕起子主演版「肉体の門」も上映していたということで、観賞できなかったことは残念なかぎりです。

まったくの余談ながら、この「限りなき前進」は文献のみの知識でしたが、当作を観て、ふと連想した作品でありましたので、触れさせていただきました。