※ 特別機動捜査隊 まえがき

捜査担当班の詳細については、wiki特捜隊-キャストを参照、また、(本放送)とはNETでの放送、(再放送)とは東映chでの放送を指します。出演者については配役名を略していますが、本文で書くこともあります。なお、出演者をもっと知りたいときは、リスト特捜隊で検索。

また、(出演者)は、エンディングで、一列~三列で表示された男優・女優に限定しました。

1963年公開の、映画版・特別機動捜査隊全2作とは趣が異なることに注意。

 

☆・・・#695  現代母親教育論

 

 

 

(本放送)・・・1975年2月26日

(再放送)・・・2019年8月15日

(脚本)・・・西沢治

(監督)・・・田中秀夫

協力)・・・無し

(協賛)・・・無し

(捜査担当・オープニング表記)・・・三船班

田中係長(山田禅二)、鑑識員(田川勝雄)、鑑識員(西郷昭二)、

事務員(田中正吾)、関根部長刑事(伊沢一郎)、石原刑事(吉田豊明)、

水木刑事(水木襄)、松木部長刑事(早川雄三)、畑野刑事(宗方勝巳)、

三船主任(青木義朗)

 

(出演者)・・・

福田公子、神ひろし、峰千景、岡部正純、杉義一、城山順子、堺左千夫

 

 

(あらすじ・予告篇から)

・・・ ※当時のナレーションをそのまま聞き写しています。

 

大学生の息子を「ぼくちゃん」と呼んで、溺愛する教育ママと、

自らも甘えきっている息子・・・。

そしてまた、ひとり娘を手放したくない、やもめの父親と、

束縛を嫌って反発する娘・・・。

母が息子を厳しく叱り、娘が父の反対する結婚を望む。

その二組の親子の愛が、憎しみに変わった夜、事件が起きた!

容疑者として大きく浮かび上がった父親と、

息子を誘惑した娘だと憎んだ母親・・・。

親にとって、子供とは何なのか?

その絆が崩れたとき、悲劇が始まり、すべてが狂っていった!

次回、特別機動捜査隊、「現代母親教育論」、御期待ください。

 

 

(備考)・・・

・実見したところ、鑑識員(西郷昭二)の出演場面は見当たらない。

・瀬戸内誠を演じる神ひろしは、現在、ダンサー・俳優振付師・作家をやっており、アメブロも更新中で、かつて拙ブログにも来訪歴有り。

・劇中では、うえすぎ良吉のことを「うえすぎ」と呼ぶが、その他の「瀬戸内家」「うえすぎ家」の人物は、すべて下の名で呼ばれていることもあり、以下本文では「良吉」とする。

 

 

(視聴録)

・・・開始約18分後半まで

 

ある団地の瀬戸内家は、母・菊枝(福田公子)、息子・誠(神ひろし)の2人暮らし。未亡人でありながら菊枝はバー勤め、すべては東都大学3年の誠のためであり、今日も卒論作成の誠のために鉛筆を削ってあげたりと世話に余念がない。しかし、常連でもある美容室マダム(城山順子?)から、「ぼくちゃん」呼ばわりする母親への不満が内向して、いつかは爆発するとの忠告に、菊枝は心中穏やかではなくなっていた。

 

階上のうえすぎ家も、東亜ビル勤務の良吉(堺左千夫)、娘のOLさおり(峰千景)の2人暮らし。20歳のさおりが16歳上の写真家・風早たけじろう(杉義一)と結婚したいという出来事があった。男手ひとつで育ててきた良吉には、風早が娘の結婚相手に相応しいとは思えず、さらには自分から離れていく状況に我慢できなかった。

 

そんな夜、四ツ谷駅近くの公園で、さおりの扼殺死体が発見された。三船班は、死亡推定時刻は今夜12時、正面から両手で絞めた窒息死と断定。第一発見者は良吉で、残務整理のため会社を11時に出て、12時にここを通りかかると、さおりが倒れていたのを発見・通報、また、さおりは今日は頭痛のため会社を欠勤すると言っていたが、自分が出勤中のさおりの行動はわからないという。畑野をはじめ三船主任は、良吉の出来すぎた話に、良吉の周辺を捜査することにする。

 

畑野・石原は団地で、さおりと親しい菊枝の存在を聞き出し、瀬戸内家を訪れる。さおりの結婚の意志は固いが、良吉は風早の淫らな職業もあり反対していたと、菊枝は証言。さらに、良吉の考えは古く、子供の自主性を奪うのが親の役目かと批判をする。が、その傍から、りんごの皮をむく誠から果物ナイフを取り上げ、「ぼくちゃん」と呼び過保護な態度をとる菊枝に、畑野・石原は苦笑いしながらその場を去る。

 

一方、三船主任・松木は、風早を訊問。当日は昼前から仮病で休んださおりと横浜まで出かけ、夜12時前には駅前で別れ、その後は仕事仲間との会合に出席したという。調べてみると、風早には別れた後のアリバイがあることから、松木は、良吉が11時過ぎに会社を出たのであれば、駅前に着くのは12時前のはずと疑いを持ち、三船主任も同意する。そして、現場に向かうと良吉がおり、三船主任は駅前から以降の行動を聞き出そうとするが、良吉は「言えば私が犯人にされてしまう」と口走り立ち去ったこともあり、三船主任はしばらく監視する方針をとる。

 

その夜、バーでは菊枝が他のホステスたちと接客しているが、やって来た常連客(岡部正純)は、年配ホステスはいらないとばかりにママ(丹羽たかね?)に苦情。席を外された菊枝は不満顔、誠に電話をしようとしたところ何者かに切られる。それは、菊枝に直談判しようと訪れた良吉であった・・・。

 

 

 

【第4回再放送】では、#662 光と影の女(便宜上、前作と以下略称) 以来の田中秀夫監督作品。前作では「演出技法」にはさすがと思いましたが、ストーリーの流れにはいささか不満があると評しました。なので、当作については、脚本・西沢治という点も含めどうなっているか? とおっかなびっくりの視聴でありました。

というのは、西沢治の親と子を描いた脚本の場合、その多くが期待外れ、ガッカリすることが多く、親子の年齢差はあるにせよ#457 マンガの世界をゆく 、#568 灰色の虹 、#590 愛の崖 などがあり、#596 高円寺 吉祥寺 国分寺 に至っては後味の悪い作品でした。唯一、#551 群衆の中のひとり が大友柳太朗の力演で佳作に近い仕上がりになったかなという印象。

 

それでは当作はどうかというと、母親依存の息子、娘依存の父親の描写について、正直「気持ち悪い」の印象が避けられません。この「依存の追及」に絞った構成では、かつて似たような作品に#581 蒼い性 がありましたが、あくまで「依存」を材料として、本筋の殺人事件犯人の追及にしたところが異なります(それでも、作品の出来は繋ぎの悪さで首をかしげるところが見受けられましたが・・・)。ところが、当作は「依存の追及」を前面に押し出しての構成であり、視聴していてどうにも「うんざり」する感が出るのは否めません。

特に、良吉の「この手で殺してやりたい」という台詞がリフレインするたびに、早くストーリーが進行してほしいと感じます。その点でいえば、菊枝の「ぼくちゃん」連呼も同様でしょう。

こういった「依存」は、「親孝行」「愛情を注ぐ」とは別物で、「依存」が際限なく続くことにより、独り立ちしにくい、できない人間がつくられることを教訓にしたかったとも考えられるのですが、個人的にはどうにも馴染みにくい作品ではあります。

 

しかし、技法的には前作を踏襲、「対比」の手法を駆使して田中秀夫監督らしい作品に仕上げています。良吉・菊枝の依存の点のほか、真相追及の回想場面が、開始約3分過ぎの美容室の会話の場面、あるいは開始約12分前後の高志(山川武法)と少女(未詳)の場面に繋がる点などは「対比」では代表的であるといえます。

あるいは、かつてジャッロ映画と特別機動捜査隊 で、特捜隊はジャッロの影響を受けていると指摘しましたが、開始約15分後半、現場で三船主任が良吉に声をかける場面のカメラアングルは、ダリオ・アルジェント監督の「歓びの毒牙」(1970年)、「シャドー」(1982年)を思い起こすようであり、田中秀夫監督のジャッロへのオマージュのようにも感じられます。

さらにアクションの点でも、畑野・石原・水木が「ある人物」を四ツ谷駅前で張り込むところでは、列車の出発・停車を繰り返しながら、取調室で三船主任が「別の人物」の追及場面、自宅で「また別の人物」がそわそわする場面を挿入、わずか4分弱ながらもサスペンスを盛り上げるなど、ツボを押さえ見どころをつくっています。

 

ですので、当作の評価のポイントは、「依存」というテーマの好き嫌いという主観的観点にあると思います。残念ながら、個人的に、これが全面に出る流れは受け入れ難く、せめてストーリーの一部分にとどめるべきだったのでは? たとえば、その裏に三船主任十八番の「麻薬事件」の存在、あるいは連続殺人事件の発端であるなど、置き方次第では思いもかけない作品に仕上がっていたのではと考えます。

ただ、こういったマイナス面も、「技法」では田中秀夫監督らしい演出で補うところから、なんとか佳作に届いた作品と評価できるでしょう。テーマが気にならない方でしたら、もっと高評価出来る作品ではありますが。

 

当作は、菊枝演じる福田公子の存在感が目立つ作品ではありますが、福田公子をネット検索しても、詳細はwiki以外にはなかなか見当たりません。特捜隊終了後も、昭和の年代では数多くのドラマ出演をこなしていたようですが、平成に入ってからは「幸福の明日」(2000年9-12月・東海テレビ=フジテレビの昼メロ枠番組)を最後に出演はありません。特捜隊では、その後は特別機動捜査隊(第704回)人妻の虚像 に出演されるようです。