※ 特別機動捜査隊 まえがき

捜査担当班の詳細については、wiki特捜隊-キャストを参照、また、(本放送)とはNETでの放送、(再放送)とは東映chでの放送を指します。出演者については配役名を略していますが、本文で書くこともあります。なお、出演者をもっと知りたいときは、リスト特捜隊で検索。

また(出演者)は、エンディングで、一列~三列で表示された男優・女優に限定しました。

1963年公開の、映画版・特別機動捜査隊全2作とは趣が異なることに注意。

 

【#590  愛の崖】

 

(本放送)1973年2月21日

(再放送)2016年7月21日

(脚本)西沢治

(監督)鈴木敏郎

(協力)無し

(協賛)無し

(捜査担当)三船班

田中係長(山田禅二)、鑑察医(仲原新二)、鑑識課員(西郷昭二)、

鑑識課員(田川恒夫)、関根部長刑事(伊沢一郎)、白石刑事(白石鈴雄)、

村井刑事(北村晃一)、石原刑事(吉田豊明)、畑野刑事(宗方勝巳)、

三船主任(青木義朗)

 

(出演者)

万里昌代、大坪日出代、菅原チネ子、永井讓滋、高野浩幸、所雅樹、桔梗恵二郎、

葛巻輝彦、林幸子、森今日子、西岡恵子、六本木真、武藤英司

 

 

(あらすじ・予告篇から)

 ※当時のナレーションをそのまま聞き写しています

 

ピーコックスタイルと称し、

男性スタイルの革命を叫んだ学生・篠原達夫が、

死体となって発見された。

少年・功に残忍な喜びが浮かぶ。

三船班の捜査は、達夫の父・裕之が、

その半生を大学に捧げた大学教授であることを突き止める。

教育ママ・理恵によってか、点取り主義に育てあげられ、

人の死を喜ぶ己の子・功の姿に驚いた父・しゅうぞうは、

学校教育に絶望し、ある日突然蒸発してしまう。

現行の大学教育の理想の中に、

裕之もまた、幼稚園教育に第二の出発を目指す。

個人の能力を第一とする、現教育制度の谷間に起こったこの事件に、

三船班はどう取り組むのであろうか・・・? 

次回、特捜隊、「愛の崖」に御期待ください。

 

 

(備考)

・上記の(あらすじ・予告篇から)を作成のため、「篠原ひろゆき」を検証本引用で「篠原裕之」としましたが、「戸倉しゅうぞう」は記載無しのため、そのままとしました。

・ピーコックスタイルとは、1960年代後半から流行した、従来よりも色彩が鮮やかなファッションのことをいう。

 

 

(視聴録)

 

流行とはいえ女装に近いピーコックスタイルの東都大学生・篠原達夫(所雅樹)が撲殺死体で発見された。棒状の鈍器で殴打、頭蓋骨骨折での即死で、死亡推定時刻は午後7時ごろ、発見者は達夫と同じ団地に住む下条貞子(菅原チネ子)で、被害者は息子・圭一郎(永井讓滋)と同級生だという。そして、発見する直前、やはり同じ団地の小学生・戸倉功(高野浩幸)が現場にいたことを証言、三船班は戸倉家、篠原家に着目する。

 

三船班の戸倉家訪問に、功は「達夫は寝ていると思った」と証言するが、功の父(六本木真)は無言で睨みつける。功が「あいつとうとう死んじゃった、ざまあみろ」と叫んだことを黙っていたからだが、その微妙な功の父の表情を畑野刑事は見逃がさなかった。

篠原家では、達夫の母(大坪日出代)の息子溺愛ぶりがうかがえ、達夫の父(武藤英司)は東都大学教授であったが達夫の生活態度から人間教育のやり直しを考え退職、現在は幼稚園の保母助手をしているところから、父母双方の考えに差異があった。

さらに三船班は圭一郎から、達夫は新宿の喫茶店勤務のさおりを騙して捨てたとの情報を受ける。その喫茶店のマダム(未詳)から事実を確認、さおりはすでに退職しており、達夫の父は達夫の所業への慰謝料200万円を払ったという。

 

三船班は田中係長をはじめ、慰謝料の話を達夫の父がなぜ話さなかったのかと疑念をもっているところへ、功の通う青葉台小学校の畑野刑事、村井刑事から無線連絡が入る。功は今朝から行方不明、功の父も無断欠勤しているという。功の母(西岡恵子)は学校に駆けつけ、担任・やすおか(万里昌代)に事の次第を報告するが、何故かやすおかは家庭でのしつけを責めることに終始していた・・・。

 

 

当作では、「#568 灰色の虹」で子供・教師・PTAの小学校での問題をとりあげた脚本・西沢治が、ある殺人事件をとば口にして、幼稚園・小学校・大学にわたる教育問題を、再度脚色した作品です。前作では犠牲になる子供を表に出しましたが、当作では犠牲になりつつも変貌する子供にしている分、後味の悪さというか不気味さを表に出しています。それは、ラストの晴海埠頭の場面に凝縮されており、イタリアホラーもの映画「デアボリカ」「ザ・ショック」では映像的な怖さを出していますが、心理的な怖さを出す当作と狙いは似ています。

 

また、事件を大きく、篠原家事件と戸倉家事件とにわけ、両者並行して描くことで、興味深く描く狙いもあったようです。そして、奇しくも、三船主任の

「奴らは、人の命なんてどうでもいいとばかりに、

てめえのことだけしか考えていない」(要約)

という真犯人への台詞が、実は各人すべてを暗示していると見せるよう、構成されています。「奴ら」という表現がそれを表しています。

 

・子供の立場:協調性が無く、わが道を行く

・母の立場:わが子を自分自身の姿に投影させて育てる

・教師(学校)の立場:与えられたマニュアルを、そのまま消化するだけ

・父の立場:自主性に任せすぎの結果、肝心な時に舵をとれない

当作では父の立場の悲哀が描かれていますが、道徳(倫理)に基づいた考えであることを除けば、それぞれ自己顕示欲の塊であることには違いはありません。すなわち、ラストで三者が同じ道を歩んだのは、目的が同じだからにすぎず、達成後には烏合の衆のごとく感謝の念も無く、その後バラバラになることが予見されます。

 

また、篠原家事件と戸倉家事件の性質は似て異なるものながら、達夫と功、両家の父の場面で融合を試みたこと、真犯人も思いもよらぬ人物だった点は面白かったのです。しかし、その追及については?がつきます。「自分と会ったことは、黙っていた方がいいですよ」という台詞の意味がわからないゆえ、そもそも特捜隊が疑問に思った慰謝料の点については、とうとう明らかにされませんでした。興味深い題材なのに、話の腰を折られた感じです。

 

それでも、(あくまで個人的な見方ですが)教育の面から、理想と現実とは一致せず、その場に置かれた人間の精神力を鍛えることが最良の道、というふうに解釈できるストーリーになっています。無難に演出をすると評した鈴木敏郎監督だからこそ、当作の西沢治脚本が生きたのだろうとも感じました。

 

ラスト、畑野刑事の

>幼稚園からの人間教育といっても、子供が小学校にあがれば、いやおうなしに

>今の教育制度に組み込まれてしまう。こんなことをしても虚しいのじゃないで

>すかね。

という台詞は、その後の子供たちの生き方を暗示する言葉でもあります。

さらに後年の立場からは、当作は1973年放送、画面の幼稚園児は3歳~6歳とすると1967年~1970年生まれ、大卒就職は1990年~1993年となります。いわゆる、バブル期から氷河期にかけての時代の就職に当たり、1993年が底辺期に当たります。

果たして、達夫の父が実在していたら、現実はどうだったろうかという関心があります。そして、功、功の母が実在していたら、就職は乗り切ったとしても、リストラの波に耐えられたのかという関心もあり、興味深い作品でもありました。

 

(2018年1月12日 全面追加)