※ 特別機動捜査隊 まえがき

捜査担当班の詳細については、wiki特捜隊-キャストを参照、また、(本放送)とはNETでの放送、(再放送)とは東映chでの放送を指します。出演者については配役名を略していますが、本文で書くこともあります。なお、出演者をもっと知りたいときは、リスト特捜隊で検索。

また(出演者)は、エンディングで、一列~三列で表示された男優・女優に限定しました。

1963年公開の、映画版・特別機動捜査隊全2作とは趣が異なることに注意。

 

【#596  高円寺 吉祥寺 国分寺】

 

(本放送)1973年4月4日

(再放送)2016年8月11日

(脚本)西沢治

(監督)龍伸之介

(協力)無し

(協賛)無し

(捜査担当)三船班

田中係長(山田禅二)、鑑察医(仲原新二)、鑑識課員(西郷昭二)、

鑑識課員(田川恒夫)、関根部長刑事(伊沢一郎)、岩井田刑事(滝川潤)、

白石刑事(白石鈴雄)、石原刑事(吉田豊明)、畑野刑事(宗方勝巳)、

三船主任(青木義朗)

 

(出演者)

右京千晶、田中婦二子、藤田和彦、福崎和宏、大久保あかね、本多洋子、相良光子、

菅野直行、谷口まゆみ、伊藤敏孝、川又寿美子、吉田守、三上定良、山本相時、

青木美香、由貴リエ、水沢摩耶、露原千草、松風はる美、林孝一、加藤春哉、

田島義文

 

 

(あらすじ・予告篇から)

 ※当時のナレーションをそのまま聞き写しています

 

新宿(ジュク)は居づらくなった!

これからは三寺(サンデラ)だ!

親の束縛を逃れて、高円寺、吉祥寺、国分寺に集まるヤングたち。

そして、結婚リハーサルと称しての高校生の同棲生活、

この二重生活が崩れるとき、殺人事件が発生する・・・!

ナイフで一突き、すなわち谷内修平(註・備考参照)殺人事件、

決定的とも思える不良学生・田宮!

一見、単純そうに見えたこの事件の背後に、

実は恐るべき落とし穴があったのである。

家出娘を必死に探す親・・・! 

その親に唾を吐く子・・・!

この世代の裂け目に起こった難事件に、

三船班はどう取り組むのであろうか!?

次回、特捜隊、「高円寺 吉祥寺 国分寺」に御期待ください。

 

 

(備考)

・金貸業女役を演じた由貴リエは、由紀梨絵(由起梨絵)が改名したもの。

・予告篇では「たにぐちしゅうへい」と発声されるが、劇中では「谷内修平」(タニウチシュウヘイ)と表記・発声されている。そのこともあり(あらすじ・予告篇から)の部分には、振り仮名には触れず下線を引き(註・備考参照)とした。

・題名は、正式には中央線三寺のこと。ちなみに、円満山広徳寺、入谷鬼子母神真源寺、補陀山円通寺を、下谷三寺という。

・劇中の「スナック中央線」は高円寺東映近隣の設定。その高円寺東映は1981年閉館、現在の高円寺南口の西友・高円寺店辺りにあった。

 

 

(視聴録)

 

高円寺の第二高北荘アパートを双眼鏡でのぞき見する男(加藤春哉)。そこには朝から札束を数えているせいとう高校2年・もんでん桃子(右京千晶)、着替えをしているぶんきょう大学1年・五郎(福崎和宏)2人の姿があった。これを桃子の国分寺の父母(田島義文、露原千草)は知っているのか? さらに桃子は喫茶店のウェイトレスとは名ばかりの、スナック中央線でマダム(青木美香)のもと接客業をやっている。

 

その店に、家出したやまは高校2年・谷内愛子(田中婦二子)探しに、愛子の父・修平(林孝一)が訪ねてくるが、店から出たあと、背中にナイフが刺さった死体で発見された。現場の公園に駆けつけた三船班の捜査で、死亡推定時刻は午後11時、ナイフは根元まで刺さり肺にまで達していたこと、金は盗られていないこと、ナイフの柄に土がついていたこと、犯人の手は血まみれであろうこと、が明らかになる。特捜隊本部に愛子の母(松風はる美)が来訪、三船主任、関根部長刑事と話すも、あまりの出来事に動揺している様であった。

 

その後、石原刑事、白石刑事の聞きこみにより、やまは高校山岳部・田宮則夫(藤田和彦)は日頃ナイフを持ち歩き、事件当夜は手に血がついた状態で高円寺駅周辺を徘徊、吉祥寺に行くと発言していたことがわかった。畑野刑事、岩井田刑事の報告を受けた三船主任は吉祥寺で合流、田宮が愛子を強姦、退学となっていた新情報を得るとともに、田宮を逮捕する成果を挙げる。

田宮への取調べ、さらに凶器のナイフから田宮の指紋が検出されるにおよび、田中係長も事件の解決を確信する。しかし、三船主任は、何か心に引っかかるものを感じるなか、かかってきた電話をとってみると・・・。

 

 

当作の印象は、(主義思想はともかくとして)面白い作品ですが、同じ場面・台詞の繰り返しが多すぎると感じました。繰り返しは重要部分やややこしい部分だけで良いものを、重要度の低いことも繰り返しているので、ストップウォッチで計ってはいませんが、10分弱は余計な場面だなという思いです。その分を、もっと膨らませることができなかったか?

 

脚本・西沢治は、前作「#590 愛の崖」では事件のポイントというか教訓を畑野刑事に語らせることでいい効果を出していました。

当作も畑野刑事、三船主任の

 

>目的も無いのに、学校にだけにしがみついている。結婚と就職のためにね。

 

>生きる目的のないヤゴの群れは、ただ就職と結婚のために、学校にしがみ

>ついている。

 

という台詞から、予告篇での「落とし穴」を暗示させるなど、良いところはあるのです(前者は畑野刑事直接発言、後者それへの三船主任引用発言)。

意味のある内容なのですが、ひとくくりで繰り返しにする手法は残念でもあります。もう少し、各々語彙を変えた表現で2人の発言にできなかったか、ひとくくりにするならどちらか1人だけの発言で済ませられなかったか、とも感じます。

 

登場人物の主義思想については、親子云々というより社会で生きていくための心構えとして、まるっきり賛同できず、非常に気分の悪い内容です。桃子が口ずさむ

>親を離れて高円寺

>家を忘れて吉祥寺

>夢を求めて国分寺

>投げる賽銭10円玉

>なにかいいことあるように

という台詞がありますが、このように好き勝手に生きる輩には、次に

「流れ着くのが横田基地」

とでも付け加えたほうがふさわしいような、1970年代のような気がします。

あるいは、監督・龍伸之介への深読みとして、「夢を求めて国分寺」と話す桃子に、「おまえの親や家はどこだっけ?」とささやきかけているともとれるのですが、監督の今までの作品を見比べると、これは考えすぎかも(苦笑)

 

まとめると、登場人物、桃子、愛子、五郎、則夫、金貸業女の発言内容は、すべて自己矛盾を抱えている内容で、あっという間に崩れ去る空中楼閣のようです。いわゆる、理想のみに生きるアナキズムであり、劇中での彼らが1973年放送から44年後の今どうなっているか、知りたいような気がします。

自分が同じくらいの年齢のとき、彼らと同じ行動をとれたか?←「か?」は反語の意

そういった意味で面白いということです。

 

桃子を演じた右京千晶は、検索すると1974年の記事に辿り着き、このとき22歳なので1952年生まれのようです。秋田県出身で洋裁店勤務でモデルをやったことから東宝にスカウトされ、3年前(1971年?)に上京、女優となったとあります。当作は1973年放送なので、当時は21歳ですね(桃子は16歳の設定)。

この記事は1974年、NHKの「お国自慢にしひがし」のアシスタントに抜擢されたときのもので、芸名も右京ちあきに改名されているようです。彼女の記事は他に、yahoo! Q&Aで、1976年を最後に出演が見当たらず、引退・結婚されたようだとあります。

当作の作品内容はともかくインパクトのある印象です。

あと数年生まれるのが遅かったら、時代が求めるものが違っていたら、スカウト先が東映だったら・・・、もしかして参議院議員・三原じゅん子の芸能人時代のようになって大成していたかもと感じた次第です。

 

(2018年1月13日 全面追加)