特別機動捜査隊に関連する作品、映画・Vシネ・テレビドラマ・動画に限定せず、あるいは脚本・監督にこだわらず、主観的に関連性がありそうと判断したものを取りあげました。

 

 

【猫は 知っていた】 ※恐怖劇場アンバランスの全13作のうちの8作目 約48分

 

 

(公開日・本放送日)

1973年2月26日フジテレビ(深夜枠)本放送、

なお撮影は1969年8月-1970年4月に終了済

2016年1月16日チャンネルNECO再放送、2007年7月27日DVD発売

(脚本)満田かずほ(「かずほ」の漢字は、禾+斉、の組み合わせであるが漢字変換不可)

(監督)満田かずほ

(出演者)

島かおり、水木襄(当作では水木譲名義)、吉川満子、春江ふかみ、渚健二、

金井大、花柳幻舟、山田禅二、江村奈美、工藤和子、相良孝子、田川恒夫、

水村繁子、松浪志保、原保美

 

 

(特捜隊関連事項)

・特捜隊で、水木刑事を演じた水木襄、荒木部長刑事を演じた金井大、田中係長を演じた山田禅二がそれぞれ出演。

・また鑑識課員を演じた田川恒夫のほか、常連ゲストの春江ふかみ、渚健二も出演。

・水木刑事初登場は#501 勝負(1971年6月9日本放送)、荒木部長刑事初登場は#517 華麗なる 沈黙の街(1971年9月29日本放送)、、田中係長初登場は#503 純愛の海(1971年6月23日本放送)なので、当作撮影完了後(上記の下線部参照)に特捜隊レギュラーとなった。また、当作本放送(1973年2月26日)時点では、水木刑事不在(水木襄が魔人ハンター ミツルギにレギュラー出演中)、荒木部長刑事不在(金井大の降板)であり、田中係長だけが特捜隊レギュラーであった。

 

 

(備考)

・原作は、仁木悦子の「猫は知っていた」(1957年、第3回江戸川乱歩賞作品)。

・冒頭末尾のストーリーテラーは、青島幸男。

 

 

(あらすじ・予告篇から) 

※ナレーター=村越伊知郎(wikiによる)

 

猫、猫が・・・!

ゆっくり〇〇を挙げて、

何かを〇〇〇〇としながら〇〇〇は死んだ。

誰が!?

何のために!?

どうして!?

奇々怪々な社会という枠の中で、

哀しくも、のたうつ、人、人、人・・・。

そして、巧妙に仕組まれた罠が、

次の殺人を待っていた。

今、あなたの、

そして私たちの家庭の中に潜む戦慄に挑戦する、

「猫は知っていた」をお楽しみに。

 

(註・ミスリードになるかもしれないので何か所かを伏字にしました)

 

 

(冒頭の青島幸男のストーリー紹介)

 

ある殺人事件がありました。

目撃者がいるんですね。

しかし、この目撃者は人間ではなくて、動物だったんです。

ですから、当然しゃべることもできませんし

、事件の内容を証言する術とて有りません。

だから、厳密にいえば、目撃者とはいえないかもしれない。

しかし、この動物が見ていた事実、それは確かにあったんです。

今日これからご覧いただきますドラマ・・・、目撃者は猫!

 

 

(視聴録) 

 

箱崎兼彦(原保美)が院長を務める、世田谷区砧の箱崎医院では、仁木悦子(島かおり)、兄・雄太郎(水木襄)が7号室に下宿している。悦子が箱崎の娘・幸子(サチコ、水村繁子)に、ピアノを教えることがきっかけであった。箱崎医院では、医師・宮内(田川恒夫)のほか、看護婦の家長(花柳幻舟)と野田(江村奈美)も働いている。また、箱崎のもと幸子以外には、妻・敏枝(春江ふかみ)、祖母・ちえ(吉川満子)、縁戚・ユリ(工藤和子)、さらには幸子の飼っている猫・チミが同居しているが、息子・英一は家の空気に嫌悪感を持ち家出しているという。その他では、悦子兄妹の隣室・6号室に、骨董商・平坂勝也(山田禅二)が盲腸で入院している。

 

ある日、チミが見当たらないとの幸子の相談に、悦子は幸子と行方を探すことになる。かつての英一の部屋・2号室を探しても見つからなかったが、悦子には英一が探偵小説を収拾していたことに興味を覚える。そして、2階の納戸からの物音に駆けつけると、ちえが閉じ込められていた。悦子が開けちえが出てくると、悦子、幸子に、きまりが悪いからこのことは口外しないように頼むのだった。

 

その後、平坂が病院を出た様子は無いのに見当たらないと、野田が悦子を7号室へ訪ねてくるが、悦子には知る由もない。2人で廊下に出ると、箱崎、宮内、家長が平坂の行方のことで話しあっていた。さらに敏枝も駆けつけ、ちえ、チミが見当らないと伝える。敏枝の問いかけに悦子は、ちえのことは約束の手前黙っていたが、チミについては幸子と探しても見当らなかったと告げる。

 

翌朝になり、共同洗面所にいた悦子、雄太郎のところへ箱崎が通りかかる。平坂、ちえの行方は不明だが、チミは出入りの米屋の青年が、隣のしょうふく寺の境内にいたのを見つけて、届けてくれたという。雄太郎は、この話から病院敷地内の防空壕に興味を示す。防空壕からしょうふく寺への抜け穴があるのでは? これならチミが境内で発見されたこと、平坂が病院から出た様子が無いことへの説明がつくからだった。

 

そして、箱崎、敏枝が防空壕の入口で見守るなか、雄太郎、悦子、宮内が中に入ることになった。雄太郎は咄嗟の機転で隠された抜け穴を発見、悦子、宮内も続く。すると、そこにはちえの死体が横たわっており、宮内は知らせに外へ走る。残された2人は壁に埋め込まれた缶を発見、その中から包袋を回収、空き缶の状態で元に戻し外に出る。駆けつけた箱崎、敏枝に雄太郎は、扼殺されたようだと告げ、警察への手配を依頼する。

 

黒崎署の警部・峰岸(金井大)以下捜査班が到着、現場検証に入る。雄太郎、悦子は自室に戻り包袋を確認すると、中にはダイヤの指輪があり、持主探しを悦子が行なうことになる。すると、持主はユリであることがわかったが、指輪がなぜ無くなったのか、誰かに盗まれたのか、悦子の問いにユリは黙りこくるばかりであった。

自室に戻った悦子は雄太郎にその旨を伝えると、雄太郎は雑誌・指紋を手渡し、懸賞募集第2席入選作の「X線の恐怖」を指摘する。その作品での現場地図が、箱崎医院そのものであったからだった。2人は、作者である笠井あきら(渚健二)が住み込みで働いている雀荘を、訪れてみることになるのだが・・・。

 

(註・エンディング表記が出演者名のみなので、配役名はwikiを参照して作成したものの、ストーリーの辻褄から推測部分も有り、その部分は下線で表示)

 

 

以上は開始約23分半ばまでをまとめたもので、その後、ユリが黙っていた理由、ちえがユリからの相談で平坂と防空壕で午後2時に会うことになっていたこと、平坂、ちえが行方不明の深夜の12時に野田が手術室からの家長の声を聞いたこと、平坂の若妻・清子(相良孝子)から聞いた夫の非道ぶり、などが明らかになっていきます。

自分は原作を未読なため、推測に過ぎないのですが、このあと開始34分ごろに起きる事件がクライマックスの場面ではないか、これは上記の(あらすじ・予告篇から)、(冒頭の青島幸男のストーリー紹介)で取り上げられていることから考えました。そして、探偵小説にいうトリックも、ここいらへんが肝という感じでしょうか。これらの謎を、シャーロック・ホームズ、ワトソンの名コンビならぬ、雄太郎、悦子の仁木兄妹が挑んでいくというものです。

 

 

全体的な感想としては、先ほど原作を未読といいましたが、原作の世界を描き切れず中途半端に終わったのでは?と感じました。つまり、ストーリーの流れがブツ切りになっており、辻褄が合わないところが目立つのです。満田かずほ監督は、場面と場面との間を画面を暗くすることで「転換」を強調するつくりを多用しています。しかし、これが多すぎるため、「とりあえずこのことは置いといて」がそのまま忘れ去られる逆効果に見えてしまいます。

要は、特捜隊でもたまにみられる、出たとこ勝負的な演出に近いものになっています。具体的には、#604 金と毒薬と 老嬢 を思い起こします。これは、脚本・小川記正、監督・天野利彦の組み合わせで、小川記正ワールドと四天王・天野利彦との相性が悪かったことでもあり、いかに小川記正ワールドが膨大なものだったかを表しています。

 

当作ではどうだったか、の答えとして、「私の中の見えない炎」というブログで

2015年12月2日更新記事「満田かずほ監督 × 江村奈美 トークショー レポート・『マイティジャック』『戦え!マイティジャック』(3)

での満田かずほ監督の発言がヒントになります。

当初は脚本を市川森一に頼むつもりだったが、書いてくれないから自身で脚本を書いたいきさつがあったようです。自ら仁木悦子に原作をもらいにいったともあります。

これらのことから、満田かずほ監督にとって原作を知りすぎてたゆえに、すべてを表現したい、そのためには「ある程度」の省略は仕方ない、という気持ちが脚本づくりに出てしまったのではないかと推察します。

しかし、放送枠は60分、実質48分にすぎませんので、原作が膨大なら、よほどのエッセンス絞りをしないとなりません。また、監督が脚本も兼ねていくなら、やはり表現する時間が実質48分というのは難しいでしょう。

 

映画では上映時間が長いため、監督兼脚本が多いようですが、多羅尾伴内 十三の魔王 で触れた、松田定次監督は自身が脚本づくりを兼ねるということはありません。

>私自身(中略)もし書いたら、マンネリになってしまうんですよ。

>自分が撮りやすいように、撮りやすいようにと、逃げてしまいますからね。

>脚本と監督は、やっぱり別物だと思います。

(「松田定次の東映時代劇」畠剛 ワイズ出版 48頁 2001年2月7日発行)

人により考えは違うでしょうが、卓見ではないかと思います。自分が監督として素晴らしいと思う人物に伊藤大輔がいますが、サイレントからトーキーへの過渡期に大スランプになりました。その脱出のきっかけが、戦後の阪東妻三郎主演の「素浪人罷り通る」(1947年)。それまでの監督、脚本兼任を、この作品では脚本を八尋不二に依頼しています。それを考えると、松田定次監督の言葉は重いものだと考えます。

 

話が脱線しすぎましたが、当作で、もし市川森一が脚本を受けていたらどうだったか、そうすれば満田かずほ監督の演出も多少変わってきたのではないかと思います。

・宮内、ちえ、ユリの人物設定が不明瞭

・宮内の左手の包帯の意味が不明瞭

・悦子、野田が平坂に会った場面が未描写

・共同洗面所での箱崎、雄太郎、悦子の会う時刻が不明瞭(朝日というより夕日)

・防空壕の壁についての描写が最後まで無い(雄太郎が指摘した部分のこと)

・雄太郎が缶を発見するのが恣意的過ぎる点

これらは、上記の開始約23分半ばまでのまとめだけでも目立つところで、これが後半になると、さらに目立つところが出てきます。そこを指摘すると完全にネタバレになるので省きますが、とにかく最後までの勢いが疑問点続出により、削がれてしまうことは避けられません。

さりとて、原作の評価の高さから、脚本が変われば一変したかもしれないので、佳作に届かないものの、リメイク期待という評価がふさわしいのではと思います。

 

さて、特捜隊での抜擢前の製作ということもあるのか、金井大、山田禅二ともインパクトのある活躍場面はありません。水木襄はシャーロック・ホームズ役のようだといえるものの、インパクトは大きくありません。むしろ、上記の脚本・演出の問題から、明晰な推理もあてずっぽうにみえてしまうこともあり、水木襄としては不満足に思ったかもしれません。

しかし、島かおりには驚きました。この人には、特捜最前線 #309 撃つ女! のイメージそのままで「鉄の女」のイメージを持っていました(1946年生まれなので37歳のときの作品)。ところが、当作では、まんまる顔で撮影当時21歳ということもあり、非常に可愛らしく描写され、水木襄演じる雄太郎に話しかけるときの声、素振りなど、他者とは違う演じ方をしており、兄妹愛を上手く具現化しています。もちろん演出アドバイスもあったのでしょうが、いわゆる昼メロ、愛の劇場に抜擢される素因がここにあったのではないかと感じました。