写真とは全然関係ない内容です。

しかも、結構独りよがりの内容です。

 

今まで出会ってきて印象に残ってる人を

忘れないように 書き留めておこうと思ったのです。

 

あしからず。

 

『スズキタカシくん。』

 

保育園の年少さんから同じ保育園、小学校、中学校に通っていた男の子。

 

年少さんの時に好きだったかは覚えてないけど、年少さんの時に

スズキユミちゃんとスズキタカシくんが、前に立って発表?か何かをしていた。

(ふたりはお家がお隣さん同士)

 

ユミちゃんがくしゃみをした。

ユミちゃんのくしゃみは、「クシュン」と可愛いくしゃみ。

 

オイラは、なんだかそれに憧れていたのかなんなのか

ユミちゃんがくしゃみをした後に 真似して

「クシュン」

とあからさまに真似した感じでくしゃみをして

「えりちゃん!!」と先生に怒られた。

という年少さんの思い出。

 

スズキタカシ君のことは、記憶がある限り、小1から小6の6年間

純粋に好きだった。

だからユミちゃんに嫉妬していたのかも。。。笑

 

小1、2、3、4まで同じクラスだった。

 

タカシ君は、背は小さいけど 可愛い顔をしていて、スポーツ刈り。

頭が良くて、気さくな性格。

リーダーに選ばれるタイプ。

 

そしてスポーツマンで足が早くて 陸上の市大会のために

いつも選抜されていた。(ちなみにオイラも)

 

小4の時かそんな頃、体育の授業でソフトボールがあった。

タカシ君とオイラは敵チーム。

タカシ君はサードを守っていた。

オイラはセカンドからサードに走る人だった。

 

この時のことはよく覚えているけど

サードのベースに向かって走らなければいけないことは知っていた。

なぜなら、ソフトボール部の幽霊部員だったから。。。

 

でもなぜか、本能的にサードのベースじゃなくて

体が意思とは関係なく 勝手に 本当に勝手に

サードを守っているタカシ君に向かって

走って行ったのである。

 

結果、ごつーーーーーーん!!!

と体当たりだよね。。。笑

 

タカシ君は激怒。

 

好きっていう気持ちはすごいわ。。。

 

ピュアなオイラは 6年間好きを貫き

中学生に。

(小学生の頃にバレンタインも渡しているはず。)

 

中学生になれば、男子が増えるし

もっと背の高いかっこいい人もよその小学校からくる。

 

そんなわけで、オイラのスズキタカシ君へのピュアな恋は終わりを告げた。

 

大人になって。。。

 

同じ最寄駅を使っているであろう。。。

 

あれが、もしかして、もしかして、もしかすると。。。

 

オイラが好きだったスズキタカシ君か? 

 

という人をよく見かけた。

 

 

そのタカシ君は、(本人でなかったら申し訳ないけれど)

 

(本人であっても申し訳ないけれど)

 

背の低い、なんだか冴えないおじさんになっていた。。。

 

 

もう二度と彼に恋心を抱くことはない。

 

 

昔のかっこよさはどこへ。

 

しかしオイラの44年間の人生の6年間

恋した初恋の男の話です。

 

 

 

 

 

 

 
3日間のホテル隔離からやっとこさ退所
 
前日にお部屋の入り口にPCR検査の唾液を入れる容器が配られていて
明日は朝起きたら何も飲まず食わずで 
唾液の採取
 

 
時差ぼけで朝の4時、5時には起きている。。。
 
さっさと唾液を採取
 
空港の唾液採取の場所は、レモンや梅干しの写真が貼ってあって
唾液が出ない人はそれを見て唾液を出す。。。という
なかなか面白い技を使っていました。
 
唾液でどこまでのことがわかるんだろうと思いながら
容器の決められた線まで唾液を入れるけど
これが結構時間がかかる
 
歳を重ねると 唾液が出づらくなるから
ご年配の方は さぞ大変だろう。。。
 
 
退所の朝食
 
3日間美味しいお弁当をありがとうございました。
 
 
PCRの結果が出るのが15時頃と言われていたので
お昼ご飯も完食
 
小さなお部屋に3日間
ろくに運動もせずにいただいたお弁当は毎回完食
間違いなく太っている
 
 
退所ということで 縞々の服で出ました。
アパホテルの社長
どうもありがとうございました。
 
PCRの結果が、14時45分頃電話で報告され(陰性)退所。
 
レンタカーを借りていたけれど
お父ちゃんがどうしても迎えに来てくれるというので
お言葉に甘えてレンタカーをキャンセルしました。
 
ヒロさん(お父ちゃん)は、本当にヒーロー!!(アレックスがそう言っていた)
本当にそうだなとオイラは思っているのであります。
 
退所の日は中国地方、大阪は大雨警報が出ていて
そんな中わざわざ迎えに来てくれたお父ちゃんに感謝感謝感謝です。
 
ということで、退所ができ実家へ戻るのでありました。
 
1週間のうちに3回のPCR検査。
全て陰性。
 
こんなに陰性が証明されているのに
地元に帰れば、また残りの11日間の自粛に加え
GPSやビデオ電話、健康チェックを毎日行い
さらにご近所さんに帰ってきたことがあまり気づかれないよう過ごすという。。。
 
まるで海外から来た人が、ウィルスのような扱いで
今日は近所のOさんがスイカとナスをお裾分けと言って持ってきてくれた時に
出会ってしまったら、まさに冗談まじりだけどそんな扱い。。。
 
いやいやいや
こちらよりそちらでしょ〜と思ってしまったよ。。。
こちらは3回もPCRして陰性で、しかもずっと家ですから。。。
 
ある意味コロナウィルス差別だわ。。。ってか感染してないしさ。。。
 
でもこれは想定内の出来事。
 
スペインと日本のこの用心深さの差
どちらがいいとかではなく(それは日々の数字に表れているので)
どちらも良いとこ悪いとこありです。
 
 
 
 
スペインは入国後、3日間隔離対象の国です。
 
ということで、関空からバスで45分くらいの新大阪駅前のアパホテルで
3日間隔離になりました。
 
ホテルに着くと人数制限をしながら 受付をしていきました。
出だしがよく一番に受付しました笑
 
書類をチェックして、説明を受けて部屋へ。
23時近くだったけど、お弁当をいただいて食べました。
 

 
初日の夕食
 
 
1日目の朝食
 
 
1日目の昼食
 
 
1日目の夕食
 
 
2日目の朝食
 
 
2日目の昼食
 
 
2日目の夕食
 
 
朝8時過ぎ
昼12時過ぎ
夜18時過ぎ
 
館内放送が入って扉を開けると⇧⇧⇧こんな感じで置いてくれてます。
 
 
アパホテルの部屋の中はこんな感じだけど
一人だから快適だけど、二人だと窮屈だよね。
 
 
日本は梅雨がまだ続いていて
ニュースもワイドショーも熱海の土砂崩れが流れています。
 
 
いよいよ明日は退所です!(退所入所という言い方がなんだか面白い)
 
3日間結構きついかと思ったけど、意外に早かった笑
そして意外に快適だった。
そしてお弁当をちゃんと支給してくれる国と働く人に
本当にありがとうございますと感謝する隔離でした。
 
さて明日はやっと退所!!
 
 
2020年3月11日以来のバルセロナのエル プラット空港。
 
2019年の年末から20年の年越しを日本で過ごし
2020年の1月末と3月のまさにロックダウンに入る直前
パリ、リール、ブリュッセルへ行ってバルセロナに戻ってきたら
明日からロックダウン。
スーパーが大混雑に。
 
あれから1年半。
 
毎年夏のバルセロナの空港は、人の大混雑でチェックインカウンターも
手荷物検査も長蛇の列で、嫌気がさすくらいなのに
流石に今年はすんなりすんなり
 
エア フランスでチェックインカウンターでは
PCR陰性証明書(現地の病院のもの)のチェック
日本のアプ日リはダウンロードしているか
質問表のQRは持っているか確認されます。
 

 
手荷物検査もすいすいといけちゃって楽ちん。
空港内のショップやカフェは
やってないところも結構ありました。
 
クロスワード買いたかったけど
お店もなく買えず。。。
 
パリ行きの飛行機は 
ほぼ満席
 
バルセロナに旅行に来ていたヨーロッパの人から
外へ出るスペイン人
そして日本へ帰るアジア人のオイラなどなど
 
パリについて乗り継ぎの際は
チケットに書いてあるゲートが変更になっていたりするので
画面をチェック!
 
 
空港の案内の人に聞いて再確認。
間違えて余計な時間を使いたくなーいので
ここはちゃんと行きたい。
 
 
パスポートコントロールは、PCR陰性証明書は必要なく
パスポートと搭乗券のみ。
 
 
結構簡単に乗り継ぎもできちゃって
なんだったんだ、あの心配な日々は。。。と思いました。
 
大阪行きの搭乗口で、PCR陰性証明書と質問表のQRを見せました。
 
 
機内は外人さんも多くて、オリンピック関係のような人もいれば
そうでなさそうな人もいて、そしてさらに海外在住組の
お母さんと子どもたちがたくさんいました。
 
オイラの隣は、ドイツ語を話すオリンピックに出そうな男性たちでした。
なんの種目かめっちゃ気になりました。
 
お酒を一切飲んでなかったから、さすがだな〜と勝手に思ってしまった。
 
関空に着陸したのが、17時55分。
ここから長い長い手続きが始まるのです。
 
 
まず、書類の確認。PCR検査や携帯アプリについての署名みたいなのをします。
書類がOKになると次へ進みます。
PCR検査(唾液)をします。
進んで、携帯アプリの確認。
ここでアプリの設定を係の人がしてくれます。
次の場所で質問表のQRを提示。
進んで、健康チェック。
検査結果を待つ。
 
 
こうゆうのを首から下げて
関所を通過していきます。
 
 
唾液でのPCR検査の番号が右下。
 
待ち時間でイライラしている人もいて、係の人に対して態度が悪かったり、
文句言ったり。。。
 
でもさ、こんなにたくさんの人が夜遅くまで
こんなコロナコロナと言われている時期に
勝手に海外から帰ってきた人たちのために動いてるって
それだけでもご苦労さまじゃないですか?
 
勝手に帰ってきて、国の税金使わせてるのに
態度の悪い乗客にめっちゃ引くわーと思いました。
 
 
ホテルに着いたのは、22時55分。
5時間後の到着でした。
 
 
ホテルは空港から45分くらいバスできた新大阪駅前のアパホテル。
 
 
お弁当もおいしいよ!
冷えたご飯やお弁当が好きなオイラは満足です!
本当に有難い有難いと声に出していただいております。
 
ということで、無事に空港脱出できたのでした。
 
 
コロナ禍での一時帰国前の準備編 (記録として残しておきます)
 
※領事館や大使館のHPから、一時帰国のトピックがあるので
そこから情報、書類が取れるのでチェックです!
(厚生労働省のHPにジャンプします)
 
※外務省からのメールで、水際対策措置のメールがよく届くので
内容をよく読むべしです。
 
オイラはほぼスルーしてたけど、出発前はちゃんと読んでみた。
そしたら結構措置内容の変更とかあって、直前ではイタリアからの入国の人は
ホテルの3日間の隔離は解除されたとか。
 
レンタカーとかWi-Fiのルーターを3日間隔離を計算してレンタルしてたら
日にち変更しなきゃだしね〜。
 
なので情報は常にチェック!!
 
この記録も来月になったら内容変更で
微妙に変わってくると思うけど。
 
一番心配だったのは、スペインでのPCR検査。
日本指定のPCR検査の陰性証明書に、必要事項とお医者さんのサインが必要で、
日本指定の証明書に書いてくれる病院と書いてくれない病院があるので、
事前に電話などで確認!
不備があると日本に入国できないそうです。
 
 
オイラは、在バルセロナ領事館のHPに書かれている病院や
他の病院のHPを検索して、できれば近くが良いからと思って
近所の病院へ電話をしたら、
全然電話に出ない(スペインあるある。非常にあるある)。。。から
直接聞きに行きました。
 
そしたらあんなに大きい病院なのに、書けないらしく断念。
そして領事館の情報にあった病院に確認して、
さらに領事館にも再確認をして
CENTRE MEDIC TRAVESSERA
という病院にしました。
 
連日いろんな病院前では、検査やワクチン接種の長蛇の列ができているから
病院が開く前から並びやした。
それでも1時間待ったけど。。。
 
 
PCRの陰性証明は、日本指定は旅券番号(パスポートナンバー)を記入するので
病院の受付でIDのコピーを取られる際に、パスポートで証明書を作って欲しいと言った方がいいかも。
ということでパスポートも持参で検査へ行かれることがお勧め。
 
そして検査結果は、メールで送られてきやす。
オイラは24時間で結果を出してもらったので、緊急料金がかかったよ。
出発72時間以内前の証明書が必要だったので、本当は三日前でよかったのかもだけど、オイラは出発の2日前に検査を受けに行きやした。
 
費用は、115€ プラス 緊急料金 10€
 
で、日本指定の陰性証明に記入してもらわなきゃいけないので
メールできた病院の証明書を持って、再度病院へ行きました。
(証明書に書いてもらうだけなので、並ぶ必要はなし)
 
現地のPCR陰性証明書と日本指定の陰性証明書の二つをまずゲット!
 
そしていろんなアプリをダウンロード!
 

 

3つは日本で必要なもの。(自粛期間中14日間)

一番右は、スペインに帰ってくるときに必要なもの。(spain travel health)

 

左3つの設定は日本について空港で係の人がサポートしてくれるので、

特に何もせずにダウンロードだけしていきます。

 

 

質問表のQRコードを出発当日に読み取って、質問に答える

QRコードが送られてきます。

それをスクショにして見せれるように準備

 

上の日本のアプリも質問表のQRも厚生労働省のHPから取れます。

 

そして誓約書。

これも厚生労働省のHPから印刷し、記入して持っていきます。

持っていない人は空港で、用紙を渡されて記入。

 

 
準備は前もってできるだけの事をした方が、到着してからすんなり行けやす。
 
そしてバルセロナへ戻る際、パリ経由なので
フランスのHPから、フランスに入る誓約書を印刷して準備。
 
 
経由する国によって違うので、経由する国のHPや大使館、領事館をチェック!
 
フランスは、ワクチン接種した人はPCRの陰性証明は必要ないけれど
接種してない人はPCRの陰性証明書が必要です。(今の時点)
 
これもまたバルセロナへ帰国する頃には変わっているかもなので、
直前になったら、情報収集をまた始めるつもりっす。
 
事前準備は
・PCR陰性証明書 (現地版と日本版)
・日本入国時の誓約書
・自粛期間中のアプリのダウンロード
・出発時の質問表に回答して送られてきたQR
・スペインへ戻ってくるときに必要なアプリのダウンロード
・経由国で必要と思われる書類
・日本到着後の帰宅手段の確保(レンタカーとか)
 
あと、スペインからの入国者は3日間所定の場所で隔離されるので
食べ物とか飲みのも(お酒はダメよ!)(お土産用は大丈夫)
などなど、3日間飽きないものを持っていくと良いかも。
 
オイラはお土産で買ってきたお菓子を食べちゃった。
 
準備期間中が一番ストレスが大きかった〜!
でも出発2、3日前から、そのストレスも薄れていったのでした。
 
 

 
2021年夏に一時帰国するために買ったチケットは
ルフトハンザ
 
なぜかというと 
①中部国際空港発着
②乗り換え1回
③飛行時間短い
 
以上!!
 
だからルフトハンザを買ったんだぞ!
 
6月2日から中部国際空港に飛ぶようになるっていうからさ
 
買ったんだぞ!
 
絶対に2回乗り継ぎもやだし
絶対に飛行時間長いのもやだし
できれば中部国際空港が良いからさ
 
買ったんだぞ!
 
なのにさ
 
あーた・・・
 
 
変更の連絡が来たよ!
 
1回目は、出発時間が2時間早くなっただけ
 
まあまあまあ・・・そりゃ、良いよ・・・オッケおっけ
いいよいいよ
全然大丈夫
 
 
2回目の変更の連絡が来ちゃったよね
 
バルセロナ⇨フランクフルト⇨東京!!
中部国際⇨東京⇨フランクフルト⇨バルセロナ!!!
 
一番買いたくなかったチケットの内容やーーーーん!!
 
なんちゅー変更内容ですかい!!
 
コロナが悪いのはわかってる
うんうん
コロナが悪いのは本当によくわかってる
な!
 
わかってるけど
腹たつわー笑
 
一番買いたくなくて避けたチケットに変更って・・・
さらに料金も変わらずなんで東京に降りないかんのだっていう・・・
 
全く東京なんて行きたくないわという怒りが込み上げてくる
東京の人にはごめんですが
(だって自粛中2週間東京に滞在せないかんのですよ?愛知県から迎えが来んかぎり)
(考えただけでも腹が立ってくるわ)
 
最近この一時帰国の書類などの面倒くささに
まじポンムカつき始めていて
言葉に棘がチクチク
 
こんなに苛立つ一時帰国初めてだ
 
そんならしなけりゃ良いやん?
だよね?でもさ
 
しなくて良いならしないけど
大事な大事な両親が待ってるんでね・・・
 
最低限に?イライラしながら2021年の一時帰国の準備をしております
 
 
で 結局 東京なんてまじポン遠すぎる・・・
ということで ルフトハンザをキャンセルして
KLMオランダ航空にチケットを買い直したよ
 
関空着だけど 関空のがまだ近いしさ
ね!
 
早速トヨタレンタカーを乗り捨てで借りたよ
 
高速道路を走れないオイラは
下道で倍の時間かけて帰るわさあ
 
いやあ、本当に今年は帰るもんじゃないね笑笑
 
 
 
 

 
最後のブログから2年4ヶ月が経ち
久しぶりでアメブロの使い方がわからないよお
 
誰も見ていないというていで書こうかな
気楽にね
 
と言いながら きっと数ヶ月後には
知らない誰かを意識した書き方になってるとかありそうだわあ
 
はあ、やだやだ
そんな自分
 
今日書いた理由
もうすぐ一時帰国するから
記録として書いておこうと思って。。。
 
noteもアカウント作ったけど 昔からのブログが残ってるこっちに
こんなとこ書いたり まだ一回も書いた事ないnoteは いつか趣味のことを書くためにとか
 
まあ
 
お気楽に やっていこう
 
 
とりあえずは
こんな2021年に一時帰国なんておすすめじゃないのにね
 
帰る自分の記録を書こうかな
 
そしてそれがたまたま見た人の、誰かの役に立てば
そりゃ良いなと思うな
 
 
2021年7月 スペイン バルセロナから日本へ一時帰国
写真の説明なしに 全く関係ない内容書いちゃうし
 
記録として 
2年4ヶ月の出来事も書いていこうかな
 
でも残したところで。。。
というふうにも思うよね
 
 
相変わらず仲良しなゴメスたち
2月初めに ビルバオへ行ってきた。
ビルバオは去年の夏に行ったけど
ちゃんと街を散策したのは今回が初めてのおいら。
 
サンセバスチャンの友だちにも会えて とっても嬉しい初日!
 

 

ビルバオは バルセロナとは全く違う街並みで面白かった。

 
 
建物の高さがバルセロナより高いのか
それともバルセロナより道が狭いのか
バルセロナの方が 空が広く感じやした。
 
落書きの少なさったら。。。
バルセロナやカタルーニャの落書きの多さは
本当に落書きする奴らの神経というか 価値観を疑う。
 
落書きが少ないから 街が綺麗に見えた。
 
そして住んでる人も 心なしかお上品に見えたのです。
何だろう。。。
バルセロナのおばあちゃまやおじいちゃまも
おしゃれで素敵な人も多いのに
ビルバオには バルセロナにいる ヒッピーのような人があまりいなくて
若者も綺麗な格好をしている。
 
 
川沿いにある市場のお魚屋さんに 日本人の撮影クルーが
ビルバオのシェフを撮影していた。
 
この景色も 綺麗。
 
 
ビルバオのカテドラル(大聖堂)
大聖堂は バルセロナのが凄いけど
旧市街も 街並みが可愛くて 特に窓枠なんかが
可愛かった。
 
旧市街もバルセロナとは違って 建物に色があった。
 
 
広場のバルへ。
 
 
可愛い内装。
 
 
駅の装飾も可愛い。
 
 
グッゲンハイムの横に立つ橋。
 
 
今回は美術館へは入らず。
外からでも十分楽しめるグッゲンハイム。
 
 
 
ここの老舗の帽子屋さんは 今年初めに石川さとみがきて
今や日本人のお客さんがたくさん来るお店。
オイラは二日連続で行ってしまったのでお店の人に
石川さとみと撮った写真を見せてもらった。
2日間 本当にここでたくさんの日本人の方に会った。
 
オイラもここで帽子を買った。
頭が大きいので サイズを測ってもらって 帽子をアイロンで広げてもらった。。。
 
帽子を買ってお店を出たら あるスペイン人のご年配のご夫婦がオイラに話しかけてくれて
「ここで帽子買ったの? ここは世界一いい帽子屋よ! 私の父は90歳ちょっとになるけど、彼の人生ずっと、ここでベレー(チャペラ)を買い続けてるのよ!  良い旅をね!!」
とお父様のお話になった時にはウルウルしながら話してくれた。
 
オイラは こうゆう知らない人とのコミュニケーションが好きだ。
こころがあったまる。
 
お店の人も お店の歴史を話してくれて
買った帽子を大切に使おうと思った。
 
 
旧市街はこんな風にカラフル。
 
 
ビスカヤ橋。
世界遺産。
世界で最も古い運搬用の橋。
エッフェル塔のエッフェルさんの弟子の作品。
 
 
橋の上を一人で歩いたけど
寒いし一人で寂しいし
この人形見たときは ギョッとした。
 
 
ワインの貯蔵庫を図書館やプールにしてしまった斬新さ。
そかもしたから持ち上げてる。
 
ビルバオは バスク語を話す。
とても綺麗な街で お上品にさえ感じた。
サンセバスチャンともまた違った 雰囲気の街に
とても感銘を受けた。
 
でもバルセロナへ戻ってきた時には
バルセロナの温かい太陽と青空に
そして空の広さに そしていつもの感じに安心したのでした。
1月17日 阪神大震災のあった日
うちの陽子ちゃん(母)のお誕生日
 
阪神大震災のあった早朝は よく覚えているけれど
朝寝ていたら突然大きく揺れて ベッドに両手でしがみついた
あまりにもの揺れにびっくりしている自分の顔が今でも覚えている
 
新潟の中越地震の時は デパートの1階にあるお化粧品売り場で働いていて
夕方に大きく揺れたので デパートが崩れるんじゃないかって
カウンターにしがみついたのを覚えている
 
さらに東北の震災も
保健所で働いていて 昼間 事務所が大きく揺れた
当時打ち込み作業をパソコンでしていて 座ってパソコンの単純作業をすると
寝てしまうオイラは 一日中立ってパソコンを打っていたのだが
揺れたので座った記憶がある
 
熊本地震の時は ちょうど日本にアレやんと一時帰国して
実家についてトイレにいたら 大きく揺れて アレやんのアイフォンが
地震速報で鳴り出して アレやんが驚いていたのを覚えている
この時は トイレで用をたしながら どうなっちゃうの〜?と
あたふたしたのを覚えている
 
どの震災の時も テレビで見る映像は悲しくて 見ているだけで胸が痛くて
涙が溢れて来る。。。今もスペインで時々日本の地震を取り上げた番組を見ると
たまらなく胸が痛く 涙が溢れて来る。。。
 
。。。。っと、全く話がずれてしまったけれど
昨日は陽子ちゃんのお誕生日で ラインのビデオ電話?で話した
 

 
去年 突然の病気で緊急手術をした陽子ちゃん
まさかのまさかだったね
 
仕事中にお父ちゃんからの電話
仕事中だったから平然を装うも 気持ちは落ちつかづ
仕事が終わって お父ちゃんに電話したら
泣けて来たね お父ちゃん
グランビアで声が出ちゃったけど 泣いたっけ
 
 
お母ちゃんに付き添ってくれてたお父ちゃん
オイラよりもきっと気持ちがずっと辛かったと思うよね
 
オイラは41年間の人生で 一番辛くて悲しかったなぁ
大切な人を失うかもしれないと感じた時
胸と喉が締めつけられるあの感じ
 
 
でも陽子ちゃんは 自分で気付いて救急車呼んだから
すぐに手術できてよかったね
 
数日後にオイラが日本へ帰った時
陽子ちゃんの姿に オイラはとってもショックだったよ
 
だけど陽子ちゃんが生きててくれて本当によかったよ
陽子ちゃんは オイラの大事なお母ちゃんだからね
 
 
病気前のようには 喋れないし動けれないけれど
入院中よりさ 10月よりもさ 随分話しもスムーズにできるようになったし
動けるようになったよね
 
 
あの時からずううううっと お父ちゃんがお母ちゃんを支えてくれて
あくびと家を見続けてくれて
本当に急に状況が変わって 本当に大変でさ
寝れなかったり 痩せちゃったり
お父ちゃん ホントありがとね
 
オイラが近くに住んでたら もっと力になれたのにって
こうゆう時 海外に住むことを選択した自分を 悔やむよね
 
 
71歳になったお母ちゃん
まだまだ若いし 回復の余地はいっぱいあるよ
なんでもリハビリと思って 頑張ってね
 
なんでも頑張ってコツコツ続けていれば 今日できなかったことが
明日は少し 明後日はもう少し できるようになっていくからね
 
今が頑張り時だね
 
気持ちが暗くなったら 大好きな歌を口ずさんで
太陽の光を浴びてね
 
太陽の子 陽子ちゃんだもんね
 
今度日本へ帰った時 
ニュー陽子ちゃんに会えるのがとても楽しみです
 
 
お母ちゃん 71歳おめでとう
これからも頑張って長生きしてね
 
お父ちゃん 本当にありがとね
無理しないように
息抜きしながらね
 
お兄ちゃんたちにも 感謝してるよ
 
スペインのアレックスも カティもGoyoもイヴァンも アレックスの友達も
オイラの友だちも たくさんのみんながお母ちゃんとお父ちゃんのこと
思ってるからね
 
来月はお父ちゃんのお誕生日だね
 
 
2019年 三匹の豚たち(チーム名)と一匹の新年会を我が家で開催。
 
オイラは本当にバルセロナに友達が少ないのだが
この二匹の豚さんたちは 心の友となっていつもオイラを励ましてくれるのである
 
さらにこの二匹の豚さんたちは アレやんのことも大切にしてくれて
時々アレやん加えてご飯を食べに行ったりもする
 
去年ゴメスたちはたこ焼きの鉄板を買ったと
豚さんの一人が獺祭を飲ませてくれるとのことで
たこ焼き獺祭祭りを開催!
 

 

前に作った冷凍餃子、唐揚げ、大根サラダ、ラディッシュの浅漬け、モルシージャ、チチャロネス、オリーブから始まり

坦々鍋と白米、そしてたこ焼き

 
 
たこ焼きレシピは 木村家伝授のレシピ
これがまた好評です
 
 
餃子を包むのも、たこ焼きをクルクルするのも、好きなアレやん
 
 
13時30分集合(実際には12時30分くらい)から0時まで約11時間以上
新年会 とっても楽しく ズーーーーーーっと食べて呑んで語り合って過ごしたのでありました。。。。
 
 
そして同じ週に 年末年始に日本へ旅行へ行ってた友人夫婦に招かれたゴメスたち
 
 
天気が良くてテラスで食事
 
 
前菜に食べたトマトとモッツァレラや、オリーブ、セビーチェもとっても美味しくて
レシピが欲しい。。。
 
 
これまたお肉もお芋もマジポン美味しい
レシピ欲しい。。。
 
 
アレやんがデザートを買っていこうということで デザートを持参
 
日本に旅行をして とっても良かった!!好きになった!!また行きたい!!って言ってくれると
ああ、、、嬉しいなああああ。。。と思うのである。。。
 
日本人は親切だとみんな言うけど
スペイン人だって親切じゃんと思う
 
日本の料理も日本の文化も建物もすごくいいと言うけど
君たちのスペインの料理も文化も建物も本当に素晴らしいよって思うのである
 
いい所ばかりではないに決まってるけど
お互いの国を お互いの国の人が 恋い焦がれて行き来するって嬉しいな
 
お互いに自分の国の良いところを守り続けていけたら良いのにな。。。
時代が変われば人もかわる? むづかしくなって来るのかなあ。。。