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第2章、第5節 (2) は、4月27日に投稿します。
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(第一章の最初から読む )
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第2章 「ヨーロッパ1655 」
5. ドミニコ会修道士フェルナンド
星を見る修道士、ダミアーノ士を再び訪ねることができたのは、早春のよ
く晴れた日のことでした。 部屋をノックすると「お入り」 という懐かしい声
がします。 百年一日が如く、大きな望遠鏡が中心に位置する部屋の片隅で、
ダミアーノ士は本に目を通していました。
「これはこれはフェルナンド士、――この僧院にも漸く春が訪れたようです
な」
「もっと早く訪ねてきたかったのですが、暫くローマを離れることができま
せんでした。 あちらの温暖な気候に慣れてしまうと、ピエモンテ州の寒さは、
私のような老人には、どうにも体に堪えまして……。
ところで、いかがですか、少し散歩でも。 外はまだ寒いですが、よく晴れ
たいい一日ですよ」
「そのようですね。 喜んでお供しますよ」
まるで決まり事のようになってしまった遣り取りに、少し可笑しさを覚え
ながらも、ローマでの複雑な人間模様の中で右往左往していた私にとって、
それは得難い安らぎの言葉でした。
僧門をくぐり、林の中へと続く小道に出た所で、最初に口を開いたのはダ
ミアーノ士でした。
「いかがですか、ローマの方は。 まだコンクラーヴェは終わりそうもありま
せんか? 先の教皇インノケンティウス10世が亡くなってから、もう三か月
が過ぎようとしていますが」
「残念ながら、終わりの見えない状態が続いています。 スペインが推す教皇
はフランスが反対し、フランスが推す教皇はスペインが反対します。 例えそ
れがいかなる人物であれ、敵が得をしそうな人物は、お互い何がなんでも反
対なのです。 まるで親の死に目に相続争いを繰り広げる兄弟のようです。 い
や、この場合は、死肉を奪い合う獣のようだと言うべきでしょうか」
「そうですか……」 ダミアーノ士は表情に懸念の色を浮かべて頷きました。
「しかし、時代は変わりつつあります。 今や世界がカトリック教会を中心に
まとまっていた時代は終わってしまいました。 この上、教皇不在があまり長
引くようでは、それでなくとも危うい均衡を保っているヨーロッパなのに、
いつまたその均衡が崩れてもおかしくないではありませんか」
「その通りです、ダミアーノ士。 既にサヴォイア公国とミラノ公国の国境で
はフランス軍とスペイン軍が再び衝突しようとしています。 しかし、もしか
したら、もっと重大な火種は、ここピエモンテ州の中にあるのかもしれません」
「と、言いますと?」
「サヴォイア公、というよりも、この場合は母君のクリスティーヌ・マリー
様ということになるのかもしれませんが、この不安定な情勢を利用して、先
んじて手を打とうとしているように思われるからです」
「それはつまり――」
「そうです、ピエモンテの異端の掃討です。 ここに異端がいることから、そ
れを口実にフランスやスペインが介入してくることを恐れているのです。 そ
うなればミラノ公国のように、サヴォイア公国が独立を失うことになるかも
しれません。 確かに、それは一見もっともな論理ですが、これもまた口実に
過ぎないように思えます。 クリスティーヌ様は、清教徒革命で妹君の英国王
妃アンリエッタ様が国を追われたことに、非常に腹を立てています。 プロテ
スタントたちが自分たちの祖と仰ぐヴァルド派が、この公国に存在している
のが我慢がならないのです。 どこかで報復を考えていたとしても不思議では
ありません。
しかも、非常に悪い偶然が重なりました。 それを実行しようとする人物が
現れたのです。 ピアネッツァ侯爵です。 ご存知のこととは思いますが、先だ
って神の御許に召された侯爵夫人は、異端を改宗させることに、その生涯の
総てを捧げました。 しかし、その情熱も虚しく、ヴァルド派の固い信仰の前
に大した成果を上げることができないまま、息をお引き取りになられました。
しかし、死さえも、侯爵夫人の決意を揺るがすことはできなかったようで
す。 夫人は莫大な遺産を残していますが、その遺産をピアネッツァ侯爵に譲
る上で一つの条件を付けたのです。 それがヴァルド派の撲滅でした。 ピアネ
ッツァ侯爵は、そもそも大して信心深い人物とも思えませんが、その遺産を
我が物にするためなら、どんなことでもすることでしょう。 ――神の名を唱
えながら」
「キリスト教徒の寛容の心はどこに行ってしまったのでしょうか」 ダミアー
ノ士は深い溜息を吐きました。 「今更、十字軍でもありますまい……、しか
も、相手はローマ教会に破門されたとはいっても、同じキリスト教徒ではあ
りませんか。 そんなことをすればプロテスタントも黙ってはいないでしょう。
報復に次ぐ報復、憎しみに次ぐ憎しみ、どこまで行っても果てることはあり
ません。 教えてください。 我々は三十年続いた先の大戦争を再び繰り返すほ
どに愚かなのでしょうか」