ズーカーマンの「差別」発言に思うこと【音楽家からの視点】 | 保坂修平のピアノ音楽

保坂修平のピアノ音楽

東京藝術大学楽理科卒業。ジャズピアニスト、作曲家。



ピンカス・ズーカーマンの発言が波紋を呼んでいるらしい。


マスタークラスのレッスンにおいて日本人や韓国人の音楽家が「歌わない」という趣旨の発言をしたそうだ。


ニューヨーク・タイムズが批判し、ズーカーマンは謝罪したそうだ。


そしてものすごい勢いでインターネットに関連記事が出てきた。


今日はこの件について僕の思ったことを書いてみたい。



クラシック音楽において「歌う」ということ、質の高いカンタービレでメロディを奏でること。これは歌手はもちろん、弦楽器、管楽器、ピアノ全ての楽器において「もっとも大切なこと」と言っていい。


だからこの点で注意を受けるとすれば、それはとてもキツイ一言である。


比較して考えれば、ジャズにおいてもっとも大切なこと、「スウィングする」こと。


例えば、高名なジャズミュージシャンのマスタークラスで、日本人や韓国人の生徒が「君たちの国はスウィングを知らない」と怒られるようなものだ。


ただ、音楽家の端くれである僕が想像するに、マスタークラスの場で、一流の音楽家からこの言葉をかけられたことにそれほど落胆することはない。


例えば、バリー・ハリスのレッスンを受けたとして、「お前、全然スウィングしてないな」と注意されたとして、それに怒る感情は湧かない。自分の至らなさを痛感するだけだ。ただ「頑張ろう」と思う。「日本人はスウィングしない」と言われても、僕は同じ気持ちだ。しかしこの発言が「外に出たら」まずいかも知れないなとは感じる。


「普通のプロのレベル」というものを考えれば、アメリカのアマチュアより、日本や韓国の一定レベル以上のプロのジャズ・ミュージシャンの方がスウィングしているだろう。マイルスが言っていたように「黒人が皆リズムがいいわけではない」。そう、素晴らしいジャズ・ミュージシャンはどの国にもたくさんいるのである。


しかし「レジェンドのレベル」で考えれば、カウント・ベイシー楽団や、バド・パウエルやオスカー・ピーターソンのようにスウィングする日本人はいない。と僕は思ってるし、ジャズ・ファンも大方そう思っているし、それでいいのだと思う。文化には「オーセンティシティー」の要素があり、それは歴史的、人種的な要素、文化構成員の同意、「共通の大きな物語」のようなものがあり、その中で色々回っている。


このことは、日本の素晴らしいジャズ文化の否定でもなんでもない。「本場」があり「本物」があることと、世界の多様性の素晴らしさは共存する価値観である。


「スウィング」は全てのジャズ・ミュージシャンの究極の目的だから、誰しもがそこに向けて努力して、憧れるゴールのようなものだ。


現実には「スウィングしてる、してない」のイチかゼロではなく、無限のグラデーションがあり、「あいつはスウィングしてる、してない」の激論があったりする。そんな中、「聖人」のような位置に到達した幾人かのレジェンド達がいて、彼らはいわば「スウィングの殿堂入り」の人たちだ。彼らに比べて「スウィングしていな」ことは、「普通のプロのレベル」の人間にとって、とりたてて異議申し立てせずに受け入れられる現実なのである。


(その上で、個人的に、悲痛な思いをかかえたり、その結果病んでしまうことはあるかも知れない)


しかし、そういう、「レジェンドのレベル」が燦然と高みに輝いていること。これ自体素晴らしいことなのである。世界遺産である。


ズーカーマンの発言に戻って、彼のようなクラシック界の「レジェンド」に「歌ってない」と言われることは、人種、国家関係なく、まして学生であれば、「やっぱり、俺歌ってないか〜、明日からまた練習だ」くらいのもんである。


しかし、「韓国人や日本人」のくだりに問題があったのは事実である。ポリティカル・コレクトネスの時代だからである。


今は、言ってはいけない時代なのである。

(ホロヴィッツは「東洋人と女性にピアノは弾けない」と言ったらしい)


最近のアメリカで東洋人が暴力を受ける事件が多発していること。これは絶対にあってはいけないことだ。こういう事件を根絶せねばと思う。その原因にアメリカ人の人種差別があることは明白だ。白人や黒人の黄色人種に対する差別意識である。


しかし、ズーカーマンの発言を諌めることが、その解決になるかどうかという点については、そう簡単なものではない、と思う。


文化芸術の世界にあって、人種や国家の違い、芸術としての大成度の違い、「本場」という概念が存在することは確かである。そしてズーカーマンの発言は、99パーセント彼の本音だろう。そして彼が超一流の音楽家であることも事実。そんな「超一流」の本音に対して、世界はどう向き合えばいいのだろう。僕は、別に、その本音についてまったく怒りの感情はない。おそらく、ほとんどの音楽家、音楽愛好家もそうではないだろうか?


だとすると、問題は「言い方」である。

思っていても、公の場で口にしてはいけない。

私的な場であれば、「スッパ抜かれては」いけない、ということである。


しかし、この結論もなんだかなぁ

である。


もしズーカーマンが

「イタリアのヴァイオリン奏者は歌うことをしっている。彼らのDNAには歌がある」

という「プラス」の表現だったら、なんの問題もない。ことになる。


おんなじなのにね。ズーカーマンの本音は。


一口に人種差別と言っても。


昨今のアメリカの暴力事件。

過去のアメリカの苛烈な黒人差別。

ナチスの優生思想。

ヨーロッパ全土を覆ったユダヤ人迫害。

中国のチベット、ウイグル問題。


こういうのは、本当に、皆意識を高く持って考えたり、解決を目指すべき事柄だ。


それと、今回のズーカーマンの発言は、まったく別物ではないにしても、同じ重さの事柄ではない、と僕は言いたい。


ズーカーマンをボコボコにすることは、95パーセントくらい単なるリンチ、あるいはPV稼ぎのバリューあるネタである。


ただ、ポリティカル・コレクトネスの時代。

発言には注意しよう。


でも、もっとも大切なのは、本当に酷い現実を変えていく、実効性のある一歩一歩ではないだろうか?


勉強不足の僕は、なにがその実効性の一歩か、きちんと書けないが、ひとつは歴史を学ぶこと、そして人間が本質的に「差別的感情」を持ちうるということを認めること、自分が差別の当事者にならないように注意深く生きること。これくらいは心がけたい。


ズーカーマンに関しては「先生、私が歌わないのは事実ですが、その言い方は、今はヤバいです」と生徒や同僚が注意すればいいのではないか?


世界からボコボコにされるようなことではない。


もっと、もっと、知らなくてはいけないこと、広げなくてはいけないことがたくさんあるだろ?





最後までありがとう。

 

■ピアニスト/作曲家 保坂修平

♪ → 保坂修平のプロフィール

♪ → Youtubeチャンネル

♪ → 保坂修平のCD作品はこちら!

♪ →   ピアノ・レパートリー

♪ →  「歌伴」のコツ、イントロ出し、終われるエンディングなど、30記事リンク

 

■ライブ情報↓↓

保坂修平 LIVE summer 2021【詳細】

 

■普段どこで弾いているの?

ここで弾いています【7月】

 

 

 

 

■ほぼ毎日ツイキャスでピアノ弾いておしゃべり。【無料配信】楽しいからぜひのぞいてね!!↓

https://twitcasting.tv/shuhei_piano

 

 

 

■保坂修平の新しいCDです【要チェック!】↓↓

ニューアルバム Social Distance 発売中!