絵本深読み勉強会タキタキ第15回ご報告 | Show space

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絵本作家しょうみのりのブログです。

9月の絵本深読み会が終了致しました。

発表者は私しょう みのり。

 

深読みした本はこちら

「みんな くるくる よってくる」

絵:はたこうしろう

文:おのりえん

 

現在は販売終了となっている

「おかしきさんちシリーズ」の4冊目、最後の絵本です。

 

この絵本、こんなに意見がバラバラになることあるの?!

というぐらい皆の感想がそれぞれでした。

一つの方向に絞れない絵本という意味では、今まで読んできた、どの絵本とも違っていました。

 

シリーズものだとは知っていましたが、私はあえて単品で読んでみることに挑戦。1冊としても成り立っているため、以前の話を知らない状態ではどんな感想になるのか?それから以前のシリーズを読んだなら、持つ感想は変わるのか?

そのあたりも検証してみたいと思いました。

 

選書の理由は

「絵が雑に見えて人気のある絵本作家を探す」でした。

というのも、タキタキグループ内では

「キッチリ、カッチリ描きたい。こだわって塗り重ねる、時間をかけて描いてしまう」という人も居れば、「シャシャっと手早く描く」という人も居るからです。

 

私は水墨画をしていた関係で、シャっと描く芸術というものをやっていたし、連載漫画家を目指して描いていた経緯があって、「描き続けられる絵でなければ意味がない」と思っています。

『ベルセルク』というやたら手の込んだ漫画を描く漫画家さんが居たのですが、連載途中で作者が急死してしまいました。

人気がありましたが、永遠の未完作品となってしまいました。

 

連載し続けることのできる絵ではなかった。

クオリティを落とせなかった。かわりに命を落とした。

そうも感じてしまいます。

 

急死される直前に兄と交わした会話があります。

兄「某ドラマ化された漫画家はいつ絵が上手くなるんだ?!」

(何年もの間シリーズを通して絵がヘタウマ)

私「いいか?漫画って言うのはな、絵が上手けりゃ良いってもんじゃない。連載をやり切ることこそが大事なんだ。いくら絵が上手くたって楽しみに待つ読者の期待に応えることができなけりゃ、そんなのはなんの意味もない。ただのエゴだ。捨てちまえそんなプライドは。お前は漫画家になりたいのか?!芸術家として技術を褒められたいのか?!なんなんだ!覚悟を決めろ!」

……阿部寛さんの演技を憑依させて。

 

かような演説で兄は説得されてましたけど。

 

まさか、こんな会話のあとに素晴らしい業績を残し、漫画のクオリティを爆上げした偉大な先生が亡くなるとは思ってませんでしたけど。

ずっと次巻を待っていたのに逝っちゃうなんて酷いよ先生。

(楽しませて頂き、ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします)

 

 

話が逸れすぎましたけど、「雑に見える絵」って別に「下手」そのものではないし「好きか嫌いか」とは別問題です。

 

はたこうしろう先生は常に案件を抱えている人気作家さん。沢山の依頼を熟し、棚に絵本を並べ続けられる胆力をお持ちです。

先生の絵は子供たちに愛されていると私は思います。

 

 

(↑こちらはカッチリ、しっかり描かれている絵本でグループ内でも高評価でした)

 

自分の絵はどうあるべきか?

それを探る一冊にもなればいいと思いつつ発表に挑みました。

 

はたこうしろう先生は、兵庫の生まれで私と同郷です。

幼少期は自然豊かな環境で育ったとのこと。虫取りが趣味。

兄の影響を受けて絵を描き始め、文具デザイナーとなりました。

当初はイラストレーターを目指したものの、「何を描いたらいいのかわからない」状態だったそう。

何がカッコイイのかもわからないし、絵が浮かばない。

 

ところが、たまたま絵本の依頼を受けたとき、「これなら描ける!何を描いたらいいのかわかる!」と気持ちが上向きに感じたそうです。

 

先生の奥様はこれまた絵本作家のおーなり由子さん(元漫画家)。

奥様が漫画連載をするのを見て、意見を求められる中で、「人に物語を伝えるための構成や絵」を学ばれたとのことです。

 

 

『なつのいちにち』は先生の代表作品ですが、タイトルは奥様が決めたとのこと。

何を伝えている作品なのか、それに相応しいタイトルが何かを由子先生はわかってらしたのでしょうね。

 

さて話は戻って肝心の研究発表なのですが、私の感想は「成功のパターンがそれぞれの作家にあるな」というものです。

 

はた先生の絵本は文章の先生とタッグを組んでするものが多く、そのぶん毎年のように出ていて沢山あるのですが、同時に棚から消えて残らないものが大半です。

 

なかでも息の長い作品がどういったものなのかを分析すると、持ち味が見えてきます。空気間の伝え方、空間の使い方、感情を絵に載せる分、文字数が少ない作品。

こういうものが愛されているように思いました。

 

逆に今回読んだ絵本については、

「場面がゴチャゴチャしすぎで読みづらい。キャラクターの書き分けが出来てないから、シリーズ途中から読んだのもあるのか、誰が誰なのか、誰にフォーカスしたらいいのか混乱する」といった、負の面が見受けられました。

 

全体評価は「絵本として読みづらい」でした。

文章が絵本のために作られていない。と感じました。

というのも文の作り方や長さが、ページや絵の切れ目に来てなくて、15Pの絵本として割り振られていないのです。

結構がんばって読まないと、読めない絵本。という印象です。

 

面白かったのは

・次々と猫が来てバタバタが重なるところ。

・主役の良さが語られるシーン。理屈の通らない子供の説得力。

・大人が子供の破たんした理論と感情を“責任を持って”受け止めるところ。「そこが彼の良いところよね」と認めてあげられるところ。キャラクターの良さ。

・のんびりゆったり、日々の緊張を和らげてくれるような、メリハリの良さで終わるところ。のんびりで良いんだよと、あるがまま受け止められる安心感がある。

・「なんとかしたいこと」ってあるよなあ。きっと子供の頃にそんな経験を皆しているということ。

 

さて、気になったのは、この絵本を「否定的」と受け取るメンバーが居たことです。

 

「のんびりなところが良い」と伝えたことでかえって、自分の価値観を揺るがされているような、脅威に感じる人が居たこと。

 

誰かの良さを肯定したところで、それが他の人の良さを否定することには本来は繋がらないのですが、そう感じてしまったのでしょうか?(確認が取れてない)

読んでいい気分がしないっていうんですね。

 

「でも」「だって」という文章が多いから否定的に感じるという方もいらっしゃいました。

 

「皆が喜ぶものや、確固たる信念を描かないと名のある作家になれないのか?だとしたら私には無理かも」

という意見も出てしまいました。

 

これは私が絵本教室に通っていた時に疑問に思ったのと同じかもしれませんね。

その時は「自分の好きを極めろ」という先生の言葉に「好きなものと聞かれても、この世にそんなもの無いし(猫と音楽ぐらい)、気持ち悪いものを描いてしまうのはダメなのか?」という気分でした。

 

先生は「別にそういうの描いてもいいよ。僕はやらないけど」と言ってたので、解決策はないんですけど(笑)

 

ただ、その後わたしは一番好きな「猫」を描いて絵本を出しました。

 

 

スキこそものの上手なれ。

好きなものの知識って当人にとっては「当たり前」だけど、意外に他の人には新しい発見だったり、不思議な体験だったりするんですよね。

 

世の中には猫嫌いな人も居ますから、そういう人が手に取る確率ってそう多くないかもしれません。

だから、この絵本は別に「みんなが喜ぶ絵本」ではないと思います。

 

“それを描かなきゃ作家になれないのか?”

“絵はうまくないといけないのか?”

という疑問への答えにはなるんじゃないかと思ったりしますね。

 

今回の発表は各々からバラバラの意見が聞かれて、様々な側面から検証がされ、纏めることのできない凄い回になりました。

 

最後に他のメンバーが気づいてくれた点が一つ。

「シリーズ1と2は絵本として見やすいし好感が持てる。3と4、全て出版された年代が離れているのもあるが、担当編集者の名前が違う」

とのこと。

 

編集さんが変わるだけで、同じ作家が作った同じシリーズでも、こうも違うものになるのか!

 

という凄い発見に至ったのでした。

仕掛け人の恣意が作品の質も左右してしまう……?(恐怖)

 

以上、今回のご報告でした。

 

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作っていた仕掛け絵本が完成しました。

これから出版社に送り出すため、最後の仕上げをします。

それでは、また。