長い回廊は御釜殿に続く
吉備津神社にて
御釜殿には、吉備津彦命に討ち取られた
百済出身の豪族・温羅(うら)
の首が埋められているそうです。
御釜殿鳴動神事の由来
鬼「温羅」を祀ると伝えられる。
縁起によれば、吉備津彦の夢枕に
温羅が現れ告げた。
「吾が妻阿曽郷の祝(はふり)
娘阿曽媛をして釜殿の神饌を炊かしめよ。
若し世の中に事あらば、
幸あれば祐かに鳴り
禍あれば荒らかに鳴らふ」
今日も「鳴釜の神事」が行われており、
鳴動の音の大小長短により吉凶禍福を
卜すのである。
ブラタモリも吉備津神社にやって来ました。
(NHKブラタモリ11月30日放送回より)
私たちが見られなかった鳴釜の神事を
ブラタモリが見せてくれました。
磯田道史先生が案内人でしたね。
占いをするように命じられた阿曽女
(あそめ)とは、温羅の日本人妻でした。
林田アナは絶対音感を持っているので、
鳴動する釜の音を聞いた瞬間、
「低いソの音だったのが気になって」
と囁きました。
タモリは最後、神妙にしていましたね。
桃太郎の鬼退治は史実だった、と。
さて私たちは、吉備津神社の
比翼入母屋を遠目に眺めながら
神社からほど近い栄西禅師生誕地に
やって来ました。
栄西が誕生したと伝わる旧邸の跡地は
井山宝福寺から、栄西創建の建仁寺に
寄進されました。
中央に偉業を称える碑を祀り、南側には
茶の普及・奨励に努めた功績を讃える
茶碗型の顕彰碑があります。
栄西(1141-1215)は賀陽(かや)氏の
生まれで、父親は吉備津神社の神官で
したから、きっと鳴釜の神事にも
立ち会ったことでしょう。
栄西が鎌倉時代に二度の渡宋を果たし
苦労して日本にもたらした臨済禅は
臨済宗黄龍派の法脈で、今は
建仁寺派の寺院だけに伝わり、
栄西以後に伝わった臨済禅は全て
臨済宗楊岐派という別系統らしいです。
こちらは、室町期に活躍した
大応国師(南浦紹明) 、
大燈国師 (宗峰妙超) 、
関山慧玄、の3名の法脈を継ぐ
「応燈関の禅」と呼ばれ、
寺の開創者が一派の宗祖となったため
栄西は臨済宗の祖と呼ばれないそうです。
比叡山延暦寺から攻撃されたり、
大師号を請願しては却下されたり、
栄西はなんだか報われない印象ですが
曹洞宗を伝えた弟子の道元は、栄西を
真に慈悲深い人だったと記しています。
帰り道にて。
うらをみせおもてを見せてちるもみじ
とは良寛の辞世の句でしたか。