岡山県の吉備津神社にやって来ました。

 

吉備津神社の本殿と拝殿(国宝)

 

農家の屋根でよく目にする入母屋造を

前後に二つ並べた珍しい造りで

比翼入母屋造と呼ばれます。

 

本殿と拝殿を合わせて

長さ35m×幅15m×高さ12m

の大きなものです。

 

昔、吉備国と呼ばれていたこの地方が

備前、備中、備後と三つに別れた後も

「三備の一宮」として称せられています。

 

この神社は、

吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祀る

ために、仁徳天皇によって創建され、

 

数度の焼失後、室町将軍足利義満が

再興に着手し、1425年に完成された

本殿が今に伝わっています。

 

参道

神社までは吉備津駅から10分ほど

参道を歩きます。

 

社号標

「官幣中社吉備津神社」の社号標

岡山市北区出身の第29代総理大臣

犬養毅(1855-1932)が揮毫したもの。

 

手水舎

手水舎と矢置岩

 

赤い柱の北随神門をくぐって拝殿へ

 

左が本殿の軒の見上げ、

右が拝殿の側面

 

吉備津彦とは、第7代孝霊天皇の皇子で、

もとの名を、彦五十狭芹彦命

(ひこいさせりびこのみこと)といいます。

 

第10代崇神天皇の御代に、

大和王権に服従しない四道の豪族を

討伐する将軍のひとりとして、

山陽道に派遣されました。

 

当時、強大な吉備王国を治めていたのは

温羅(うら)という名の百済から渡来した

王子でした。

 

温羅は大陸から製鉄技術を伝えており、

麓の阿曽郷(あそごう)(総社市阿曽)

から娶った阿曽娘という妻もおりました。

 

 

温羅は鬼ノ城(きのじょう)という朝鮮式

山城に拠って、 ひこいさせりびこに
徹底抗戦しましたが、激しい争いの末
結局敗れて斬首されました。

 

 

この温羅が鬼にされてしまい、

吉備津彦命が「桃太郎伝説」の

主人公となります。

 

吉備津彦命に従った

矢部の住人、犬飼健(いぬかいたける)

吉河の住人、楽々森彦(ささもりひこ)

庄村の住人、留玉臣(とめたまおみ)

が、犬・猿・雉とされていて、

5.15事件で暗殺された犬養毅は

犬飼健の子孫に当たるそうです。

 

吉備津神社2

 

神社を訪れるたび、いろいろな祭神と

出会いますが、古代の天皇が西暦何年

の人なのか分からないので、

 

いつも史実というより、神話で終わって

しまうのが、悲しいですね。

そこで思いついたことがあるのですが

 

 

実在の天皇では、誰でも知っているのが、

第33代推古天皇(554-628)です。

即位が593年で、甥の聖徳太子

(574-622)が摂政をしていました。

 

さらに年表をめくると、倭の五王のうちで

中国人が武と呼んだ第21代雄略天皇が

478年に遣宋使を送っています。

 

この時代にはまだ天皇という名称がなく

大王(おおきみ)と呼ばれていました。

 

雄略の即位年は不明ですが、

推古と雄略から一代あたりの平均年数

を割り出してみます。

 

593年―478年=115年、

33代―21代=12代。

 

115年間に12人の王がいたとすれば、

古代における統治期間は、一代当たり

およそ10年となります。

 

昔は短命で、暗殺されることもしばしば

で、現代よりかなり短いようです。

 

さて、順に逆算していきます。

 

第21代の西暦478年を、計算しやすく

西暦480年と変えて、これを基準にすれば

 

第16代仁徳天皇まで5代50年ですから、

西暦では430年、5世紀前半となります。

 

第10代崇神天皇まで11代110年で、

西暦370年で4世紀後半、つまり

吉備津彦と温羅の戦いはこの頃のこと

当たらずとも遠からずでしょう。

 

年表を見ると、

 

 367年に百済の使者来る。

 369年に日本が朝鮮に出兵し、

 任那(みまな)日本府を領有。

 391年、日本軍、百済・新羅を服属。

 397年、百済王子・腆支(てんし)を

 日本に質す。

 

こんな時代ですから、温羅は百済から

渡来人・王子であっても不思議では

ないですね。

 

調子に乗って、もっとさかのぼると

第1代神武天皇まで、20代200年ですから、

西暦280年、3世紀末の大王となります。

 

 邪馬台国の卑弥呼が、魏(ぎ)と使者を

 やり取りしているのが239年、243年、

 245年で、狗奴国(くなこく)との争いが.

 247年。この頃、卑弥呼が死去。

 後継者の壱与(いよ)が遣晋使を送った

 のが266年。

 

ということで、もしかしたら

神武天皇は卑弥呼と近い時代の

人物なのかもしれません。

 

 

南随神門

本殿、南随神門と回廊

南随神門は境内で最も古く

1357年の再建。

 

回廊の軒下及び本殿の石垣

 

 

全長360メートルの回廊

 

岩山宮。吉備の中山の山腹に位置し、

吉備国の地主神を祀る。

 

風情ある回廊をひたひたと歩く

 

 

 

 

 

スマホ写真で肖像画が出来ます

 

 

 


 

 

色は人の心に影響します。黄色を西に飾るとよいと風水で云うのは色が無意識の内にパワーを引き出してくれるせいかもしれませんね。

お部屋を飾る高級インテリア、長寿・受勲の贈物としての肖像画

 

 

 

 



 
 

 

 

 

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