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SHOUTER

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一人暮らしのわたしのアパートに何の前触れもなくやってくるのは、悲壮な顔をしたNHKの集金係である。

親と住んでいたころは、料金を払わないやつらを「けしからん」と思っていた。

一人で暮らしていた当初は払っていた。

しかし、自活の厳しさというものをだんだん知るようになり、金銭感覚が鋭敏になったときに初めて、払わないひとの気持ちがわかった。


毎日見て楽しんでるならまだしも、なぜまったく見ないものに金を払わなくてはならんのだ?


滞納してたら請求書がきた。3ヶ月で5,580円だった。

毎日見てる民放はタダでおもしろいのに、いっさい見ないNHKに金を払うの?

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なんならもうテレビいらねぇ。

ほんと正義感だけじゃ生きてけねぇな。

と、思いながらインターフォンのモニターを見つめ、集金係を今日もシカトする。

他人を受け入れるより、受け入れて欲しがっているひとのほうが増えているような気がする。

それは立場も世代も越えてる。

「お母さんに甘えるように」他人にも甘えたい。また、それが受け入れられると思っている。

その背景を考えてみた。


そういう人たちは、概ね絶対的な安心感が自分のなかに根付いていない。つまりは幼いころから、周りの大人に守られてこなかった人が多い。

しっかりと守られて育っているひとは、精神的にも安定していて、自己信頼感がある。要するに他人にすがりつかなくても生きていけるのだ。

大人に守られてこなかった人々は、他人のことよりも自分が守って欲しいから、他人を受け入れたり守ったりするという発想がない。いくつになっても、乞食のように庇護を求める。

親から得るような無条件の庇護を他人は与えてくれないから、代償としてセックスを提供したりする。


そんな人間が、やがて親になる。子どもを持ってはみたけれど、言うことを聞かないものだから受け入れられない。なぜこの子は受け入れてもらえるのに、わたしは受け入れてもらえないの。という発想になってくる。


そして自分も子どもを受け入れず、同じような乞食ができあがる。


大人になって、「自分は他人に受け入れてもらえなかった」ことを自覚しても、「しかたない」と思ってすがりつづけていたら一生乞食のまま。もう自分でなんとかするしかないのだ。子ども時代は終わったのだから。


世間にはそんなやつらが溢れている。隙をみては粘っこい触手でからみつき、自分の心を埋めてもらおうとするやつが。深く付き合ってみないとわからないかもしれない。助けてやる必要はない。そいつは越えなければならない壁を越えようとしない怠慢なだけだ。

今日もなにげない顔をして、あなたのそばへやってくる、ポーカーフェイスの化け物。


誰も自分のことを理解してくれない。他人に裏切られてばかり。誰も自分のことを受け入れてくれない。

だからわたしも表面的に合わせておく。傷つきたくないから。面倒だから。疲れるから。無駄だから。

つってみんなやさぐれていくんだろうな。


だけど、自分がやろうとしないことを他人がやろうとするはずもない。

相手がしてくれるまで様子を伺って、やってくれたらおずおずと確認し、気に入れば当然のように受け取り、受け取ったものが自分にとって有益であることが証明されたときにやっと、感謝するみたいな、そんなやり方。


自分の家以外なら汚しても平気。自分に不快が及ぶと不機嫌。自分最優先。

ちいさなことなんだ、全部。たばこのポイ捨てだってそう、どっかに食事にいって、めちゃくちゃに散らかしたままで帰ってくる、ゴミ箱のない場所にゴミ置いてく、洗面台に落ちた自分の髪の毛も拾わない。


自分の手だけきれいになれば、それでいいのかってこと。

誰かが自分のせいで不快になるってこと。


表面がいくらきれいでも、おもいやりがなければちっともきれいじゃない。

自分が相手になにかしてあげたい、たとえ知らないひとでも、困っていたら手を貸してあげたい、

見返りも何も求めないで、そうやって生きれば。

そういう人間はやさぐれとは無縁だ。人間としてちゃんと生きてる。


「なんでそんなことしなくちゃいけないの?」ってな人は、おおよそ人間に見えない。

そんな人は、自分が困ったときに誰も助けてくれなくても、文句を言ってはいけない。

あなたを助けてくれないひともまた、「なんでそんなことしなくちゃいけないの?」って思ってるはずだから。