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SHOUTER

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昨日、ぞっとする光景をみた。ゲーム機を手に夢中でゲームをする子ども。気をとられて母親の言うことに気づかない。母親、子どもの頭をはたき、「ほら、車がくるよ!」といって子どもの頭を前に押し出そうとしている。子ども、「押さないでよ!」・・・。

本当に子どもが押し出されたら一体どうするつもりだったんだろう。


最近(というか最近のことしか知らんが)、ある意味「怖い」親が多いと思う。

乱暴な言葉で自分の子どもを罵っている親、大人の男でさえも怯むような一瞥をわが子に投げかける親。

子どものほうは、実に気まずそうにしている。そこに愛情ってあんのか?


大人は、大人らしくするのが当たり前であって・・・子どもと同じではいけないだろう。

子どもが言うことを聞かない、聞かせたい、聞かない、頭くる。

自分で産むって決めて、育てるって決めて。

人間をひとりまともに育てようと思ったら、並みのことじゃない。

自分にそれができるのか、夢や理想ばかり先走らせていないか、なぁ、見返りばかり求めちゃうような人間に、子どもなんて育てられない。

自分の人生をしっかり生きていけない人間が、子どもなんて真剣に大切にできるわけないんだ。

そういうひとが子どもを持ったら、子どもにさえ見返りを求めるようになるよ。

自分の人生は自分のもの、自分が責任を取るべきもの。あらゆる人に優しく、相手のために行動する。

人として、まったく当たり前の足場が組めていないひとの、子どもがどんな風に育つのか、

きっといちばん最初に親を裏切る人間になるだろう。

それで親が泣いても、歯牙にもかけないだろう。他人の痛みがわからないから。

もう一度組みなおす体力も無くなったころ、バラバラに崩れた足場の前で、あなたは泣くのかな。



連日相次ぐ子どもたちに関する事故や事件を見ていて、みんながみんななりになんか思ってる。

わたしは事故に関して思うことがある。責任は企業側だけにあるんじゃない、と。


事故の起きた責任をすべて被るように、経営者が出てきて謝罪と今後の対応について話す姿をわれわれはよく目にするものだけど、なぜ子ども本人の不注意や親の監督不行き届きは取り沙汰されないのだろう。


哀れさに目が眩んでいるように思えてならない。


事件にしても、もっと気をつけていれば、とはたから見ていて思うことはいくらでもあるはずだ。

自分の身を自分で守ることをもっと教えるべきだと思う。


環境は変わった。

身の回りに危険が溢れていることはもはや疑いようもない事実なのに、なおもあらゆるところで巻き込まれるひとがあとを絶たないのは、どっかで「自分は大丈夫」と思ってるからじゃないのかな。



一時のさみしさにかまけて 好きでもないひとに抱かれてないかい

まやかしの愛情に飢えて そいつを好きだと思い込んでないかい


だけどほんとうはそいつらは 愛情をかけるふりをしているだけだよ

きみのからだが ほしいだけだよ


そのせいなんだよ いくら「すてきな」セックスをしても

こころがなんか満たされないのは


だから ほら こころは気づいてる


こどもがほしいわけじゃなくても

心から愛してるひととしかセックスしてはいけないって大人はいう

それはなんでかな。


きみのからだはラクガキ帳じゃないはずだよ

汚れたいらだちや不満や欲望を

書き殴るためにあるわけじゃないよね


たくさんのひとがきみを求めるけれど

それはきみを必要だからでも 愛してるからでもなくて

ただきみにラクガキしたいと思ってるだけだよ


きみのからだはラクガキ帳じゃないはずだよ。