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いつも読んで下さってありがとう!
小心ズのサイト
ぜひご覧くださいね
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💖小心ズ出演💖
声の出演(ヤノミ)
NHK Eテレ「100秒でわかる名作劇場」
NHK Eテレ 「ビットワールド」内
17:35~18:00
※毎週金曜日の同時間帯にて放送
「お話おばさん」として出演中。
そのほか、舞台公演などの情報は小心ズサイトをご覧ください。
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いじわるのかけらもない、レッツ!ニューイヤーフェス最終回
夢のようなパラダイスの3日間。ついに最終回。
前夜の金曜、到着した船着場にて。撮影は新軽井沢トシ子先生。
レッツ!ニューイヤーフェスティバルという、その名もヘンテコリンな野外音楽フェスティバルは、神奈川県の相模湖、みの石滝キャンプ場にて開催された。
2006年に初めて参加した「勝手にウッドストック」から、なんと18年。
小心ズはたびたびこの美しい音楽フェスに参加させていただいた。
レッツフェスに至る勝手にウッドストックの思い出についてはこちらに書かせていただきました。
人生を変えるほどの衝撃だったこのフェスが、ついに最終回を迎えることになった。
思えば2019年にハッチさんがフェスを引き継いで、大成功を収めたそのすぐ後に、台風19号の災害により、みの石滝キャンプ場は壊滅的な被害を受けた。
キャンプ場どころか、オーナーである山口さんご夫妻は命すら危ういほどだったと聞く。
そしてすぐさま、気高きインチキ・クダラナ紳士ハッチさんの呼びかけにより、たくさんのミュージシャンが参加してチャリティ楽曲「愛を注ごう」が制作され、全国から復興のための寄付が集まった。ミュージシャンですらない私、小心ズのヤノミも光栄ながらこのレコーディングに参加させていただいた。
この動画は一見の価値ありですぜ。
「愛を注ごう」 by みの石滝オールスターズ
この動画を何度も何度も繰り返し観ながら、みの石滝キャンプ場の親分である山口さんは、こつこつと復旧作業を続けてくださったという。
ハッチさんとさつキちゃん(実行委員会)がキャンプ場を訪れた際には、私も光栄ながら同行し、次なるフェスの開催に向けてハッチさんや山口さんや地元の方々といろんな相談をさせていただいた。
さらに台風に続き、コロナ禍も追い討ちをかけてきた。
ハッチさんはじめ実行委員会のスタッフの皆さんは、毎年毎年、開催のあらゆる可能性を探り、オンライン開催をしたり、ある年には開催を見送ったり、それはもう並々ならぬ根気と情熱でこのフェスを守り続けてきてくださった。
開催するのもたいへんなことだけど、中止を決断するのはさらにたいへんなことだったことでありましょう。皆さんのご苦労たるや、想像を絶する。
やることのたいへんさ、やらないことのたいへんさ。
そして昨年2023年に4年ぶりに開催されたレッツフェスは、今年2024年をもっていったん幕を閉じることが発表された。
「いじわるのかけらもない」野外音楽フェス。
それはハッチさんの名曲の一つ「ビアガーデン」の歌詞の一節から生まれた、このフェスのスローガンだ。
この意地悪まみれの世の中にあって、「いじわるのかけらもまったくない」という理念よ。このスローガンだけでも、このフェスの美しさがわかるというものだ。
お客さんも、出演者も、スタッフも、キャンプ場の方々も、そして近隣の方々までも、誰ひとりとしてイライラしたり、嫌な気持ちになることのない、みんながごきげんなフェス。
そんな不可能とも言える理想を目指して、それを軽やかに実現したのが天才ハッチ・ハッチェルさんと、それを支える心ある最高のスタッフさんたちだった。
21世紀のファンタジーだ。
どんな物語も敵わないくらいの、現実の世界に実現した、ものすごく強く光る最高のファンタジー。
全ての音楽は、演劇は、ダンスは、絵画は、詩は、アートは、本来このために存在していると言ってもいいと思う。この瞬間のためにこそ。
出演者も、スタッフも、お客さんも、みんながみんな「全力で楽しもう」とシンプルに思っている。
しかも自分だけでなく「見知らぬ他のひとも楽しいといいな」とふつうに願っている。
誰かの大事な楽しさの邪魔をしないし、ふとしたときにそれを互いに共有するのだ。
それぞれがきげんよく。無理なく。
誰もが自分の最高の「ごきげん」エナジーとスキルを発動しながら、このパラダイスを成功へと導いていったのだ。
たくさんの方々から勝手にいただいた写真をば。
森の大工さんたちは、前の日からバリバリとかっこいいステージを。
いつ会ってもニコニコのあべちゃん!
山口さん。
森の照明さんたちは、美しい夕暮れの中、あるいは暗闇の中で最高の照明を。
森のPAさんたちは、風吹くキャンプ場の限られた機材の中で、最高の音を。
PAの梅花(ばいか)さん。
カッコ良すぎて出演者あるいはマフィアのよう。
森の飲食店さんたちは、音楽の渦の中、口笛を吹きながらひたすら美味しいものを。
森のスタッフさんたちは、軽快に走り回ってみんなの安全と楽しさを。
トメ子ちゃんとゴリ。
森のまかないさんたちは、みんなの食欲と力の湧くごちそうを次々と。
我らがタケミごはん。
トシヤさんは今年も大活躍。
森のアーティストたちは、自分の人生を懸けた珠玉の音楽や芸を。
森のお客さんたちは、貴重な時間を太っ腹に遣って歓声と拍手と笑顔を。
森の子どもたちは、好きなだけ走り回り、好きなだけ食べて、好きなだけ笑い。
レッツフェス名物、ハッチ親分手書きのスケジュール。
愛情たっぷりの一言コメント付き。
相模湖に勝手に生えている野生の和胡桃。山口さんが教えてくださったので、ボートのウェルカムパフォーマンスでも毎回、この和胡桃についてお伝えしたところ、毎回お客様から「へえ〜〜!」をいただいた。
美しきハーフムーン。
撮影は大御所、新軽井沢トシ子先生。
先生、今年もたくさんの素晴らしい写真をありがとうございます!
前夜祭、このあたりからすでに記憶はない。
スペシャルゲストの沙織ちゃん(人形劇団ひぽぽたあむ)とヤノミ。いい写真。
何かしらの汁を飲んでいる沙織ちゃん。
かわいいね。
覚えていないけれど、未来に向かっている様子。
きっとライブ演奏を聴いているところ。
どうやらハッチさんとデュエットもしたそうです。花束とメロディ。無意識の歌唱。
このフクロウをかぶって踊ったことを、私は何ひとつ覚えていません。
タケミちゃんとトメ子ちゃん。彼女たちなしではフェスが実現し得ない、重要メンバーのお二人。
カトーくんはいつも安定しているので安心。
こんなに幸せそうなヤノミを、あなたは観たことがあるだろうか。
絵描きのヨッキーさんによる名作。
新軽井沢トシ子先生と、れいかちゃん。お二人とも素晴らしきフォトグラファー。
前夜祭からほとんど記憶がないけど、もちろん良い。次の朝イチから、たくさんの人びとに謝罪しておいたけれど、もちろん良い。
この3日間だけは好きなだけ呑んでいいことにして、私はやってきた。
この3ヶ月ほど好きなだけ呑む生活からは遠ざかっていたし、何しろ最後のレッツフェスなのだから。
いいでしょ。いいでしょ。
正月とクリスマスと夏休みがまとめて来たイベントなわけですから。
いいでしょ。
あけましておめでとう。
大好きな人たちが一年に一度全国から集まるイベントだから、まるで正月だよね、ってところからこのイベント名になったそうだ。
そして勝手フェスから数えても(私の知る限り)初めて、なんと3日間すべてが快晴であった。
いつもいつもどこかしらのタイミングで雨に見舞われるこのフェスだった。こんなに最初から最後まで天晴(あっぱれ)だなんて!!
神様って、ときどきいるよね。
小心ズは今年もウェルカムパフォーマンスを務めたよ。
初日と二日目で、合計なんと10往復!!
例年に比べて初参加のお客さんがとても多く、参加人数そのものも多かった。
うれしい!!!
今年、リコーダーを持参したホホ美(姉フクロウ)は、偽栗コーダーカルテットの一員としてデタラメな演奏を繰り広げた。そしてなんとイノトモさんが一緒にギター演奏をしてくださるという栄誉にあずかった。
ありがとう、イノトモさん!
ちなみに本物の栗コーダーカルテットのメンバーである川口さんとは、初日、2日目、打ち上げと3夜にわたって乾杯させていただいた。
カマキリもボートに乗っていた。
フクロウのホホ美とホウ助、姉と弟。
ボートの中でもデタラメ話や演奏を繰り広げた。
レッツフェス!名物の船着場でのウェルカム演奏!
なんて贅沢なお出迎え。
Cの誘惑にもフクロウ姉弟で登場したり。
Wack Wack Rythm Bandにも参加させていただいたり。
大好きな山口さんと。
クリスマスステージにはクリスマスツリーを持ち込んで、The Gardenerのスペシャル演目を上演。
錚々たるミュージシャンが並ぶこのステージで、パックもウクレレを演奏。
「100秒でわかる名作劇場」のスタッフさんたちも忙しい中駆けつけてくださり、パックも大はりきりでありました。
大好きなぢゅんちゃんと。
ふーみんデザインの地図や会場のサインがどれもこれもかわいい。
小心ズは初日も二日目も、キャンプファイヤーのフォークダンスにギグルギグの愉快なメンバーの皆さんと参加した。
朝から深夜まで、全力で遊び尽くした。そして呑み尽くした。
時系列がめちゃくちゃですが、夢のような一流ミュージシャンたちによる、夢のようなライブの数々。
イノトモさん。
EPPAIさん。
知久寿焼さん。
奇妙礼太郎さん。
美味しくて親切なトミタコーヒーの皆さん。
憧れのホットサンド。
塚本功さん。
ジェットウォンさん。
ハッチハッチェルバンド。
下八は、まさかの2ナイト。
名物司会サンライズ前田さんによる、落とし物アナウンスも最高だ。
こまっちゃハンパ。
ホットグリグリケーキ。
3日目の朝、最終回にしてついに快晴に恵まれた「みの石滝薫」先生ことレモンちゃんのステージにも、小心ズはバックダンサーとして参加。
先生!快晴おめでとうございます!
思い返せば先生のステージはいつも雨の中でしたね。
この日、私は足の激痛に見舞われ、すわ疲労骨折か、はたまた痛風かと騒がれたが、後日モートン病と診断された。
さすが最終回。
神々しい。
ちなみにこれは初日の朝、最高の餃子をみんなに振る舞う、レモンのおしゃべりクッキング。
写真はないけど、子どもたちと一緒に凧揚げをして遊んだり、踊ったり走ったりした。
写真はないけど、たくさんの友達や見知らぬ人たちと乾杯し、一緒に美味しいものを食べた。
写真はないけど、吉祥寺ハバナムーンの木下さんがみんなに美味しいまかないを作ってくれた。
毎晩、寝袋で寝て、起きると同じ部屋にミュージシャンやスタッフさんたちがいた。
いつでもずっと楽しかった。
3日目の朝、スペシャルセッションで素晴らしい演奏が繰り広げられ、ハッチさんが挨拶をすると、太陽の光がまるで狙ったかのようにステージに降り注いだ。
大劇場のカーテンコールのような。
祝福された大団円の瞬間だった。
最後の最後までバラシと片付けを頑張ってくださった頼もしき人々。
大人数で恒例の「かどや」にて打ち上げをして、みんな声がガラガラになりながら帰途へ。
ありがとう、レッツフェス。
ありがとう、みの石滝キャンプ場。
ありがとう、スタッフの皆さん。
ありがとう、出演者の皆さん。
ありがとう、お客様。
ありがとう、お天気。
この思い出を胸に、これからもごきげんに生きていこう。
どこにいても、あの「いじわるのかけらもない」時間を、忘れないでいよう。
誰も彼もが子どもの顔で笑っていた、あの場所に、またきっといつか行こう。
ヤノミ
バンクーバー・フリンジの日々 (後編)
ジョアンナによるグルテンフリーの美味しい料理。
ね、ブログ書く暇もないでしょう?
前編をお読みいただけましたか…?
実はこのバンクーバーのブログ、全部書いたら文字数オーバーで保存できなかったため、こうして前後編に分けているのです…。
マーケットのドイツ屋台で買った、ホットドッグとビール。
自分のショーをやりつつ、日々さまざまなデスクワークにも追われていた。
遅れに遅れたカルガリーのフライヤーの払い戻しの請求やら、遅れに遅れたフライトのリファンドの申請や、エドモントンから間違えて東京に送られた小切手を無効にする手続きや、とにかくもう煩雑なことが続いていた。
日本からも続々とメールが届き、ああ、もうすぐツアーが終わって日本に帰るんだなと実感させられた。
今この舞台をやりながら、次の、そのまた次の舞台の予定がある。
なんと幸せなことだろう。夢にまで見た生活だ。
しかし綱渡りであることには変わりない。時間も体力も経済も、いつもギリギリいっぱい。全力疾走。
ある時、キッチンで隣同士に座ってデスクワークをしていたジョアンナに、私が何の気なしに「人生は綱渡りなんだよ。いつ死ぬか、誰にもわからない。」と言ったところ、ジョアンナは腹を抱えて笑い、そしてそのセリフを異様に気に入り、ノートに書き留め、それ以来ことあるごとにそのセリフをドラマチックに唱えるのが流行った。
「ヤノミ、このセリフだけで一本作品を創れるよ!」と。
フリンジ・バズに書き込まれていた感想。
バーニーもビクトリアからバンクーバーまで観劇に来てくれた。
こちらはエジンバラ・フリンジで始まった歴史ある名物スペシャルイベント「A Young Man Dressed As A Gorilla Dressed As An Old Man Sits Rocking In A Rocking Chair For Fifty-Six Minutes And Then Leaves」。
説明すると長くなるので、いつか何かの折に紹介したい。
とにかく最高に面白い。フリンジならでは。
北米ではジョン・ベネットがオーガナイズしている。何度も観ているが、一度として同じことはない。
シューリーも私のショーを観に来てくれた!ちゃんとチップも入れてくれて、缶バッジをストラップに着けてくれている。
ウィニペグで出会ったグラハムとも再会。
フリンジについていろいろ情報を知りたいと言い、食事をごちそうしてくれた。
彼もバンクーバー在住。
さて、ジョアンナといるとほんとうに楽しくて、なおかつ深いところまで話ができる。
ジョアンナも話したいことが止まらなくて、ときにはずっとずっとしゃべっているが、不思議と彼女の英語はほぼ全て理解できるのだ。
彼女もまた「ヤノミと話していて、あなたの英語に遜色があると感じたことは一度もない。」と断言してくれた。
9ステージ全てを客席で観てくれたジョアンナは、飽きることなく毎日毎日、感想を伝えてくれた。ほんとうに小さな、些細な演技まで見逃さず、小心ズであるところの私が最も大事にしている繊細な部分を汲み取ってくれた。
特に観客とのインプロのやりとり=インタラクションについて毎回ものすごく感心して誉めてくれた。そのことはとてつもなく励みになった。
ジョアンナとモウ。
ジョアンナに謝礼の話や食費の話をしても、いつもはぐらかされた。
「あなたからお金をもらうつもりはない。私は自分で選んでこうしているのよ。ハイ、この話は終わり。」といった感じで。
そしてジョアンナは「こんなに他のアーティストの成功に対して嫉妬もなく、純粋に心からうれしいと思えるのって、稀なことよ。」とも言ってくれた。
これと似たようなことを、他にも長年の友人アーティストであるトミーや、何人かの友人たちが言ってくれていた。
そのことに感謝しない日はない。
だがしかし、謝礼も何かしらの手段で払いたいし、食費ももちろん何とかして受け取ってもらった。食べものも酒も、車のガソリンも、電気代も、そして何より彼女の膨大な労力も、モウの親切極まる協力も、何もかもタダではない。
ジョアンナとは一生つづくつきあいになるだろうと思う。
そのジョアンナと、私がフリンジツアーで最も愛してやまない「フラッシュライト・キャバレー」で共演することになった。ウィニペグに続いて2度目のコラボ。
バンクーバーでのこのキャバレーのタイトルは「Cabaret of Bullshit」。
2010年に天才ダニエル・ニーモとコラボした、あの記念すべきキャバレーだ。当時はbullshitの意味すら知らなかった。
2015年にはチェイスと二人で歌った。
この夏のツアーの最後を飾る、特別な、最高の一夜。
私が白いゴミ袋で作った大きなパペットを二人で操演。
大好評をいただいた。
観客が照らす懐中電灯の明かりの中で、客席を自在に飛び回る白いパペット。
もちろん得意の観客とのインタラクションも織り交ぜて。会場のあちこちから歓声と笑いと拍手が湧き起こった。
真面目なジョアンナは「ものすごく緊張したわ。だって私、パペティア(人形遣い)じゃないし、あなたはこのツアーを代表する超一流のプロのパペティアだし!」と終わってから吐き出していたが、もちろんジョアンナは最高だった。
私は他にもホリーのバーレスクの演目に忍者のような役割で参加し、その白い手袋の動きをのちにアーティストたちからも絶賛されて驚いた。「あの手の動き、教えてくれない?」とまで言われた。
舞台裏にて、「俺のカオ、半分だけ写るようにしてくれよ」と、またしてもジョン・ベネットのリクエスト。
本番直前の打ち合わせの様子。
「今夜は呑むわよ!好きなだけ!」の宣言通り、ジョアンナは呑みまくり、私ももちろん安心して好きなだけ呑んだ。
途中でジョアンナがどこかに消えたので、そこら辺にいた見知らぬ親切な男性(たしかライアンと言ったような…)に頼んでジョアンナに電話をかけてもらったりして、みんなでゲラゲラ笑う。
大尊敬する偉大なアーティスト、TJ。
お世辞を言わないことで有名なTJが、私の千秋楽の舞台を観て目を輝かせてすごい感想をたくさん伝えてくれた。
「ヤノミ!なんて美しいんだ!君の何もかもを、観客がみんな心から愛していたよ。細やかな動きといい、物語といい、愛嬌といい、なんて見事な作品なんだ!」
客席のTJの様子を見ていたというジョアンナも、「TJがあんなに幸せそうに興奮しているところを初めて見た…!」と衝撃を受けていた。
TJには2010年に出会って以来、どことなく我が弟を彷彿とさせる風貌と佇まいにも親近感を持ち、無類の読書家でもある彼といろんな話をしてきた。
大千秋楽、観られる限り観ようと、正午から観劇しまくる。
ちなみに前日は3時まで呑んでいた。
ソールドアウトの赤い印。
なんとフェリーの中で上演される演目。
定員は12名のみ。もちろん連日ソールドアウトだが、運よくラッシュで入れた。
バンクーバーの湾岸を案内しながら、デタラメの逸話をたっぷり語って聞かせるデタラメインチキツアーガイド。
この男性、本職もこのフェリーの運転だという。面白い〜〜〜〜。
ホラ吹き船長!!!!
この日は自分の本番までに4本の作品を観た。
今年のバンクーバーで観た演目は以下の14本。
Mattnik
Jimmy Hogg: Potato King
Tale of Heartbreak
A Woman's Guide to Peeing Outside
How to Catch a Karen
The Real Black Swann Confessions of America’s First Black Drag
The Kid was a Spy
The ADHD Project
Jon Bennette: Ameri-CAN'T
Cardboard Boxes and Other Ways to Travel
Tragedy or Triumph
False Tour of False Creek
Every Feeling
EVERYBODY KNOWS
私の千秋楽は最も遅い20:45の開演で、照明も暗転もバッチリ効き、満員のお客様とともにこの上なく盛り上がり、スタンディング・オベーションをいただいた。
言うことなしの最高のツアー大千秋楽となった。
踊りまくるアーティストたち、スタッフたち、ボランティアたち。
お祝いと言えば音楽と踊り。
どこのフリンジでも、最後の最後のパーティはやはりダンスなのだ。
踊りまくり、叫び、笑い、飛び跳ね、歌い、踊る。
この夏の、すべての舞台へのエネルギーを祝福して。
がんばったことも、うれしかったことも、悔しかったことも、しんどかったことも、
すべてをダンスに換えて。
そしてこのダンスの中で、この期に及んでまだ新たな友達ができたりもする。
シャボン玉を追うヤノミ。
この夜ももちろん3時まで呑んだ。
(そして翌朝、大学でゲスト講師を務めたと話すと、ジョン・ベネットはじめツアー仲間たちが「はあ?!あのあと、朝から、大学で?!」と大声で叫んでいた。)
さすがに3日ほどろくに寝ておらず、疲れ果てていたが、大学の授業の後も帰宅してすぐにパッキングの準備をし、さらにジョアンナと買い出しに行って、ホームパーティの準備に取り掛かった。
ジョアンナの命令により、30本近いニンジンを切り刻み、大量のきんぴらを作った。きんぴらだけで1時間はかかった。筋肉痛になるほどの量だった。
「海賊船の下働きのようだ」と私が冗談を言うと、ジョアンナが「この姿を見たらみんなが、私がずっと2週間ヤノミをこき使っていたと誤解するだろうね!」とゲラゲラ笑った。
そのほかに定番のたまご焼きと、ナスのアボカド味噌焼きも作った。
みんなとにかくたまご焼きに感動してくれるんだよ〜。
ジョアンナはテキパキとタコスを大量に作ってくれた。
ツアー仲間たちがやって来て、みんなくつろいで食べて呑んでしゃべった。
さらにキャンディの家に移動して、焚き火をしてマシュマロを焼いた。
ここでもさらに人が増えた。
テクのダレンと妻。ガンダムが大好きというダレン。
バンクーバーはすでに相当寒く、最高気温で14度ほど。
私は大事なパーカーを千秋楽に失くし、出国の日まで大騒ぎして探していたが、なんのことはない、ブルースが間違えて持って帰っていたことが帰国後に判明したのだった。
いずれYukiくんが日本に届けてくれることになっている。
たくさんの大好きな仲間たちとハグを交わし、またねと言い合う。
また会おうね。
次は9年も経たずに会えますように。
でも、未来のことは誰にもわからない。
ジョアンナとの別れについては悲しすぎるため考えないようにした。
またしてもほとんど寝られずに早朝からパッキング。
片付けた部屋のクローゼットに、こっそりお礼のメッセージカードを置いておく。
ありがとう、ジョアンナ。ありがとう、モウ。
途中でなんと痛風を発症したモウは、足を引きずりながらもなお私を手伝ってくれた。
空港へ向かうリフト(タクシーみたいなもの)の運転手と話していたら、香港生まれのミュージシャンだとわかって仲良くなった。
もはや疲れのあまり何がなんだかわからないくらいだが、いくつかお土産を買い、それでも機内では眠れないため、ワインを呑んで映画を観てやり過ごす。
とにかく無事に帰国した。大荷物を抱えて成田からバス、さらに電車、そしてタクシー。
あれほど凍えていたカナダから、なんと34度の東京へ。
翌日には打ち合わせ2本とYouTubeチャンネルへのゲスト出演。
帰国後もぜんぜん休みがなく、ブログを書く隙間もなかった。腑抜ける暇も、感傷に浸る暇もない。時差ボケすらない。
もっとゆっくりきちんと振り返りたいけれど、とにかく人生で最高に幸せなツアーだった。
いつも思うけれど2ヶ月半とは思えない、あらゆることが凝縮されてぎゅうぎゅうに詰まった日々だった。心も身体も、あらゆる細胞が全力で生きている。
たくさんの宝物をまた持ち帰った。
私の小さな器ではとうてい抱えきれないほどの宝物だ。
この小心記を読んでくださっている皆さんに、心から感謝いたします。
ありがとう。
妖怪みたいになっていた髪を切り、歯医者の定期検診に行き、週末には愛知に行って来ました。
まだ、朝自分のベッドで起きると一瞬「えーと、今はどこだっけ?」となります。
これからまた、少しずつこつこつと、さまざまな形で世界に恩返しをしていきます。
ただいま!
ただいま!
やったよ、やったーーーーーーーーーーーーーーー!!!
I did it!!!
ヤノミ
バンクーバー・フリンジの日々 (前編)
ビクトリアからフェリーでバンクーバーへ。
船の旅は大好き。広くてゆったりしていて。
ビクトリアで美しい絵葉書を見つけたので、船内で手紙を書く。大事な人たちに届きますように。
バンクーバーではアーティスト仲間であるジョアンナの家に泊めてもらった。
バンクーバーはカナダのフリンジの中でもやはり大都市であり、物価が高く不動産も高く、ビレット(フリンジアーティストを泊めてくれるボランティア)を見つけることが非常に困難なことで有名。事務局からもツアー中に再三「ビレットは必死に探しているが、保証は出来ない。」とメールが届いていた。
私は過去に滞在したジャズミンにも連絡してみたが、結婚して子どもが二人生まれており、ビレットは出来ないと言われた。
異国を旅しながら次の滞在先が見つかっていないなんて、よく考えたらかなり恐ろしいことなのだが、もうこんなことにも慣れてしまい、「いずれどうにかなるだろう。」と思ってのんきに構えていた。
そんな中、ジョアンナの家に泊まる予定だったジョン・ベネットが別の友人宅に泊まることになったため、ベッドルームが一つ空き、私は無事に滞在先を確保できたのだった。
そしてここバンクーバーで、ジョアンナのサポートはもう、筆舌に尽くし難い素晴らしいものだった。
今年、私が参加したウィニペグとエドモントンで新作ソロ作品を上演していたジョアンナは、カナダの前にアメリカはオーランド・フリンジにて批評家選出「ベスト・ソロコメディ賞」を受賞していた。そしてウィニペグでもエドモントンでも、私はカーテンコールで必ず彼女の宣伝をし、ジョアンナもエドモントンにて全ての公演をソールドアウトしたのだった。
エドモントンを終えるとすぐにジョアンナは私のバンクーバーの準備に取り掛かってくれた。彼女はバンクーバー在住ではあるが、今年はフリンジには参加していなかった。
「ヤノミ、私がいるから大丈夫。ありとあらゆる宣伝をするからね。」
ジョアンナとパートナーのモウ。
犬のボウ。
イタリア系カナダ人であるジョアンナは、料理が大好きでとても上手。今年は料理好きなビレットに恵まれているなあ…!
1日中仕事をしまくっている勤勉なジョアンナは、さらにその合間を縫って下手すると1日に3回も4回もキッチンに立って料理をしている。すごい。日本人でも仕事をしながらここまで料理をする人はあまりいないのではないだろうか。
アレルギー持ちのジョアンナは乳製品は食べないし、グルテンも摂らないようにしている。野菜が多く、肉や魚も使うし、スープも得意。とってもとっても美味しくてヘルシーなのだ!
「ヤノミ、とにかくここにいる間はなんでも好きなように食べて。ここにあるものは全てあなたのものよ。遠慮しないで。」
そしてあまり酒を飲まないモウと酒飲みのジョアンナは、私が来ることをとても楽しみに、それは大量のお酒も買い揃えてくれていた。
ワイン飲みつつも、私のポスターのラミネート加工をしてくれるジョアンナ。
なんという働き者だろう。
道理で気が合うわけだ。いやむしろジョアンナを見ていると自分が怠け者に思えてくるくらいだ。
昨年のオーランドで初めて出会った私たち。彼女のソロ作品を観て涙が止まらず、言葉もうまく出てこないほど感動した。泣きながらハグをし合った私たちは、それから少しずつ親しくなった。
それはそれは壮絶な人生を歩んで来たジョアンナに、私はあるとき「あなたはギフト(特別な才能、天から授けられた存在)だよ。」と伝え、ジョアンナはそれを一生忘れない特別な出来事だったと今年になって話してくれた。
まったく異なる人生の二人だが、私たちにはいずれも最愛の母を亡くすという共通の経験がある。そのことも大きかった。
バンクーバーにてジョアンナがある日しみじみと「お母さんたちが、私たちを引き合わせてくれたんだね。きっとそうだ。」と言った。私もそう思う。
ラミネート加工されたポスターたち。
モウはIT関連の仕事をしており、二人はいずれも在宅ワーク。
その仕事の合間を縫って、こうしてさまざまな印刷物も作ってくれた。
生まれて初めてポスターに貼る、ソールドアウトの文字。
初日4日前くらいのこの時点で9ステージ中5ステージほどが早くもソールドアウトしていた。
一つ一つをハサミで切ってテープで貼り付けながら「こんなに楽しい作業はないな」と密かに思っていた。なんとありがたいことだろう。
ジョアンナの運転でフリンジ会場であるグランビル・アイランドへ。
9年ぶりのこの土地。
開幕前の静かなアイランドで、フリンジの会場を回ってポスターを貼っていく。
「早くしないといい場所が取られちゃうから。」とジョアンナ。
ガンタッカーも上質なテープも提供してくれた。
こんな風に、各地での5ツ星レビューやソールドアウト歴なども全てモウとジョアンナが完璧にデザインして印刷してくれた。サンドイッチボードは、各アーティスト/カンパニーに一面ずつ提供される。
雨の多いバンクーバーに備えて、全てをラミネート加工もしてくれた。
ありがとう、ありがとう。
木曜に開幕したフリンジ。こちらはBYOV会場の一つ、小さなカフェOff the Tracks。
上演しているのは我が悪友、ジミー・ホグ。彼も全ての公演をソールドアウトした。
2週間、毎日のように通ったこのストリート。
グランビル・アイランドは一大観光地のため、昼間は非常に人出が多いが(フリンジに関係なく)、夜は一気に静かになる。このストリートにはお洒落なアートクラフトのお店などが並び、夕方には店じまいし、夜はほぼフリンジ関係者と観客だけが行き交うことになる。
半屋外のフリンジ・バー。
それにしても今年はどのフリンジもビールが高かった…。
平均して1杯10ドルくらい、1000円を超える。高いよう〜〜!
左から、ジェシカ、クロエ、ブルース、ジミー。
ジェシカとクロエは天才的な影絵アーティストデュオで、今年はバンクーバー・フリンジには参加しておらず、ビレットとしてマティックというアーティストを受け入れて観劇に徹している。ビクトリアで観たこの二人の作品は、私の大きな期待をさらにはるか上回る素晴らしさだった。
そしてなんと、バンクーバーで私のショーを観てくれたジェシカが、後日「素晴らしいショーだった!今年のバンクーバー・フリンジの中で、ベストワンだよ、マジで!!!」とメッセージをくれたのだった。
尊敬するアーティストになまの舞台を観てもらえて、こんな屈託のない誉め言葉をもらえるなんて、はるばるカナダまで来てよかった。なんたる光栄。
バンクーバーの美しい眺望。
ビクトリアのボランティアスタッフ、スージーが手作りし、ジョン・ベネットに預けてくれたあみぐるみの黄色いタコ。
こういうちいちゃくて心のこもったプレゼントが、私に少しずつ幸運を届けてくれているのだと思う。バックパックとかいろんなバッグなどに、こういうものがいっぱい入っている。
たとえばブルガリアのマリエッタがくれたかわいいフェルトのマスコットも、私を護ってくれているのだ。あるいは2010年にブライアン・フェルドマンがくれたシリコンの妖怪みたいなやつも、今も私と旅をともにしている。
2010年と2015年に私がバンクーバーに参加した際にプロデューサーだった、デイビッド・ジョーダンにも再会!!!
彼は今もミスしゃっくりとケセランパサランを覚えていてくれて、当時の思い出話などしてくれた。うれしいなあ…!
何百何千もの作品やアーティストを観てきたデイビッドが、私の作品を。
「僕の息子がまだ2歳だった頃にケセランパサランを一緒に観たんだ。彼は小さかったから、パパが劇場をぜんぶ所有しているんだと誤解していてね。君が客入れ中からずっと舞台上のボックスに隠れていて、開演と同時にボックスから出て来ただろ?それ見て息子は『パパ、なんであのひとを、はこのなかにとじこめていたの??』って訊いて来たんだ。今でも忘れられないよ。そんな彼も今や12歳だよ。」
デイビッドがプロデューサーを退いたのち、バンクーバー・フリンジは新たなプロデューサーたちのもとで迷走を続け、いったんは全てのボランティアスタッフが辞めるという危機的状況にまで陥った。
ツアーアーティストの多くからも、「バンクーバーはもうダメだ。参加すべきじゃない。」という情報が流れてきていた。
そこへ登場したのが今年2年目の若きプロデューサー、ダンカンだ。
彼は弱冠30歳でありながら、それはもう有能で、情熱に満ちており、人望も厚い。多くのスタッフやボランティアやアーティストがダンカンを支持しており、ジョアンナなどは「ダンカンが辞めないで長く続けられるように、できる支援は全てする。なんでもやる。」と断言している。
フリンジ開幕の大イベント「Fringe 4 All」にて、カナダの首相トルドーからの手紙を読み上げるダンカン。
フリンジにカナダ首相から直々に手紙が届くなんて、前代未聞のことである。
ダンカンは政治力もあるとの定評は、ほんとうらしい。
プロデューサーといえば、なんとここバンクーバーでウィニぺグ・フリンジのプロデューサーであるトリに初めて出会うことができた。
オーランドのテンペストやカルガリーのミッシェル、そしてここバンクーバーのダンカンなど、毎日毎日フリンジで顔を見ない日はないほど会場で走り回っているプロデューサーがいる一方、ウィニペグのトリやエドモントンのマレイはまったくその姿を見ることはなかった。もちろんフリンジの規模が巨大だということもあるが。
彼女の風貌も年齢も知らず、私はもはや「トリは実際に存在するのだろうか?幻なのでは?」と冗談を言っていたほどだ。
そのトリが、バンクーバーに視察に訪れて、Happy Go Luckyを観てくれたという。フリンジバーで、ダンカンに話しかけていたときに隣にトリがいて、突然その事実を知らされた。
びっくり!!!ありがとう!!!
「あなたはウィニペグでも素晴らしい興行だったと知っているわ、ほんとうにおめでとう。」
「トリ、会ったことないからほんとうに存在するのか疑っていたくらいだよ!ミステリアスだったよ!」
「私はどちらかというと舞台裏で働くタイプだからね。じゃあ、この先もミステリアスなままでいようかしら。」
「そうだね、私はこの先も『トリはもしかしたら80歳くらいかもしれないね』ってみんなに言うよ。」
表で、裏で、さまざまな形で全力を尽くしてフリンジを実現しているプロデューサーたち。何十人ものスタッフ、何百ものボランティア、そして何百ものアーティスト、何千何万もの観客たちのケアをする彼らの偉大さよ。
「フリンジ」という偉大なコミュニティを、その類い稀なフォーマットを維持しつづける彼らに、改めて感謝と尊敬を。
これがダンカン!
この先10年はフリンジを続けると宣言していた。ありがとう、ダンカン!
頼むよ、ダンカン!
毎日、ジョアンナが手料理を用意してくれて、いつだってあたたかいスープやごはんが家にある。そんな恵まれたことがあるだろうか。
そして初日を待たず、ついに私の9ステージは全てソールドアウトし、さらに客席の拡大が正式にアナウンスされ、追加チケットが販売された。そしてそれらもすぐにソールドアウトした。
ジョアンナは私以上に喜び、泣き出さんばかりだった。
「頭がおかしくなっちゃいそう!!!なんてこと!!!ヤノミ!なんてこと!!!うれしい、よかった、うれしい、なんてこと!!!おめでとう!!!」
ジョアンナが作ってくれた、SNS用の画像データ。
ありがとう。
自分のことのように私の成功を喜んでくれるひとがいる。
フリンジのオープニングイベント、Fringe 4 Allでは各アーティストたちがそれぞれ2分ずつ作品の紹介を行っていく。私はどのフリンジでもこのイベントが大好きだ。
映画だって、予告編が一番面白いでしょ?
この時点ですでにソールドアウトしていた私に、ジミーが「おまえはもう全公演をソールドアウトしているのに、なんでここにいるんだ!時間の無駄だろ!もう宣伝なんかする必要ないってのに!」と、また毒舌ジョークを吐いてきた。
ステージ袖からずっと予告編を観る。
なんというダイバーシティ。
今年のバンクーバーにはアジア人の女性アーティストの姿も多く見られた。もちろんバンクーバー在住者がほとんどだが、それでもうれしかった。
このサブリナというブッフォンをやる女性がすごくて、彼女の本編の公演ではスタンディングオベーションが出ていた。人種差別をものすごく深く鋭く扱った作品で、私には言葉の面で難易度が高すぎたが、あらゆるアーティストたちが衝撃を受けて絶賛していた。
こういうのが理解できないのが心底悔しい。でもすごいってことは楽屋にいるときから薄々感じていた。
私は白い小さなパペットが鉄琴の上で動くピースを2分ほどやった。
イベントの終演後、多くの観客やアーティストが絶賛してくれた。
「素晴らしかった!最高だったよ〜!観に行くよ!」と。
ボウ。時折ジョアンナが「ボウスキー」と呼ぶのがまたかわいい。
「フライヤーを一枚も配らなくて済むなんて、信じられないわ。なんてラクなの。考えられない。ストレスがない。」と毎日のように言うジョアンナは、今度は宣伝ではなく本番の公演のために全力を尽くしてくれたのだった。
日本で言う制作さんとして、あるいは舞台監督として。それはもう八面六臂の活躍だった。
タイミングさえ合えば車でグランビル・アイランドまで送ってくれたし、私は電車とバスには2回ほどしか乗らなかった。他にもトムというフリンジの大ファンのお客さんが車で送ってくれたりもした。
上演に必要なテーブルもジョアンナと、バンクーバー在住の日本人ジャグラーのYukiくんに借りることができた。
フリンジでは会場のチケット管理や観客の誘導などをボランティアスタッフが行う。しかし毎日メンバーが入れ替わる上に、もちろんボランティアなのでその仕事の質にはものすごくバラつきがある。
そこでジョアンナは毎日必ず初めにボランティアスタッフに自己紹介し、自分の役割を伝え、開場から開演まではロビーのある1階と劇場のある3階を階段で何往復も走って登り降りし、来場者数と客席の状態を把握し、最終的にできる限りのラッシュ(アーティストやボランティアスタッフをキャンセルの空席または立ち見などで無料で入れるシステム)をさばくという、大変な仕事をやってくれた。
アーティストにストレスをかけたくないと、いつも楽屋の私には笑顔で必要な情報を知らせてくれた。5分押すよ、とか、ものすごくラッシュの列が長いからできるだけ立ち見で入れたい、とか。
バンクーバーでの私のBYOV劇場はバレエのスタジオで、窓がいくつもいくつも(天井にまで)あり、昼間は暗転どころか照明自体がまったく効かない。壁は全て白、背景のカーテンも白。
そして客席も階段状になっていないため、複数の観客が途中で立ち上がって後方に移動し、立ち見で観劇するような状態だった。そうしないと人形がちゃんと見えないからだ。
テク(音響照明を一人で務めるスタッフ)はマティーナという21歳くらいの若い女性で、インプロの女優でもあった。
彼女はとても面白い人物で、徐々にもちろん仲良くなったが、テクとしてはほぼ素人で、それはそれは苦労した。テクリハはまったくうまく行かず、初日を開けたのちもミスが連発した。
とても美しくてスタイルもいいマティーナ。毎日衣装のようにカラフルで素敵な私服。
ちなみにこの会場、Ballet BCは今年の私のすべてのフリンジ会場のどれよりも高い料金で、もっとも悪条件だった。こんなに払ってこんな最悪な条件かよ、と非常に理不尽な思いだった。
だがこういうことも含めてフリンジだ。どんな条件でも、ベストを尽くすしかないのだ。
ジョアンナはこの悪条件の会場で観客に理不尽にキレられたりもしながら、毎日それはもう献身的にがんばってくれた。
そしていつでも、終演後にはみんなが大きな笑顔で帰っていった。
缶バッジは早々に品切れし、チップも多く入っていた。
これまたジョアンナがめちゃくちゃがんばってくれて、すぐに缶バッジの追加発注もできた、それも格安で。
劇場ビルの外からジェシカが撮影してくれた画像。右端の窓に私が映っている。本番中の様子です。
見よ、この大きな窓を!!
夜9時以降にようやく暗くなるため、ほとんどの公演では私は前説でこのように言った。
「今日はごらんのように照明が効きません。だから私が『ブルーアウト!』って言ったら、皆さんは世界中が全てブルーになっていると想像してください。見えるもの全てが青いんです。」
この前説はウケたし、上演中も「ブルーアウト!」と私が言うたびに観客は笑いながら青い照明を想像してくれていた。
だが暗転が効かないのはほんとうに悔しかった。とくに最後のキャンドルのシーンが。
それでも、時に多くのお客様がスタンディング・オベーションで讃えてくださった。
ジョアンナによるとバンクーバーでスタンディング・オベーションは非常に珍しいことだそうで、これまた自分のことのように喜んでくれていた。
左がマティーナ。
いつも「ハイ、マティーナ。」と挨拶すると彼女は「ヘイ、ヨウ!(Hey, yo!)」と低い声で返すので、これが私の中で流行った。
マティーナはオペレーションのミスは多く、また客席作りやその他の業務においてもジョアンナにとってそれなりにストレスだったが、愉快な人であった。
毎回異なる私の赤ずきんちゃんをとても気に入って、「今日も後ろで笑い死ぬかと思ったわ!あのセリフ、めちゃくちゃ面白かった!!!」などと言ってくれた。
ジョアンナもプロの大人なので、上手にマティーナとコミュニケーションを取り、信頼関係を築いてくれた。
千秋楽にマティーナのインプロ(即興)のショーを観に行ったが、とってもとっても素晴らしくて、これはなんといい女優さんなんだろう!と驚き感動した。昔から知り合いの日系カナダ人俳優、ブレントのカンパニーだったが、出演者全員が見事だった。
観客が自由に書き込むフリンジ・バズ。
バズという言葉は今こそ日本でも知れ渡っているが、2010年にはフリンジでしか聞かない言葉だったなあ。蜂がブンブン言う音から、噂、口コミの意味。
今年から新たに始まったというフリンジの深夜キャバレー「The 11th Hour」にもゲスト出演できた。これはモントリオール・フリンジの名物イベント13th Hourにインスパイアされたもので、シンボルの巨大ルーレットもちゃんと設置されてオマージュされていた。
私は2007年にモントリオール・フリンジに初参加し、その13th Hourキャバレーにもいたく感動したものだ。
私は人形劇の一部をやる予定だったが、半屋外でなおかつフリンジバーの環境にあり、空気がざわついて集中して人形劇を観る状態ではなかったため、急遽予定を変更して得意のキャバレーネタの一つ、「上を向いて歩こう」をアカペラで歌い、口笛がまったく吹けないという芸を披露した。
これが非常にウケて、この夜のハイライトだったと、多くのひとから声をかけられた。
客席で観ていたジョン・ベネットは以前にもこのネタを観ており、それでもゲラゲラ笑い転げていたそうな。
ジミーはスマホで動画まで撮影してくれていた。
同じベニューでseaMANという演目を上演予定であったあのアミカが、腰を痛めて歩けなくなり、急遽全てのショーがキャンセルされた。そして相方のブルースがソロ作品「Mattnik」を差し替え上演することに決まった。
人間によって宇宙に送られた犬による独白。実際に愛犬を亡くしたというブルースによるコミカルかつとても感動的な作品で、アーティスト仲間たちの全力の応援もあって、プログラムに掲載されていないこの作品も徐々に客数を伸ばしていった。
そのブルースがフリンジ期間中に誕生日を迎え、仲間たちで協力し合ってサプライズパーティを仕掛けた。療養中のアミカもこっそりこの日だけ駆けつけ、「ブルースは泣くと思う。」とみんなが確信した通り、彼は感激のあまり涙を流した。
私はカードとマカロンを贈った。
左が同じくフリンジ・アーティストでブルースのビレットでもあるキャンディ。
彼女のソロショーもエドモントンで観たが、それはもうすごかった。
右がアミカ。
この夏にフリンジツアーで3つの異なる作品を上演したブルース。みんなからそれはそれは愛されている素晴らしい人物だ。
たった1つの作品でさえ大変なのに、3つも!
しかも彼らの作品はものすごく小道具が多くてそりゃもう大変なのだ。
サブリナとお揃いの色の服だった私。
フリンジのツアーアーティストにはとても言葉では言い表せないほどの連帯感や強い友情がある。まさしく苦楽をともにしてきた仲間たち。家族と言っても過言ではない。
かつてウィニペグ在住だったフリンジの大ベテランファン夫妻、まゆみちゃんとグレッグ夫妻は、バンクーバーに移住したにもかかわらず今年もウィニペグに駆けつけて多くのショーを観たのち、ビクトリアにもちょっとだけ訪れてフリンジ作品を観たという。
その夫妻が、私を自宅に招いてディナーをごちそうしてくれた。
フェリーに乗ってちょっとだけ移動。
フリンジの伝説、ジェム・ロールズに出くわしたので記念撮影。
フェリー船内にもちゃんとフリンジの広告が。
なんとお刺身!!!しかもこのエビは活け作りだった!!!
料理上手のグレッグが真剣に腕を振るってくれた。ありがとう。
見て、このテラスからの絶景。
サーモンのグリル、美味しい野菜、ワイルドライスの料理。
デザートのチーズケーキまでも!
フリンジを、演劇を愛する素晴らしい夫妻。
ゴージャスな夜景とヤノミ。
キース・ブラウンとジョアンナ。このゲートが美しくて大好き。
こちらはとある日のグランビル・アイランドのパブリック・マーケット。
シンボルとも言える大きな橋の下。
ジャグラーのYukiくんはフリンジに雇われて決まった時間に屋外でパフォーマンスを披露していた。ずっとバンクーバーに住んで、アーティストとして活躍しているYukiくん。
まもなく来日の予定で、日本で乾杯できることも楽しみ。
こちらも日本人の夫妻、康平くんと千穂ちゃん。
康平くんは18歳の頃からしばらく、私も所属していた流山児★事務所に入っていた。そこで演劇に血道をあげる大人たちと出会い、彼の人生はとても豊かになったという。
カナダに渡り、新たな仕事もがんばりつつ、最近は再び演劇の世界に戻ってきて、なんと英語でインプロをやっているという。
エドモントンでHappy Go Luckyを観てくれた康平くんは、バンクーバー・フリンジのボランティアスタッフをしながらたくさん助けてくれた。
そしてこの夫妻も自宅に招いて素晴らしい手料理をごちそうしてくれたのだった。
なんと!!!巻き寿司!!!鶏皮揚げ!!!きんぴら!!!
千穂ちゃんの趣味だという手作りの和菓子までお土産にいただいた。
なんという美しいお菓子。芸術。
この和菓子と巻き寿司ときんぴらを持ち帰ったところ、ジョアンナもモウもめちゃくちゃ感激していた。特にきんぴらを気に入って、この作り方を教えてと言い続け、私はツアー最終日に大量のニンジンを刻むハメになるのであった…。
こちらは日本人ボランティアのゆうこちゃんと、康平くん。
なんと彼女はこれまた私がかつてほんの短いあいだ所属していた、劇団ブルドッキング・ヘッドロックの制作さん。ワーキングホリデーでバンクーバーに滞在しており、フリンジに参加するのは人生で初めてだった。
そしてこの出会いが、彼女の人生を大きく変えるものになったと話してくれた。
北米フリンジを知る日本人はまだとても少ない。
この貴重な体験をゆうこちゃんや若い日本人が楽しんでくれていたことが、大きな希望だ。ゆうたろうさんという俳優さんも観にきてくれていた。
こちらは2013年にアメリカのワシントンDCのクエストフェスで出会った、日系アメリカ人アーティスト、Miwaちゃんと娘ちゃん。
11年ぶりの再会であった。
バンクーバーに移住した彼女は現在、大学でコンテンポラリーアートを教えており、このクラスに私をゲスト講師として招いてくださった。
フリンジ千秋楽、つまりツアーの大千秋楽の翌朝というすごいスケジュールで敢行した大学のクラス。
若き学生たちは人形劇についてそれはもう瑞々しくリアクションしてくれて、たくさんの良い感想をくれた。
「人形劇で、じぶんが泣くとは思いもしなかった。」
「すごくシンプルなのに、すごくかっこいいと思った。」
などなど。
Miwaちゃんもとても喜んでくださって、うれしかった。
彼女のショーは信じられないほどの美しさと独創性で、たった一人でプロジェクションと影絵となまのパフォーマンスを融合させて、魔法みたいに幻想的な空間を創り上げるのだ。いつか日本に呼びたい作品のトップオブトップ。
ありがとう、Miwaちゃん。こんな風に再会できてとてもうれしい。
ウィルにもバンクーバーにて再会できた!
彼は2015年、レジャイナ・フリンジにて、我らが座・大名行列(ハッチ・ハッチェル、チェリー・タイフーン、ヤノミによるポケットミュージカル一座)のビレットだったひと。
その後、日本に来て4ヶ月ものあいだとある有名なお寺でガチの修行をした、非常に真面目なジャーナリストである。
現在は大学院で宗教について研究をしていると言う。
相変わらず穏やかで優しくて、大好きな友達。
とある日のジョアンナごはん。お米も炊いてくれるのだ。
こちらは「生まれて初めて劇場で観劇をした」赤ちゃん。
フリンジスタッフ夫妻が連れてきてくださった。
60分のショーのあいだ、ぐずりもせずにちゃんとショーを見つめていたそうだ。
こんな幸福が、こんな光栄なことが、人生のうちに時々起きる。
(後編へつづく)
ヤノミ
ビクトリアにて、リンとの暮らし
ビクトリアは多くのカナダ人が憧れる楽園のような地だ。
ここに来るのは4回目かな。ミスしゃっくりで2回、ケセランパサランで1回。
今回はバンクーバーの前にほんの5泊だけさせてもらう。
2010年に初めて来たときのビレット(ホストファミリー)、リンの家に。
空港には友人のバーニーが迎えに来てくれた。バーニーはつい今年の春に日本に旅行に来て、しばらくうちにも滞在したばかり。
がんを乗り越えたのちに、来日直前に交通事故にあったり、いろいろ大変だったバーニーだが、すっかり元気そうでうれしそうだった。
ファーマーズマーケットで買ったという新鮮なフルーツや野菜を分けてくれたバーニー。ありがとう。
リンはといえば、数年前からパーキンソン病を患っており、とても大変そうだった。にもかかわらず、私を受け入れてくれたのだ。しかも今年私はビクトリア・フリンジには参加していないため、リンはビレットパスをもらうこともなく、言うなればなんのメリットもないのだ。
ありがとう、リン。
リン手作りのクッキーと、お茶。
猫のポケット。前にいた猫のコーラは亡くなったそうだ。
「今いるポケットはシャイだから、あなたの滞在中に姿を見ることがあるかどうか…」、とリンは言っていたが、ポケットはその日のうちに姿を見せ、私に挨拶をしてくれた。
これまでもたくさんの家の様々なシャイな生きものたちと仲良くなって来た。
それはたぶん、私が四六時中旅をしていて野生の動物みたいに生きているからだろう。
動物に対しては人間以上に礼儀正しく、尊敬をもって接すること、そして適切な距離を保つことが大事だといつも感じている。決して邪魔をしないことが肝要。
女王みたいな風格のあるポケット。
リンの家は信じられないくらい清潔で、ホコリ一つ落ちていない。非常に繊細で丁寧なリンには、一つ一つの家事にも厳密な流儀がある。私はそのことを懐かしく思い出し、リンの暮らしを邪魔しないようにと改めて思った。
たとえば、電気ポットにはいつも決まった量の水を入れておく。お茶を淹れたりした後には水を足しておくのを忘れない。
リンには2012年にも2015年にも再会してはいるが、家に滞在させてもらうのは実に14年ぶりだった。当然のことだがリンは確かに歳を重ねており、パーキンソン病によって身体に不自由を抱えていた。
「ポットの蓋を閉めないでおいてもらえるかしら。固くて開けられないから。」
そういうことの一つ一つが切なく、そして愛おしかった。
私が滞在中にできることは何でもするから、言ってね、と繰り返し伝えた。
リンは少し考えて、「ジャケットのジッパーが挟まっちゃったのよね。」とジャケットを見せてくれた。私がジッパーを直すと、それをゆっくりと確認して、とてもうれしそうに「ありがとう。」と言った。
あるいは美しいオーナメントを室内の観葉植物の枝にぶら下げたいと言ったので、それも丁寧に吊るした。結び方にもリンの流儀があるので、それを聞いて結んだ。
ある日には出かける前にシャツの襟元のヒモを結んでほしいと頼まれた。「自分でもできるけれど、永遠ほど時間がかかるから。ほどけないように二重に結んでおいてくれる?」と。
そういうことの一つ一つが切なく、人生のいろいろなことを思い出させた。
リンを少しでも手伝えてうれしかった。
私は身体障害のあった実の母の介護を少しはしたし、母が入院で不在の時期は主に祖母と過ごしていたので、とにかく年配の女性に対して思い入れが強い。
リンは2010年にとても親切にしてくれたので、ほんとうに家族だと思っている。
彼女がゆっくりゆっくり歩く姿や、小さな声で静かに話す声や、生真面目な顔でちょっとだけ冗談を言ったりするのが大好きだ。
こんな大変な病を持ちながら、一人で暮らすのはどんなにか心細いことだろう。
幼い頃から死の匂いの近くで育ったので、ツアー中に限らず私の日常においてはいつも死がそばにある。そして年配の人間の振る舞いやあり様というのは、その死の予感をより強くする。そしてそれが懐かしくさえあるのだ。悲しいことに。
でも実際には悲しむことなど何もない。
人間は必ずみんな死ぬものなのだし、今を美しく生きることができていれば、それ以上の幸せはない。
それでもいつも少し悲しいのは、きっと「これが最後かもしれない。」という小さな恐怖と、「すでに死んだ人たちを思い出す」という小さなノスタルジーの両方が相まってのことだろう。
リンは昔、英語教師として日本に住んだこともある。彼女の息子さんは日本人と結婚して日本に暮らしている。そのほかの家族はカナダにいるし、同じマンションのご近所さんもとても親切で仲良しとのことだ。
毎日決まった時間には妹さんと電話をかけ合い、互いの無事を確かめている。
リンが作ってくれた朝ごはん。ベーグルにポーチドエッグ、コーヒー。
美しい植物とポケット。
スーパーにて。ビクトリアの町はとにかくどこも花がいっぱい。
近所にある大聖堂。
この花かごがビクトリアの象徴。
よく絵葉書などになっている、有名な議事堂。
ビクトリア2日目には早速ジョン・ベネットとホエールウォッチングへ繰り出した。
クジラの前にちょこっとビールと食事。
ジョン・ベネットは遊ぶのが上手で、特に自然が大好きで、どのフリンジに行ってもアーティスト仲間を誘ってはレジャーを楽しんでいる。彼は人気者なので、いつもたくさんの仲間が集まってくるが、この日はたまたまみんな自分の本番が重なり、暇なのは私だけだった。差しで遊ぶのは初めてかもなあ。
「クジラが大好きなんだ。もしクジラを観られたら、俺の今年のツアーは大成功だ。それ以上の喜びがあるか?」
ホエールウォッチングの店のカウンターにあったシャチ。
ジョン・ベネットが予約しておいてくれたので、無事にことが進んだ。
ウィニペグのタミーがくれたこのセーターを着て、あちこちの町で写真を撮ってタミーに送っている。このセーターはウィニペグの個人店で売っているもので、「彼のセーターがあなたと一緒に世界中を旅しているのを見たら、きっと喜ぶから。」とタミーからのリクエストなのだ。
すてきなアイディアでしょ?
船内のジョン・ベネット。
豪華客船もいた。ジョン・ベネットは豪華客船内でショーを行ったこともあるそうだが、ものすごく嫌な思い出だと話してくれた。
よく晴れて風も少なく、最高のコンディション。
まずジョン・ベネットがこの雲を見つけた。
「おい!あれクジラが潮を吹いてるみたいじゃないか!」
これはきっといいサインだね。
いつどんなときも「海にいる限りはクジラを見つけるかもしれない」と長い年月ずっと注意を払って想像していたというジョン・ベネットは、クジラに限らず何かを発見するのが得意だと言った。
そしてその言葉通り、初めにクジラを見つけたのは彼だった。
ザトウクジラだ。
言っておくが、ホエールウォッチングのボートに乗ったからと言って必ずクジラが観られるという保証はない。ときには全く1頭も観られない場合さえある。
ちなみに私が2015年にここビクトリアでホエールウォッチングに参加した際には、たくさんのシャチとオットセイ、そしてただ一度限りザトウクジラを観ることができた。
しかし今年はなんと、10頭以上もの大量のザトウクジラに出会うことができたのだ。
しかもものすごく至近距離で!
皆さんにヤノミ渾身の動画をシェアいたしましょう。
動画を観られない方は写真をどうぞ。
歓喜のヤノミ。
歓喜のジョン・ベネット。
海と夕陽とヤノミ。
クジラたちの立てる深く大きな呼吸の音に、ジョン・ベネットが「呼吸のシンフォニーだ。」と言った。とても美しい表現だった。
信じられないほどたくさんのクジラを観て、このツアーはたっぷり4時間ほどもかけて無事に終わった。ありがとう、スタッフさん、ガイドさん!
ありがとう、クジラたち!
ちょいと一杯ひっかけたのち、海のタクシーに乗って移動。
楽しいなあ。
こちらはジェイムズ・ギャングル。昨年のオーランドで出会った。
とあるパブにて、フリンジアーティスト仲間たちと呑む。
ジェイムズ・ギャングル、アンドリュー・ベイリー、ジミー・ホグ、初めましてのアレックス。
9年も会わないうちに、アンドリューは二児の父になっていたし、ジェイムズにも赤ちゃんが産まれていた。すごいなあ。
みんなでいろいろしゃべって食べて呑む。
ここでもまた、昨年の私の苦労を知っているジェイムズが「ヤノミがソールドアウトなんてなあ…。ほんとうにすごいよなあ。いい作品だってことはわかってたけど、こうしてちゃんとソールドアウトしてさ、俺はマジでうれしいよ。」としみじみと言ってくれた。
こんな風に仲間たちが私の成功を心から喜んでくれるのは、なんと寛大で美しく、幸せなことだろうかと思う。
またとある日には、リンが大切そうに重いアルバムを持って来て見せてくれた。
2010年の写真!ホームパーティを開いてくれたときの。
私のフライヤーまで取っておいてくれている…!
そして私が書いた手紙も丁寧にアルバムに。
おお、リン。ありがとう。
写真嫌いのリンは滅多にカメラに顔を向けてくれない。だからこれらはすごく貴重な写真なのだ。
この日は私が料理を作った。米粉ヌードル炒め。リンが美味しいと喜んでくれた。
ブラックチェリーとクッキーのデザート。
どこもかしこもきちんと整えられたリンの家。
シアターガンボはここビクトリアで全ての公演をソールドアウトしていた。
みんなでベトナム料理のお店で楽しく食事。ウィニペグでもエドモントンでも忙しくてあまりゆっくり話せなかったので、ここでようやく時間が取れてよかった。
バンクーバー在住の影絵カンパニーMind of Snailのショー「Multiple Organism」を観た。
信じられないほど面白かった。めちゃくちゃ素晴らしく、笑えて、見事で、美しかった。
ジェシカとクロエにもバンクーバーでかつて出会って、家にまで遊びに行った。
相変わらずの才能に脱帽だ。
この夜はフリンジクラブのイベントにも遊びに行った。
天才イングリッドがおっさんに扮してビンゴ大会の司会を務めた。それはそれはもう、めちゃくちゃ面白かった。
イングリッドは今年もソロ人形劇「Ingi's Fingies」で各地でものすごい数の観客を動員していた。大スターである。私は2010年にビクトリアで彼女とエリオットによる二人芝居「Ginger Ninja」を観て以来ずっと彼女の大ファンだ。
翌日にはリンと一緒にアンドリュー・ベイリーのショーを観に行った。
何度目かのお願いでようやく写真を撮らせてもらえた。
ウッドホールという名の劇場。かつてバーニーがマネージャーを務めていたところ。
こちらはフリンジのボランティアスタッフ、スージー。2015年のケセランパサランをものすごく愛してくれたひと。
ダウンタウンの居酒屋には、孤独のグルメのこの方のポスターが。
そしてこの日はイングリッドとラーメン屋に行って、いろいろな話をした。
日本の人形劇フェスの話や、カナダの人形劇フェス、あるいはヨーロッパの。
いずれぜひとも彼女の作品を日本で上演したい。
そして日本の才能ある人形劇アーティストもぜひ海外に連れて行きたい。
夜はリンと一緒に料理をして一緒にディナー。
バーニーがくれた新鮮なコーンと、リンが買ってくれたチキンとサラダ。
一緒にジョン・レノンとオノ・ヨーコのドキュメンタリーを観た。
隠し撮りしたリン。
そして翌日にはリンと二人でクラシックボートのフェスを観に港に出かけた。
スマホを忘れて出かけたので写真がないが、ものすごい数のクラシックボートが集まっており、壮観だった。
よそのお家だし、あんまりいろいろ作れないけれど、再び米粉ヌードルとたまご焼きを作ってリンにも食べてもらった。美味しいと言ってくれた。
リンがクスクスを作ってくれた。
私がスタンダップを英語で上演したと伝えるとリンが観たいと言ったので、ビデオを一緒に観た。
翌朝、リンが「あなたのスタンダップについて考えていたんだけれどね、第二言語でスタンダップをやるなんて、ほんとうに勇気があると思う。」と言ってくれた。
そういえばエドモントンのジャネットもメールをくれて、「あなたが来てくれてとても楽しかった。あなたはとても面白くて、勇敢なひとね。」と書いてくれた。
ちなみに私はジャネット宅の鍵を返すのを忘れていて、ビクトリアの郵便局からそれを送り返したのだった。
2ヶ月以上も伸び放題の私の髪はひどいことになっており、シャワーのたびにドライヤーで髪を乾かしてライオンみたいになったところで「見て!ウオーーー!」と叫ぶと、リンも、エドモントンのジャネットもジョーンも笑ってくれた。
私がバンクーバーに向けて出発する際には、リンが「まるで娘が訪ねて来てくれたみたいだったわ。いろいろと面倒を見てくれてありがとう。とても楽しかった。あなたの活躍を祈っているわ。」とハグをしてくれた。
リン。
大好きだよ。どうかずっと元気でいてね。
またきっと会えますように。たくさんの親切をありがとう。
2010年にビクトリアにて見知らぬ人が通りがかりに撮影してくれたミスしゃっくりの写真。
いつもいつもこの衣装とメイクで宣伝して歩いていた私は、寒さに震えていた。
リンが見かねてリンのお母さんの手編みのショールを貸してくれて、しまいにはそれをプレゼントしてくれた。
私はそのショールで数年前に新しいマスク(仮面)のショーを作り、今も大切に使っている。
マスク作品「しらせ」
大好きな人たちに再会できて、ビクトリアの日々は美しく幸せだった。
いよいよツアー最終地、バンクーバー。
ヤノミ
エドモントン・フリンジの魔法
以下、今年のエドモントンにて私が観た作品。
自分のショーを10本やり、29本観た。
Famous Tonight
Kicked in the end: a magic show
Inescapable
The Method Prixxx
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A Cabaret of Legends
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FOREST OF TRUTH
The Naked Mennonite
Rebert Will Show You the Door
Brett Oddly's This Calls for Danger
Fancifool: SEX EDITION!
DJ Christ - Saving Humanity
Sweet Jesus - The Gospel According to Felt
Ink Addicted
GO
AWOL
ミッキー撮影、私の劇場にて、おそらく開演前。80席。
我ながらよく観たなあ。もう身体はかなりボロボロである。
膝がガタガタ。
カルガリーからしばらく蕁麻疹のような症状が出ていて、市販の薬でなんとか凌いでいる。アトピーみたいな感じだが、結局のところ疲れだろう。
ジャネットが毎日、何かしら朝ごはんやデザートを用意してくれて、「とにかく食べなさい。」と言ってくれる。
おおむね毎日ジョーンが車で送ってくれた。深夜0時開演の演目などもザラにあるため、帰りはバスを乗り継いで2時になることもしょっちゅう。
なので、朝に家を出るときにジャネットに「また明日!」というのが我々の笑える挨拶になっていた。
ふたりは私の舞台を早い時期に観に来てくれて、一番前の席で楽しんでくれた。
翌日、ジャネットが感想を伝えてくれた。
「私、人形劇なんて観たの初めてだったのよ。66年も生きて来てねえ。もちろんテレビではちょっと観たことあるけど。だから人形劇って人間の姿が見えないものかと思っていたら、あなたが舞台に現れて人形を遣っていたから、はじめはちょっとびっくりしたのよ。でもさらに驚いたことには、その後ずっと、あなたのことなんか見えなかった!私は人形しか観ていなかったわ。人形がまるで生きているようで、あなたの存在が全く気にならなかった。びっくりしたわよ。はじめの2つの顔を持つキャラクターの作品が好きだったし、赤ずきんちゃんもとても好きだった。全てがほんとうに面白かった。」
後日、追加公演に選ばれた作品についてもジャネットは「私はあなたの作品の方がずっと面白いと思ったわ!だって私ずっと笑っていたのよ。あなたのが選ばれたらよかったのに!」と言ってくれた。
ありがとうジャネット。ジョーンはいつも「昨夜は楽しかったかい?」と尋ねてくれた。楽しかったと答えると、「それが何より大事なことだ。」と言ってくれた。
ジョーンは森林火災のスペシャリスト消防士で、いろんな話をしてくれた。いつか本を出すべきだと思う。
森林火災では何日もキャンプをして消火活動をしなければならず、植生にも詳しくないと自然に立ち向かえないという。季節や風向きや地域や天候や、全ての情報を把握しつつ、チームの身の安全を守りつつ。初めてキャンプを任されたときに、失敗してキャンプが燃えてしまったとも話していた。
なんという壮絶な仕事だろう。
がんを乗り越えて今も闘っているジョーンは、闘病記を書いて出版もしたそうだ。
そして若き医学生たちがカリキュラムの一環としてジョーンを訪れては、がんの当事者としての体験などを聴いて学んでいる。
ジャネットは8月から早くもハロウィーンの準備に取り掛かっており、それはそれは忙しくいろんな小道具を作っている。ものすごく凝った飾りつけやテーブルアイテム、衣装、招待状、料理、デザートなど、一年で一番エネルギーを費やす大好きなイベントなのだそうだ。プロの舞台並みのクオリティでそれらを楽しそうに作っている。
真っ黒いガイコツをこの素敵なケージに入れて天井から吊るす計画。布や羽根も飾るそうだ。
孫のために古い学校の椅子(机と引き出しつき)を取り寄せ、それを綺麗にペイントし直していたり、いろんな種類のジャムを作ったり、パンを焼いたりデザートを焼いたり、スープを作ったり。
カナダには珍しく食洗機も電子レンジもないのだが、お皿洗いも好きだからと言って、私には全然皿を洗わせてくれない。私は食べる専門だ。
ふだん甘いものはほとんど食べない私だが、ジャネットがあまりにもデザートを作ってくれるため断るのは不可能で、毎日あれこれとデザートも食べている。
セミリタイヤした二人はとても仲良く、毎日いろんなことをして楽しそうに暮らしている。
深夜に帰宅すると、いつもキッチンのカウンターには私のためのワインボトルとグラスが用意されていた。
なんという思いやり。
いつも優しいタムリンとショーン夫妻。夫婦だがそれぞれ別の作品を上演している。そしてそのどちらも素晴らしかった。
サザンゲートという電車とバスのハブにある巨大な足。すごく好き。
とある日に食べたバターチキンカレー。
2010年にここエドモントンにてやむを得ず大道芸をしていたとき、ぜんぜんお金がなくて毎日ろくに食べることもできなかった。そしてそのときに、別のフリンジアーティストが屋台で買って食べていたバターチキンカレーが心底うらやましくて、一緒に会話していてもぜんぜん話が頭に入って来ないくらい、夢みたいに美味しそうだった。
以来、私にとってバターチキンカレーは憧れの食べものだ。
今年は公演の成功を祝って、一人で劇場近くのパブにてこのバターチキンカレーを食べた。14年前の自分に、何度も何度も「えらい、よくがんばっている。14年後に報われるから、あきらめないで。ほんとうによくがんばっている。誰かがちゃんと見ているよ。」と念を送って励ました。
当時の大道芸仲間の一人、ダニエル。
そしてエドモントン最終の週末、カルガリーからなんとティナが車でやって来た!
到着するなり車内で私のプログラムを食い入るように読み始め、「この時間なら間に合う!」と別の劇場に車を飛ばす。
結局なんだかんだ言いながら2日間で合計4本のショーを一緒に観た。
ちなみに私はこの日が千秋楽で、自分の最終公演の後に連続でもう1公演を追加で行った。コロナ感染により全公演がキャンセルとなった、ウィニペグ在住のカンパニーに、そのチケット売り上げの全額を寄付することにしている。そしてこの追加公演も発表から2日ほどであっという間にソールドアウトし、さらにフリンジ事務局のミスによりオーバーソールドとなり、70枚ほどのチケットが払い戻しキャンセルとなった。
10本の本番を終えてヘトヘトだったが、ティナの勢いには逆らえず、空腹のまま走り回る。
自分の身体にホッチキスで現金のチップを留めさせるというイカれた芸人とティナ。
せっかく来たのだからゆっくり食事でもするのかと思いきや、もうぜんぜん座る暇もないくらい、ショーからショーへと走り回り、途中で買ったピザを2分で劇場の入り口で立ち食いする有様だった。
さすがティナ。
本気のフリンジファン。
こちらも大道芸仲間のクリス。
彼はずっとあたためていたソロの劇場公演を初めて行い、大きな挑戦をしていた。私が観に行った夜には観客が7人しかいなかったが、彼の真摯な姿に胸を打たれ、思わず泣きそうになった。観客をどうやって集めるかも知らず、チップも信じられないくらい少なかった2010年の大道芸の自分と重なった。
終演後、クリスがまさに「ずっとあの頃のヤノミのことを思い出していたよ。来てくれてありがとう。」と言ってくれた。
フリンジがフリンジであることの意義が、ここにもまた。
こちらは日本人の康平くん。
なんと彼がまだ18歳の頃に、当時私が所属していた流山児★事務所で出会ったのだった。その後、彼はカナダに渡り現在はバンクーバーに住んでいる。
たまたまメタリカのコンサートを観るためにエドモントンに来ており、私のショーを観にきてくれたのだ。15年以上ぶりの再会。
バンクーバーフリンジのボランティアもしているという康平くんは、バンクーバーでの私の宣伝も手伝ってくれるという。なんと心強いことか。
ずっと演劇から離れていた康平くんだが、最近なんとインプロ(即興)のショーに参加し始めたと言うではないか。もちろん英語でだよ。すごいよ〜!
みんなが集まるスティールホイールズで、康平くんのことも紹介して一緒に飲んだ。
トロントのカンパニーの演出家、マーティン、そしてアル・ラフランス。
アル・ラフランスはかつてモントリオール・フリンジのスタッフであったが、アーティストになって以来、コメディアンとして大成功し、カナダを代表するジャストフォーラフのアワードを何度も受賞している。
他にも、元フリンジスタッフでアーティストに転向した人たちが何人もいる。
ミッキーが自ら手作りして貼ってくれた、ソールドアウトの紙。
ミッキーは何度も何度も「あなたのショーが一番好きだよ。両親にもいつも話しているよ。」と言っては、終演後に私が片付ける横でうれしそうに踊っていたりする。
なんてかわいいテクなんだ。自分の娘でもおかしくない歳の差。
そうそう、私の誕生日の日、ミッキーにも内緒にしてカーテンコールでそのことを発表したところ、ミッキーが観客に向かって「みんなでヤノミに歌おう!」とバースデイソングを歌って、パーティーみたいな派手な照明をつけてくれたのだった。
「誕生日のことを私に言わないなんて、信じられない!」とあとで叫んでいた。
10ステージもやったのに、彼女は決して飽きることなく真剣にテクを務めてくれて、開演前には全力で両手ハイタッチをして「Let's DO it!!」と言い合う。
オーストラリアから来ていたミッキーは、帰国前の空港からもメッセージを送ってくれて「さみしい。さみしいよ。大好きだよ。」と言ってくれた。
またいつかきっと、ミッキーと仕事ができますように。
大好きな人たちが増えるたびに、辛いのが別れのときだ。
巨大なエドモントン・フリンジも最終日を迎え、何百人ものアーティストやスタッフがパーティーに集まった。すでに次のビクトリアに出発してしまっていない人や、それぞれの町や国に帰った人もいた。
列の途切れないバーカウンター。
ダンスパーティー会場。
必死の宣伝が実って全公演をソールドアウトしたジョアンナ。
ジョアンナは非常に真面目で働き者で優しくて情熱的。
そして無邪気な酒飲み。この夜も酔っ払ったあまり、このタコスを食べたことを全く覚えていないと翌日に大笑いしていた。
バンクーバーでは彼女の家に滞在させてもらうことになっている。
そして帰宅するや否や、私のポスターを準備し始めてくれた。
「ヤノミ、うちにめちゃくちゃいっぱいお酒あるからね!準備万端よ!」
人形劇で大売れしているアダム、ブルース、ウェンディ、そしてジョン・ベネット。
「ヤノミ、俺の頭が半分だけ入るように撮影してくれない?」とジョン・ベネット。
ジョンPとショーン。
リネアと旦那さんとジョン・ベネット。
フィーナとヤノミ。
今年の春に東京の私の家に数日ほど滞在した、モントリオール在住のアーティスト、ポールのパートナー。フィーナのショーが素晴らしいと聞いて観に行ったら、なんと私はすでに昨年のオーランドでそれを観ていたのだった。
二回観ても素晴らしいショーだった。
踊るマーティン。
こちらも大売れのスター、ティム。
ステージで踊り狂うウェンディ。大好き。
楽日近くのビデオ撮影の入る本番の日、私は衣装のインナーを忘れてしまい、開場直前にウェンディが自分の滞在先まで走って戻り、彼女の黒シャツを貸してくれたことがあった。ウェンディは恩人。
すごくすごく集客が少なくて、いつも苦労していたけれど、それでもいつもたくさんのショーを観に行って、いつも明るくてポジティブなウェンディは、今年の私のソールドアウトを聴いて自分のことのように喜んでくれた一人だ。
「ヤノミ。これって、奇跡みたいなことよ!信じられないよ!夢だよ!私たち、一緒にあんなに苦労してきて、今やあなたのショーは大ヒットだよ!なんてこと!私ほんとうにうれしいよ。あなたがどんなにがんばって来たか、観てきたからね。」
別れを惜しむ友人たち。ケイト、エリカ、ポール。
ヤノミ、マーティン、ブルース。イングリッド、ジョアンナ、アダム。
タクシーで前日あたりに少し怖い思いをしたので、リフトというアプリをインストールしてリフトで帰宅。
どのフリンジでも必ずと言っていいほど、女性の安全についての問題や、人種差別や、性的マイノリティやあらゆるマイノリティに対する安全の確保などの問題が話題にのぼる。北米フリンジでは今や各フリンジに必ず「セイフティ・プレイス」のマニュアルがある。あらゆるハラスメントから安全である場所を目指すものだ。
今のところ、私のツアーはおおむね安全だが、ほんとうに気を抜けるほどではない。
ポール、ウェンディ、エリカ、ヤノミ、エドナ。
またきっと、いつか会えますように。
美しき友人たちよ。
素晴らしき戦友たちよ。
みんなが幸せでありますように。
最大のフリンジを終えた翌日も、たまっているあらゆる仕事をしまくり、夕方にティナが迎えに来てくれて彼女の友人であるヘレン宅へ。
ディナーに招いてくれたのだった。
絵本みたいなマンション。
ティナ。
ラムチョップとサラダとキヌアのディナー。
ティナが社会人として大学に通い、修士課程を終えて学位をとったのに、家族も友人も誰も祝ってくれないと悲しんでいたので、私はワインとシャンパンを買ってティナのお祝いをした。
優しいヘレン。
キヌア。この食べものも10年以上前にカナダで知ったなあ。今や日本でも人気になってきた。
ほんとうはジャネットとジョーンもまもなく旅立つ私のことを気遣ってか、焚き火を用意してくれていたのだが、カルガリーから来てくれたティナとの予定を優先し、それは胸が痛かった。ありがたい悩みだった。
帰宅するとまだジョーンが起きていて、少しだけ焚き火が残っていた。
ジョーンに改めてお礼を言うと、「君が来てくれて楽しかったよ。俺たちはセミリタイアしてるからね。君がいい時間を過ごせてよかったよ。」と穏やかに笑った。
ナイトキャップと呼ばれる寝酒を、ジョーンはよく私とジャネットに用意してくれた。
あるときはアイリッシュクリームだったり、あるときはメイプルシロップのウィスキーだったり。
ジャネットは数日前から何度も、努めて平静な様子で「また次にエドモントンに来ることがあれば、うちに泊まりなさいよね。」と繰り返してくれている。「連絡してちょうだいね。」と。
たくさんの人たちの思いやりと助け、惜しみない愛情のおかげで、このエドモントンを最高の状態で終えることができた。
いよいよ残すはあと1つ、バンクーバーだけ。
その前に大好きなビクトリアにてほんの少しの休暇。
ありがとう、エドモントン。
ありがとう、大好きなみんな。
ありがとう、14年前の私、9年前の私。
ありがとう、天国の人たち。
ヤノミ