バンクーバー・フリンジの日々 (後編)
ジョアンナによるグルテンフリーの美味しい料理。
ね、ブログ書く暇もないでしょう?
前編をお読みいただけましたか…?
実はこのバンクーバーのブログ、全部書いたら文字数オーバーで保存できなかったため、こうして前後編に分けているのです…。
マーケットのドイツ屋台で買った、ホットドッグとビール。
自分のショーをやりつつ、日々さまざまなデスクワークにも追われていた。
遅れに遅れたカルガリーのフライヤーの払い戻しの請求やら、遅れに遅れたフライトのリファンドの申請や、エドモントンから間違えて東京に送られた小切手を無効にする手続きや、とにかくもう煩雑なことが続いていた。
日本からも続々とメールが届き、ああ、もうすぐツアーが終わって日本に帰るんだなと実感させられた。
今この舞台をやりながら、次の、そのまた次の舞台の予定がある。
なんと幸せなことだろう。夢にまで見た生活だ。
しかし綱渡りであることには変わりない。時間も体力も経済も、いつもギリギリいっぱい。全力疾走。
ある時、キッチンで隣同士に座ってデスクワークをしていたジョアンナに、私が何の気なしに「人生は綱渡りなんだよ。いつ死ぬか、誰にもわからない。」と言ったところ、ジョアンナは腹を抱えて笑い、そしてそのセリフを異様に気に入り、ノートに書き留め、それ以来ことあるごとにそのセリフをドラマチックに唱えるのが流行った。
「ヤノミ、このセリフだけで一本作品を創れるよ!」と。
フリンジ・バズに書き込まれていた感想。
バーニーもビクトリアからバンクーバーまで観劇に来てくれた。
こちらはエジンバラ・フリンジで始まった歴史ある名物スペシャルイベント「A Young Man Dressed As A Gorilla Dressed As An Old Man Sits Rocking In A Rocking Chair For Fifty-Six Minutes And Then Leaves」。
説明すると長くなるので、いつか何かの折に紹介したい。
とにかく最高に面白い。フリンジならでは。
北米ではジョン・ベネットがオーガナイズしている。何度も観ているが、一度として同じことはない。
シューリーも私のショーを観に来てくれた!ちゃんとチップも入れてくれて、缶バッジをストラップに着けてくれている。
ウィニペグで出会ったグラハムとも再会。
フリンジについていろいろ情報を知りたいと言い、食事をごちそうしてくれた。
彼もバンクーバー在住。
さて、ジョアンナといるとほんとうに楽しくて、なおかつ深いところまで話ができる。
ジョアンナも話したいことが止まらなくて、ときにはずっとずっとしゃべっているが、不思議と彼女の英語はほぼ全て理解できるのだ。
彼女もまた「ヤノミと話していて、あなたの英語に遜色があると感じたことは一度もない。」と断言してくれた。
9ステージ全てを客席で観てくれたジョアンナは、飽きることなく毎日毎日、感想を伝えてくれた。ほんとうに小さな、些細な演技まで見逃さず、小心ズであるところの私が最も大事にしている繊細な部分を汲み取ってくれた。
特に観客とのインプロのやりとり=インタラクションについて毎回ものすごく感心して誉めてくれた。そのことはとてつもなく励みになった。
ジョアンナとモウ。
ジョアンナに謝礼の話や食費の話をしても、いつもはぐらかされた。
「あなたからお金をもらうつもりはない。私は自分で選んでこうしているのよ。ハイ、この話は終わり。」といった感じで。
そしてジョアンナは「こんなに他のアーティストの成功に対して嫉妬もなく、純粋に心からうれしいと思えるのって、稀なことよ。」とも言ってくれた。
これと似たようなことを、他にも長年の友人アーティストであるトミーや、何人かの友人たちが言ってくれていた。
そのことに感謝しない日はない。
だがしかし、謝礼も何かしらの手段で払いたいし、食費ももちろん何とかして受け取ってもらった。食べものも酒も、車のガソリンも、電気代も、そして何より彼女の膨大な労力も、モウの親切極まる協力も、何もかもタダではない。
ジョアンナとは一生つづくつきあいになるだろうと思う。
そのジョアンナと、私がフリンジツアーで最も愛してやまない「フラッシュライト・キャバレー」で共演することになった。ウィニペグに続いて2度目のコラボ。
バンクーバーでのこのキャバレーのタイトルは「Cabaret of Bullshit」。
2010年に天才ダニエル・ニーモとコラボした、あの記念すべきキャバレーだ。当時はbullshitの意味すら知らなかった。
2015年にはチェイスと二人で歌った。
この夏のツアーの最後を飾る、特別な、最高の一夜。
私が白いゴミ袋で作った大きなパペットを二人で操演。
大好評をいただいた。
観客が照らす懐中電灯の明かりの中で、客席を自在に飛び回る白いパペット。
もちろん得意の観客とのインタラクションも織り交ぜて。会場のあちこちから歓声と笑いと拍手が湧き起こった。
真面目なジョアンナは「ものすごく緊張したわ。だって私、パペティア(人形遣い)じゃないし、あなたはこのツアーを代表する超一流のプロのパペティアだし!」と終わってから吐き出していたが、もちろんジョアンナは最高だった。
私は他にもホリーのバーレスクの演目に忍者のような役割で参加し、その白い手袋の動きをのちにアーティストたちからも絶賛されて驚いた。「あの手の動き、教えてくれない?」とまで言われた。
舞台裏にて、「俺のカオ、半分だけ写るようにしてくれよ」と、またしてもジョン・ベネットのリクエスト。
本番直前の打ち合わせの様子。
「今夜は呑むわよ!好きなだけ!」の宣言通り、ジョアンナは呑みまくり、私ももちろん安心して好きなだけ呑んだ。
途中でジョアンナがどこかに消えたので、そこら辺にいた見知らぬ親切な男性(たしかライアンと言ったような…)に頼んでジョアンナに電話をかけてもらったりして、みんなでゲラゲラ笑う。
大尊敬する偉大なアーティスト、TJ。
お世辞を言わないことで有名なTJが、私の千秋楽の舞台を観て目を輝かせてすごい感想をたくさん伝えてくれた。
「ヤノミ!なんて美しいんだ!君の何もかもを、観客がみんな心から愛していたよ。細やかな動きといい、物語といい、愛嬌といい、なんて見事な作品なんだ!」
客席のTJの様子を見ていたというジョアンナも、「TJがあんなに幸せそうに興奮しているところを初めて見た…!」と衝撃を受けていた。
TJには2010年に出会って以来、どことなく我が弟を彷彿とさせる風貌と佇まいにも親近感を持ち、無類の読書家でもある彼といろんな話をしてきた。
大千秋楽、観られる限り観ようと、正午から観劇しまくる。
ちなみに前日は3時まで呑んでいた。
ソールドアウトの赤い印。
なんとフェリーの中で上演される演目。
定員は12名のみ。もちろん連日ソールドアウトだが、運よくラッシュで入れた。
バンクーバーの湾岸を案内しながら、デタラメの逸話をたっぷり語って聞かせるデタラメインチキツアーガイド。
この男性、本職もこのフェリーの運転だという。面白い〜〜〜〜。
ホラ吹き船長!!!!
この日は自分の本番までに4本の作品を観た。
今年のバンクーバーで観た演目は以下の14本。
Mattnik
Jimmy Hogg: Potato King
Tale of Heartbreak
A Woman's Guide to Peeing Outside
How to Catch a Karen
The Real Black Swann Confessions of America’s First Black Drag
The Kid was a Spy
The ADHD Project
Jon Bennette: Ameri-CAN'T
Cardboard Boxes and Other Ways to Travel
Tragedy or Triumph
False Tour of False Creek
Every Feeling
EVERYBODY KNOWS
私の千秋楽は最も遅い20:45の開演で、照明も暗転もバッチリ効き、満員のお客様とともにこの上なく盛り上がり、スタンディング・オベーションをいただいた。
言うことなしの最高のツアー大千秋楽となった。
踊りまくるアーティストたち、スタッフたち、ボランティアたち。
お祝いと言えば音楽と踊り。
どこのフリンジでも、最後の最後のパーティはやはりダンスなのだ。
踊りまくり、叫び、笑い、飛び跳ね、歌い、踊る。
この夏の、すべての舞台へのエネルギーを祝福して。
がんばったことも、うれしかったことも、悔しかったことも、しんどかったことも、
すべてをダンスに換えて。
そしてこのダンスの中で、この期に及んでまだ新たな友達ができたりもする。
シャボン玉を追うヤノミ。
この夜ももちろん3時まで呑んだ。
(そして翌朝、大学でゲスト講師を務めたと話すと、ジョン・ベネットはじめツアー仲間たちが「はあ?!あのあと、朝から、大学で?!」と大声で叫んでいた。)
さすがに3日ほどろくに寝ておらず、疲れ果てていたが、大学の授業の後も帰宅してすぐにパッキングの準備をし、さらにジョアンナと買い出しに行って、ホームパーティの準備に取り掛かった。
ジョアンナの命令により、30本近いニンジンを切り刻み、大量のきんぴらを作った。きんぴらだけで1時間はかかった。筋肉痛になるほどの量だった。
「海賊船の下働きのようだ」と私が冗談を言うと、ジョアンナが「この姿を見たらみんなが、私がずっと2週間ヤノミをこき使っていたと誤解するだろうね!」とゲラゲラ笑った。
そのほかに定番のたまご焼きと、ナスのアボカド味噌焼きも作った。
みんなとにかくたまご焼きに感動してくれるんだよ〜。
ジョアンナはテキパキとタコスを大量に作ってくれた。
ツアー仲間たちがやって来て、みんなくつろいで食べて呑んでしゃべった。
さらにキャンディの家に移動して、焚き火をしてマシュマロを焼いた。
ここでもさらに人が増えた。
テクのダレンと妻。ガンダムが大好きというダレン。
バンクーバーはすでに相当寒く、最高気温で14度ほど。
私は大事なパーカーを千秋楽に失くし、出国の日まで大騒ぎして探していたが、なんのことはない、ブルースが間違えて持って帰っていたことが帰国後に判明したのだった。
いずれYukiくんが日本に届けてくれることになっている。
たくさんの大好きな仲間たちとハグを交わし、またねと言い合う。
また会おうね。
次は9年も経たずに会えますように。
でも、未来のことは誰にもわからない。
ジョアンナとの別れについては悲しすぎるため考えないようにした。
またしてもほとんど寝られずに早朝からパッキング。
片付けた部屋のクローゼットに、こっそりお礼のメッセージカードを置いておく。
ありがとう、ジョアンナ。ありがとう、モウ。
途中でなんと痛風を発症したモウは、足を引きずりながらもなお私を手伝ってくれた。
空港へ向かうリフト(タクシーみたいなもの)の運転手と話していたら、香港生まれのミュージシャンだとわかって仲良くなった。
もはや疲れのあまり何がなんだかわからないくらいだが、いくつかお土産を買い、それでも機内では眠れないため、ワインを呑んで映画を観てやり過ごす。
とにかく無事に帰国した。大荷物を抱えて成田からバス、さらに電車、そしてタクシー。
あれほど凍えていたカナダから、なんと34度の東京へ。
翌日には打ち合わせ2本とYouTubeチャンネルへのゲスト出演。
帰国後もぜんぜん休みがなく、ブログを書く隙間もなかった。腑抜ける暇も、感傷に浸る暇もない。時差ボケすらない。
もっとゆっくりきちんと振り返りたいけれど、とにかく人生で最高に幸せなツアーだった。
いつも思うけれど2ヶ月半とは思えない、あらゆることが凝縮されてぎゅうぎゅうに詰まった日々だった。心も身体も、あらゆる細胞が全力で生きている。
たくさんの宝物をまた持ち帰った。
私の小さな器ではとうてい抱えきれないほどの宝物だ。
この小心記を読んでくださっている皆さんに、心から感謝いたします。
ありがとう。
妖怪みたいになっていた髪を切り、歯医者の定期検診に行き、週末には愛知に行って来ました。
まだ、朝自分のベッドで起きると一瞬「えーと、今はどこだっけ?」となります。
これからまた、少しずつこつこつと、さまざまな形で世界に恩返しをしていきます。
ただいま!
ただいま!
やったよ、やったーーーーーーーーーーーーーーー!!!
I did it!!!
ヤノミ