バンクーバー・フリンジの日々 (前編)
ビクトリアからフェリーでバンクーバーへ。
船の旅は大好き。広くてゆったりしていて。
ビクトリアで美しい絵葉書を見つけたので、船内で手紙を書く。大事な人たちに届きますように。
バンクーバーではアーティスト仲間であるジョアンナの家に泊めてもらった。
バンクーバーはカナダのフリンジの中でもやはり大都市であり、物価が高く不動産も高く、ビレット(フリンジアーティストを泊めてくれるボランティア)を見つけることが非常に困難なことで有名。事務局からもツアー中に再三「ビレットは必死に探しているが、保証は出来ない。」とメールが届いていた。
私は過去に滞在したジャズミンにも連絡してみたが、結婚して子どもが二人生まれており、ビレットは出来ないと言われた。
異国を旅しながら次の滞在先が見つかっていないなんて、よく考えたらかなり恐ろしいことなのだが、もうこんなことにも慣れてしまい、「いずれどうにかなるだろう。」と思ってのんきに構えていた。
そんな中、ジョアンナの家に泊まる予定だったジョン・ベネットが別の友人宅に泊まることになったため、ベッドルームが一つ空き、私は無事に滞在先を確保できたのだった。
そしてここバンクーバーで、ジョアンナのサポートはもう、筆舌に尽くし難い素晴らしいものだった。
今年、私が参加したウィニペグとエドモントンで新作ソロ作品を上演していたジョアンナは、カナダの前にアメリカはオーランド・フリンジにて批評家選出「ベスト・ソロコメディ賞」を受賞していた。そしてウィニペグでもエドモントンでも、私はカーテンコールで必ず彼女の宣伝をし、ジョアンナもエドモントンにて全ての公演をソールドアウトしたのだった。
エドモントンを終えるとすぐにジョアンナは私のバンクーバーの準備に取り掛かってくれた。彼女はバンクーバー在住ではあるが、今年はフリンジには参加していなかった。
「ヤノミ、私がいるから大丈夫。ありとあらゆる宣伝をするからね。」
ジョアンナとパートナーのモウ。
犬のボウ。
イタリア系カナダ人であるジョアンナは、料理が大好きでとても上手。今年は料理好きなビレットに恵まれているなあ…!
1日中仕事をしまくっている勤勉なジョアンナは、さらにその合間を縫って下手すると1日に3回も4回もキッチンに立って料理をしている。すごい。日本人でも仕事をしながらここまで料理をする人はあまりいないのではないだろうか。
アレルギー持ちのジョアンナは乳製品は食べないし、グルテンも摂らないようにしている。野菜が多く、肉や魚も使うし、スープも得意。とってもとっても美味しくてヘルシーなのだ!
「ヤノミ、とにかくここにいる間はなんでも好きなように食べて。ここにあるものは全てあなたのものよ。遠慮しないで。」
そしてあまり酒を飲まないモウと酒飲みのジョアンナは、私が来ることをとても楽しみに、それは大量のお酒も買い揃えてくれていた。
ワイン飲みつつも、私のポスターのラミネート加工をしてくれるジョアンナ。
なんという働き者だろう。
道理で気が合うわけだ。いやむしろジョアンナを見ていると自分が怠け者に思えてくるくらいだ。
昨年のオーランドで初めて出会った私たち。彼女のソロ作品を観て涙が止まらず、言葉もうまく出てこないほど感動した。泣きながらハグをし合った私たちは、それから少しずつ親しくなった。
それはそれは壮絶な人生を歩んで来たジョアンナに、私はあるとき「あなたはギフト(特別な才能、天から授けられた存在)だよ。」と伝え、ジョアンナはそれを一生忘れない特別な出来事だったと今年になって話してくれた。
まったく異なる人生の二人だが、私たちにはいずれも最愛の母を亡くすという共通の経験がある。そのことも大きかった。
バンクーバーにてジョアンナがある日しみじみと「お母さんたちが、私たちを引き合わせてくれたんだね。きっとそうだ。」と言った。私もそう思う。
ラミネート加工されたポスターたち。
モウはIT関連の仕事をしており、二人はいずれも在宅ワーク。
その仕事の合間を縫って、こうしてさまざまな印刷物も作ってくれた。
生まれて初めてポスターに貼る、ソールドアウトの文字。
初日4日前くらいのこの時点で9ステージ中5ステージほどが早くもソールドアウトしていた。
一つ一つをハサミで切ってテープで貼り付けながら「こんなに楽しい作業はないな」と密かに思っていた。なんとありがたいことだろう。
ジョアンナの運転でフリンジ会場であるグランビル・アイランドへ。
9年ぶりのこの土地。
開幕前の静かなアイランドで、フリンジの会場を回ってポスターを貼っていく。
「早くしないといい場所が取られちゃうから。」とジョアンナ。
ガンタッカーも上質なテープも提供してくれた。
こんな風に、各地での5ツ星レビューやソールドアウト歴なども全てモウとジョアンナが完璧にデザインして印刷してくれた。サンドイッチボードは、各アーティスト/カンパニーに一面ずつ提供される。
雨の多いバンクーバーに備えて、全てをラミネート加工もしてくれた。
ありがとう、ありがとう。
木曜に開幕したフリンジ。こちらはBYOV会場の一つ、小さなカフェOff the Tracks。
上演しているのは我が悪友、ジミー・ホグ。彼も全ての公演をソールドアウトした。
2週間、毎日のように通ったこのストリート。
グランビル・アイランドは一大観光地のため、昼間は非常に人出が多いが(フリンジに関係なく)、夜は一気に静かになる。このストリートにはお洒落なアートクラフトのお店などが並び、夕方には店じまいし、夜はほぼフリンジ関係者と観客だけが行き交うことになる。
半屋外のフリンジ・バー。
それにしても今年はどのフリンジもビールが高かった…。
平均して1杯10ドルくらい、1000円を超える。高いよう〜〜!
左から、ジェシカ、クロエ、ブルース、ジミー。
ジェシカとクロエは天才的な影絵アーティストデュオで、今年はバンクーバー・フリンジには参加しておらず、ビレットとしてマティックというアーティストを受け入れて観劇に徹している。ビクトリアで観たこの二人の作品は、私の大きな期待をさらにはるか上回る素晴らしさだった。
そしてなんと、バンクーバーで私のショーを観てくれたジェシカが、後日「素晴らしいショーだった!今年のバンクーバー・フリンジの中で、ベストワンだよ、マジで!!!」とメッセージをくれたのだった。
尊敬するアーティストになまの舞台を観てもらえて、こんな屈託のない誉め言葉をもらえるなんて、はるばるカナダまで来てよかった。なんたる光栄。
バンクーバーの美しい眺望。
ビクトリアのボランティアスタッフ、スージーが手作りし、ジョン・ベネットに預けてくれたあみぐるみの黄色いタコ。
こういうちいちゃくて心のこもったプレゼントが、私に少しずつ幸運を届けてくれているのだと思う。バックパックとかいろんなバッグなどに、こういうものがいっぱい入っている。
たとえばブルガリアのマリエッタがくれたかわいいフェルトのマスコットも、私を護ってくれているのだ。あるいは2010年にブライアン・フェルドマンがくれたシリコンの妖怪みたいなやつも、今も私と旅をともにしている。
2010年と2015年に私がバンクーバーに参加した際にプロデューサーだった、デイビッド・ジョーダンにも再会!!!
彼は今もミスしゃっくりとケセランパサランを覚えていてくれて、当時の思い出話などしてくれた。うれしいなあ…!
何百何千もの作品やアーティストを観てきたデイビッドが、私の作品を。
「僕の息子がまだ2歳だった頃にケセランパサランを一緒に観たんだ。彼は小さかったから、パパが劇場をぜんぶ所有しているんだと誤解していてね。君が客入れ中からずっと舞台上のボックスに隠れていて、開演と同時にボックスから出て来ただろ?それ見て息子は『パパ、なんであのひとを、はこのなかにとじこめていたの??』って訊いて来たんだ。今でも忘れられないよ。そんな彼も今や12歳だよ。」
デイビッドがプロデューサーを退いたのち、バンクーバー・フリンジは新たなプロデューサーたちのもとで迷走を続け、いったんは全てのボランティアスタッフが辞めるという危機的状況にまで陥った。
ツアーアーティストの多くからも、「バンクーバーはもうダメだ。参加すべきじゃない。」という情報が流れてきていた。
そこへ登場したのが今年2年目の若きプロデューサー、ダンカンだ。
彼は弱冠30歳でありながら、それはもう有能で、情熱に満ちており、人望も厚い。多くのスタッフやボランティアやアーティストがダンカンを支持しており、ジョアンナなどは「ダンカンが辞めないで長く続けられるように、できる支援は全てする。なんでもやる。」と断言している。
フリンジ開幕の大イベント「Fringe 4 All」にて、カナダの首相トルドーからの手紙を読み上げるダンカン。
フリンジにカナダ首相から直々に手紙が届くなんて、前代未聞のことである。
ダンカンは政治力もあるとの定評は、ほんとうらしい。
プロデューサーといえば、なんとここバンクーバーでウィニぺグ・フリンジのプロデューサーであるトリに初めて出会うことができた。
オーランドのテンペストやカルガリーのミッシェル、そしてここバンクーバーのダンカンなど、毎日毎日フリンジで顔を見ない日はないほど会場で走り回っているプロデューサーがいる一方、ウィニペグのトリやエドモントンのマレイはまったくその姿を見ることはなかった。もちろんフリンジの規模が巨大だということもあるが。
彼女の風貌も年齢も知らず、私はもはや「トリは実際に存在するのだろうか?幻なのでは?」と冗談を言っていたほどだ。
そのトリが、バンクーバーに視察に訪れて、Happy Go Luckyを観てくれたという。フリンジバーで、ダンカンに話しかけていたときに隣にトリがいて、突然その事実を知らされた。
びっくり!!!ありがとう!!!
「あなたはウィニペグでも素晴らしい興行だったと知っているわ、ほんとうにおめでとう。」
「トリ、会ったことないからほんとうに存在するのか疑っていたくらいだよ!ミステリアスだったよ!」
「私はどちらかというと舞台裏で働くタイプだからね。じゃあ、この先もミステリアスなままでいようかしら。」
「そうだね、私はこの先も『トリはもしかしたら80歳くらいかもしれないね』ってみんなに言うよ。」
表で、裏で、さまざまな形で全力を尽くしてフリンジを実現しているプロデューサーたち。何十人ものスタッフ、何百ものボランティア、そして何百ものアーティスト、何千何万もの観客たちのケアをする彼らの偉大さよ。
「フリンジ」という偉大なコミュニティを、その類い稀なフォーマットを維持しつづける彼らに、改めて感謝と尊敬を。
これがダンカン!
この先10年はフリンジを続けると宣言していた。ありがとう、ダンカン!
頼むよ、ダンカン!
毎日、ジョアンナが手料理を用意してくれて、いつだってあたたかいスープやごはんが家にある。そんな恵まれたことがあるだろうか。
そして初日を待たず、ついに私の9ステージは全てソールドアウトし、さらに客席の拡大が正式にアナウンスされ、追加チケットが販売された。そしてそれらもすぐにソールドアウトした。
ジョアンナは私以上に喜び、泣き出さんばかりだった。
「頭がおかしくなっちゃいそう!!!なんてこと!!!ヤノミ!なんてこと!!!うれしい、よかった、うれしい、なんてこと!!!おめでとう!!!」
ジョアンナが作ってくれた、SNS用の画像データ。
ありがとう。
自分のことのように私の成功を喜んでくれるひとがいる。
フリンジのオープニングイベント、Fringe 4 Allでは各アーティストたちがそれぞれ2分ずつ作品の紹介を行っていく。私はどのフリンジでもこのイベントが大好きだ。
映画だって、予告編が一番面白いでしょ?
この時点ですでにソールドアウトしていた私に、ジミーが「おまえはもう全公演をソールドアウトしているのに、なんでここにいるんだ!時間の無駄だろ!もう宣伝なんかする必要ないってのに!」と、また毒舌ジョークを吐いてきた。
ステージ袖からずっと予告編を観る。
なんというダイバーシティ。
今年のバンクーバーにはアジア人の女性アーティストの姿も多く見られた。もちろんバンクーバー在住者がほとんどだが、それでもうれしかった。
このサブリナというブッフォンをやる女性がすごくて、彼女の本編の公演ではスタンディングオベーションが出ていた。人種差別をものすごく深く鋭く扱った作品で、私には言葉の面で難易度が高すぎたが、あらゆるアーティストたちが衝撃を受けて絶賛していた。
こういうのが理解できないのが心底悔しい。でもすごいってことは楽屋にいるときから薄々感じていた。
私は白い小さなパペットが鉄琴の上で動くピースを2分ほどやった。
イベントの終演後、多くの観客やアーティストが絶賛してくれた。
「素晴らしかった!最高だったよ〜!観に行くよ!」と。
ボウ。時折ジョアンナが「ボウスキー」と呼ぶのがまたかわいい。
「フライヤーを一枚も配らなくて済むなんて、信じられないわ。なんてラクなの。考えられない。ストレスがない。」と毎日のように言うジョアンナは、今度は宣伝ではなく本番の公演のために全力を尽くしてくれたのだった。
日本で言う制作さんとして、あるいは舞台監督として。それはもう八面六臂の活躍だった。
タイミングさえ合えば車でグランビル・アイランドまで送ってくれたし、私は電車とバスには2回ほどしか乗らなかった。他にもトムというフリンジの大ファンのお客さんが車で送ってくれたりもした。
上演に必要なテーブルもジョアンナと、バンクーバー在住の日本人ジャグラーのYukiくんに借りることができた。
フリンジでは会場のチケット管理や観客の誘導などをボランティアスタッフが行う。しかし毎日メンバーが入れ替わる上に、もちろんボランティアなのでその仕事の質にはものすごくバラつきがある。
そこでジョアンナは毎日必ず初めにボランティアスタッフに自己紹介し、自分の役割を伝え、開場から開演まではロビーのある1階と劇場のある3階を階段で何往復も走って登り降りし、来場者数と客席の状態を把握し、最終的にできる限りのラッシュ(アーティストやボランティアスタッフをキャンセルの空席または立ち見などで無料で入れるシステム)をさばくという、大変な仕事をやってくれた。
アーティストにストレスをかけたくないと、いつも楽屋の私には笑顔で必要な情報を知らせてくれた。5分押すよ、とか、ものすごくラッシュの列が長いからできるだけ立ち見で入れたい、とか。
バンクーバーでの私のBYOV劇場はバレエのスタジオで、窓がいくつもいくつも(天井にまで)あり、昼間は暗転どころか照明自体がまったく効かない。壁は全て白、背景のカーテンも白。
そして客席も階段状になっていないため、複数の観客が途中で立ち上がって後方に移動し、立ち見で観劇するような状態だった。そうしないと人形がちゃんと見えないからだ。
テク(音響照明を一人で務めるスタッフ)はマティーナという21歳くらいの若い女性で、インプロの女優でもあった。
彼女はとても面白い人物で、徐々にもちろん仲良くなったが、テクとしてはほぼ素人で、それはそれは苦労した。テクリハはまったくうまく行かず、初日を開けたのちもミスが連発した。
とても美しくてスタイルもいいマティーナ。毎日衣装のようにカラフルで素敵な私服。
ちなみにこの会場、Ballet BCは今年の私のすべてのフリンジ会場のどれよりも高い料金で、もっとも悪条件だった。こんなに払ってこんな最悪な条件かよ、と非常に理不尽な思いだった。
だがこういうことも含めてフリンジだ。どんな条件でも、ベストを尽くすしかないのだ。
ジョアンナはこの悪条件の会場で観客に理不尽にキレられたりもしながら、毎日それはもう献身的にがんばってくれた。
そしていつでも、終演後にはみんなが大きな笑顔で帰っていった。
缶バッジは早々に品切れし、チップも多く入っていた。
これまたジョアンナがめちゃくちゃがんばってくれて、すぐに缶バッジの追加発注もできた、それも格安で。
劇場ビルの外からジェシカが撮影してくれた画像。右端の窓に私が映っている。本番中の様子です。
見よ、この大きな窓を!!
夜9時以降にようやく暗くなるため、ほとんどの公演では私は前説でこのように言った。
「今日はごらんのように照明が効きません。だから私が『ブルーアウト!』って言ったら、皆さんは世界中が全てブルーになっていると想像してください。見えるもの全てが青いんです。」
この前説はウケたし、上演中も「ブルーアウト!」と私が言うたびに観客は笑いながら青い照明を想像してくれていた。
だが暗転が効かないのはほんとうに悔しかった。とくに最後のキャンドルのシーンが。
それでも、時に多くのお客様がスタンディング・オベーションで讃えてくださった。
ジョアンナによるとバンクーバーでスタンディング・オベーションは非常に珍しいことだそうで、これまた自分のことのように喜んでくれていた。
左がマティーナ。
いつも「ハイ、マティーナ。」と挨拶すると彼女は「ヘイ、ヨウ!(Hey, yo!)」と低い声で返すので、これが私の中で流行った。
マティーナはオペレーションのミスは多く、また客席作りやその他の業務においてもジョアンナにとってそれなりにストレスだったが、愉快な人であった。
毎回異なる私の赤ずきんちゃんをとても気に入って、「今日も後ろで笑い死ぬかと思ったわ!あのセリフ、めちゃくちゃ面白かった!!!」などと言ってくれた。
ジョアンナもプロの大人なので、上手にマティーナとコミュニケーションを取り、信頼関係を築いてくれた。
千秋楽にマティーナのインプロ(即興)のショーを観に行ったが、とってもとっても素晴らしくて、これはなんといい女優さんなんだろう!と驚き感動した。昔から知り合いの日系カナダ人俳優、ブレントのカンパニーだったが、出演者全員が見事だった。
観客が自由に書き込むフリンジ・バズ。
バズという言葉は今こそ日本でも知れ渡っているが、2010年にはフリンジでしか聞かない言葉だったなあ。蜂がブンブン言う音から、噂、口コミの意味。
今年から新たに始まったというフリンジの深夜キャバレー「The 11th Hour」にもゲスト出演できた。これはモントリオール・フリンジの名物イベント13th Hourにインスパイアされたもので、シンボルの巨大ルーレットもちゃんと設置されてオマージュされていた。
私は2007年にモントリオール・フリンジに初参加し、その13th Hourキャバレーにもいたく感動したものだ。
私は人形劇の一部をやる予定だったが、半屋外でなおかつフリンジバーの環境にあり、空気がざわついて集中して人形劇を観る状態ではなかったため、急遽予定を変更して得意のキャバレーネタの一つ、「上を向いて歩こう」をアカペラで歌い、口笛がまったく吹けないという芸を披露した。
これが非常にウケて、この夜のハイライトだったと、多くのひとから声をかけられた。
客席で観ていたジョン・ベネットは以前にもこのネタを観ており、それでもゲラゲラ笑い転げていたそうな。
ジミーはスマホで動画まで撮影してくれていた。
同じベニューでseaMANという演目を上演予定であったあのアミカが、腰を痛めて歩けなくなり、急遽全てのショーがキャンセルされた。そして相方のブルースがソロ作品「Mattnik」を差し替え上演することに決まった。
人間によって宇宙に送られた犬による独白。実際に愛犬を亡くしたというブルースによるコミカルかつとても感動的な作品で、アーティスト仲間たちの全力の応援もあって、プログラムに掲載されていないこの作品も徐々に客数を伸ばしていった。
そのブルースがフリンジ期間中に誕生日を迎え、仲間たちで協力し合ってサプライズパーティを仕掛けた。療養中のアミカもこっそりこの日だけ駆けつけ、「ブルースは泣くと思う。」とみんなが確信した通り、彼は感激のあまり涙を流した。
私はカードとマカロンを贈った。
左が同じくフリンジ・アーティストでブルースのビレットでもあるキャンディ。
彼女のソロショーもエドモントンで観たが、それはもうすごかった。
右がアミカ。
この夏にフリンジツアーで3つの異なる作品を上演したブルース。みんなからそれはそれは愛されている素晴らしい人物だ。
たった1つの作品でさえ大変なのに、3つも!
しかも彼らの作品はものすごく小道具が多くてそりゃもう大変なのだ。
サブリナとお揃いの色の服だった私。
フリンジのツアーアーティストにはとても言葉では言い表せないほどの連帯感や強い友情がある。まさしく苦楽をともにしてきた仲間たち。家族と言っても過言ではない。
かつてウィニペグ在住だったフリンジの大ベテランファン夫妻、まゆみちゃんとグレッグ夫妻は、バンクーバーに移住したにもかかわらず今年もウィニペグに駆けつけて多くのショーを観たのち、ビクトリアにもちょっとだけ訪れてフリンジ作品を観たという。
その夫妻が、私を自宅に招いてディナーをごちそうしてくれた。
フェリーに乗ってちょっとだけ移動。
フリンジの伝説、ジェム・ロールズに出くわしたので記念撮影。
フェリー船内にもちゃんとフリンジの広告が。
なんとお刺身!!!しかもこのエビは活け作りだった!!!
料理上手のグレッグが真剣に腕を振るってくれた。ありがとう。
見て、このテラスからの絶景。
サーモンのグリル、美味しい野菜、ワイルドライスの料理。
デザートのチーズケーキまでも!
フリンジを、演劇を愛する素晴らしい夫妻。
ゴージャスな夜景とヤノミ。
キース・ブラウンとジョアンナ。このゲートが美しくて大好き。
こちらはとある日のグランビル・アイランドのパブリック・マーケット。
シンボルとも言える大きな橋の下。
ジャグラーのYukiくんはフリンジに雇われて決まった時間に屋外でパフォーマンスを披露していた。ずっとバンクーバーに住んで、アーティストとして活躍しているYukiくん。
まもなく来日の予定で、日本で乾杯できることも楽しみ。
こちらも日本人の夫妻、康平くんと千穂ちゃん。
康平くんは18歳の頃からしばらく、私も所属していた流山児★事務所に入っていた。そこで演劇に血道をあげる大人たちと出会い、彼の人生はとても豊かになったという。
カナダに渡り、新たな仕事もがんばりつつ、最近は再び演劇の世界に戻ってきて、なんと英語でインプロをやっているという。
エドモントンでHappy Go Luckyを観てくれた康平くんは、バンクーバー・フリンジのボランティアスタッフをしながらたくさん助けてくれた。
そしてこの夫妻も自宅に招いて素晴らしい手料理をごちそうしてくれたのだった。
なんと!!!巻き寿司!!!鶏皮揚げ!!!きんぴら!!!
千穂ちゃんの趣味だという手作りの和菓子までお土産にいただいた。
なんという美しいお菓子。芸術。
この和菓子と巻き寿司ときんぴらを持ち帰ったところ、ジョアンナもモウもめちゃくちゃ感激していた。特にきんぴらを気に入って、この作り方を教えてと言い続け、私はツアー最終日に大量のニンジンを刻むハメになるのであった…。
こちらは日本人ボランティアのゆうこちゃんと、康平くん。
なんと彼女はこれまた私がかつてほんの短いあいだ所属していた、劇団ブルドッキング・ヘッドロックの制作さん。ワーキングホリデーでバンクーバーに滞在しており、フリンジに参加するのは人生で初めてだった。
そしてこの出会いが、彼女の人生を大きく変えるものになったと話してくれた。
北米フリンジを知る日本人はまだとても少ない。
この貴重な体験をゆうこちゃんや若い日本人が楽しんでくれていたことが、大きな希望だ。ゆうたろうさんという俳優さんも観にきてくれていた。
こちらは2013年にアメリカのワシントンDCのクエストフェスで出会った、日系アメリカ人アーティスト、Miwaちゃんと娘ちゃん。
11年ぶりの再会であった。
バンクーバーに移住した彼女は現在、大学でコンテンポラリーアートを教えており、このクラスに私をゲスト講師として招いてくださった。
フリンジ千秋楽、つまりツアーの大千秋楽の翌朝というすごいスケジュールで敢行した大学のクラス。
若き学生たちは人形劇についてそれはもう瑞々しくリアクションしてくれて、たくさんの良い感想をくれた。
「人形劇で、じぶんが泣くとは思いもしなかった。」
「すごくシンプルなのに、すごくかっこいいと思った。」
などなど。
Miwaちゃんもとても喜んでくださって、うれしかった。
彼女のショーは信じられないほどの美しさと独創性で、たった一人でプロジェクションと影絵となまのパフォーマンスを融合させて、魔法みたいに幻想的な空間を創り上げるのだ。いつか日本に呼びたい作品のトップオブトップ。
ありがとう、Miwaちゃん。こんな風に再会できてとてもうれしい。
ウィルにもバンクーバーにて再会できた!
彼は2015年、レジャイナ・フリンジにて、我らが座・大名行列(ハッチ・ハッチェル、チェリー・タイフーン、ヤノミによるポケットミュージカル一座)のビレットだったひと。
その後、日本に来て4ヶ月ものあいだとある有名なお寺でガチの修行をした、非常に真面目なジャーナリストである。
現在は大学院で宗教について研究をしていると言う。
相変わらず穏やかで優しくて、大好きな友達。
とある日のジョアンナごはん。お米も炊いてくれるのだ。
こちらは「生まれて初めて劇場で観劇をした」赤ちゃん。
フリンジスタッフ夫妻が連れてきてくださった。
60分のショーのあいだ、ぐずりもせずにちゃんとショーを見つめていたそうだ。
こんな幸福が、こんな光栄なことが、人生のうちに時々起きる。
(後編へつづく)
ヤノミ