人生が思いどおりにならないのは「世の中のせい」であり――それは、あなたがそんな「人生というゲーム」をチョイスしたからである。だけどテレビゲームをはじめとするゲームはプレイヤーであるあなたが「や~めた」「はじめる」と、いつでも終了や開始を自由にできるんだけど、この人生というゲームは、それができない。
いちどはじめてしまったら、あの世にいくまでプレイしないといけない設定になっている。さらにその設定は、今回のゲームが終わるまで変更できないようになっているのだ。
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あなたの思い通りにならないのが、この「世の中」である。
なぜなら、そんな舞台をチョイスしてで、あなたは生まれてきたからだ。これ以外に理由はない。あなたがいくら「そんな覚えはない」といっても、生まれてきちゃった以上、もはや「あとの祭り」なのである。今回は、この人生を生きる以外にないのだ。
こんな風にいうと、きっとあなたは「今世」に対する「前世」とか「来世」を考えるだろう。すると「いま苦しいのは前世の罪の償いのため」とか「来世のために現世では徳を積まないといけない」なんて高邁な説教をするひとがいる。宗教者も多い。
知らんがな!
ボクには前世の記憶はない。知らんことの責任は取れない。さらに来世のために我慢するのも、ごめんこうむりたいという立場だ。
あなたに前世の記憶が明確にあって、また来世の生活設計も綿密にできているなら、ボクはそれを否定する気はない。しかしながら、きっとあなたも、ボクと同じで「知らない」し「記憶にない」ことだと思う。
だけど、あなたとボクは、まちがいなく現世に生きている。これは厳然たる事実だ。でもって、否が応でも死ぬまでは生きていかないといけない。これも現実だ。
だったら、遊び勝手がいいように「この世の基本設定」を知らないよりは知っているほうがいいに決まってる。だって、そのほうがなにかと便利だし、得心いくし、遊びかたの幅も広がるってもんだ。
そうだろ!
だから冒頭にも書いたように「あなたが思いどおりにいかないのは、みんな世の中のせい」であるというのは、それが人生ゲームの基本設定だということだ。
世間の常識も、法律も、道徳(と呼ばれるもの)も、規範も……み~んな、強者が弱者をコントロールするために大衆に押しつけたものなんだよ。
もちろん押しつけられたといっても、その中で、あなたが自分自身の「内なるこころ」に訊いて「そら、そ~だ」と納得する事柄まで、ボクは否定するつもりはない。それはやっぱり、あなたにとっては正しいことだからね。
夕方の居酒屋――
会社帰りのサラリーマンが得々と自説を展開している。あたかも自分自身の高邁な意見だといいたげに口角泡を飛ばして語っている。
だけど、そのほとんどは週刊誌に載っていたり、テレビのコメンテーターがいっていたことと似たり寄ったり。中には、まるっぽ受け売りというのまで……。なのに彼らは本気で自分の意見だと思っている。信じ込んでいるのだ。
なぜなら、自分を弱者側だとは思いたくないからね。強者とはいわないまでも、その手先ぐらいのポジションはキープしたい。でないと――生活のためとはいえ、毎日、しんどい勤務・労働なんてやってらんない。その発散中だ。
ところが困ったことにこの強者志向(思考か?)は伝染する。
その典型が、いろんな肩書きだ。会社での役職にはじまり、弁護士だとか医師なんかの免許や資格、国会議員に市会議員、PTA役員から町内会会長……それこそ星の数ほど存在する。
さらに難儀なのは――ひとは、この肩書きで相手を評価する。けっして、そのひとの「ひととなり」は見ない。人格は関係ない。肩書きで判断するのだ。自分より上か下かを推し量る。でもって、上だと思うと卑屈になり、下だと思うと横柄になるのである。
とりわけ会社での肩書きは、その社内に限り絶対的な威力を発揮する。平社員より課長のほうがエラいし、課長より部長のほうがエラく、やっぱしボスは社長だ。また対外的には社名が威力を発揮する。大企業のほうが中小企業よりエラく、中小企業のほうが零細や個人商店よりエラいと思う。
でもって最下位はプー太郎と相成るわけ。いやいやボクなんか、きっとプー太郎以下で、社会の落ちこぼれになるんだろう。
だって先に述べたように大企業はチョンボをしたって、強者仲間が助けてくれるからね。強固な地位が保証されている。それが中小零細~個人商店と保証が薄れ、ボクなどは保証適用外と相成るわけだ。
別の判断基準もある。
それは「財産(お金)を持ってるか、持っていないか」というもの。
大手銀行の頭取であっても、やっぱり資産家にはヒーコラするわけだ。そう、資産家のバカ息子やアホ娘でも、手もみで「おぼっちゃま」「おじょうさま」である。
ところが、いくら世のためひとのために尽くす素晴らしい弁護士や医者であっても、赤字経営には冷酷になる。
結局、評価は権力の大小でしかない。そう、強者志向なのだ。
だから、会社でバリバリ辣腕を振るっていたオトーサンだって、定年退職したりリストラに遭ったりして、肩書きが印刷された名刺を失うと、いきなりシュン太郎になる。企業戦士の定年退職後における存命期間は約一○年といわれる。たしかに――ボクの親父も六○歳で定年退職後、手持ちぶさたな時を過ごし、六十九歳で死んじゃった。
これが世間の、この世の中の基本設定なのである。好むと好まざるに関わらず、あなたもボクも、この設定の中で人生ゲームをプレイしないといけない。
……後略……
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このように好むと好まざるに関わらず、この世は「強者のため」にできている。なぜなら、それが基本設定だからである。
いいも悪いもない。ただ、そうなっているだけだ。
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ほかには犯罪。とりわけ殺人。これは悪いことの筆頭だとされる。そうかなあ? たしかにひと殺しは官憲に捕まるし、法律でも重罪と書かれていて、厳しく裁かれることになる。
……中略……
しかし、よ~く世界を見てみよう。そんなことと別次元で殺人がいっぱいおこなわれている。代表格が戦争だ。
アメリカは「テロとの戦い」という大義名分で、サダム・フセインを殺し、ウサマ・ビン・ラディンを殺した。一見、悪いヤツを成敗したみたいで、正義の天誅みたいだけど……客観的に見てみると、なんか変だろ? だってさ、アメリカ国内の犯罪者を裁いたわけじゃないんだよ。ヨソの国に精鋭の兵隊を送り込んで、ちゃんと裁判もしないで殺したんだぜ。
……中略……
まさしく経済と権力がタッグを組んだ強者の論理である。
もっというなら、アメリカは「汝、殺すことなかれ」の文言があるキリスト教の聖書を掲げる宗教国家だ。大統領だって就任時には聖書に手を置き、この教えに従って、国を統治すること、世界に貢献することを誓う。
なのに……これだ。
そのうえ最近の世界情勢にはロシアや中国の台頭がある。かつては社会主義の理想を掲げて統治しようとしていたけど、東側の崩壊とともに方向転換、いまや本音では資本主義大国といえよう。
ほれ、あなたはロシアの「サハリン2事件」というのを憶えているだろう。樺太の北東部沖で、天然ガスや石油を開発するプロジェクトをロイヤル・ダッチ・シェル(貝殻マークのシェル石油の母体だね)と日本の三井物産、三菱商事が十二年以上に亘って進めていた。ところが工事が八割以上が完成した段階で突然、ロシアの天然資源省が「やっぱ、環境破壊になるから……あかんわ」と工事承認を取り消した事件だ。
でもって、ロシアの事実上の国営会社であるガスブロム社に半分以上の権益をくれるんだったら「やっぱやっぱ、資源開発は必要だから再承認するでえ」とした。
まあ、いってしまえば国家による強奪である。
さらに中国といったら「春暁(しゅんぎょう)ガス田」が思い浮かぶ。東シナ海の天然ガスを狙った中国が、沖縄北西につぎつぎとガス田開発を進めた問題だ。
……中略……
その後、この水域については中国が勝手に「ウチの領海」と主張し、大ニュースになった尖閣諸島の侵犯問題をはじめとしたトラブルがつづいている。さらに中国は海洋資源を巡って南シナ海でも、ベトナムやフィリピン、マレーシアなどとトラブっているため、下手をすると戦争の一歩手前の緊張状態だ。
アメリカ、ロシア、中国……なぜ、こんな横暴が許されるのか?
それは大国、つまり強者だからだ。それ以外に理由はない。語弊を怖れずにいうなら「モメると難儀」だからである。うっとうしいから、ヤクザには逆らわんで、穏便に済ましたほうが賢明というのに近い。
そもそも、なんでこんな設定になったのだろうか?
こと日本に関してだけ、ちょっとばかり歴史を振り返ってみよう。
いまを去ること一四○○年ほどむかし。当時の権力者の世界でクーデタが起きた。中大兄皇子と中臣(のちの、藤原)鎌足が、大豪族の蘇我氏の専横(政権を掌握して、やりたい放題)に憤り(これに関しては別の説――渡来人である鎌足一族の陰謀説などもあるけれど)、親玉である蘇我入鹿を暗殺した乙巳(いっし)の変である。
これによって政権を取り戻した(実態は簒奪した?)中大兄皇子は、孝徳天皇を立て、自分は皇太子となって新政権を発足させる。陰のフィクサー体制だね。
マニフェストは律令国家――当時の先進国である隋や唐に倣って、大王(日本では天皇)を絶対的存在とした国づくりである。つまり王土王民(この世はすべて王さまのもので、民もみんな臣下で王さまの所有物だぜ)思想による統治体制だ。
でもって、この律令制で画期的だったことは「国民は農民」と定義したこと。民を土地とヒモづけしたのである。それで国家の基盤を農業に置き、人民はみんな、国から田圃(たんぼ)を強制的に貸し付けられ、税や兵役、労役負担の義務を課せられた。
当然のことながら、当時も農民だけでなく、漁民や猟師、手工業者をはじめとする色々な職種に就くひともいたが、あくまで物差しとなったのは農民(この一般人を民俗学者の柳田國男氏は「常民」と呼んで、民俗研究のベースとしている)だった。それを基準にさまざまな義務が求められたのである。さらに統治機構としての官僚制もはじまる。
まあ、いうなれば「みんな懸命にはたらいて、お上に尽くせ」ということである。
……中略……
明治維新から大戦を経て、日本は民主主義国家になったといわれている。国民主権(主権在民)という。たしかに為政者は選挙で選ばれるようになった。でも一部の政治家を含め、先に述べた大企業や銀行の母体となったのはたいてい、過去のどの時点かで財や権力を獲得した存在の後裔である。
だって考えてもみてほしい。
例えば不動産、つまり土地の所有だ。この地面は、だれそれのもの……って、変じゃないか? 遠い祖先は自由に移動し、適当な土地が見つかると勝手に定住し、そこで農耕なんぞをして、楽しく暮らしていた。そこに強いヤツがやってきて「ここはオレのもの」と宣言。反抗するとぶっ殺されたりして奪われたわけ。
だから現在、不動産の所有者というのは、むかしに略奪した強者の子孫か、それに対価を支払って所有権を得た者しかいない筈だ。つまり、盗賊の末裔か、そのお客である。
もちろん、ボク自身や親戚縁者も例外ではない。どうやら極悪非道の略奪側……その子孫っぽい(苦笑)わけだけどね。まあ、いまは持たざる側になっているから、いささかは気が楽というところ。
そして、その利権のはじまりが、ボク的に考えると乙巳の変なのだ。たしかにそれまでも、地方の豪族による土地支配や人民支配はあった。強者の弱者支配はあったのだけど、イヤなら弱者の逃亡も、ある程度、可能だった。
ところが国家レベルでのシステム構築により、人民は戸籍(当時は個人ではなく、世帯ごとに家族構成を詳細に記録したらしい)と計帳(まさしく税を徴収するための台帳)が作成されたので、それもままならなくなったのだ。いうなれば当時の国民背番号制である。
もちろん、地域によって田圃の生産性もちがう。旱魃などの天候によって収穫高も変動する。だから中には生活が苦しくて離散する家族もいた。
そんな連中で強いヤツは盗賊などになって裏社会に身を投じ、弱いヤツは賤民となっていく。哀しいけれど、これが偽らざる歴史だ。
このことは、いまの金持ちや権力者とホームレスの関係と基本的になんら変わらない。結局は、なんかのはずみで強者となった連中が結託して弱者を支配しているわけ。
いやあ、そのお……国際問題から歴史まで、ちょっと話がでかくなってしまったが、この――世の中の基本構造は、ずっと変わらない。大は国家間から、小は会社や地域、プライベートの上下関係まで、人間社会はそうなっているのだ。
ことほどさように世間の……つまり、強者のルールに背いたら即アウトというのが人生ゲームのステージの基本設定なのである。
だから、あなたが思いどおりにいかないのは、やっぱり「世の中のせい」なのだ。けっして、あなただけの問題ではないのである。
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そうなんだ。
あなたの(もちろん、ボクも)プレイする人生というゲームの共通面は「強者にやさしく、弱者に厳しい」設定になっているわけ。
そして、これは死ぬまで変更不可ということだ。いや、もしかしたら……死んでも変更不可なのかも知れない。
だから、まずは、このことを素直に認めよう。でないと、あなたはせっかくの人生ゲームをちゃんとプレイできないで台なしにしてしまうかもよ。