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身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

我孫子道院 道院長のブログ

少林寺拳法では、67年前から、月ごとに入門期生というのをカウントしています。

その入門期生ですが、今月=2015年11月は、ちょうど800期になりました。

我孫子道院では、その区切りの800期に、2名の新入門者を迎えることができました。



今月=800期の新入門者は、

C・YちゃんとH・Kクンの小学一年生コンビ。

 

日本では、「八百万の神」や「大江戸八百八町」「大阪八百八橋」(嘘八百!?)など、

「八百」は数が多いことを示す言葉であり、末広がりのめでたい数字でもあります。

 

我孫子道院も、このめでたい800期を境に、仲間がどんどん増えて、多くの拳士であふれることを祈っています。

 

というわけで、我孫子道院では、引き続き、801期以降の拳士も大募集中。

 

新入門のC・YちゃんとH・Kクンと一緒に、現代の桃太郎を目指しませんか

 

少林寺拳法の開祖、宗道臣先生は、

少年拳士たちに、

よく「君たちは現代の桃太郎になれ」と語られたそうです。

 

それは次のような理由からです。

『犬、猿、キジに信頼され、彼らを徳でもって統率する指導力、鬼ヶ島に乗りこむ正義感と勇気、降参すれば鬼どもをさとしてこれを許す慈悲心をあわせ持つ、賢くて、やさしくて、強い若者、そういう若者を多勢この日本に育てたいと念じながら、私はこの道に半生をかけてきたのである。
少林寺拳法は、英知と勇気と健康を備え、現代をたくましく生き抜く自信を身につけ、同時に他人の幸せをも考えて行動できる慈悲心を養うことを目的として行じてこそ、価値があるといえるのである』

(開祖法話より)

 


道場の壁に掛けてある、少年部の名札(一般部用も別にあります)

 

現在、6年生が6人、5年生が5人、4年生が3人、3年生が5名、2年生が3人、1年生が4名という構成です

(このうち女の子は4名です)

 

◆オマケ◆



道場から見た、今日の富士山

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『108

今日から11月。

少しずつ気温が下がってきて、「修練の秋」も徐々に深まってまいりました。


そうした中、今回は新入門の拳士の紹介です。


この度、新たに我孫子道院の仲間に加わってくれたのは、小学一年生の女の子、Y・Sちゃんです。


Y・Sちゃんのお父さんは、年明けに准拳士初段の昇格考試を受験する予定のA・Sさん

お兄ちゃんは、今月五級を受験する、小学三年生のO・S君

つまりファミリー拳士のニューフェイスです



(親子で少林寺拳法を楽しんでいる、Sさんファミリー)


少林寺拳法は、二人一組となって技法の習得と修練を行う「組手主体」が原則

なぜなら、攻防の技術に絶対必要な、間合いや虚実、技の変化などは単独では会得できないので、二人相対して、お互いに技をかけあって、ともに楽しむことを特徴としている。


つまり「組手主体」といっても、相対する相手というのは、対抗者や倒すべき敵ではなく、トレーニングパートナーであり協力しあう仲間であるわけです。


だからそのパートナーは、性別や年齢をとくに制限する必要がなく、Sファミリーのように、父娘でも、兄妹でも、誰とでもペアを組んで、お互いに協力することで、技術の上達とともにコミュニケーション力(人格)の向上にもつながるのです。


我孫子道院には、現在、このSさんフェミリーをはじめ、6組の親子拳士が在籍しています。

(父子が4組、母子拳士が2組)

親子拳士が増え、年齢層が幅広くなってきた結果、いまの道場の雰囲気は、極めて良好になっていると自負しています。


大学生をはじめ、若い拳士ももちろん元気いっぱい稽古に励んでくれていますが、

お父さん拳士、お母さん拳士、そして子供たちが増えてきたのは、

単純な肉体的な強さだけではない、

少林寺拳法を修行する理由と意義、そして価値を感じてくださっている証拠だと思っています。


より詳細に言えば、我孫子道院には6歳~50代の拳士がいて、女性も約20%います。

こうした中で修練するということは、年下の先輩に教わることもありますし、年上の後輩に指導する機会も出てきます。

こういう場面は、道場以外ではなかなかないのではないでしょうか?

年齢、性別を超えて、教え合え、学べ合える環境に身を置くと、自然に謙虚になり、尊敬と礼節が生まれてきます。


その独特ともいえる雰囲気の良さを、ぜひ少林寺拳法の道場に見に来てください。


ちなみに、少林寺拳法では、67年前から、月ごとに入門期生というのをカウントしています。

今月=2015年11月は、

その入門期生がジャスト800期になる区切りの月!


あなたも、このキリ番の月に、少林寺拳法に入門し、私たちの仲間に加わりませんか?


本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『104


先週、千葉県教区の達磨祭を行ったばかりですが、今日は、我孫子道院の達磨祭でした。


繰り返しになりますが、

達磨大師は、いまからおよそ1500年前に、
インドから中国河南省の嵩山少林寺に渡り、
釈尊の正しい教えと、その行法(座禅行・易筋行=拳法)を
伝えたという人物で、金剛禅総本山少林寺の本尊でもあります。

達磨祭は、その祖師達磨大師の命日(10月5日)の前後に、
達磨大師を礼拝し、その遺徳を偲んで法要を行うと共に、
拳士一人ひとりがいっそう拳禅一如の修行に精進し、
「達磨の子」として七転び八起き、不撓不屈の精神と
本当の強さとやさしさを身につけることを互いに誓い合う行事です。





「達磨大師の命日に合わせて、お祭り?」と疑問に思う方もおられるでしょうが、

そもそも、「祭りとは、感謝や祈り、慰霊のために神仏及び祖先を祭る行為・儀式」だったわけです。


また、金剛禅総本山少林寺では、開祖宗道臣先生が、

「達磨忌といって、陰々滅々とするのではなく、達磨は大悟して、往生を遂げたのだからめでたい、いっそまつろうではないか。今後は達磨忌といわず、達磨祭にしよう」とおっしゃられて、「達磨忌」と言っていたのを「達磨祭」と言い換えるようになったという経緯もあります。


そうしたことを踏まえて、今回の達磨祭の導師法話で、ワタシが提唱したのは、次のようなお話。


「ダルマと言えば、“七転び八起き”。

でも、ダルマを見習って、“七転び八起きの精神を”、と言われても、なかなかその境地には近づけない……。

そこで、今年の達磨祭では、七転び八起きの前に、まず“一転び二起き”の覚悟を決めることにしましょう。

この先も、生きていれば必ず困難やピンチが訪れます。

だけど、この次に、過去最大級の困難やピンチが訪れたとき、その一回は、例え倒れても、凹んでも、打ちのめされても、必ず再度立ち上がる決心を、今日みんなでしてしまいましょう!

その最初の“一転び二起き”の肚が括れたら、それは大いにお祝いに値します。

10年に一度の大ピンチから、必ず立ち上がる覚悟を決められれば、

人生80年として、“七転び八起き”で勘定が合うはず。

長生きすれば、必然的にダルマの境地に達するわけです。

もっと長生きしたら、どうするか?

そのときは、あらゆる経験を積んでいるので、悟りが開けて、周囲が右往左往するような切迫した事態に接しても、『まあ、まあ、お茶でも』と言えるような、大人物になっていることでしょう(笑)。

というわけで、まずは“一転び二起き”の覚悟をしてください。

できましたか? できましたね!

では、皆さんのその決心を祝して、お祝いしましょう」


これが、今年の我孫子道院流の達磨祭です……。



(達磨祭 祭詞)




(我孫子道院では、毎年恒例のダルマ受身)

ダルマスタイルで、実際に七回転んで八回起き上がることで、

自分の中に、七転び八起きが可能なポテンシャルがあることを、体得体解してもらいます。




全員で順番に献香

香を奉じ、拝を為して……




「薫習」(くんじゅう)という仏語がある。

辞書には、「香りが物にその香りを移して、いつまでも残るように、みずからの行為が、心の習慣となって残ること」とあるが、

禅家では、

「すぐれた人(師匠)に親しんでいると、気がつかないうちに、自分もすぐれた人になれる」


という教えとされる。


我々には、達磨大師に近づくための、具体的な修行方法=易筋行(拳の修行)と鎮魂行(禅の修行)が伝わっている。


師伝に従い、行功を積めば、一歩一歩、達磨大師のような大人物の境地・領域に近づいていけるはず!


ちなみに今日は、達磨祭の終了後に、10月度の昇級考試も行いました。



(喜びの合格者たち)


受験した6名全員が、合格することができましたが、

級が上がったということは、一級分だけ、達磨大師に近づいたことを意味します(!?)

(そうじゃないと困るぞ~)


今後ますますの精進を期待します。




(今年の我孫子道院 達磨祭の参加者)




          薫習



本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『108

先週の土曜日(10月17日)、

我孫子道院において、千葉県教区の達磨祭を執り行いました。


(達磨大師は、いまからおよそ1500年前に、
インドから中国河南省の嵩山少林寺に渡り、
釈尊の正しい教えと、その行法(座禅行・易筋行=拳法)を
伝えたという人物で、金剛禅総本山少林寺の本尊でもあります。
達磨祭は、その祖師達磨大師の命日(10月5日)の前後に、
達磨大師を礼拝し、その遺徳を偲んで法要を行うと共に、
拳士一人ひとりがいっそう拳禅一如の修行に精進し、
「達磨の子」として七転び八起き、不撓不屈の精神と
本当の強さとやさしさを身につけることを互いに誓い合う行事です)


千葉県内の12の道院・支部から、所属長8名を含む、35名の拳士が参集


大変豪華な顔ぶれで、価値ある時間を過ごすことができました。





(今回の導師は、千葉県教区 教区長の森先生)







奉納演武は、法器(仏具)である、錫杖を使った技法群である錫杖伝の演武

少林寺拳法は、無手の護身術が建前だが、手足の補助として、僧侶にふさわしい各種法器の技も伝わっている。

錫杖は、その代表格




ご参列いただいた道院長・支部長の先生

(ありがとうございました)




(集合写真)


“祭り”は、こじんまりやっても楽しくありません!?

お忙しい中、万障を繰り合わせて、これだけの拳士にお集まりいただき、

盛大な達磨祭ができたことを感謝します。



こうして、簡素にして厳粛な儀式が終わった後は、

達磨祭第2部として、「錫杖伝祭り」(!?)を実施





錫杖伝は、少林寺拳法の三法(剛法・柔法・整法)、二十五系の技術体系のひとつ

”金剛伝”(錫杖・半棒)に属する技法


しかしながら、科目表には載っていない技術なので、伝承者が極端に少なく、学ぶ機会もなかなかないというのが実情で……

(厳密にいうと、六段を允可されたものが、准範士になるための課題として、「金剛禅の法器(錫杖、如意等)の意義と用法の研究」と、科目表に記載されている)


今回ご指導いただいたH・K先生は、

そんな錫杖伝を、開祖が直接錫杖伝の技法を指導した、直島の上田先生の技法を学んだ数少ない指導者のおひとり


その上田先生直系の錫杖伝を、基礎から丁寧に学ばせていただきました。






はじめは、道場の中で修練していたのですが、長い棒(六尺棒)をより安全に振る(打つ・突く)ために、子の神大黒天の境内を拝借して、合計2時間半、たっぷり勉強させていただきました。


有段者でも、これまで錫杖伝には無縁だった人にとっては、なかなか難しく、戸惑いながらの稽古でしたが、思い通りに動けないのが、悔しくも面白く、休憩時間も忘れて、夢中になって楽しめました。

(H・K先生、本当にありがとうございました)


少林寺拳法の修行と行事は、なんといっても楽しくやるのが大前提です。


行事にしても、形式のみに流されず、修行目的を再確認し、連帯感を高め、なにより参座(参加)することが楽しく、意義のあるものにしていかなければなりません


そういう意味では、今回の達磨祭にお集まりいただいた方々は、皆さん、とてもいい笑顔でお帰りになられたので、大成功だったと思います。


これからもいろいろ困難はあるでしょうが、達磨大師を見習って、楽しみながら修行を永続していきましょう。




ちなみに、この次の土曜日、10月24日は、我孫子道院単独の達磨祭です



本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『111』

9月20日~22日に、千葉県勝浦市の日本武道館研修センターで開催された「第3回全国少林寺拳法指導者研修会」を受講してまいりました


今年は去年よりも参加者が増えて、北海道から宮崎県まで、全国から106名の受講者が集まって、技法と思想、そしてそれらの指導法について、少林寺拳法連盟会長の新井先生を筆頭に、豪華な講師陣の下、二泊三日でみっちりレクチャーを受けてきました



(日本武道館研修センターの大道場)


講義の内容は、ネットではお伝えできないので語りませんが、

この研修会を通して、ワタシ自身に突き付けられた指導者としての課題は、主として次の二つに集約される


・其の一 ナニから伝えていくのか・

少林寺拳法の思想と技法は、広く、深く、じつに膨大な学問で、技術体系だけでも

三鼎三法二十五系、六百数十にも及ぶ大組織をもっている

(三鼎=心・体・智、三法=剛法・柔法・整法)


その本質は、あくまで「人間完成の行」にあるので、哲理も含め、伝えたいこと、伝えなければならないことが山ほどあって、いつもその順序に頭を痛めている……


・其の二 指導法は工夫せよ・

新井会長からお聞きした話だが、

開祖は「技はもう増やす必要はない。でも、指導法は無限にある。工夫しろよ」とおっしゃっていたそうだ。


そういう意味で、今回の新井会長のご指導は、非常に明快でわかりやすかった


とくに、小道具を使って、崩しのコツを視覚情報化することに感銘を受けた


新井会長直々の技術指導そのものは、去年のこの研修会や、毎年の道院長研修会などで、これまで何度も体験させていただいている


なので、新井会長のおっしゃる崩しのコツも、一通りわかっているつもりだった……

(わかることと、できることは、違います!)


しかし、そのわかっていることも、ちょっとした小道具を使うと、理解度がぐっと深まったのだ


う~ん、

修行者にとって、「ああ、アレね」と、自分のレベルで、もうわかったつもりになるのが、上達の一番の妨げになることは、門下生にも口酸っぱく説いてきたつもりだったが、情けないことに、自分自身がそのパターンに陥っていたことに気づかされてしまいました


やはり何事も実際に試してみることが肝要かと

そして、後進に対しては、「もうわかっていると思うけど」といって、先に進んでしまうのは、ある意味手抜きだったのかもしれないと反省した次第です


基本とコツは、繰り返し繰り返し、しかも手を替え品を替え、ときには新井会長のように、小道具まで用意して、拳士が納得し、体得体解するまで伝え続けなければアカンのです……


要は工夫! 三丹田でいえば上丹田の出番です


幸いにして、少林寺拳法の指導者には熱意溢れる、アイデアマンが揃っている

とくに、この研修会に集まってくる先生方は、各都道府県の選りすぐりの指導者ですので、そうした皆さんのお知恵を拝借しない手はありません


そこで、夕食後の班別討議でも白熱したディスカッションを行い、

さらに自室に戻ってからも、有志と夜更けまで”缶別討議”へ



(缶別討議…… ちなみにワタシは、サッポロ・ヱビス党です)


ふざけているようですが、じつはこれでも大真面目

三人集まれば文殊の知恵といいますが、

諸先生方と時間も忘れて語り合っているうちに、答えの出ていなかった

課題 其の一「ナニから伝えていくのか」の答えが見えてきたのですから!


その答えとは……

「少林寺拳法は楽しい!!」ということ

やっぱりこれに尽きるのではないでしょうか




(「やっぱり少林寺拳法は楽しい」ということを再確認させていただいた、スクーデリア・チーバの面々)


少林寺拳法を楽しいと思っていれば、修行を永続するわけで、修行を永続すれば、のちのちおのずと、「ああ、自分が修行に求めていたのは、これだったのか」と気づくはず!!


でも、それに気づくには、少林寺拳法という広大な海を、一周も二周も泳ぐ必要があり、同時に、一周目と二周目、三周目……とでは、気づき=悟りの内容も変わってくるので、何周泳いでもやめられない


そして、それだけの長い“遠泳”を続けるには、独力では難しいので、仲間が欠かせない


道場選びとは、指導者選びであると同時に、仲間選びでもある

さらに、少林寺拳法の場合、こうした研修会などを通じて、自分の所属する道場の外でも、仲間づくりの機会が多々ある

これは少林寺拳法ならでは、大きな特徴ではなかろうか


今回、この勝浦での研修会を通じて、各地で力強く活躍されている先生方を、何人も紹介していただきました


そうした出会いが何よりの収穫で、自分自身、また少林寺拳法が好きになって、勝浦を後にすることができました


これから、この楽しさを独り占めしないで、門下生たちに追体験してもらえるよう、工夫を凝らしていきます


勝浦でお世話になりました先生方に、あらためて御礼申し上げます

またぜひお知恵を拝借させてくださいね




(研修会を終えて)


(研修センターからの景色)


◆寄り道編◆




(勝浦港)




(9月の終わりの海水浴場)




(今年も勝浦市の造り酒屋、東灘酒造に立ち寄って、お土産を購入)




(名物、「勝浦タンタンメン」 今年のB-1グランプリの最高賞に選ばれたそうです)



本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『108』