身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

我孫子道院 道院長のブログ

昨日(4月26日)、少林寺拳法の創始者、

宗道臣先生の遺徳を偲ぶ、
開祖忌法要を執り行いました

 

開祖は1980年5月12日に遷化されたので、

毎年、5月12日に近い参座日に拳士が集い、開祖の偉業を称え感謝するとともに、この道に精進することを改めて心に誓う儀式を執り行います

 

 

昨今、格差社会が進み、すべてが自己責任で、
弱者がますます苦しいポジションに追い詰められていく傾向が目立ちますが、
開祖は「正義を守り、弱い者を守るために怒れる拳士たれ」と説かれていました

 

力愛不二を説く少林寺拳法の指導者・拳士であれば

世の不正に対し怒りを燃やし

社会悪に対して心から怒ることのできるみずみずしさを持たなければならない

 

少林寺拳法が力愛不二を唱えるのは、

力の裏付けがないと、正しいことが正しいといえないからだ

 

というのが開祖の教えです

 

 

今年の開祖忌法要では、改めてこうした開祖のお考えを
拳士と共有する場といたしました

 

 

「黙念師容」(もくねんしよう)という言葉があります

「黙念師容」とは、師の姿を黙って深く思い、その姿を心に刻み、倣って行動するという意味

単に師を敬うだけでなく、その教えを理解し、実践し、自己成長に繋げることが求められているわけです

 

開祖の遺してくれた少林寺拳法の技法を追求し、磨き上げていくことはもちろん重要ですが、教えを理解し、実践することはもっと肝要

 

世の中の不正、ズルいこと、汚いことに対し

見て見ぬふりをせず

怒りを燃やし、利害得失を度外視して破邪の行動に挺身できる拳士を目指して、修行を重ねていきましょう

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『106』

この春始まったNHK連続テレビ小説『アンパン』

漫画『アンパンマン』の原作者、やなせたかしさんとその妻 暢がモデルの朝ドラで、なかなか好評とのこと

 

そのやなせさんと少林寺拳法には意外なご縁がある

 

1963年に刊行された開祖の著書

カッパブックスの「秘伝 少林寺拳法」の挿絵は、

やなせたかしさんが担当

 

(開祖初の一般向けの著書 60刷を超える大ベストセラーに!)

 

(やなせたかしさんの挿絵)

 

やなせさんは四国 高知県の出身で

日中戦争にも出征した戦争経験者

 

そうした経験を踏まえ、やなせさんは

「正義は立場によって変わる」と考え、

「では絶対的な正義は何か?」と考えたときに「お腹をすかせた人に、パンの一切れを差し出す行為は絶対的に正しい」と考え、

アンパンマンという類のないヒーローを生み出したという

 

開祖もまた第二次世界大戦を体験し、
敗戦後の母国日本の荒廃を目の当たりにし、

祖国復興のために、人づくりによる国づくりを志し、
少林寺拳法を開創された

 

その開祖も「正義が独り歩きするのは怖い」と語り、

「正義は定義できないが、不正だったら定義できる。不正があるから正義の気持ちが生まれるのであって、正義とは感性、つまり正義感である」と教えている

 

開祖とやなせたかしさん、いずれも戦争体験者で、

「正義とは何か」を追求し、正義を重んじた人物でした

 

現代でも

ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ、いずれもそれぞれの国が、それぞれの正義のために戦っている

その他の紛争もそれぞれの正義を主張しているはず

盗人にも三分の理……

 

だから、ズルいこと、汚いこと、悪いことを許せないとする気持ち、「正義感」が重要で、同時に善悪を見極める理知も大事

 

そしてアンパンマンのように「罪を憎んで人を憎まず」の考え方も見習いたいところ

(行為・行動は否定しても、人格・存在は否定しない)

 

我々の信条にあるように

「正義を愛し、人道を重んじ、礼儀を正し、平和を守る真の勇者たることを期す」のが少林寺拳法の拳士です

 

この春も正義感を磨き上げていきましょう

 

総本山少林寺のお膝元、

香川県のJR多度津駅で見かけたアンパンマン列車

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『110』

 

 

 

 

3月は卒業シーズン!

我孫子道院では、毎年、桜の開花に合わせて

この時期に拳士の卒業、進学、進級を祝うお花見稽古を行っています

 

 

我孫子道院の専有道場のある子之神大黒天の境内は、

市内の隠れた桜の名所のひとつです

 

お花見稽古を行った29日の土曜日は、気温が低く、雨も降ったりやんだりのあいにくの天気でしたが、

合間を縫って境内に出て、桜の下で基本修練を行いました

 

ちなみにこの春、学校を卒業した拳士たちは

小学生が3名、中学生が1名、大学生が1名

 

彼らには、

「修業には卒業があるが、修行には卒業がない」

という話をさせていただきました

 

スマホやパソコンで、「しゅぎょう」と打ち込むと

まず「修業」と変換されることが多いはずですが、

「修業」と「修行」の違いとは何なのか?

 

「修業」とは、一定の業(ワザ)を修めることで、

基準に達すれば「卒業」となり資格が得られるもの

 

一方、「修行」はもともと仏教における精神鍛錬の用語で、悟りを開くために仏の教えを学び、身に習い実践すること

 

「修業」は、運転免許を取るための、自動車教習所がわかりやすい例

自動車の運転技術と法規を学び、検定に合格する水準に達すれば、それ以上は求められません
めでたく教習所を卒業し、免許証を手にすることができます

つまり、「修業」にはゴールがある!

 

それに対し、

禅門の行である、少林寺拳法は「修業」ではなく「修行」なので、入門はあっても卒業はなく、「卒門」もない 

つまり終わりのない行を修めるのが「修行」なのです

 

「学校を卒業することは、とってもおめでたいことなんだけど、
修行には、そして学ぶことには終わりがないので、
新しい環境でも、自分のペースでコツコツ稽古を重ねてくださいね」

といった内容を伝えさせていただきました

 

小学校を卒業する拳士には

一般部用の科目表と読本を手渡しました
(1名欠席)

 

稽古の後は、道場に入ってみんなでお弁当を食べ、
「少林寺拳法かるた」やその他のレクレーションで

楽しい時間を過ごしました

 

 

また午後からは、道院長と兄弟弟子の

高山支部長が率いる

関東実業団少林寺拳法連盟freee少林寺拳法部のご一行がご来院

お花見稽古第2部として、合同稽古を実施

 

いとこ弟子同士(?)、交流を深め、楽しく学び合う機会となりました~

 

(Freee支部の皆さんと AIで加工させていただきました)

 

高山支部長、Freee支部の拳士の皆さん、ありがとうございました

 

新年度も法縁を大切にし、自分の可能性を信じ、

みんなの中で、みんなと一緒に成長、上達していきましょう

 

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『109』

先日、とある武専の出張教師が、「むかしの黄色い科目表を見返してください。そして攻者の動きの重要性を再認識しましょう」とおっしゃっていたので、

以前使っていた科目表をいくつか引っ張り出してみた

 

(ワタシが級拳士時代に使っていたのは、青い科目表)

 

拳士なら誰もが持っている科目表

じつはこの科目表こそ、開祖の一大発明といわれている

 

1947年に開祖によって創始された少林寺拳法が、戦後の日本で爆発的な拡がりを見せたのはなぜだったのか?

 

そのことを問われた開祖は、次のように答えたといわれている

 

「少林寺拳法が組織として急進展したことに、とくに秘密はない
が、あるとしたら、科目表を整備したことだろう」

 

この科目表には、拳士が学ぶべき、技法と思想の順序が明記されている

 

ここには、新入門者なら、まずこれを学んで、これができたら次はこれ、といった具合に、「誰でも」「ここまで」といった形で、修行段階に合わせて、スモールステップが刻まれていて、

この科目表に従って、稽古を積み重ねていけば、自然と初心者から中級者、中級者から上級者へとステップアップしていける仕組みになっていた!

 

(1980年代前半の級拳士科目表)

 

(1980年代後半からの黄色い級拳士科目表)

 

ちなみに当時は、入門からおよそ1年で初段=黒帯になるのが、ひとつの目安とされ、短期上達もひとつの特徴でした

 

つまり科目表はこの道を歩む拳士にとってのロードマップ、

いわば修行の地図なのです

 

この少林寺拳法の修行の道には、道中にたくさんの宝がちりばめられています

その道を一歩ずつ歩みながら、道中の宝を見落とさずに歩くための宝の地図こそが、少林寺拳法の科目表だと思ってください

 

(こちらは現行の科目表と、そのひとつ前の科目表)

 

道場という宝の山があり、科目表という宝の地図も揃っているのが少林寺拳法のヒミツといってもいいでしょう!

 

あとは一歩踏み出し、自ら主体的にその山にのぼりはじめるだけで、多くの宝を手にすることができるのです

 

ぜひ勇気を出して、門を叩き、この春少林寺拳法をはじめてみてください

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『106』