先週、千葉県教区の達磨祭を行ったばかりですが、今日は、我孫子道院の達磨祭でした。
繰り返しになりますが、
達磨大師は、いまからおよそ1500年前に、
インドから中国河南省の嵩山少林寺に渡り、
釈尊の正しい教えと、その行法(座禅行・易筋行=拳法)を
伝えたという人物で、金剛禅総本山少林寺の本尊でもあります。
達磨祭は、その祖師達磨大師の命日(10月5日)の前後に、
達磨大師を礼拝し、その遺徳を偲んで法要を行うと共に、
拳士一人ひとりがいっそう拳禅一如の修行に精進し、
「達磨の子」として七転び八起き、不撓不屈の精神と
本当の強さとやさしさを身につけることを互いに誓い合う行事です。
「達磨大師の命日に合わせて、お祭り?」と疑問に思う方もおられるでしょうが、
そもそも、「祭りとは、感謝や祈り、慰霊のために神仏及び祖先を祭る行為・儀式」だったわけです。
また、金剛禅総本山少林寺では、開祖宗道臣先生が、
「達磨忌といって、陰々滅々とするのではなく、達磨は大悟して、往生を遂げたのだからめでたい、いっそまつろうではないか。今後は達磨忌といわず、達磨祭にしよう」とおっしゃられて、「達磨忌」と言っていたのを「達磨祭」と言い換えるようになったという経緯もあります。
そうしたことを踏まえて、今回の達磨祭の導師法話で、ワタシが提唱したのは、次のようなお話。
「ダルマと言えば、“七転び八起き”。
でも、ダルマを見習って、“七転び八起きの精神を”、と言われても、なかなかその境地には近づけない……。
そこで、今年の達磨祭では、七転び八起きの前に、まず“一転び二起き”の覚悟を決めることにしましょう。
この先も、生きていれば必ず困難やピンチが訪れます。
だけど、この次に、過去最大級の困難やピンチが訪れたとき、その一回は、例え倒れても、凹んでも、打ちのめされても、必ず再度立ち上がる決心を、今日みんなでしてしまいましょう!
その最初の“一転び二起き”の肚が括れたら、それは大いにお祝いに値します。
10年に一度の大ピンチから、必ず立ち上がる覚悟を決められれば、
人生80年として、“七転び八起き”で勘定が合うはず。
長生きすれば、必然的にダルマの境地に達するわけです。
もっと長生きしたら、どうするか?
そのときは、あらゆる経験を積んでいるので、悟りが開けて、周囲が右往左往するような切迫した事態に接しても、『まあ、まあ、お茶でも』と言えるような、大人物になっていることでしょう(笑)。
というわけで、まずは“一転び二起き”の覚悟をしてください。
できましたか? できましたね!
では、皆さんのその決心を祝して、お祝いしましょう」
これが、今年の我孫子道院流の達磨祭です……。
(我孫子道院では、毎年恒例のダルマ受身)
ダルマスタイルで、実際に七回転んで八回起き上がることで、
自分の中に、七転び八起きが可能なポテンシャルがあることを、体得体解してもらいます。
全員で順番に献香
香を奉じ、拝を為して……
「薫習」(くんじゅう)という仏語がある。
辞書には、「香りが物にその香りを移して、いつまでも残るように、みずからの行為が、心の習慣となって残ること」とあるが、
禅家では、
「すぐれた人(師匠)に親しんでいると、気がつかないうちに、自分もすぐれた人になれる」
という教えとされる。
我々には、達磨大師に近づくための、具体的な修行方法=易筋行(拳の修行)と鎮魂行(禅の修行)が伝わっている。
師伝に従い、行功を積めば、一歩一歩、達磨大師のような大人物の境地・領域に近づいていけるはず!
ちなみに今日は、達磨祭の終了後に、10月度の昇級考試も行いました。
受験した6名全員が、合格することができましたが、
級が上がったということは、一級分だけ、達磨大師に近づいたことを意味します(!?)
(そうじゃないと困るぞ~)
今後ますますの精進を期待します。
薫習
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『108』