加藤陽子『戦争の日本近現代史』 | 空想俳人日記

加藤陽子『戦争の日本近現代史』

 この本の著者さんは、以前読んだ『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』『とめられなかった戦争』と同じ著者さんだ。

日本はなぜ太平洋戦争に突入していったのか。為政者はどんな理屈で戦争への道筋をつくり、国民はどんな感覚で参戦を納得し支持したのか。気鋭の学者が日清戦争以降の「戦争の論理」を解明した画期的日本論!

 出版年月からすれば、この本のが早い出版だ。副題に「東大式レッスン! 征韓論から太平洋戦争まで」と書かれているが、「東大式レッスン!」って何。
 読み始めれば、なんとなく、講義形式かなあ、そう思った。でも、ここで大事なのは、「研究書を水割りしたような概説ではありません」ということ。教科書を水増ししたものでないと。つまり、歴史の「出来事=事件」だけじゃなく、そこに潜む「問題=問い」に迫らねば意味がないと。

加藤陽子『戦争の日本近現代史』01 加藤陽子『戦争の日本近現代史』02

 簡単に言えば、この本で、「なんで戦争せにゃならんかったんや」を知ること、それが大事なのんねへへえ。

加藤陽子『戦争の日本近現代史』03

第1講 「戦争」を学ぶ意味は何か
 さて、先にも述べてしまったが、ここに、歴史、そして戦争を学ぶとはどういうことか、書かれておる。「出来事=事件」として捉えるだけじゃなく、「問題=問い」、そう、「なんで戦争せにゃならんかったんや」なのだね。
 日清戦争は1894(明治27)年7月25日~1895年4月17日、日露戦争は1904(明治37)年~1905年9月5日、第一次世界大戦は1914年(大正3)年8月23日~1919年6月28日。
 だが、この本は、戦争そのものは起こらないけど、明治維新期から日清戦争が始まるまでを第2講から第4講の3回に分けて書かれている。
 以前、日清戦争から太平洋戦争までを、日本の50年戦争の歴史としてとらえる考え方があったが、ここでは、もはや、そうでなく、日本の戦争の歴史を「問題=問い」を捉えるには、明治維新から1945年の終戦、いやいや、幕末の尊王攘夷論まで遡る、そういう視点で書かれているのだ。
 では、日清戦争開戦までの富国強兵や朝鮮半島のこと、そして、主権線・利益線を次から見ていきたい。

第2講 軍備拡張論はいかにして受け入れられたか
 維新前の話にもなるが、公武合体で乗り切ろうとした幕府を尊王攘夷で討った連中が新政府の政権を担うと手のひらを反すように、諸外国との和親で進むしかないとなったのだが、このことに吉野作造は、
《攘夷は「古来の仁義の道に背く」のだとまでいいきって、国際法というものに対しては、あたかも道の教えに従うのと同じ敬虔な態度で従うべしと国民に説明した》、窮地に立った政府が国民に率直に披露した点をついている。
 もともと南下しようとするロシアに対し、日本は、結局、イギリスに助けられてもいるのであり(イギリスはアジアを狙ってもいるのだしね)、さらには、遠い普仏戦争で学んだ軍事費や賠償金などの知恵が、こうした、富国強兵の道が正しいのだ、ということを国民に納得させんとしているわけだ。経済成長、いわゆる富国と強兵は、密接な関係にあることも、岩倉具視や福沢諭吉の論も紹介しながら、語られている。
《経済への悪影響を心配して平時の軍事支出を削減しても、ひとたび戦争に敗けてしまえば莫大な賠償金を支払わねばならないので、平常の軍事費を削減してはいけないのだ》
 なるほど~、である。こうして、外交と軍拡は富国とは切り離せないものになっていく。それが明治維新だ。
 
第3講 日本にとって朝鮮半島はなぜ重要だったか
 ここでの時期は、1879(明治12)年から10年間で、1890年の帝国議会開設まで。議会開設は重要なポイントだね。
 ここでは、3人のお方に登場いただこう。
 ロシアの南下の危機とともに後藤象二郎は「一国の独立策を国民とともに図るために国会が必要なのだ」、と。日本も治外法権によって実は独立を失っており、「一国独立の策」を国民とともに一致団結して講ずることが急務という。
 そして、初代内務卿の大久保利通は「国の強弱は人民の貧富にかかっており、人民の貧富は物産の多寡に関係している、その物産の多寡は、ひとえに政府が人民の工業を奨励するかどうかにかかっている」と述べ、政府の強力な指導による産業化で「富国」を達成する、と。
 参謀本部長の山形有朋は、富国と強兵について、「強兵が達成されて初めて、富国・民権・外交などが問題となってくる」という認識。こうして、軍拡が大きく幅を利かしていく。
 ここでは、朝鮮半島をいかにすれば第三国の占領下におかないで済むかも語られているが、では、朝鮮が第三国の占領下に置かれると、何故に日本は「やばい」と思ったのか、このことについては、次の講の山形有朋による利益線論で明確になる。

加藤陽子『戦争の日本近現代史』04

第4講 利益線論はいかにして誕生したか
《1890(明治23)年3月、当時首相の地位にあった山県はその意見書「外交政略論」のなかで、日本の独立自衛のためには主権線の守禦とともに、利益線の防護が必要だと論じていました。》
 主権線……国土、日本の領土のこと
 利益線……主権線の安全に密接な関係のある隣接地域のこと
 これは、伊藤博文が憲法起草のためヨーロッパに出抜いた時に教えを受けた当時ウィーン大学政治経済学教授のローレンツ・フォン・シュタインの教えなんだね。利益線を防衛する際、日本に対して各国の制作が不利な場合、排除しやむを得ない場合は武力も行使するというもの。
 シュタインの考えは、朝鮮を占領するのでなく、朝鮮の中立を保つことが大切で、その利益線を侵害するものがいた場合は軍事力に訴えてでも排除せよ、なのだね。
 利益線に朝鮮あり。これが日清戦争にと繋がっていく~。

第5講 なぜ清は「改革を拒絶する国」とされたのか
 さて、いよいよ日清戦争だが、「出来事=事件」は、ほぼ描かれたマップだけで、ここでも、主に、そこに潜む「問題=問い」が語られている。
 その前に、1890(明治23)年11月29日に第1回帝国議会が行われている。陸海軍予算は、一般会計歳出総額約8000万円のうち、26.3%という膨大なもの。
 1984(明治27)年3月29日、農民戦争の広がりに対し、朝鮮国王は清国軍派遣を要請。これは朝鮮中立を妨害するものであるとの認識のゆえに、1894年6月16日、陸奥外相から清国側に「朝鮮に関する日清共同内政改革案」が提出される。清国はこれを拒絶。この拒絶が日本には好ましい事態に。日本の独立自衛のために朝鮮の独立が不可欠でその独立を阻害せんとする清韓の宗属関係をなくすため清国を朝鮮から排除する、この論理が内政改革に熱心な日本、それを拒む清国、という対比の論理が加わったのだ。
 1894(明治27)年6月23日、日本は単独で内政改革にあたるという絶交書を清国へ。簡単に言えば、日本は朝鮮を内政改革により独立国たらしめようとしているのに、清国は朝鮮を属国としておきたいがため、朝鮮独立を妨害している、これが日清戦争勃発の理由となるのだね。このことは、新聞論調にも投影され、国民の支持を受ける方向へと。
 日清戦争関連図が日本軍進路を語っているよ。戦争経過はそれだけ。
加藤陽子『戦争の日本近現代史』07
 そして、戦争終結、1895(明治28)年4月17日、日清講和条約調印。この日清講和条約、下関条約だよね、その内容が書かれてるけど言及しないよ。ただ、その中の遼東半島を三国干渉で変換される。ロシアを刺激しているのは分かるけど、ドイツやフランスも応援するとはね。
《日本にとって真に問題となる事態は、この三国干渉ではありませんでした。》
 そうかねえ、国民の政府に対する「ふがいないぞ」っうてならんかったかねえ。あれか、逆に反ロシアの機運が高まったから「よし」かねえ。次の講を見よう。
 
第6講 なぜロシアは「文明の敵」とされたのか
 さて、では、何で日露戦争へと? 1895年10月、特命全権公使に着任した井上馨のせいらしい。借款供与と利権獲得による朝鮮経済の日本への従属化、これでは独立国推進にはならんわ。こんな時、三国干渉が起こった。親露派政権を樹立したのに対し、一族をクーデターで排除しようとした朝鮮特派公使三浦梧楼、知らんよこの人。でも、いかんじゃん、独立維持しようとした朝鮮は、ロシアに軍の派遣求めてる。
 そして、ロシアは東清鉄道敷設権を清国から獲得したり東三省鉄道とシベリア鉄道との接続が認められたり。挙句の果ては1898年5月、清国国内における排外主義運動の責任と、清国を横断する東清鉄道から旅順・大連までの南支線敷設件もロシアは獲得。
 イギリスが黙ってみているわけがない。政策転換、借款に対する条件として、膠州湾や青島、渤海湾の反対側に威海衛を軍港として租借。
 1902年の日英同盟とともに、さらに日英軍事協定と、ここまでくれば、イギリスをバックに、日露戦争に何時踏み切るか、だね、日本は。
 ここにも日露戦争関連図とともに、日本軍の進路が描かれた戦争経緯は、その地図のみ。
加藤陽子『戦争の日本近現代史』08
 はい、次の講へ。日露戦争が始まった、こういう戦争だった。そして終わった。これらは、重きではない。次の講は、こうして終わった日露戦争終結から始まるね。

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第7講 第1次世界大戦が日本に与えた真の衝撃とは何か
 日露講和条約は、賠償金を含まないので大きな失望を感じただろう。だが、韓国に対して国防・財政の実験を日本側が握り、外交を日本の監督下に置けるようになった、として、参謀総長という地位で戦った山形有朋は述べている。
 さて、第一次大戦は、1914年7月28日、オーストリアがセルビアに宣戦布告をしたことが契機であり、日本の第二次大熊内閣は、はじめ中立を宣言。イギリスが日本に対し、シナ海で活動するドイツ仮装巡洋艦の撃退という限定的支援要請をしてきて、参戦。
 この参戦の裏には、予算をめぐる各政治集団間の競合、満州の特殊権益の守り方、中国への対応という三つの問題を打開したいがためでもあったようだ。
 結果、次の5つを日本は打開しようとした。
 ①対中問題
 ②ロシアの東方経営
 ③人種的孤立
 ④対米関係
 ⑤内政経済の危機
 ここで、①や②は分かるが、③がねえ。意外と、戦争の仕掛け人って、自分たちが優秀だと思っている白人のアングロサクソンなのよねえ。どうやら、そういう西洋諸国に対し、黄色人種の日本は中国や韓国と変わらない東欧アジアの一国なんだ。あと、④の対米関係は、遅れてやってきたアメリカに対する対応。みんな狙ってたんだねえ、東アジアを。
 そして、⑤の内政経済の危機を、なんと、第1次大戦は日本を救うんよねえ。特需景気っていうんかなあ。日本は試行錯誤しながらも、こうして、戦争がもたらすメリットばかりを追うようになるんよね。
 ここで、一言、釘をさしておくけど、こういう明治維新からの日本を、ボクは認めているわけじゃない。当時の為政者たちが、屁理屈ばかり言って、戦争正解の世の中に邁進し、それを国民が批判ではなく熱狂する、そんな仕組みが作られているんだよねえ。おお、こわっ!
 そうして、日本は、戦争でいろいろ得られることへの味を占めるんだよねえ。もう分かるよね、日本の明治維新による文明開化って戦争日本を創り上げる歴史なんだよ。

第8講 なぜ満州事変は起こされたのか
 第7講を少し引きずるよ。第一次大戦が思った以上に長引いたこともあってか、戦勝国の間で、ロンドン海軍軍縮条約や不戦条約が締結されたりするのだが、日本の動きに注目したい。ボクもこれ、少し驚き。次講の日中戦争・太平洋戦争を分けて考えてはならないことも含め。
 2回の国防方針改定が行われているのだが、陸海軍共通の仮想敵国としてアメリカの名前が挙げられていることだ。
《中国をめぐる経済問題と人種的偏見を原因とする長年の対立から、日米戦争となる公算が高いとみなされていました。》
 そして、海軍も陸軍も「戦争はできる」という議論について書かれているが、特に満州事変の仕掛け人としても有名な陸軍の石原莞爾が言うことには、
《日米が両横綱となり、末輩之に従ひ、航空機を以て勝敗を一挙に決するときが世界最後の戦争」》と述べ、さらには、
《日本から「一厘も金を出させない」という方針の下に戦争しなければならないといい、「全支那を根拠として遺憾なく之を利用せば、二十年でも三十年」でも戦争を継続できる》と。
 資源のあるアメリカに対し、資源のない日本に勝ち目はないが、日本が中国を領土として確保すれば、戦うことはできる、そう述べているのだね。
 そうして、その目論見を実現すべく、満州事変を謀るのだ。
《ロシアが弱体のうちに、日中戦争を持久的に戦い、国力を充実させて、アメリカとの最終的な戦争に向かうというイメージ》
 こうして、満州事変をきっかけに、日中戦争に突入するのだが、日本国民は、その戦争の先にアメリカとの戦いがあることを知らない。

加藤陽子『戦争の日本近現代史』06

第9講 なぜ日中・太平洋戦争へと拡大したのか
 そう、いきなりじゃないんだ、これまでの延長線上に、満州事変は起きている。未解決の日中の問題に終止符を打とうと、日本はインチキ戦略に出る。
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 第8講で登場した石原構想、この本には知らない人がいっぱい登場して狼狽えるのだが、この石原莞爾は満州事変であまりにも有名だったので助かった。
《張学良による中国東北部の支配を匪賊並みの軍閥支配であるとみなし、軍閥・匪賊の収奪から住民を守れば、関東軍は現地で自活できるとの考え》が加わる。
 張学良の支配に苦しんでいる満州の人たちが圧政に耐えかねて独立を図る、そんな筋書きだね。
《満州の独立国家化は九ヵ国条約や不戦条約に抵触しない方法で達成できるし、そうしなければならないとの、ある意味で不敵な気迫が伝わってきます。アメリカや連盟による、一連の条約を理由とした干渉の余地がないように、国民政府からの東北全部の離脱というかたちをとって九ヵ国条約を乗りきる決意を、関東軍参謀などが事変勃発後早い時期にかためていた様子がうかがわれるのです。》
 国民の世論についての記述。
《中国は条約違反の国家であると、心からの怒りをもって日本国民が中国を糾弾するためには、日本の行動がいかなる意味でも違法であってはならなかった》
 もう、この時点で、驕り高ぶる軍事国日本の明日は無いと思うのだが、この時は日中戦争だけで、太平洋戦争、第二次大戦まで、日本は想像できなかったんよね。
 ここで、ちょっとだけ脱線させてよね。
 みんな周知のごとくの満州事変以降だが、実は、ここに書かれていることとは全く違う印象のベルナルド・ベルトルッチ監督『ラストエンペラー』を思い出していた。西太后による溥儀に対する清朝皇帝指名と崩御を描く1908年からスタートし、所々に第二次世界大戦後に建国された中華人民共和国での「戦犯」収容所での尋問場面を挟みつつ、中華民国の下での皇帝と、日本の協力を得て満洲国の皇帝になり、退位しソビエト連邦に抑留された後、文化大革命のさなかに一市民として死去する1967年までの出来事をメインに溥儀の人生を描いた作品。
 もう、この時、日本は狂っているのだが、日清戦争から第一次大戦まで、ずっと狙っていた中国を、この映画とともに、ボクは、清朝最後の皇帝で後に満洲国皇帝となった愛新覚羅溥儀をこよなく愛することになった。
 おかしいかもしれない。でも、ボクにとって、日中戦争の始まり、満州事変は、戦争国日本の狂暴から始まったとしか思えない。その加害者であり被害者である彼の幼少からの映像に、ボクは項垂れたのだ。
 本に戻ろう。日中戦争と、次の太平洋戦争は、別扱いが多い。もちろん相手が違うから、それでいいのだろう。しかし、この本で分かるように、日本は、第一次大戦後において、仮想敵国をアメリカとみなし、中国をアメリカが取るか日本が取るか、そんな最終戦争まで思い描いていたわけだ。とすれば、ある意味、アメリカに対し真珠湾攻撃をした日本は、その最終戦争に挑んだと言えるのだ。しかし、大いなる間違いであったともいえる。何故なら、中国を落としきれないに、他と戦う体力などない筈なのだ。最後には、特攻隊などという命を消費する精神論的戦いで、勝てるハズなどない。
 この本の締めくくりを語ろう。
《1941年4月16日から正式に開始された日米交渉については、多くのすぐれた研究に譲り、ここでは大本営陸軍部の幕僚たちが、日米交渉の破局(ハル・ノート)をどう迎えたかを示す資料を引いておきます。》
 ここに、資料の文があるが「交渉は勿論決裂」とだけ記しておく。
《同年12月8日午前3時19分(日本時間)、海軍航空部隊のハワイ真珠湾攻撃が開始されました。よく知られているように、この奇襲は、アメリカの国論を一挙にまとめあげ、春・ノートが日本に与えた以上の「天祐」をアメリカ側に与えることになったのです。》
 こう締めくくられて終わっている。
 戦後のことは書かれていない。では戦後とは何か。ある時、昭和30年代に「もはや戦後ではない」と叫んだ時のアンポン為政者がいた。ボクは未だ、戦後だと思っている。戦後10年そこそこで生まれたボクよりも、今の子どもたちが戦後意識を持った方がいい。何故なら、ここに書かれている明治維新から1945年の終戦を生きた帰途たちの子孫なのだから。いまだ、日本の戦争をきちんと説明できる人がいないから、今でもあちこちに起きている世界の紛争に対し、のほほんと平和を享受している日本人。これを意識しないではいられない。

 この本で加藤陽子氏の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』『とめられなかった戦争』の原点を見た気がする。
 ボクたちは、この本で何を学ぶべきか。戦争を「出来事=事件」として捉えるだけじゃなく、「問題=問い」を汲み取ること、冒頭にも述べた。だからこそ、この本では、日清戦争からでなく、明治維新から(一部その前から)、書かれているのだ。
 では、戦争国日本は、明治維新から1945年までなのか。ここに書かれている「問題=問い」を汲み取れば、もしかして、いまだ、その「問題=問い」は終わってはいないのではなかろうか。アメリカラか与えられた素晴らしい平和憲法「日本国憲法」も「自ら日本人が作ったものではない改正すべきだ」との弁もあれば、憲法公布後、素晴らしい憲法を作ってくれたアメリカが手のひらを反すように、安全保障条約を突き付けてきたりした。いまだ、戦争に対する「問題=問い」は、答えを見出せずにいるのではなかろうか。
 前に読んだ鴻上尚史『不死身の特攻兵ー軍神はなぜ上官に反抗したか』にも書かれていた芙蓉部隊の隊長、美濃部正少佐。彼は最後まで部下を一人も特攻させなかった。当時、命を大切にする彼は、特攻を日本のヒーローとする国民から見れば異端児だったのだ。彼の遺稿となった平成11年の手記『大正っ子の太平洋戦争記』には、未来への願いとして「平成っ子達よ、君たちは別の意味の太平洋戦争を繰り返そうとしている!!」と結んでいる。空気を読んでその流れに従い常識を鵜呑みにすることがどういうことか。
 空気を読んで流れに身を任せる、それが、ある時「空気」って奴は間違った方向に世の中を動かす危険性があるのだ、ということ。自分の意志を貫いた美濃部がボクたちに残した警鐘、だと思う。
 今、日本は平和だと言う。でも、本当に、平和でいるのだろうか。世界のあちこちで紛争は起きている。自分の意志は、今、何を見て、何を考えているのだろうか。
 この本のあとがきで、なんでも「同じ道を歩んでいる」と危険を促すことには、ちょっと待てとし、過去をどう分析するか、それが大事だとは言っている。でも、ボクは、この本で、「問題=問い」を突き詰めて過去を暴いたことで、一度も自らの手で平和を勝ち取っていない日本が何処へ向かっているのか、改めて考えざるを得ない。同じ道を歩んでいるかどうか、この本を読んで考えるべきだと思う。そして、自らに問い直すべきだと思う。流されていないか、ちゃんと自らの意志で日々を生きているかどうか、を。平成から令和に入り、美濃部正少佐のような、より生々しい声が聞こえなくなっている今、この加藤陽子氏のような過去の「問題=問い」に対する分析で、きちんと今を明日をどう生きるか、考えるべきだと思う。
 間違いないのは、明治維新以降の日本は文明開化の裏で戦争王国を築いたことだ。それを為政者たちがなしてきたことに対し国民も熱狂してきたことを、今の日本国民もしっかり把握すべきだ。そうならない国民として、自らの意志を持って生きること、それがボクたちの使命だ。
 

加藤陽子『戦争の日本近現代史』 posted by (C)shisyun


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