それでも、日本人は「戦争」を選んだ | 空想俳人日記

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

 この本は、加藤陽子先生が栄光学園の生徒さんに行った5回の課外授業をまとめたもの。ボクは、秀才ではないので、「ついていけるかな」思ったが、出来の悪い生徒が一人くらいいてもよかろう、ということで、この本を読むことにした。

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「はじめに」にこう書かれてる。
《歴史好きであればどの章から読んでも面白いはずです。ただ、歴史は暗記ものじゃないか、歴史など本当の学問にはとても見えないなどと少しでも思われたことのある方でしたら、ぜひとも序章から読んでみてほしいと思います。》
 いや、今はそうは思っていないけど、歴史を学んだ学生時代は、確かに「暗記もの」、そう思っていた。だから、序章から読むことにした。


序章 日本近現代史を考える

 いやあ、マイッタ。序章から、「へえええええ」だらけだよ。
 いきなり、9.11テロに対するアメリカと、日中戦争の日本が似ていることに「へえええ」だ。そうかあ、こういう視点で観るものなのだねえ、歴史は。確かに北京郊外での盧溝橋事件で、時の首相、近衛文麿は「国民政府を対手(あいて)とせず」と。戦争ではなく「報償」と。「報償」って何?
《相手国が条約に違反したなど、悪いことをした場合、その不法行為をやめさせるため、今度は自らの側が実力行使していいですよ》
 なんだって。
 歴史は暗記ではない。今はそう思っている。歴史は年号を覚えるためにあるのでなく、一言でいえば「温故知新」。今、明日に向かってどう生きるかという時に、過ちを繰り返さないように過去を振り返ることだと思う。なのに、過去を振り返らず、同じ過ちを犯す人間。そう思ってたが、これも、後から、「歴史の誤用」という言葉が出てくる。
 あ、その前に、アメリカの南北戦争の時にリンカーンが言った有名な言葉、「of the people,by the people,for the people」。これが、なんと、日本の戦後の日本国憲法の前文に入れている。まさに「へええええ」だ。
 第一次大戦のさなかに革命を起こし帝政ロシアが倒れ、トロツキーとともに社会主義国を作ったレーニンにも、「へえええ」だよ。
 そして、ルソーが未来予測でもするかのように、「戦争」を定義したのも驚き。「戦争とは相手国の憲法を書きかえるもの」。なるほど、人間が、二人で戦争まがいの喧嘩をして勝ち負けが決まると、勝った奴の考え方を負けた奴に押し付け考えを変えさせるのと似てる。勝った国は、自らの民主主義を日本に押しつけたわけだ。僕は、民主主義の国に成れた日本の中で生まれた。ありがたいことだが、しかし、そこには、多くの犠牲者がいるわけだ。そういうことからすれば、今、平和であることは、その多くの犠牲者の上に成り立っていることを忘れてはならないのだろう。
 それから、第一次大戦から第二次大戦の間、二十年しか続かなかった平和。これをカー先生という人が、こりゃまた「へええええ」と驚きのことを言っている。パリ講和会議と国際連盟を作ったこと自体が間違っている、と。つまり、連盟加盟国は、大きく二つに分かれる。戦争で疲弊しながらも、現状維持を保ちたい国と、いや現状打破したい国と。現状維持したい国とは、多くの植民地を持つ国であり、現状打破したい国は、もっと領土を増やしたい国。それらが手を取り合うわけがない。
 そして、先に述べた、「歴史の誤用」。確かに「歴史は教訓を与える。しかし、それが災厄をもたらすことも」と。そう、歴史を振り返って、「あの時はこうだったからおかしなことになった。だから、今回は、そうしちゃいけない」といって結論したことが間違っていた、これが「歴史の誤用」だ。多くの選択肢から、どの道を選ぶか、なまじっか、過去の一例だけで判断するだけでは、誤用が起きる。だかr、幅広く多くの選択肢を見つけられるよう歴史を学ぶ必要がある、と。
 レーニンの後継者として、ともに改革に携わったトロツキーにしてしまうと、よく似たナポレオンのようにフランス革命の週末のようになってしまうと考え、能無しのスターリンを誤用した結果、ソ連は、官僚中心主義の独裁社会になってしまった。
 そして、第一次大戦から学んだ教訓、休戦の条件を敵国と話し合っては再び戦争が起こると誤用したアメリカは、第二次大戦で日本やドイツに無条件降伏を突き付けた。このことが、戦争終結を遅らせた。
 さらには、アメリカのベトナム戦争に対する泥沼化、これは、ソ連への脅威でなく、支援してきた蒋介石率いる中国国民政府がひっくり返され、共産化してしまった。「中国喪失」がベトナム戦争でのアメリカの敗北につながった。
 以上のように、既に序章で、「へえええ」と驚かされながら、歴史を学ぶとは、こういうことなんだ、考えさせられた。
 序章で、もうこういう状態だ。1章から、大丈夫かな。


1章 日清戦争

 まず、これは、決して日本を正当化するわけではないが、日本の中国への侵略戦争ではない。いわゆる、アジアにおけるリーダーシップ争いであるということ。
 その舞台としては、朝鮮である。朝鮮はもともと清国に属国的扱いであったが、独立国として扱うべきであることを主張する日本。
 そんな朝鮮で、重税に苦しむ朝鮮民衆が宗教結社の東学党の指導下で蜂起し大規模な農民反乱が勃発した。自力での鎮圧が不可能なことを悟った李氏朝鮮政府は、宗主国である清国の来援を求めた。清国側の派兵の動きを見た日本政府も先年締結の天津条約に基づいて、日本人居留民保護を目的にした兵力派遣。
 こりゃいかん、日本軍まで来た、そう思った朝鮮は急いで東学党と和睦、日清両軍の速やかな撤兵を求めた。ところが日本は朝鮮の内乱はまだ収まっていないとして、安全保障のための内政改革の必要性を唱え、日清共同による朝鮮内政改革案を清国側に提示したが、清国政府はこれを拒絶した上で日清双方の同時撤兵を提案した。これを受けた日本政府は朝鮮内政改革の単独決行を宣言し、清国政府に絶交書を送った。
 その一方で日本はイギリスとの外交交渉を続けており、7月16日に日英通商航海条約を結ぶことに成功した。まあ、イギリスとしては、「お好きなようになさいませ」とある意味応援したんだなア。清国側には、背後にロシアが後押ししている。
 つまり、言い方を変えれば、列強国(ロシアVSイギリス)の代理戦争とも言える。
 日清講和条約の中で、日本は李氏朝鮮の独立を清国に認めさせ、台湾、澎湖諸島、遼東半島を割譲させた。
 ところが、どっこい、ここで三国干渉。露仏独三国の外交要求が出された事で、日本は止む無く遼東半島を手放した。なんでやねん。ロシアは貿易のための不凍港を求めて,満州への進出をねらってて,日本が中国進出への足場となる遼東半島を得たことに強い危機感を抱き,ドイツ・フランスを誘って三国干渉となったんだねえ。日本は列強の国に対抗できる力がまだなかったから、要求を受け入れちゃったよ。これによりロシアへの反感が強まり、軍備の拡張をはじめ国力の強化を日本は図っていく~。
 この三国干渉が引き金となって、日本国内では、普選運動の動きが活発になるんよ。「あんたら政府は、せっかく手に入れた遼東半島を、何で手放すんだ。そんなお役人なんかいらん。普通選挙でもっと国民の願いを叶えられる政治家が選ばれにゃあかん」ということだよ。

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2章 日露戦争

 1章で「列強国(ロシアVSイギリス)の代理戦争とも言える」と書いたけど、日露戦争となると、相手は代理人でなくご本人になっちまうわけで、ほりゃ、戦争せずに外交交渉で何とかしようよという慎重論が出るのは当然だわね。
 ま、ともかく、ロシア帝国の南下政策による侵略は、なんとかせねばあかんと。ただ、日本は、大韓国だけを何とかしたかったわけだが、それでは、日本は応援を得られへん。ゆえに、ロシアが南下する満州を建前に、バックアップを取り付ける。それで、日英同盟が結ばれるんだね。あと、アメリカもバックアップに。なぜなら、イギリスもアメリカも、大韓国は興味ないが、満州は重要な貿易先だったん。そこを、ロシアなぞに乗っ取られたら堪ったもんじゃない。
 日露戦争と言いながらも、日本・イギリス・アメリカVSロシア・ドイツ・フランスという図が描ける。ドイツやフランスが何故にロシアを応援するのかは、この本を買って読んでね。戦地となる国、中国は蚊帳の外なんよねえ。
 でもね、次第に中国も、どうもロシアは胡散臭い、中国の敵じゃないか、ということで、戦場では日本に協力するようになったん。
 旅順攻囲戦(乃木希典指揮)は、陸海軍共同作戦として、遼東半島の最南端である旅順港に集結するロシア艦隊を駆逐した。
 最終的に日本とロシアはアメリカ合衆国政府の斡旋の下で、講和条約としてポーツマス条約を締結し、日本は朝鮮半島における権益をロシアに認めさせ、ロシア領であった樺太の南半分を割譲させ、またロシアが清国から受領していた大連と旅順の租借権を獲得。また東清鉄道の旅順-長春間支線の租借権も獲得した。ところが、交渉の末、賠償金を獲得出来へんかったのよねえ。戦後に外務省に対する不満が軍民などから高まっちゃったよ。
 あと、ポーツマス条約の5年後、大日本帝国が大韓帝国を併合しちゃったねえ。
 戦争後、増税がなされ、国税払う層が1.6倍になり、選挙権を持つ人が150万人を超えたよ。

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3章 第一次大戦

 これは、協商国(連合国)であるイギリス・フランス・セルビア・ロシア帝国(後にイタリア・ギリシャ・ポルトガル・ルーマニア・アメリカ合衆国が加盟)と中央同盟国であるドイツ・オーストリア・ハンガリー(後にオスマントルコ・ブルガリアが加盟)が戦った世界戦争。
 で、日本は、何故にこれに参戦した?日英同盟結んでるから、と。イギリスは「まだええよ」と言ったのに、参戦しちゃったんよ。
 何故に? 南洋諸島なのね。ドイツ領の南洋諸島を占領しちゃった。そして、パリ講和会議で「委任統治しなさい」って南洋諸島を預けられるのだねえ。あと、山東半島の経済的利権まで獲得しちゃったよ。
 南洋諸島と言えば、後の太平洋戦争で、日本とアメリカが戦う戦地になるのよねえ。アメリカにとっても重要な場所だよねえ。
 この戦争は、世界全体では戦死者一千万人、戦傷者二千万人に対し、日本は戦死傷者1250人。
 この大戦で三つの王朝が崩壊した。まずロシア。大戦には最後まで関わっている場合ではなくなったのね。ロマノフ朝が崩壊し、レーニンとトロツキー率いるボリシェビキによるロシア革命。これで、ソビエト連邦が出来てる。次にドイツ。ワイマール共和国の誕生。そして、オーストリアも。
 戦争で疲弊した国々は、戦争が二度と起こらないように、国際連盟が設立されるのだけど、序章で触れたカー先生。国際連盟の加盟国は、大きく2分される。戦争で疲弊しながらも、現状維持を保ちたい国と、いや現状打破したい国と。植民地がいっぱいある国と、もっと領土が欲しい国。うまくいくわけがない。
 さらに、この連盟にアメリカが加わっていない。それは、加わろうとする大統領に対し、アメリカ議会が批判する。日本は中国本土に過酷な植民地支配を及ぼそうとしている。そんな日本をヴェルサイユ条約調印国にするため日本に妥協した大統領の言うことは聞けない、と。ここに、後の太平洋戦争への布石を見るのはボクだけだろうか。

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4章 満州事変と日中戦争

 奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道が爆破された(関東軍の謀略)。日本の関東軍は、それを中国国民軍に属する張学良軍の犯行であると断定し、鉄道防衛の目的と称して反撃し、軍事行動を拡大した。関東軍の攻撃に対し中国国民党の東北軍(張学良指揮)はほとんど抵抗せず、関東軍は一気に満州全域を占領した。これは蔣介石が、当時は抗日よりも、共産党との内戦に力を入れていたためであった。こうして傀儡政権満州国が建国し、東北4省を日本の支配下に置いた。
 中国政府は国際連盟に満州国建国の無効と日本軍の撤退を求めて提訴した。国際連盟はイギリス人を代表とするリットン調査団を派遣、日本の侵略と認定。日本の代表松岡洋右は満州国を自主的に独立した国家であると主張したが、審議の結果、賛成が42カ国、反対は日本のみ、棄権がシャム(現在のタイ)で可決され、日本代表松岡洋右は連盟脱退を表明し、会場から退席した。
 しかし、松岡自身は、脱退反対論者だったのだ。彼は内田康哉外相に、強硬姿勢を取るのはやめましょう、日本が連盟にとどまれるようイギリスは妥協策で頑張っている、と伝えているのだ。
 張学良の軍隊が満州国に反抗する運動を起こしているとして、陸軍は満州国へ軍隊を動かした。陸軍はいつも問題を起こすのだ。こうして、全ての連盟国の敵と日本は見なされてしまった。
 日中戦争を戦争とみなしていないことを序章にも書いたが、条約違反した中国に「悪いこと」をしたから「罰を与える」、とな。盧溝橋付近の河原で夜間演習中、実弾を撃ち込まれ、点呼時に兵士の1人が所在不明だったため、中国側の攻撃があったと判断して起きた。かつての日清・日露戦争での日本が、ここまで、有頂天になって、「戦争じゃなく革命だ」なんて陸軍がほざいたのは、日清、日露、そして第一次大戦で戦勝国の一員となり、いい気になって、日中戦争では、政府よりも陸軍が大人気を博したことが大きいと思う。
 日本が世界的に見て、「それは認められない行動」を平気でしてきたのは、ふがいない政府に対し、陸軍が、圧倒的な人気を博すようになるからでもある。
 かつての戦争では、絶対的に反対を唱える非戦争論者がいた。そう唱えるのは、吉野作造。だが、彼の反論よりも、陸軍のプロパガンダが凄かった。当時の政府は、恐慌もあって、日本国民は生きていくための糧を得られないでいた。そんな時、当時の政府じゃなく、陸軍が素晴らしい(?)パンフレットを作った。「陸パン」というらしいが、ここには、今に通じる民衆が悩んでいる日々の生計に対し素晴らしい回答を盛り込んだパンフレットを作っている。言ってみれば現代のSDG'sみたいなものだろう。農民を救うのは、日本政府でも、議員たちでもない、我が陸軍である、そんなプロパガンダをしているのである。簡単に言えば、陸軍が、アナタたち困窮してる生活を救うのだ、そんなプロパガンダだ。ほりゃあ、当時、日本国民の50%が農民だったから、陸軍は絶大なる人気。
 そして、多くの志願兵は農民だったというから、もう日本から農業従事者がどんどん減っているのだよ。
 あとね、驚くべきこと、当時の東大学生(東京帝国大学)へのアンケートで、日中戦争感染前も開戦後も、支持すると答えた人が90%以上だよ。信じられない。いかに、日中戦争が、頼りない政府よりも陸軍のプロパガンダに、多くの国民がなびいた、ひしひしと感じるよ。
 以上が第4章。
 ひとこと。この中で、栄光学園の生徒が、当時とよく似た時代になっている現代を指摘したことに、鋭いじゃん、思ったね。今、21世紀になって沢山起きていることは、みんな戦争だよ。戦争じゃない、革命だとかクーデターだとか好きなこと言ってるけど、みんな戦争じゃん。

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5章 太平洋戦争

 いよいよ最終章、「太平洋戦争」である。だが、申し訳ない、ここには、その感想は記したくない。開戦が、宣戦布告もなしの、パールハーバー、いわゆる真珠湾攻撃である。この奇襲作戦は、旅順攻囲戦(乃木希典指揮)は、陸海軍共同作戦として、遼東半島の最南端である旅順港に集結するロシア艦隊を駆逐したことを思い起こさせる。多くの人々が、日中戦争までの日本をズルいと考え、この奇襲攻撃で、「日本、よくやった」と思う人が多かったようだ。信じられないことだが、ボクも、当時日本にいたら、そう思うかもしれない。日中戦争は日本らしくない。でも、アメリカへの戦争は日本らしい、と。本当に信じられないよ、当時の日本国民の感情が。でも、日本人には暗雲を吹き飛ばす感覚だったのかもしれない。
 でも真珠湾攻撃をしなかったら。さらには、その後のドイツの無条件降伏の時に同時に降伏していたら・・・。広島や長崎はなかった。
 ただ、実はアメリカでは、それ以前に日本が降伏していても既に広島や長崎への原爆投下は決まっていたそうな。
 面白いグラフが載っている。1941年から1945年の日米兵力格差。41年が日本100に対しアメリカ107なのが、年とともにどんどん差ができ、45年には日本100に対し、アメリカ1500にも。勝てるわけがない。
 水も食料も枯渇した孤島・硫黄島、ここでの戦闘を描いたクリント・イーストウッドの映画『硫黄島からの手紙』のことが語られる。是非見てほしい映画だ。ボクは劇場で観た。付け加えれば、水木しげるの『総員玉砕せよ!』。今こそ戦争を考える。太平洋戦争に従軍した漫画家・水木しげるが実体験を元に描いた未来へ残すべき傑作戦記漫画だ。読んで欲しい。ボクは読んだ。
 一方、満州。助成金欲しさに分村移民を送り出した県役人や村長たち。村単位で強制的に満州へ移住させられた人々がいることを忘れてはならない。日本人にとっては極寒の地でもある満州へ、村ごと移民する。終戦時の満州にいた日本人は約200万人。そのうちソ連侵攻後の死者数、約24万5400人。 
 日本における戦争は、「欲しがりません勝つまでは」の言葉に象徴されるように、戦うことに国民が全力を挙げる中、日々の生活はどんどん苦しくなる。苦しくなっても我慢せよ勝つまでは。これもアメリカ国民との大きな違いだ。
 大陸での日中戦争に加え、さらに太平洋戦争が繰り広げられる中、日本は異常なファシズム体制の中で、異論を唱えるものを虐殺抹殺していく。戦争とは、相手国への殺人行為だけでなく、自国民にも殺人を企てる行動なのだ。
 この章でも多くの人たちの名前が出てくる。太平洋戦争が、日本の目論見、それに対する世界の視点も書かれてる。ぜひ、この本を買って「そうだったんだ」と思ってくだされ。
 ボクは、この最終章「太平洋戦争」を、ここに、多くを語らないことで、これからも、日々、太平洋戦争と直面して考えることを止めない、そんな人間でありたい。
 なぜなら、今も「隠れた太平洋戦争」が行われてると思うから。

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 この本を読んで、ただ「戦争は良くない」と叫ぶことも大事だが、過去の戦争が何故に起きたのか、どういう戦争で、結果どうなったのか、そうしたことをここで学ぶことにより、現在と過去を行ったり来たりしながら、今、日本は世界は、どういう状況なのかを把握し、そこから二度と戦争をしないためにはどうすればいいのか、それを導き出さなければいけない、そう思う。そして、今、果たして、このまま行くと明日はどうなるのか、明日は大丈夫なのか、そういう予測もしなければならない。歴史を学ぶとはそういうことだと思う。
 それと、もうひとつ、戦争は良くないと言いながら、ここで学んだ数々の戦争を経てきたからこそ、今の平和憲法があり、民主主義があり、平和があるのだと思う。もし、違った過去になっていたら、例えば、太平洋戦争で日本が敗戦せずに、満州からの引き揚げが無かったら。この本にも、満州から引き揚げてきて、その後、素晴らしい作品を生んだ人たちが書かれてる。これだけ、引用させてもらう。
《『あしたのジョー』で有名な漫画家・ちばてつやと、2008年に亡くなった赤塚不二夫、この人は『天才バカボン』の作者ですが、この二人も引揚げ者でした。作家でいえば、芥川賞作家の安部公房がそうですね。引揚げ体験を元にした小説『けものたちは故郷をめざす』は傑作ですので読んでみてください。》
 ボクは読んだ。
 そして、実は内輪な話だが、この満州からの引き揚げが無かったら、AMIの相方みっちゃんは、この世に生まれていなかった。そういう人もいるだろう。

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 最後に、この本には、時代を動かした、また動かし間違えた著名な方々の名前が登場する。
 統率力で軍備拡充を図る清の李鴻章、それに焦りを感じる山県有朋、朝鮮の独立党の人々を支援しながら西洋人と同じように中国や朝鮮と接すればいいとする「脱亜論」を書いた福沢諭吉、山県にシベリア鉄道の役割を説いてアドバイスするシュタイン先生、日本が特別な国であることを実証しようとした陸奥宗光。
 旅順の攻防で陸海軍の共同作戦を取った乃木希典、国家存亡がかかってるから旅順を落としてくれと乃木に手紙を書いた秋山真之、開戦に慎重だった山県と伊藤博文に「開戦させてくれ」とお願いした桂太郎首相、「ロシア強硬論は日露交渉を有利に展開するためだけだったのに開戦してまったがや」と嘆く政友会指導者の原敬。
 日英同盟を結んでるからと参戦しちゃった加藤孝明外相、中国本土に過酷な植民地支配を及ぼそうとする日本をヴェルサイユ条約調印国にするため日本に妥協したとアメリカ議会に非難されたウィルソン大統領、アメリカが参戦したのは随分後で苦しい時期に密約を交わすのは当然と山東に関して日本を是認したロイド=ジョージ。
 満州事変を起こした陸軍参謀本部の石原莞爾、袁世凱、蔣介石、原敬、近衛文麿、広田弘毅、山本五十六、昭和天皇・・・。ああ、面倒くさい。もっとたくさんの重要人物がここには登場する。があ!、そんな人よりも大事な人がいる!!
 そうした歴史の裏には、歴史に上がってこない多くの無名の人々の犠牲者がいっぱいいるんだよ。これは、日本人だけじゃなく相手国にもたくさんいる。そんな無名の多くの犠牲者がいて、今この日本の平和があることを十分理解し、その犠牲者たちのためにも、今の平和を守っていく努力を私たちはしなければならないのだ。そして、さらには、世界が平和であるためにはどうすればいいか、それも私たちは考えなければならない重要なことだと思う。

蛇足・・・名古屋市中区丸の内三丁目にある愛知県庁大津橋分室1階に「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」がある。是非訪れてほしい。


それでも、日本人は「戦争」を選んだ posted by (C)shisyun


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