とめられなかった戦争 | 空想俳人日記

とめられなかった戦争

 この間、『デジタルカラー化でよみがえる「昭和の写真館」』という本で、特に「第三章 軍国主義の果てに」をビジュアルで感じたんだけど、やはり、改めてきちんと再認識したいと思って、この本を手に取った。
 この本の著者さん、加藤陽子さんは、以前、栄光学園での特別授業を一冊にまとめられた『それでも、日本人は「戦争」を選んだ」で、太平洋戦争を詳しく知る事が出来た。小林秀雄賞を受賞された本だ。

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 さらに、この本は、2011年に5月、NHK教育テレビで4回にわたって放映された「さかのぼり日本史 昭和 とめられなかった戦争」の内容に沿って書かれた本。
「なぜにあの時、戦争をやめられなかったんだろう」、そんなターニングポイントから、日中戦争・太平洋戦争を紐解いてられる。いわゆるターニングポイントがあって、「その時やめていたら」「でもやめられなかった」という視点で書かれている。
 ターニングポイントは4つ。時代をさかのぼるように書かれている。

第1章 敗戦への道 1944年(昭和19年)
 一つ目のターニングポイントは「マリアナ沖海戦・サイパン失陥」。まずは、太平洋開戦時の太平洋ならびに日本の領土・勢力圏(1941年12月)が描かれている。

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 そして、ターニングポイントでカギとなるのは、「絶対国防圏」。
《この絶対国防圏の設定にあたっては、戦略思想が大きく違う陸軍と海軍の間で、かなり激しいせめぎあいがありました。陸軍は交戦中の中国とその奥に控える仮想敵国・ソ連を重視して、大陸での長期持久戦中心の戦争を志向していました。》
《アメリカを仮想敵国として組織・艦隊を作り上げてきた海軍は、アメリカ艦隊との決戦の前提として、ともに連合国の一員であるアメリカとオーストラリアにいたる線に沿った太平洋の島々の占領と確保を強く志向していました。》

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 そうした状況で、「マリアナ沖海戦・サイパン失陥」は何を意味するのか。あの最新鋭爆撃機B29が登場する。航続距離は、爆弾搭載時で約5300㎞。そして、マリアナ諸島から日本全土までの距離は約2400㎞。そう、ここから飛び立つB29は日本の本土まで行って帰ることができる。そうなのだ、本土空襲を可能にしたのが、このサイパン失陥なのだ。

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 そうなれば、負け戦でしかないことは一目瞭然なのだ。なのに、なぜ。日本のなかでは、この後、和平の動きもあったようだが、アメリカは第一次大戦での反省として、今後の戦争では無条件降伏しか取り合わない、に対し、日本は、中国では勝ち続けているのだ、それなら「一撃講和」だ、などと、一発食らわしてから和平交渉しよう、などという動きなどで、結局まとまらず、硫黄島、そして東京、続いて大阪・名古屋・横浜・鹿児島などへ。そして、沖縄本島の地上戦、広島・長崎への原爆投下、あれよあれよと言ううちに、敗戦までの約9か月間で甚大な数の戦死者を出してしまった。

第2章 日米開戦 決断と記憶 1941年(昭和16年)
 二つ目のターニングポイントは、遡ること、1941年。「日米開戦」、太平洋戦争だ。日本は、予想外に日中戦争が長期化し、泥沼化していた。その「泥沼」からの脱出をめざしたのが「南進」なんだ、つまり日米開戦だ。
 そんなあほな。日中戦争が長期泥沼化しているのは米・英・ソが中国に物資援助などで蒋介石を援助しているからだと。これを遮断してしまえばいい、などと、まったく何を考えてるやら。北進に注ぐ力に、さらに南進に力を注ぐなんて、普通は考えられないだろう。そんなに日本が国力があるとは思えない。

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 そうだ。アメリカとの国力の差がここに書かれておる。アメリカは国民総生産では日本の12倍。石油は777倍。
 ところが、石油の使用量の9割までもアメリカからの輸入に頼っていた日本、アメリカが全面禁輸の措置を。これは、ドイツと戦争を始めたばかりのソ連を応援するためだったらしい。ならばと、早期開戦論が軍はもとより国民の間にも満ちてきた。
 悲しいのは、そうした中、思想家や文学者の間にまで、日米開戦を是とする意見も出てくる。中国に対する弱い者いじめの日中戦争に対し、強い英米に対して、「爽やかな気持ち」などと言ったり、この戦争は「明るい」などとも。
 馬鹿か。戦争に明るいも暗いもない。いや、暗いだけだ。世の中には、多くの必要悪がある。しかし、戦争は必要悪ではない。ただ単に悪であり、必要なものでは一切ない。勝っても敗けても殺人行為であり、それは犯罪だ。犯罪に加担するようなことを言う奴は、狂っているのだ。

第3章 日中戦争 長期化の誤算 1937年(昭和12年)
 三つ目のターニングポイントは、遡ること、1937年。「日中戦争はじまる」。
 メインは長江(揚子江)の主要都市の占拠。上海、南京、武漢、宜昌。国民政府の蒋介石は、重慶まで追いやられる。
 それだけでなく、日本は華北でも華南でも大規模な戦闘と占領を行っている。

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 これら日中戦争は、実は日本にとっても中国にとっても戦争ではなかった。なぜなら、戦争の場合、アメリカは中立という立場をとる。これはスイスの中立とは異なり、「兵器・軍用機材の輸出禁止」「一般の物資・原材料の輸出制限」「金融上の取引制限などの措置を取る」、というもの。中国は、兵器の輸出禁止や物資の輸出制限を恐れ、日本は金融取引制限。
 屈服しない中国、負けを認めさせたい日本。そうして泥沼化する中、日本は、相手は国民政府ではない、とする。では相手は? 新興志那政権だと。つまり、占領地に組織してきた傀儡政権。可能性があったのは、空になった南京に1940年樹立した汪兆銘による国民政府。汪兆銘は日本との妥協の道を求めた。だが、彼に政権を押し上げる力はなかった。
 先にも述べたけど、日本も中国も、戦争とは呼べない事情。それはアメリカに中立の立場を取られたくない。日本は、中国が兵器も持っ氏も底をつき、お手上げにさせたい。ところが、日本も金融取引を制限されたくないから戦争ではないという位置づけのために宣戦不布告状態。
 そこで、日本は、資本主義でも共産主義でもない、新たな大東亜という概念を持ち出した。日本やその支配下にある朝鮮・台湾、満州国、中国が連携して東アジアの中で国際的な正義を確立しようとする新秩序。
 だが、この章の最後で登場する胡適という中国人には驚いた。蒋介石のもとで1938年に駐米大使となった、東大最高の西欧的知性を持つ知識人。彼はアメリカ海軍力とソ連陸軍力を巻き込まない限り日本に勝てない、と。中国は日本との戦争を正面から引き受け、2~3年負け続け、諸省がすべて占領される状態になっても苦戦を堅持していれば、アメリカやソ連は動き出す、と。日中戦争開始二年前に書かれた彼の書簡から引用。
《我々は、3,4年の間は他国参戦なしの単独の苦戦を覚悟しなければならない。日本の武士は切腹を自殺の方法とするが、その実行には介錯人が必要である。今日、日本は全民族切腹の道を歩いている。上記の戦略は「日本切腹、中国介錯」という8三時にまとめられよう。》
 まさしく、日中戦争から4年後、世界大戦への一部へと発展した。日本が短期決戦で決着できると思いこんだのに対し、中国は早い段階から持久戦に持ち込み世界大戦へと目論んでいたのだ。

第4章 満州事変 暴走の原点 1933年(昭和8年)
 四つ目のターニングポイントは、遡ること、1933年。熱河侵攻。これは、満州事変から国際連盟脱退の決意に至る過程で起きた、熱河省への侵攻作戦。

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 1931年の松岡洋右の「満蒙は我が国の生命線」発言。そして、関東軍による満州事変。そして、張学良による「圧制」のたmrに国民政府から独立した人々が訓告した、としちゃう満州国。国際連盟から派遣されたリットン調査団。
 その調査団の報告書に対し、起きたのが熱河省への侵攻作戦だ。一度は、取り消しを図ったものの、天皇も自らの意志で取り消し決定を行うことができず、熱河侵攻は実施され、結果、満州国は認めないとする、国際連盟総会の採択により、日本は国際連盟を脱退する。
 熱河作戦に中止命令を出そうとした昭和天皇も、統帥部の輔翼がないと大使を行使できない。暴発した軍事行動を止められないパターンがここで生まれた。

 以上、第4章の最後に、
《満州事変に始まり、太平洋戦争の敗戦で終わった日本の戦争の歴史の最も過酷なツケは、「乳と蜜の流るる郷へ」などという美しいスローガンで満蒙開拓へと誘われた開拓民たちの上にふりかかることになりました。》
 敗戦時の満州開拓民は22万3千人。無事帰還できたのは14万人。残りの者の悲劇(チフス、逃避行の集団自殺、残留婦人、残留孤児などなど)に対し、分損移民を送り出した村長、県の開拓主事、移民しようとする家の妻、そういう立場だったら・・・。
《自国と外国、味方と敵といった、切れば血の出る関係としてではなく、あえて現在の自分とは遠い時代のような関係として見る感性、これは、未来に生きるための指針を歴史から得ようと考える際には必須の知性であると考えています。》
 ラストは、俯瞰して見る、そういうことだと思う。
 ここでは、満州事変から太平洋戦争までのターニングポイントが書かれてるが、ボクは、日本人の歴史を、もう少し遡れば、朝廷と武士の戦いである「承久の変」で天皇制を失くしていれば、尊王攘夷も王政復古の大号令も明治維新も起こっていなかったと思うし、古代になるが弥生人よりも縄文人の方が生き残っていたら数々の戦は起きていなかったかもしれないし、人間の歴史でいえば、ホモ・サピエンスが滅びネアンデルタール人が生き残っていれば・・・。
 歴史上のターニングポイントは、おそらく、今を生きる人々の思考の糧、未来へ何を選択して生きればいいかの肥やし、になるだろうと思う。
  

とめられなかった戦争 posted by (C)shisyun
 

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