ヨシタケシンスケ『思わず考えちゃう』 | 空想俳人日記

ヨシタケシンスケ『思わず考えちゃう』

 ついこの間、『おしごとそうだんセンター』を読んで、この本といい、前に読んだ『日々臆測』といい、日頃どんな脳味噌活用してるんだろう、そう思ったら、思い出したのである。発想というか考え方を日々スケッチなされてることを。 
 そして、時々講演会などで時間が余った時に、終わりの方で、そのスケッチを見せながら、その解説をされてることを。そして、お客様から、異口同音に「終わりの方のお話、面白かった」と言われるのを。それを口述筆記というか書下ろしじゃなく語りおろしで本にまとめたエッセイがあったことを。
 それが、新潮社から出てる、この『思わず考えちゃう』。思わず入手したよ。

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 まず「はじめに」は、今言ったような、この本を出すきっかけが書いてある。
 そして、3つの章に分かれてる。どこから読んでもいい、と言われても、結局、順番にページをめくるしかないので、第1章から。

第1章 ついつい考えちゃう
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 いきなり「ご自由にお使いください」に、そうそうそう。
《我々の人生も、神様に、どうぞご自由にその身体をお使いくださいって言われて、この世に生まれてきてるわけ》
 なのに、レシート捨てる箱にしてる。そういやあ、うちらの身体、言われたこと教えられたことをどんどん詰め込むことに使ってきたよねえ。自由って何だろうね。「そんなもん詰め込むなよ。もっと面白くて有意義なもの詰めこんでくれ」って反発しても良かったかも。
 続いて「ききうでのツメは切りにくい」だけど、ボクも左利きなのよ。ところが、ぶっちゃけ、切りにくくないのよね。おかげさまで、物や道具によって、右手を使うこともある。つまり、左は、力任せでエイヤやるのによく使い、右は精密なことに使ったりする。両方使えるから。
 そして、よくフードコートの井戸端会議でおばちゃんたちが誰かの悪口を言っている。その人はいないみたいだ。よく見かけるシーンだ。すると、「あらあ、皆さん。こんなところで」と、先まで悪口言っていた人が現れると、「あらあ、お久しぶり」とみんなこわばった笑顔になり、その人が「ねえねえ、聞いた。丸子さんってさ」といない丸子さんの悪口が始まる。これだよね、みんなで生きていく処方箋。
 
 はい、第2章に入る前に「また出てまいりました」とインタールード。貧乏性でものが捨てられない、心の中はゴミやしき!と。同じである。いいですか。五木寛之『捨てない生き方』を読みましたか。捨てられないのは、そこに記憶が刷り込まれるからですよ。大切な自分の人生の足跡がそこに在るんです。それに対し。流行とはいえ、断捨離とは、過去の自分を断ち切る行為です。これは、過去のしがらみを全て払拭して生きるしがらみをなくす行為、つまり終活。もうこの後、死ぬしかない、それが断捨離。まだ、足掻いても生きたい人は、物を捨ててはいけない。大事な自分の記憶がそこにはあるから。五木寛之氏も、そう語ってるよ、『捨てない生き方』で。あと、ブログ記事「捨てなくても大丈夫」にも書いたけど、捨てる、断捨離とは、思い出を消し去る行為、ようは終活だね。いくら断捨離が流行っていても、もっと生きたい人はやめたほうがいい。断捨離は残りの人生を放棄する行為でしかない。

第2章 父だから考えちゃう
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 子育て終わったから、その頃のこと忘れたよ。今は、ボクという未だ子供を育ててる。
 ただ、「プンちゃんはさまっちゃってるよ?」、プンちゃんは亀のぬいぐるみ。飽きちゃって何かの下敷きになってるときの言葉。お子さんの返事が素敵だ。
《「だいじょうぶ。プンちゃん いたいのだいすきだから。」》作家になれるよ。
 それと、「よごれて洗ってよごれて洗って」は、いいよね。汚れないように生きるんじゃなく、汚れたら洗えばいい。そして、「いい感じになりなさい」。最高!

 そして、「ハイ。ヨシタケでございます」のインタールード。「ウフフ。ホラ、なんかめんどくさいでしょ?」の氏に、母子の子が「ヤーン キモーイ」と言うと、母が「違うわよ!このおじさんはきっと「そんな弱いボク」を装って「あわよくばモテタイ」と思っているのよ!」。鋭い!

第3章 ねむくなるまで考えちゃう
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 より、めんどくさい感じになりますヨ、というとおり、第3章は、ほぼめんどくさい。こう、なんかイラッと来る。「できないことをできないまま」はメチャ分かるけど、「ボクはあやつり人形」で選択肢が狭いほどいい、だってかあ。戦争に行って上官に敵を殺しなさい言われると命令をきれいに遂行するって、それじゃエルサレムのアイヒマン(このことについては、スーザン・ソンタグ『反解釈』に書かれてる「『神の代理人』をめぐって」を読んでね。あと、ハンナ・アレント『責任と判断』も読んで)になっちまうよ。日々選択してるでしょ、ほんとは。同じことだけど、日々と同じことを他事じゃなく選択してるわけなのよ。もう、めんどくさいなあ。
 もち、選んだことは宝くじみたいなものかもしれないけど、買わないより買うでしょ。つまり、行動しないんじゃなく行動するでしょ。
 自分にできないことが見えてくる、そうだよね、それはできることが出来てるからだよね。
 そして、この第3章は、なんかイラッとするけど、
《イライラすると新陳代謝が活発になって体にいいぞ!!「イライラ健康法」だ!!ホラ!ホラ!チクショー!!》
 そうそう、その調子。

 そうして「おわりに」だ。オススメは「記録に残す」こと。そうだよね。特に面白いと思ったことって、意外と記憶から消えちゃうよね。なら消えない「記録」に残すっていいよね。
 ああ、やっとすっきりした。皆さんも、めんどくさいけど、これ読んで、イラっとして、新陳代謝を活発にして、スッキリしましょう。チクショー。
 とにかく、考えるってことは体にも心にも生きるってことにも良いことなのだ。


ヨシタケシンスケ『思わず考えちゃう』 posted by (C)shisyun


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