歴音56.雨ニモマケズ(雨うた.6)
今回のコラムは、連載「雨うた」の第6回になります。
連載の最終回となります。
* * *
梅雨の時期にあわせた、今回の連載「雨うた」(全6回)では、日本の、Jポップ、ニューミュージック、フォーク、歌謡曲、演歌の中から、新旧の150曲を選びました。
楽曲タイトルに、「雨」などにつながる言葉が入っていたり、歌詞の中で「雨」が印象的に登場する楽曲です。
今回の6回の連載では、「梅雨(つゆ)」にからんだお話しと、漢字「雨」の入った四字熟語もご紹介しています。
平成生まれ以降の世代は、四字熟語を あまり使いませんが、どうぞ使ってみて!
(追伸)
豪雨・台風・地震等で被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復興をお祈り申し上げます。
◇晴耕雨読
「雨」の文字が入る四字熟語の最後は、数ある「雨」の四字熟語の中で、もっとも有名な四字熟語「晴耕雨読(せいこう うどく)」!
受験生! 知らなかったら、すぐに覚えて!
試験に出るかも…。
「晴耕雨読(せいこううどく)」の意味… 晴れの日は畑を耕し、雨の日は家の中で本を読む。
つまり、晴れの日は 体力づくりと労働、そして、雨の日は、しっかり学習!
自然の中で生きる人間本来の、理想的な姿ですね。
農家なら「晴耕」、漁師なら「晴漁」、職人なら「晴工」、歌手なら…。
働いて(晴耕して)、学んで(雨読して)、また働いて、また学んで…人は成長していきますね。
昔の学校の玄関では、この四文字の看板や石碑を、よく目にしました。
* * *
昨今のネット上では、この「晴耕雨読」の解釈説明の中に、「悠々自適な生活を送る」という説明文があります。
いつから、そんな解釈が盛り込まれるようになったのか…。
そんな解釈を、昭和の時代に、私は聞いたことがありませんし、まったく納得できる内容ではありません。
「晴耕雨読」という言葉の発祥が、いつ どこなのかは わかっていませんが、少なくとも「悠々自適」を連想するとは思えません。
学校の玄関に、誰が「悠々自適」と掲げるというのか…。
曲解も はなはだしい…、さては誰かさんは、学校の授業を さぼっていたな…。
* * *
ネット上には、「ウィキペディア」の一部はもとより、多くの誤った説明文や、詐欺まがいの曲解文章が存在します。
子供たちへの教育という意味では、問題のある 間違った解説文もたくさんありますね。
あきれるほど多い!
親御さんは、子供たちの知識を 確認して!
◇諸葛孔明さんも、晴耕雨読!
西暦200年代(日本は弥生時代)の中国の古い歴史書「三国志」の中に、天才軍師の「諸葛亮(しょかつりょう:諸葛孔明)」が登場します。
彼は、まさに「晴耕雨読」のような生活をしていたといわれています。
彼の思想を反映した言葉の中には、次のようなものがありました。
(わかりやすく意訳)
大きな望みをやり遂げるには、知力と体力が必要!
晴れた日は、身体を動かして、健康を維持すべし!
雨の日は、無理をして外に出て仕事をすると、体調を崩してしまう。
それでは、いざという時に、いい仕事ができない。
雨の日は、家の中で本を読んで勉強すべし!
…天才軍師の諸葛孔明は、このような考えだったようです。
孔明さん… まさに、晴耕雨読(せいこううどく)!
こうした思想から、「晴耕雨読」という四字熟語が、自然発生的に生まれたのかもしれません。
まずは、知力・体力・健康…。
勉学の後に、地位や富、幸福が、ついてくる!
今現代も、それほど違わないのかもしれませんね。
コラムの最後に、「晴耕雨読」を実践していた、明治生まれの ある童話作家のお話しを書きますよ!
さあ、晴耕雨読!
音楽なら、晴 耕 雨 聴! 晴 聴 雨 聴!
雨でも、晴れでも、聴きまくれ! 音楽!
◇天から雨が…
さてさて、そもそも「雨(あめ)」という、何か不思議な呼びかたは、どこから来ているのでしょう?
古代中国から伝わってきた漢字「雨」ですが、雨の最上部の横棒「一」は天空を意味しています。
「冂」(どうがまえ・けいがまえ)は、遠く離れた場所、辺境の地、牧草地などを意味しますが、この場合は「雲」を意味するという説があります。
つまり、天の雲から落ちてくる雨粒の光景が、漢字一字で「雨」と表現されていると解釈できます。
* * *
漢字一字の「雨」を、日本では「あめ」と呼びますね。
「あめ」は、場合により「さめ」とも発音されます。
東洋の古代思想の中には、人間という俗な枠を越えた存在、人間よりも崇高な存在を、「天(てん・あま)」と表現することがありました。
天にのぼる…、天にかわって…、天のみぞ知る… などなど、「天」は、漠然としていても、多くの人たちが何か共通のものをイメージしますね。
「何かが、上の方から、不思議なチカラで、自分を守ってくれている、しかってくれている、導いてくれている…」。
* * *
さて、日本神話の時代には、世界は三層構造でできているという思想がありました。
神様のいる天上界である「天津国(あまつくに)」、生きた人間などがいる「葦原中国(あしはらのなかつくに)」、死者がいる「黄泉国(よみのくに)」です。
上中下に分かれた三つの国による三層構造と、死生観が結びついていたのだろうと思います。
神話の中では、もっとも偉い神様から、一部の神様に「地上の国」である「葦原中国」が与えられ、一部の神様が地上に降りてきました。
後の世の人々は、この神様が地上に降りてきた出来事を「天孫降臨(てんそんこうりん)」と表現しましたね。
ここでは、その三層構造の思想や、神話の話を書きませんが、近く あらためて書く予定です。
* * *
いずれにしても、三層構造の思想では、「天(てん・あま)」とは、神様そのもの、神様のいる崇高な場所、空の向こうの天空の場所を意味していました。
そんな「あま」の国から、地上の国に降り注いでくる、ありがたい「水」です。
「あま」からの「みず」!
あまみず!
日本語には、「知っておく」が「知っとく」、「言っておく」が「言っとく」、「来ることができる」が「来れる」、「何を言っているのですか」が「てやんでぃ(江戸弁)」、「アメーバブログ」が「アメブロ」など、長い言葉を短くする技法「約転(やくてん)」がたくさんありますね。
今現代でも、簡略化して短くした言葉が、日本人は大好きです。
食品の「飴(あめ)」という言葉も、もとは「甘い」「甘めえ」から転じた「あめ」だと いわれています。
もし「飴」が辛かったら、「から」という名称になったでしょう。
個人的には、「あまからのみず(天からの水)」を、「あめ」と短くしたのではないだろうかと思っています。
有り難い 大切なものという意味を込めた「あめ」だったのかもしれません。
古代日本の「天(あま)から降る水」の名称の読みである「あめ」に、中国から伝来した漢字「雨」を組み合わせたのかもしれません。
時に、雨の水自体を呼ぶときは「雨水(うすい・あまみず)」「雨粒(あまつぶ)」。
そうです…雨水(あまみず)とは、「天水(てんすい・あまみず)」そのものを意味しているのだろうと、私は思います。
* * *
本コラムでは、「雨」のお話はここまでにして、九州の熊本県・玉名市にある「天水(てんすい)」という場所のお話し、夏目漱石の「草枕」に登場する「小天(おあま)」のお話し、あの有名な姿の熊本の「アマビエ」のお話し、九州の「天(てん・あま)」のお話しは、また、あらためて、新連載のシリーズで書きたいと思っています。
それまで、どうぞ 雨宿り…、天やどり!
◇昭和の傘ダンス
さて、ここからは 音楽!
下記は、歌詞に「雨」が出てこない楽曲ですが、特別に…!
その映像の中の、ライブステージの「傘」の演出は、昭和の世代には、たまりません!
ダンサーたちのアイドルチックな白い衣装といい、ダンスアクションの振付けといい、まさに、昭和感たっぷり!
聖子ちゃんホワイト・パラソル・ダンサーズ!?
東京では、日傘をさす男性が急増中!
散歩中のワンちゃんも、帽子や靴…!
ヘルメットや自転車、作業用ベストは、扇風機付き…!
扇風機の付いた日傘も…!
酷暑で、よいしょ! どっこいしょ!
「雨」など降っていなくとも、「傘」の花たちでしょ!
TUBE(チューブ)
♪裸足のラッキーガール(2015・平成27)
いよいよ、このバンドの季節が来たぞ!
昭和のラインダンスも最高!!
夏は、ホットパンツで ラインダンス!
TUBE(チューブ)
♪Only You 君と夏の日を(1996・平成8)
◇雨うた
今回、6回に渡って連載してきました「雨うた」では、さまざまに熟考して、「歴音fun」ならではの150曲を選んでみました。
残念ながら、泣く泣く入れなかった楽曲も多数ありました。
あなたの好きな「雨うた」はあったでしょうか…。
さまざまなかたちで本コラムを読んでくださっている方、音楽業界の方、ミュージシャンご本人や関係者の方など、多方面よりメッセージを頂戴し、誠にありがとうございました。
いつかまた、「雨うた」続編を…!
来年以降の梅雨の時期は、洋楽偏、クラシック偏、童謡偏を、順次 書きたいと思っております。
洋楽の「雨うた」も、これまた膨大な雨量…。
ここからは、いよいよ150曲目に向かって、残りの21曲の「雨うた」スタート!
150曲目は何かな!?
* * *
(130)あいみょん
あなたに刺さる雨が、風になり…
♪愛の花(2023・令和5)
(131)星野 源
雨の音で歌を歌おう、すべて越えて響け…
♪アイデア(2018・平成30)
(132)秦 基博
原曲は、1988年(昭和63)の大江千里さんのヒット曲。
ここは、2013年(平成25)の秦 基博(はた もとひろ)さんによるカバー歌唱で…。
(作詞作曲:大江千里)
どしゃぶりでも かまわないと、ずぶぬれでも かまわないと…
♪Rain(2013・平成25)
(133)今井美樹
(作曲:KAN)
雨が作った しずくの輪、今、くすり指に落ちたよ…
♪雨にキッスの花束を(1990・平成2)
(134)今井美樹
下記の動画は、デビュー30周年企画です。
めぐり続く 明日のために、雨に負けない気持ちを…
♪ピース・オブ・マイ・ウィッシュ(1991・平成3)
(135)松雪泰子
雨に濡れながら、ひとり空をただよう…
♪Rain 雨に抱かれて(1995・平成7)
(136)松たか子
桜の雨になる 夢が今、虹を越えてく…
♪桜の雨、いつか(2000・平成12)
(137)ちあきなおみ
原曲は、1959年(昭和34)の水原弘さんのヒット曲ですが、ここは、1991年(平成3)の、ちあきなおみ さんのカバー歌唱で…。
♪黄昏のビギン
(138)高橋真梨子
この雨にぬれたまま、あなたの吐息…
♪オーバー(1991・平成3)
(139)尾崎亜美
いつか霧は、小雨に変わって…
♪フォー・ユー(1996・平成8)
(140)平原綾香
ひとり聴いた 雨のささやき、どこへゆけば、また会えますか…
♪雨のささやき(2008・平成20)
(141)山下達郎
雨に濡れながら、僕らは、大人になっていくよ…
♪さよなら夏の日(1991・平成3)
(142)中島みゆき
足跡は、降る雨と、降る時の中へ消えて…
♪ヘッドライト・テールライト(2000・平成12)
(143)バンバン
(作詞作曲:荒井由実)
雨にやぶれかけた、街角のポスターに、過ぎ去った昔が…
♪いちご白書をもう一度(1975・昭和50)
(144)荒井由実(松任谷由実)
雨上りの庭で、くちなしの香りの「やさしさ」に包まれたなら…
♪やさしさに包まれたなら(1974・昭和49)
(145)谷村新司
どんな人にも、雨はやさしく、時には残酷に降る。春の雨に肩を抱かれて、もう少し歩いてみたい…
♪小さな肩に雨が降る(1983・昭和58)
(146)ヒナタカコ
それでも 雨のち晴れの日を信じて、僕らは生きていく…
♪雨のちくもり(2024・令和6)
(147)岡本知高
(作詞作曲:kiroro 玉城千春)
太陽は見てるよ、雨の日も、風の日も…
♪あなたに太陽を(2023・令和5)
◇宮沢賢治
「雨うた」150曲も、残すところ3曲となりました。
その前に、ここからは、1933年(昭和8)に、肺の病気で、37歳の若さで亡くなった詩人・童話作家の宮沢賢治のお話しを書きます。
1896年(明治29)に、今の岩手県花巻市に生まれた賢治は、子供の頃から、学業の成績がたいへん良く、まさに将来を嘱望される若者でした。
実は、賢治は、大(だい)の音楽好き!
当時は、円盤型レコードが発明されてから、まだ10年あまりしか経っていませんが、賢治は、レコード収集家として知られていました。
給料の大半を、レコードと、好きな浮世絵の購入に回していたようです。
実は、賢治行きつけのレコード店は、賢治のおかげで、あまりにも売上げがいいため、英国のレコード会社のポリドール本社から表彰されたほどです。
夏目漱石もそうでしたが、文学者の中には、音楽ファンが結構いましたね。
当時のレコードですので、クラシック音楽がレコードの主流でした。
賢治のお気に入りの曲…?
彼の文学作品の中では、いくつかの曲名が登場しますが、中でも彼が好きだったのは、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」!
彼の人生を語るときに、「農業」や「東北の地」は欠かせませんが、思ったとおり、裏切らない選曲の「田園」ですね。
* * *
賢治は、自身を写す写真撮影でも、自身の表情やポーズなどに非常にこだわりを持ち、自身の想像力で写真の構図をねっていた人物です。
イカした写真を、結構 残していますよね。
私は、彼の表情や姿を、写真で見るたびに、東北人の強さと たくましさ、そして 何かのさみしさを、強く感じてしまいます。
哀愁、郷愁、憂い… 賢治の構図の術中に、完全に はまってしまいました。
強い「こだわり」と「ガンコさ」、無限の「想像力」、細かな「観察力」と「表現力」… それらを兼ね備えていた賢治であったのだろうと思います。
そして、そんな彼に、法華経、東北の大自然、農業、音楽、学問が、大きな影響を与え、多くの想像力豊かな作品を誕生させたのだろうと思います。
◇イギリス海岸のうた
音楽好きの賢治は、自身でも20曲ほど作詞作曲をしています。
その中から一曲。
歌詞冒頭の「Tertiary the younger Mud-stone(ターシャリー・ザ・ヤンガー・マッドストーン)」とは、「第三紀上部層の泥岩」という、お堅い地学用語です。
後で書きます、「化石」が採掘できる地層の泥岩層のことです。
妙な歌詞の羅列…
「あをじろ ひわれ、あをじろ ひわれ、おれのかげ」。
「なみは あをざめ、支流はそそぎ、たしかにここは、修羅のなぎさ」。
そのメロディと歌詞は、たしかに、シューベルトの歌曲を思い起こさせますし、仏教の御詠歌(ごえいか)の雰囲気を感じなくもありません。
音楽大好きの賢治の、面目躍如!
作詞作曲:宮沢賢治
♪イギリス海岸のうた
* * *
この楽曲タイトルの「イギリス海岸」とは、ヨーロッパの英国にある海岸のことではありません。
賢治は、海外留学の経験がありませんでしたが、学習の中から得た知識で、地元 岩手県にある 近くの風景の中に、英国の海岸を創り出したのです。
今のあの知事と同じで、西洋カナ文字大好きの賢治です。
賢治は、「カナ文字」の持つ不思議なチカラを、よく知っていたのだろうと思います。
岩手県に突如 生まれた「イギリス海岸」…それは、北上川(きたかみがわ)の川岸のことでした。
北上川とは、岩手県西部を北から南に流れ、宮城県の太平洋側に注ぐ、東北を代表する川のひとつです。
川の長さでは、日本で5位。
その「イギリス海岸」は、今の岩手県花巻市にあり、実は、生まれたり消えたりするのです。
まさに、想像力をかきたてられる、神出鬼没の不思議な海岸!
当時、化石などの学術調査などが行われていた場所で、賢治はその手伝いをしています。
この海岸(川岸)こそが、彼の文学作品に、重要な意味を持つことになります。
解説動画(10年以上前の動画)
◇下ノ 畑ニ 居リマス
賢治は、1921年(大正10)から1926年(昭和元)まで、現在の岩手県立 花巻農業高等学校の教諭として仕事をしています。
1926年(昭和元)に、あわただしい教育の仕事から離れたのには、農業へのこだわりもあったようです。
一方、学校でも いろいろあったようです。
今の時代でいえば、ステップアップ転職!独立宣言!
人の、ひとつの生き方を示してくれているようにも感じますね。
一歩踏み出し、新しい「居場所」を見つけたのです。
まさに、賢治の「晴耕雨読」の生き方への大転換!?
このあたりから、傑作が生まれ始めました。
* * *
本コラムの冒頭写真の「下ノ 畑ニ 居リマス 賢治」は、賢治の家に訪問した客人に伝えるものとして、自宅の玄関のところに、賢治が書いていたものです。
それほど、頻繁に畑仕事をしていたのでしょう。
この文章は、訪問者に、自身の居場所を説明しているだけの文章では、決して ないだろうと、私は思っています。
稀な想像力を持ち、強い信念と実行力を持っていた賢治ですので、その伝言板には、何かの意味を伝える意思があったとも感じます。
賢治が、本当に「居リマス」とした場所は、おそらく、自由に包まれた、その時の賢治だったのかもしれません。
わずか8年ほどの居場所となりましたが、賢治にとって、最高の居場所であっただろうと感じます。
これを読んでくださっている皆さま…
あなたは、本来の居場所に…、求める居場所に…、今、ちゃんと居ますか?
あなたは、今、どんな場所に… 居リマスカ?
* * *
「下ノ 畑ニ 居リマス」の伝言板を、岩手県花巻市にある、移築復元された、賢治の自宅兼私塾「羅須地人(らすちじん)協会」の場所で見かけた方は、きっと、みな、賢治の心に触れることができるのだろうと思います。
花巻市に残る「下ノ畑」とはここです。
今年2024年も、するみたいだよ!
ライトアップ(7月20日~10月27日)!
今年は、行ってみようかな!銀河鉄道で!
宮沢賢治童話村(岩手県花巻市)
◇クマノ子ト イッショニ 居リマス
今回の「雨うた」最終回にあわせて、「歴音fun」ではお馴染みのガーデナー「翠(すい)」さんが、素敵なコラム(ブログ)を作ってくれました。
翠さんは、賢治の「下ノ 畑ニ 居リマス」という伝言板について、次のように言っておられました。
「私は、賢治の死後も、その場所に 賢治の心が置いてあり、この伝言板を見た誰しもが、その思いに触れ、孤独にならないようにとの『思いやり』ではないかと感じました」。
翠ちゃんには、畑仕事・庭仕事・写真撮影・料理・ピアノ・チャーリーたちのお世話などで忙しいところを、本当にありがとう!
庭の主!蛙のチャーリー!クマ次郎!仲間たち… そして賢ちゃんも…
みんな みんな、ありがとう!
いつか、ゆっくり青空をながめながら、畑で穫れた 生のキュウリに味噌を付けて、ごいっしょに…。
「下ノ畑」で、みなが畑仕事をしていますよ!
どうぞ、皆さまも、「ゆめはな村」の畑を のぞいてみて…。
翠さんのブログ記事
(148)作詞:鶴見正夫、作曲:湯山昭
1962年(昭和32)に作られた楽曲です。
ここは、池田綾子さんの歌唱で…。
おやまに、あめが、ふりました…
♪あめふりくまのこ
ここで、古い童謡のため、150曲の中には入れませんでしたが、特別に、童謡「雨降りお月」を…。
1925年(大正14)発表の、一応「童謡」の扱いですが、童謡とはいえ、ほぼ昭和の人気歌謡曲といっていいかもしれませんね。
この節回しは、子供には歌えません。
作詞:野口雨情、作曲:中山晋平
ここは、はいだしょうこさんの歌唱で…
雨降りお月さん、雲のかげ…
♪雨降りお月(雨降りお月さん)
◇雨ならば、そばにいて…
人生には、雨が降ります。
時には、雨から、残酷な扱いを受けることもあります。
ですが、時に、やさしい「恵み」を授かることもあります。
そして、やさしく包んでくれることもあります。
いろいろな雨が、私たちを濡らします。
これからも、幾度となく降る雨…。
皆さまも、時には、手のひらに、どうぞ 雨を感じてみて!
それは、誰かの思いがこめられた「涙雨」なのかもしれませんよ!
それは、天に居る あの人の…。
こんな雨なら、雨に濡れて歩きたいの…
こんな雨なら、もう二度と降らないで…
こんな雨なら、あの人と…
(149)わらべ
もしも明日が雨ならば、愛する人よ、そばにいて…
♪もしも明日が…。(1983・昭和58)
◇雨ニモマケズ
今回の「雨うた」150曲の最後は、この楽曲にしました。
シンガーソングライターの宇佐元恭一(うさもと きょういち)さんが、2002年(平成14)に、あの有名な文章に、曲を付けた楽曲です。
2006年(平成18)にメジャー発売されました。
* * *
その文章(詩)とは、1933年(昭和8)に、肺の病気で、37歳の若さで亡くなった宮沢賢治の遺品の手帳に書かれていました。
1934年(昭和9)に、偶然に見つかったものです。
この文章は、闘病中の、岩手県花巻市の自宅で、1931年(昭和6)の11月3日に書かれたようでです。
病気に負けたくない気持ちを表現したものです。
まだまだ、自分には、やりたいこと、やり残していることが たくさんあることが、つづられていますね。
雨にも、風にも、暑さにも、寒さにも、欲にも、怒りにも、空腹にも、感情の惑いにも、争いにも、貧乏にも、病気にも、死にも、負けたくない…。
誰にも認められず、ほめられることがなくても、私には、まだまだ やるべきことがある…。
全文
私は、子供の頃に、宮沢賢治のさまざまな文章を、手で書き写して、私なりに文章を書き換えたりしながら、文章の書き方を学んでいきましたので、この文章には、ひときわ思い出があります。
今の若者たちにも、自身の頭で、自身の手で、文章をつづってほしい…。
AIになど、マケルナ!
「雨うた」150曲の最後は、この楽曲…
(150)歌詞:宮沢賢治、作曲・歌:宇佐元 恭一
♪雨ニモマケズ
◇雨ト イッショニ 居リマス
日本の「雨うた」は、世界に誇れる、確固たる音楽ジャンルといっていいようにも感じます。
独特なサウンド、歌詞、メロディ…。
まさに、日本の「雨うた」は、哀愁!
一年を通じて、これだけ多様な雨が降る国は、世界に日本くらいなのかもしれません。
「雨」に、人生のさまざまな思いや情緒を、これほど込める民族も、世界にそうそういないのだろうとも思います。
雨に負けてしまったり…、泣かされてしまったり…、雨の中を歩こうとしたり…、雨に負けないようにがんばろうとしたり…。
すべての日本人の人生の中には…、心の中には…、必ず「雨」があるのだろうと、私は思います。
「雨ヨ、時ニ 厳シスギ」
「デモ、時ニ アリガトウ」
これからも、雨にも負けず、雨とともに 生きていきましょう!
「ワタシハ 雨ニモマケズ、雨ト イッショニ 居リマス」
* * *
最後にもう一曲…、宮沢賢治が作詞作曲した歌。
天の星空とは、本当は、スローモーションのように ゆっくり降る「雨」なのかも…。
作詞作曲:宮沢賢治
♪星めぐりの歌
これで、「雨うた」の連載は終了させていただきます。
「ミナサマ、イツカ 雨ハ アガリマスヨ」
* * *
【アメーバブログを通じて読んでくださっている方々へ】
毎日、厳しい猛暑と、激しい豪雨が続いています。
皆様の安全と健康を、心よりお祈り申し上げます。
皆様それぞれの「居ルトコロ」が、どうか 安らぎの場所で ありますように…。
今日も、雨風呂(あめぶろ)で、ゆっくり、のんびり…
イマ、アメブロニ、居リマス。
* * *
2024.7.27 天乃みそ汁
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「雨うた」150曲のリストはこちら(歴音70~75です)
(雨うた.1)昭和の慈雨
(雨うた.2)みんなに雨が降るように
(雨うた.3)必殺!雨うた仕事人
(雨うた.4)狭間の中で、雨 過ぎて
(雨うた.5)雨が したしる
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