夏うた、Superfly、杉山清貴、米米クラブ、チャゲ&飛鳥、八神純子、石川優子、キャンディーズ、サーカス、日本航空 JAL、森永製菓、ボーイング747、ジャンボジェット、沖縄、CA、キャビンアテンダント、バブル崩壊、昭和歌謡、歌謡曲。

 

歴音184. 夢に翼を!JALの夏!

(ノスタルジック夏メロ.4)



私の夏が、終わりそう!
子供たちの夏休みが、終わっちゃった!
でも、宿題が終わってない!

そんな夏の終わりは…
今年もやってます!
「歴音fun」恒例の連載… ノスタルジック・夏メロ!

懐かしい昭和・平成の時代の「夏のヒット曲」を中心に連載しますので、昭和生まれの中高年世代の方々は、昭和や平成の夏を思い出してみてください!

「昭和の夏ソング」を初めて耳にする方々も、ひょっとしたら、今現代よりも開放的でドラマチック、暑くて・熱くて・ぶ厚い、バラエティ豊かな日本サウンドの夏ソングを楽しんでみてください!

昨年のコラムを追加修正して、一気に、8回の連載でお届けします。

* * *

あの夏の「忘れじの懐メロ(なつかしのメロディの略)」にメロメロ…。

略して…連載「ノスタルジック夏メロ」です。

今回は、連載の第4回「夢に翼を!JALの夏!」です。

「JAL(ジャル:日本航空)」の楽曲特集です!


◇夏の「空うた」合戦!

昭和から平成の時代の、「日本航空(JAL)」と「全日空(ANA)」による、「夏のCM合戦」と「夏ソング合戦」は、すごかったですね。

夏の空のヒット曲が連発!

* * *

実は、私は、航空会社のテレビCM用に作られた楽曲の歌詞がとても好きです。

夢や希望、勇気がわき上がり、大空に、未来に、目標に向かって、今にも飛び立ちたいと思わせてくれます。

今回と次回のコラムでは、日本航空(JAL:ジャル)と全日空(ANA:アナ)の、昭和平成の夏のCMソングを、少しだけですが ご紹介したいと思います。


◇JALで飛べ!夏!

「JAL(ジャル:日本航空)」のCM曲には、日本の歌謡史に燦然と輝く名曲が、たくさんありますね。
ここからは、「JAL」の名曲たちの中から、年代順に少しだけ並べます。

* * *

歌手の円 広志(まどか ひろし)さんの奥様は、下記の楽曲が大ヒットした当時、たしか、「全日空(ANA:アナ)」にお勤めだったはずでは…。

「とんで、とんで」のこの楽曲を、日本航空(JAL)がCMで使用しちゃった!
穴(ANA)があったら入りたい?

まさに、円さんの奥様と、飛行機のためにあるような楽曲!
円広志さんは、この楽曲で、文字通り、スターの座まで「とんでった」!

私は個人的に、中間部の美しい間奏が大好きで、当時、その部分を何度も繰り返し聴いていました。
「音楽好き・あるある」ですね!

円 広志(まどか ひろし)
♪夢想花(むそうばな)(1978・昭和53)

 

* * *

下記の楽曲は、歌手グループ「サーカス」が、前回コラムで紹介した楽曲「ミスター・サマータイム」に続き、歌った、日本航空(JAL)のキャンペーンソングです。
1978年(昭和53)のカネボウCM曲に続き、1979年(昭和54)のJALのCM曲を、サーカスが歌唱し、大ヒット!

サーカス
♪アメリカン・フィーリング(1979・昭和54)

 

とはいえ、当時、「アメリカン・フィーリングって、いったい何?」と思ったものです。
米国には、「美しさ」も、「暗さ」も、「不自由さ」もありますが、旅で行くには、「美しいフィーリング」だけを感じていれば、いいのかも…。

そして、必要なのは、「あなたの胸にある、愛のエアポート」…何のこっちゃ?
でも、美しいメロディとハーモニーに、やられました!

* * *

そういえば、当時の日本社会では、「フィーリング」という用語が飛び交っていましたね。

「また、あいつ…フィーリングとか言ってるよ!いったい、どう理解したらいいのよ?」

今でも時折 耳にはしますが、かなり漠然とした用語ですね。
今は、何か、昭和世代しか使っていないかも…?

「フィーリング」、「ハートウォーミング」、「アンニュイ」、「コケティッシュ」、「メルヘンチック」、「ドリーミー」など、それまで聞いたことがなかったような、各国語のカタカナ用語が大量に使われ始めた70年代でしたね。
いったい、ここは どこの国?


◇フィーリング・カップル

昭和の時代に、「フィーリング・カップル5対5」のコーナーが大人気だったテレビ番組「プロポーズ大作戦(1973・昭和48~1985・昭和60 放送)」がありましたね。
司会は、横山やすし・西川きよしの「やすきよ」コンビ。

若い男性5人と、若い女性5人が、向かい合わせで並び、ちょっとした「集団お見合い」をするコーナーでした。
最後に、お互いの5人の中から、気に入ったひとりの番号を指名し、「あみだくじ」の要領で、その指名が見事に成就するかどうかを、皆がハラハラしながら見守るという企画でした。
番号指名が合致した二人だけが、カップル成立となるという仕組みでした。

5人の女性が、ひとりの男性に集中して指名するケースもありましたね。
「えっ!この人を選ぶの!」…というケースもありましたね。
傍からみたら、集団お見合いの醍醐味を感じる瞬間でしたね。

ある意味、今の時代も、引っ込み思案(ひっこみじあん)の若者が多くいます。
むしろ今のほうが、昭和の時代よりも増えているような気もします。

* * *

真剣・深刻になりすぎず、笑いながら行える「集団お見合い」…、実は、世界中のどこでも大昔から行われてきた「集団お見合い」というスタイルでしたね。
いわゆる「合コン」にも似ていますが、何か ちょっと違います。

今の時代でも、地域の人口減少・若年層減少で、地域の将来が心配な地方の自治体が、街おこしの一環で、このようなイベントを行ったりしていますね。
お見合いから始まり、結婚、新居、子育てまで、地域が税金を使って支援することで、人口減少・地域住民の平均年齢の高齢化に歯止めをかけようと必死です。

ある意味、深刻な状況で行われる「集団お見合い」ですので、昭和の時代の「気楽さ」がないのかもしれません。

はたして、今の時代の「フィーリング」にマッチしている行政施策なのか…、税金を使って行う行政施策なのか…、他にやることはないのか…?

いずれにしても、昭和のテレビ番組の影響を強く受けた大人たちが行う行政施策なのかもしれません。
地域再興のチャンス… 藁(わら)をも、つかみたい!?

どんなかたちでもいいので、なかなかチャンスに恵まれない、地方の農業・漁業・林業・畜産業などを支える独身の男女たちに、ラッキーチャンスが訪れますように…。

目の前に来た、ラブ・チャンスを つかめ!
でも、ガツガツしすぎると、チャンスは逃げてしまうよ!

* * *

英語では、両想いのカップルを「mutual feeling couple」などと表現します。

中には、各男女が、お互いの想いを知らない「隠れ 両想い」という状態もありますね。

つまり、お互いにまだ告白していない、想いを「mutual (お互いの・共通の・分け合う)」していない状況が、この番組のコーナー「フィーリング・カップル5対5」なのかもしれません。
なかなかの、恋愛ゲームの名称だと、昔、私は思っていました。

今なら、男女、ジェンダー、外国人同士、年齢差…。
人間にとって、強制的な「お見合い」は、実は大きなチャンスなのかも…。
まずは、お互いを知るところから…。

やってみる?
各国首脳で「フィーリング・カップル5対5」!
ウクライナを挟んだ両陣営!
武器は置いてこいよ!

テレビ番組「プロポーズ大作戦(1973・昭和48~1985・昭和60 放送)」のオープニング曲
キャンディーズ
♪ラッキーチャンスを逃がさないで(1976・昭和51)

 


◇夜明けのパープルタウン

さて、JAL(日本航空)のお話しに戻ります。

1980年(昭和55)の、JALのキャンペーンソングの大ヒット曲で、どれだけ多くの人が、米国のニューヨークを旅先を決めたことか!

それも、紫色の夜明けの時刻に!?

当時のテレビCMでは、八神純子さん自身が、ニューヨークの街なかを自転車で疾走!

下記映像は、ロックバンド「SHOW -YA(ショーヤ)」との2000年以降のライブ共演。
この世代の女性歌手は、今もパワフル! パープル・タウン!

でも、この女性歌手のお二人の髪は、紫色ではなかった!

八神純子(やがみ じゅんこ)
♪パープル・タウン(1980・昭和55)

 


◇しっかり、夏、シマした!

80年代の夏は、50年代とも、60年代とも、70年代とも、90年代とも、何かが ちがう!
何かが、いよいよ日本に やってきた… そんな80年代の夏でしたね!

海岸線の砂浜は、今の時代の砂浜の数倍の広さがありましたね。
ゲリラ豪雨は今より回数が少なく短時間…気持ちのいい夕立ちでした!

それなりの暑さではありましたが、今現代の酷暑とは、ほど遠い!
今現代のような、殺人級の暑さではありませんでした。

80年代の夏の砂浜には、クルマも、音楽も、ビーチボールも、ビキニの水着も、海の家も、大挙してやって来ました。

みんなが、そこそこの暑さの夏を、エンジョイしましたね!
みんな… しっかり、夏、シマした!

CM

 

1984年(昭和59)、石川優子さんとチャゲさんがデュエットしたCM曲が大ヒット!

下記の歌詞… さすがの昭和オヤジギャグ世代の私でさえも、ちょっと コッ恥ずかしいフレーズが盛りだくさん!

でも、JALに歌詞依頼されたら、羞恥心(しゅうちしん)など 捨てるサマ~!
そこは、何処(どこ)ナッツ? ここ夏(ナッツ)!
私も、沖縄の島に 行くランド!アイランド(島)!
そして、誰かに逢いランド! ぜったい 愛ランド!

千葉県 浦安にあるのは、ディズニーランド!
90年代の鹿島のサッカー選手は、アルシンド!
関西万博の暑い会場で、ああ シンド!

(歌詞)
♪夏、夏、夏、夏、ココナッツ(ここ夏)!
♪愛、愛、愛、愛、アイランド(逢いランド・愛ランド)!
♪翔んで(JALで飛んで)、夏シマシタ(この夏、沖縄の島でした)!

この楽曲は、冗談ソングでは ないランド!

石川優子&チャゲ
♪ふたりの愛ランド(1984・昭和59)

 

この楽曲「ふたりの愛ランド」の発売の3年前の1981年(昭和56)にも、石川優子さんは、このJALのCMソングがヒット!

石川優子
♪シンデレラ・サマー(1981・昭和56)

 


◇80年代の、夜の安全地帯

「なぜ…、なぜ…、あなたは きれいになりたいの?」…こんな台詞を、80年代に、東京タワーが見える 夜のおしゃれなバーで、クチ走った男性諸氏も、多かったかも…。

夏の夜の、安全な地帯のバーで…。
玉置浩二さんになったつもりで…。

80年代後半から90年代にかけて、夜景をウリにしたバーが乱立しましたね。
私の場合は、「恋の予感」は的中せず!

JAL「ハワイツアー キャンペーン'84」のテーマ曲。
作詞:井上陽水、作曲:玉置浩二

安全地帯
♪恋の予感(1984・昭和59)

 


◇泡にまみれた後は、夏離宮に…

1990年(平成2)の「米米クラブ(こめこめくらぶ)」のこの楽曲は、まさに、それまでの80年代の日本人の旅行のイメージを一新したのかもしれません。

若い世代の方々…「まいまい」でも、「べいべい」でも、「よねよね」でもありませんよ!

当時は、「こめこめ」と言うだけで、彼らの存在が、世の中で通じましたね!

まさか35年後の今、再び、「コメ米」と大勢が叫ぶとは思いもしませんでした。
今は、「備蓄米クラブ」…。

* * *

日本が経済成長を遂げ、まさに絶頂期をむかえた80年代、日本人の多くは何かの熱病の中にいたのかもしれません。
経済社会は、まさに「花盛り」「狂喜乱舞」といっていい状態でした。
給料が、年々 倍増していくような感覚は、この時代しかなかったかもしれません。
もちろん、日本人全員が そうであったわけではありません。

そんな栄華が、一気に崩れ始めたのは、1990年(平成3)の初頭でした。
日本史に大きく刻まれた「バブル崩壊」は、そこから長い年月にわたり続き、まさに日本の世の中をリセットさせました。
多くの巨大金融機関や大企業が消滅し、自殺する一般市民が激増!

これほどの「大崩壊」は、後の「リーマン・ショック」でも起きていません。

* * *

バブル絶頂期の東京の夜の繁華街の道路では、多くの人が、1万円札を振ってタクシーを呼び止めました。
「俺の先に立つ奴が2万なら、俺は3万だ!」
街なかで、人が万札を振る光景は、私の記憶では、80年末頃しかありません。
タクシーの運転手に「欲しい金額を書いていいよ」と言って、白紙のタクシーチケットを渡していました。

東京の夜の繁華街に国産自動車など いませんでした。
別荘や高級車が売れまくって、需要にまったく追いつきませんでした。
テレビ局は、何でもいいから、海外ロケに行ってこい!
企業も、地方出張は、タクシーで行ってこい!
仕事の話は5分で済ませて、すぐに高額接待の店に行け!
面倒だから、土地を丸ごと買ってこい! 会社を丸ごと買ってこい!
「バブル崩壊」直前の日本は、完全に狂った状態でしたね。

世の中のさまざまな場面で、狂喜乱舞する人間たちの光景を見ました。

さすがに 恐怖感を抱いた人もたくさんいましたね。
マスコミの一部には、強く警鐘を鳴らす者もいましたが、これほど多数の人が「聞く耳」を持たない状況なのを見た時代もありませんでした。

「これは狂っている。早く逃げた方がいい」と先回りできた者と、最初から「バブル」の泡を身にまとわなかった者だけが、後の悲惨な「大崩壊」を免れましたね。

* * *

80年代の日本の夏の歌謡曲の一部には、他の時代の歌謡曲にはないような「底抜け の明るさ」を持った楽曲がたくさんあります。

まさに「泡まみれ」で浮かれる人間たちが、その楽曲たちの中に投影されていたのかもしれません。

私は、80年代の「底抜け」に明るい夏の歌謡曲を耳にすると、時折、その後にやって来た「バブル崩壊」の影が走馬灯のように、頭の中を駆け巡ることがあります。

80年代のような「浮かれた夏」が、日本に、再び やって来るかもしれません。
ただ、その時には、「泡(バブル)」の本当の恐怖を知らない人たちが、街中にあふれているのでしょう。

「80年代って、ビールの泡みたいなものなんでしょ…。あたい 知らないも~ん!」

* * *

さて、そんな「バブル崩壊」の後も、沖縄への旅行客は増大する一方でした。
人々は、何かを忘れるため、気持ちを晴らすため、沖縄を目指したのか?

「夏の沖縄旅行ブーム」に強烈なインパクトを与え、超大ヒットした下記の楽曲は、今でも、夏ソングとして記憶に残っている方も多いはず!

JALの夏の歴代CMソングの中の、まさに王者かも…。

今も、私は、この楽曲を耳にすると、どうしても「バブル崩壊」とつながって聴こえてしまいます。

それにしても、沖縄を「夏離宮(なつ りきゅう)」と表現したCMセンスには脱帽!
今も、昔も、「離宮」には何かがある…。何かがいる…。

1990年(平成2)のJALのCM
JALのCM

 

あの龍の船は、今でもどこかに残っているのでしょうか…?
もう一度、あの船を見てみたい!

80~90年代の「沖縄の海」は、地球温暖化の中、今は姿を変えました。

米米CLUB(こめこめクラブ)
♪浪漫飛行(1990・平成2)

 


◇旅先は、癒しの場所

バブル崩壊後の「旅先」選びには、大きな「癒し」が求められたのかもしれませんね。

下記は、1992年(平成4)のJALのテレビCMです。
とにかく、80~90年代のJALのCMの「チャゲアス」パワーはすごい!

楽曲は、「チャゲ&飛鳥(あすか)」の1989年(昭和64・平成元)の楽曲「ラブソング」。
CM

 

チャゲ&飛鳥

♪ラブソング(92バージョン)


* * *

1997年(平成9)の、JALのテレビCM。

 

♪人は弱いものよ、とても弱いものよ
♪人は強いものよ、とても強いものよ
♪人は強いものよ、そして、儚い(はかない)もの

儚さ(はかなさ)を感じさせてくれるような「旅」も また よし…。

Cocco(コッコ)
♪強く儚(はかな)い者たち(1997・平成9)

 


◇至福のジャンボタイム

それにしても、いろいろ、たまらない民間航空機「ボーイング747」でしたね。
愛称は「ジャンボジェット」!

米国の航空機製造企業「ボーイング社」が作った世界の主要の航空機でした。
今は、貨物機や、一部の国の政府専用機などでしか見ることがなくなりました。

巨大なエンジンを4基積む、バケモノ級の巨大な航空機です。
翼が悲鳴をあげそう!
巨大な機体と、大人数の乗客数…、後の「ボーイング777」や「エアバス」にも負けない、あの独特な機体のフォルム!

あのヘッド部分の二階席の後頭部がいい!
後頭部…?

私は、昭和の時代に、ある方の「カバン持ち」の役目として、ジャンボ機の二階席に乗りましたが、まさに文字通り、雲の上の気分でした。
誰かの「カバン持ち」も、一度 やってみるものですね。
言ってくだされば、私、今でも、カバンを いくらでも持ちますよ!

「カバン持ち」の至福の時間… 航空機のファーストクラス!
私の、ジャンボの いい思い出です。

下記CMのジャンボの機長は、なんと俳優の森繁久彌さん。
1979年(昭和54)の、こちらはANA(全日空)のCM。

 

 


◇永遠のジャンボ

実は、「ボーイング747」は、2023年(令和)の1574機目を最後に、米国ボーイング社での生産を終了しました。

燃費と製造コスト、CO2排出量の問題は、もはや避けて通れる時代では なくなりましたね。
そもそも500人乗りが必要な路線は、世界で限られてきました。
中型機の運行回数や路線を増やす方が、なにかと効率的になってきました。

巨大な「ボーイング747」は、貨物機や、一部の国の政府専用機以外で、その姿を見ることがなくなりました。

「ジャンボジェット」の時代は、遠くない時期に、完全に終了するでしょう。
米国の大統領専用機は、いつか宇宙も飛べるようにするでしょうね。

世界は、新しい時代の民間航空機の時代に入りました。

日本航空(JAL)は2011年(平成23)に…、全日空(ANA)は2014年(平成26)に…、「ボーイング747」の旅客用運航が終了しました。

下記の映像は、JAL(日本航空)の民間旅客用のジャンボ機の最終フライトのニュース映像です。

 

 

私は、昔、ある機長の最終フライトの記念映像作品の製作を頼まれ、滑走路内でカメラを構えて撮影してほしいと言われたのですが、止まっている機体ならともかく、あまりの怖さに、他の人に その仕事を譲ってしまいました。
今振り返れば、引き受けておけばよかった…。
こんなに早く、「ジャンボ・ジェット」の時代が消え去るとは…。

「ジャンボ・ジェット」のパイロット経験は、やはり何か特別のことだったようです。

* * *

子供の頃から飛行機に乗ることがなかった昭和のベテラン世代には、理屈ではわかっていても、どうしてこんな巨大な鉄のかたまりが空を飛ぶのか、いまだに信じられません。

下記は、JAL(日本航空)の「ボーイング747」の、民間航空機としての在りし日の姿の映像です。
まさに「白い巨塔」ならぬ、「白い巨鳥」!

世界的に、民間航空機の機体サイズが小さくなってきた昨今、いつか巨大なサイズの航空機の時代が終わるのかもしれません。

米国の「ボーイング」だけでなく、今の欧州の「エアバス」も、サイズダウンが求められています。

そもそも、化石燃料 使いまくり… 捨てまくり… の飛行機は…。

いつか、「日本には、かつて、鉄の巨大な白鳥がいた」と言われるようになるのかもしれませんね。

 

 


◇ジャンボな世界

さて、「ジャンボ」という言葉は、1800年代後半に英国で大人気になった あるアフリカゾウの名前で、アフリカのスワヒリ語で「こんにちは」の意味です。

いつしか、「巨大なもの」「大きなもの」を意味するようにもなりました。

ジャンボ尾崎、ジャンボ鶴田、年末ジャンボ宝くじ… 昭和のジャンボは、でっかい!
今や、ちょっと忘れかけてきた言葉ですが、昭和の世代には特別な言葉でしたね。

* * *

1972年(昭和47)に発売された森永製菓のアイス「チョコモナカ」は、1980年にチョコレートクリームを改良、サイズを1.5倍にし「ジャンボ」に…。

そして1995年には、増量した板チョコを挟んで、商品全体を横型の大型サイズにし「ジャンボ」という名称にしました。

「チョコモナカ・ジャンボ」の誕生、そして離陸!

それにしても、和菓子の皮の「最中(もなか)」の中に、冷たアイスを入れて、パッと見を、チョコレートの形状にするとは、まさにジャンボな発想!

私も、この夏に、いったい何個食べたでしょうか…ロングセラー商品のジャンボ!
わが家の夏の冷蔵庫にも、満載!

下記は、「ジャンボ」になる前の「森永チョコモナカ」の、1977年(昭和52)のテレビCMです。
アイドルたちの昭和の登竜門「チョコモナカ」!

 

森永の「チョコモナカ・ジャンボ」…こうやって作っていたのか!
もはや人間の従業員が入り込む余地は ありません。
「ジャンボ」と「ハイチュウ」の工場動画

 

ちなみに、「インスタント焼きそば」好きで、家に常備する私は、明星の「鉄板やきそば」から、「じゃんぼ」の名が消えた時に、相当にショックでした。
インスタント麺は、災害時や非常時に、粉だけふって食べることができるらしい!
やったことないけど…。
1978~86年のCM

 

昭和の時代に輝いた「ジャンボ」という名称は、今、消滅の危機に!?

遠くない将来に、世界から航空機「ジャンボ・ジェット」が完全に消え去っても、「チョコモナカ・ジャンボ」と「年末ジャンボ宝くじ」だけは残ってほしい!

「ジャンボ」と「ジャイアンツ」は… 永久に不滅です!


◇夢に翼を!

近年のコロナ禍では、航空会社の多くの社員が、本来の仕事を失っていましたね。
その期間、彼らの多くは、他の業種の職場に派遣されていきました。

客室乗務員や、カウンター職員などの多くの職員が、他の業種の接客や販売などの現場に送られたことは、皆さまもご存じだと思います。

ですが、彼らの接客ぶりの段違いの優秀さや、販売意欲や目的意識、チームワーク思想などの高さに、受け入れた先の会社の方々もたいへん驚いたと、私の耳にも たくさん情報が入ってきました。
「これほど優秀なのか、空のアテンダントたち…」

コロナ禍で、彼らの驚くべき優秀さを、他の業種の方々も実感したようですね。

人に楽しさを伝え、人を危険から守り、目標を達成する…、これほど高い意識を持った職業人たちは、そうそういません。
誇っていい職業だろうと思います。

コロナ禍の中では、優秀な人材を、社会の中で共有するという思想やシステムが、日本にも作られました。
人材は流動できる、流動させるもの…。

忘れてはいけません!
優秀な人材は、日本の宝!

一時的に失職した、空に関わる方々が、世の中に残したものは小さくなかったと思います。

* * *

さて、航空会社の客室乗務員の呼び方は、時代によって、次々に変わりますね。
世界各国で呼び方も異なります。

日本で、呼び名が「CA(シーエー:キャビン・アテンダント:客室乗務員)」に変わろうと、敬愛を込めて、昭和の呼び名「スッチー」「スッちゃん」の方々には、今の姿のままで あり続けてほしいと思っています。

空で働く、あこがれの職業人!
世界のさまざまな「アテンダント」の中の最高峰!

コロナ禍を乗り越え、空の職場に戻っていった彼ら 彼女らに、幸運を!
たとえ 空の仕事から離れたとしても、幸運を!

どの世界に行っても、何歳になっても、翼を手にした あなた方が翔べないはずはない!
自信をもって飛躍しつづけて!

頼むよ! 信頼してるよ!
GOOD LUCK!

2000年頃の、JAL(日本航空)のテレビCM。

 

下記は、1988年(昭和63)のCM。
制服は、ダテじゃない!
「がっちり肩パット」も、ダテじゃない!

当時のJAL(日本航空)のキャッチフレーズは…

夢に翼を!

 

 

まさに「夏ソングの帝王」…杉山清貴!
♪僕の腕の中で(1988・昭和63)

 


◇JALは、スーパーフライ と!

本コラムの最後は、2023年(令和5)の、JALのテレビCMです。

両腕を広げたら、そう… みんな 飛べるかも!
♪私に幸あれ! 涙に幸あれ! 明日に幸あれ!

明日の空へ、日本の翼! JAL!

 

 

バンド「Superfly(スーパーフライ)」の2015年(平成27)の楽曲が使用されました。
JALは、「スーパーフライ」と手を組んで、まさにスーパーフライト!

スーパーフライ
♪ビューティフル(2015・平成27)

 

さあ、あなたも、自分を信じて、あなたの夢に、翼を!
スーパーフライト!

* * *

次回のコラムは、ANA(アナ:全日空)のお話しです。
あの「カメさんジェット」のフライトだよ!
私は昔、東京上空を飛ぶ「カメさん」を地上から見て、たまげて、亀のように ひっくりかえりました!
次回は、米国の「ボーイング社」ではなく、ヨーロッパ4ヵ国の「エアバス社」の航空機が登場!

日本の「三菱」も、世界の航空機製造業界の三番手として食いこんでほしかったのですが、ちきしょう! やられた!
そうか、日本は、あの大戦の敗戦国だった!

 

三菱は、地球の空の「国際線」は叶いませんでしたが、日本からの「宇宙線」では、ばっちり決めてくれ!

* * *

連載の次回「ノスタルジック夏メロ.4」につづく…

2025.9.4 天乃みそ汁

 

* * *

 

連載「ノスタルジック夏メロ」

第1回「忘れじの希望のチャイム」

第2回「あの夏に ハロー・アゲイン!」

第3回「夏の子・時代 ~ 夏子と夏男」