花は咲き、時は流れる | 白クマの妻は今

白クマの妻は今

外国の白クマを夫にしたら予想外のイケメン子グマが2匹も出てきた。どぉする?

シンピジュームが満開になったので、

引っ越しもあることだし切り花にした。

 

 

実に豪華で美しい。

でも香りはない。

それがシンピジューム。

 

花といえば桜が開花し、うちのすぐそばの公園の桜も

かなり開いたようだ。

 

(先週木曜日には六分咲きくらいだった)

 

 

まさにこの樹の前で、1年前に母、クマ姑と花見をした。

その時に、きっとこれは母と私の最後の花見になると

確信したのだが、それは事実となった。

 

今年もケアマネさんとリハビリの療養士さんが

一緒にご訪問いただく予定を決め、

「ぜひまたお花見に行きましょう!」ということに

なっていたのだが、3月末のその日はまだ寒く、

この桜は1輪も開花していなかったのだ。

 

そしてその二日後、クマ姑は特別養護老人ホームに

入所となった。

 

そこは屋上から空港や富士山、東京タワーとスカイツリーも

見える場所だけれど、近くに桜はない。

 

私には車もなければ、母を外泊をさせるどころか、

外出させることもできない。

そして母にはもう車で遠出をする体力もない。

 

つまり、昨年の花見は母にとって

本当に人生で最後の花見であったのだ。

 

多分、私は自分が死ぬまでそれを忘れないだろう。

 

桜というのはそういう気持ちを喚起させる不思議な花だ。

 

私が日本で一番好きな桜は千鳥ヶ淵の桜だが、

あそこの桜は涙があふれてくるので困る。

今年は散ってしまう前に行けるかどうかわからないが、

誰もいない時間に行かないといけないだろう。

 

いつだったのか、白クマとふたりで早朝の千鳥ヶ淵の

桜を見た年があった。

 

他に誰もいない、5時とか6時とか、そんな時間だった。

 

私にとってそれは小さな宝石のような

美しい時間の思い出となっている。

 

今回の私の引っ越しに伴い、連絡したいこともあって

夫、白クマとメッセージでチャットした。

 

なぜなのか、私は白クマに電話しないし、

白クマも私に電話してこない。

だからもう、最後に声を聞いたのがいつなのかもわからない。

 

私は昔から電話をかけるのが苦手なのだ。

 

だれかの時間をこちらの勝手で奪うことが心苦しいし、

私もそうして何かをしている途中で遮られるのが嫌いで。

時差もあるし。

いつなら良い曜日で良い時間なのかわからない。

 

白クマが今、どんな気分と体調で、

何の話題なら嫌じゃないのかも、

もう一緒に暮らさずに1年3ヶ月近くになるので

わからなくなってしまった。

 

「新居に越して落ち着いたら、私もシアトルに行きたいし、

あなたも仕事の休みとってこっちに来られないかな。

航空料金も6月とか9月以降だと安いと思うし」

 

「繁忙期の合間がいつになるのか聞いてみるよ。

きっと引っ越しはスムーズに行くよ。

そしたらお前も少しは静かで平和な時が持てるよ」

 

「だと良いな。楽しみにしてる」

 

「お前には必要だよ」

 

私はこの夫と、いつどこでどんな顔をして

再会するのだろうか。