5月2日に医者からの電話でどんよりとした気持ちになった翌朝、今度は看護師から電話がきて心臓がばくばくしそうになった。
4月22日から入院中の母、クマ姑のおかげで心が騒ぎがちだ。
看護師の電話は、口腔介護のために通常の歯ブラシが使えないのでスポンジブラシを持って来てくれということだった。
なんかもう、膝からくずれおちそうになった。
病院の売店は祭日で閉まっているし、私が薬局で購入して届けるしかないので、昨日また面会に行って来た。
ご対応くださった看護師さんは非常にほがらかで穏やかな方で、クマ姑はパッチ(シール状)の抗精神薬を処方されているということで、ご機嫌だと言う。
点滴で抗生剤と栄養を摂っている状態で、ずっと微熱だそうだが、ご本人は久しぶりにかなりしゃっきりしていてよく喋った。
認知症患者なりに思考回路が機能している感じで、長年聞いていなかった人の名前がぽこっと出たり、昔の仕事の話になったり、病院に入院していることを認識してその料金の心配をしたり、ベッド脇のクローゼットに私が入れた退院できる日が来たら着るべき服などを見たがったりと、入院前の特別養護老人ホームの自室で具合が良かった時のレベルだった。
しかし身体の方は逆で、首を左右に向け直すことすら困難で、「もう沢山生きたから、いつ死んでも良いのよ。92歳だもの~」と晴れやかに言う。
「まだ87歳だよ。暮れの誕生日で88歳の米寿のお祝いだよ」
「あらやだ。もうココがバカになっちゃってるからわからないの」
と、自分の頭を指さして、あっけらかんと笑顔だった。
大好きな冷たいお水も飲めなくて、それでも不思議に憑き物が落ちたような顔をして、楽しそうに分ごとに変わる話題に合わせて30分も喋った。
もう私の心は英語で言うところのエモーショナル・ローラーコースターで、悲しいのか嬉しいのか、ストレスで心臓が痛いのかすべてを諦めて微笑みたいのかわからなくなっている。
このまま飲食ができずに行ったら四肢も萎えて行くだろうし、点滴が取れなかったら特養には戻れまい。
そうなったら私はきっと、このままこの病院で枯れていく母を看取ることになるのではないだろうか?
奇跡も起こったりするのかもしれないが、母本人にとってはもう特養に戻れずに死んでいくほうがしあわせなのかもしれないとさえ思う。
窓際のベッドからは大きなガラス戸ごしに空が見えて明るかった。
特養の部屋では何故かひどく明かりを嫌い、まぶしくて辛いと言って電気もつけずカーテンも開けずの暗い部屋で暮らしていたのに、今のベッドではまぶしいと言わず、明るい顔をしていた。
新しい抗精神病薬(多分、ブロナンセリン)でドーパミンとセロトニンのバランスが良くなっているのかもしれない。
何にしても、まったく先が読めない状況になってしまったと感じている。
いつ何がどちら側に動くのかが本当にわからない。
子グマ弟には悪いが、とてもじゃないがしばらくは旅行計画など立てられそうにない。