遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

私と美月が坂東三十三観音霊場の第十番札所となる巌殿山正法寺を訪ねたのは、ゴールデンウィーク前半に当たる2024年4月末のことでした。

遊行の行程としては日帰りで、第十番札所の正法寺(巌殿観音)と第十一番札所の岩殿山安楽寺(吉見観音)を参詣しています。

正法寺でまず感銘を受けるのは参道です。

そもそも坂東三十三観音霊場は鎌倉期に整備され、室町期から江戸期にかけては、一般の庶民も巡礼に出掛けるようになったと言われています。

(『諸国道中金の草鞋』巻十 坂東巡礼:十返舎一九)

大山詣り(神奈川県)のように娯楽半分の講もあったでしょうが、真摯な願いを胸に正法寺の真っ直ぐな参道を歩いて来た人々もいたことでしょう。

かつては六十六の僧坊が並ぶ大寺院の賑やかな門前町だったと聞きますが、鄙びた山里に身を置くと、この整えられた参道だけが往時の繁栄を偲ばせる名残りとなっています。

時代の無慈悲な移ろいに胸を絞めつけられる思いがしました。

さて、それでは正法寺の境内に歩を進めることとしましょう。

仁王門の仁王像は江戸期の彫像ですが、平成の解体修理で漆を塗りなおしたため、UVカットの保護ガラスによって守られています。

正面に観音堂を臨んだ右手には、百地蔵堂と薬師堂、鐘楼、絵馬堂が建っています。

正法寺は「関東百八地蔵尊霊場」の第十三番札所にもなっており、この百地蔵堂の他、水子・子育て地蔵尊が境内にお祀りされています。

この銅像は弘法大師1150年ご遠忌(1984年)に造られたもので、百地蔵堂にお祀りされる百躰地蔵尊は江戸初期の庶民による奉納と伝わります。

また薬師堂は、ご本尊は厨子の中に隠れておられましたが、制作は新しいものの、見事な色彩の十二神将が祀られていました。

恥ずかしながら未だに十二神将のお名前を覚えきれないのですが、病身の私をお守り下さるよう手を合わせるばかりです。

先週土曜日の夕方、少し熱っぽく感じて測ると38.7度、インフルエンザの可能性もあるので、癌治療で通っている病院の救急外来へ美月に連れて行ってもらいました。

薬剤を処方頂いて帰宅するつもりだったのですが、抗癌剤治療をしている私は、免疫機能が低下していると致命傷になりかねないからと即入院を宣告されました。

(いきなり汚い足をお見せして申し訳ございません)

私も美月もいきなりの入院に驚いたのですが、よく考えてみれば、「だから救急病棟なのだろう」と妙に合点してしまいました。

しかし着替えも持たぬ手ぶら入院だったので、毎日面会に来てくれる美月に一々必要なものをお願いすることになってしまいました。

ところが救急病棟は持ち込み品に厳格で、貴重品は不可、着衣からハンカチ一枚に至るまで、入院時と退院時に手荷物検査を受けることとなっています。

おそらく緊急入院された患者さんがそのまま亡くなった場合、「もっと金品を持っていたはず」などと主張する遺族との係争を避けるためだと思われます。

労を厭わず通ってくれた美月には本当に感謝しています。

それなのに・・病院食に飽きたとラインすると「ジャンキーフードが食べたい?」と美月から返信、「正確にはジャンクフード」と訂正してしまう自分が本当に嫌いです。

そして美月がこっそり差し入れてくれたお菓子類も看護師さんに見つかり、「先生に許可頂きましたか?」とあっさり「ボッ(没)シュート」行きとなってしまいました。

それだけ緊迫している現場なのです。

地域の中核病院ともなれば、20分に救急車1台が入って来るので病棟内は戦場です。

医師や看護師が発する怒声に近い指示が飛び交い、それぞれが雑然とバラバラに動き回っているようで実に見事な統制が取れていました。

病院とは思えないザワザワと落ち着かない病棟ですが、それは一人一人が最大限の救命能力を発揮しようと頑張っているからに他なりません。

まさに『命の現場』であり、これぞ薬師如来のご眷属、十二神将の大躍動ぶりと、退院後、涙ながらに新薬師寺で頂いた護符に手を合わせてしまいました。

関係者の皆様、本当に有難うございました。

茨城県桜川市に構える雨引山楽法寺は、雨引観音として親しまれる坂東三十三観音霊場の第二十四番札所にあたる古刹です。

(仁王門の阿形像:初っ端から恰好良くて期待させてくれます)

本格的には『坂東三十三観音霊場遊行の記』にて書きますが、今回は延命地蔵菩薩(ぼけ封じ観音)がおられる六角堂の諸仏を中心にご紹介しながら進めて参ります。

(六角堂:公式ホームページよりお借りしました)

 

叔父が82歳で亡くなり、3月11日、美月とお通夜に参列して来ました。

私の両親は一切晩酌をしなかったので、酒好きな叔父夫婦が毎晩仲良く晩酌する様を垣間見て、子供心に「将来はこんな家庭を築きたい」と良く思ったものです。

会社を早期退職して夫婦で観光牧場(横浜市)の管理人を始めるなど、その人生は枠に囚われず奔放で、敷かれたレールから外れられなかった私は憧憬すら抱いていました。

「〇〇(私)、お前も一度きりの人生に悔いを残すなよ」と、その死に顔は満足そうに笑って見えました。

「美月と一緒になって少しは叔父叔母に近づけたかもしれないな」と、叔父を見送りながら私は少し自慢げに独り呟きました。

(大好きな深沙大王:しかし隣で荷物を運んでいるお爺さんは誰?)

 

その翌日、毎月の抗癌剤治療を受けに、私は美月に付き添われて病院へ行きました。

しかし前立腺癌の腫瘍マーカーは月々悪化する一方で、CTの検査結果を診た主治医から肝臓に転移している旨を伝えられました。

既に標準的な抗癌剤では効果が無いので、遺伝子検査等による先進的な治療法(分子標的薬・PSMA)を検討することになりました。

(不動明王:どうぞ私の癌細胞を焼き尽くして下さい)

癌の恐怖は治療法が次々に無効となっていくことだと私は思っています。

一年、一月、一日、一時間、一分、一秒でもいいから、こうして美月と穏やかに暮らす時間を与えて下さい。

(ぼけ封じ観音:延命も宜しくお願いしますよ)

主治医が私達に恐る恐る尋ねるぐらい癌の先進治療には莫大なお金がかかるそうです。

私はまだ就業していますが、健保の負担も相当な金額となるので、治療を選択していいか人事担当の役員に敢えて確認してみました。

(役員は顔が深沙大王に似ていますが、とりあえずこんな感じで縋ってみました)

健保組合は江戸時代の『講』に似ており、本音としては、会社から嫌われている人間に積立金など出したくないのではと考えたわけです。

また、大金をはたいて延命したところで、何か社会・会社に還元できる能力を持っているかと自問自答した結果でもあります。

「〇〇部長(私)、お金のことなど気にされず、治療に専念して、いつまでも我々後輩を指導して下さい」

まあ、彼が私の目をしっかり見つめていなかったのは気になりますが、これから前立腺癌の新たな治療に踏み込んで参ります。

(やはり役小角かなあ・・ご存じの方はお教え下さい)

宜しくお願いします。