遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

大蔵山杉本寺から始まった坂東三十三観音霊場遊行は、相模国から武蔵国をぐるりと一周して、発願した鎌倉市に隣接する横浜市へと戻って来ました。

第十四番札所の瑞應山弘明寺です。

しかし弘明寺として市民が良く知るのは、京浜急行電鉄(以下、京急)と横浜市営地下鉄の駅名か、鎌倉街道に通ずる商店街名ではないかと思われます。

(私の秘宝、京急路線図タオルより)

かく言う私も横浜市在住60年となりますが、初めて寺院の弘明寺を参詣したのは、本格的に寺社巡りを始めた還暦に近い頃だったと記憶しています。

(2016年5月、美月と京急フェスタにて)

生来の京急マニアである私(祖父母宅が逸見)と美月(梅屋敷に居住)には尚更で、「弘明寺」と問われれば「京急!!」と早押しボタンを連打してしまいます。

昔、両親にカメラを買って貰った小学6年の私は一人で京急の写真を撮りに行きました。

逸見駅で快特通過待ちする普通電車の前面を撮影しようとカメラを構えると、運転手さんが下りてきて私を車輛前面に立たせて写真を撮ってくれました。

今では許されない半世紀前の話ですが、本当に嬉しくて、その頃から「京急の運転手になりたい」というのが私の夢になりました。

しかしながら極度の近視で夢は諦めたものの、以降50年間変わらず、市井より京急を応援し続けています。

そんな願いが通じたのか、私の次男が京急バスに勤めるご家庭の娘さんと結婚しました。

お陰様で京急グループとも縁続きとなり、社員しか貰えない京急バスのグッズも密かに頂けるようになったことを感謝しております。

おっと、弘明寺からずいぶんと話が脱線してしまったようです。

脱線ついでで恐縮ですが、5月21日から23日まで再び奈良の遊行へ出掛ける予定です。

体調が心配なのですが、このまま家に籠ってしまうのも辛く、何とか美月の助けを借りながら参詣して参ります。

またその模様はご報告させて頂きます。

江戸期より庶民の信仰と娯楽を集めて来た金龍山浅草寺ですが、その由緒は飛鳥時代の638年に遡ると伝えられています。

漁師の檜前(ひのくま)浜成・竹成という兄弟が、投網で引き揚げた人形を土師真中知(はじのまなかち)に見せたところ、「有難い聖観音である」として寺を開創して祀りました。

(江戸名所図会より)

その後、慈覚大師円仁が訪れて聖観音のお前立を彫って天台宗となりましたが、1950年に独立(単立)して聖観音宗の本山となりました。

(2019年5月、美月と『三社祭』にて)

明治期の神仏分離令で浅草寺から浅草神社が分立するのですが、檜前兄弟と土師真中知の霊をもって三社様と称され、現在でも『三社祭』として全国的に名が知られています。

(2017年7月、美月と『ほおずき市』にて)

また、7月9-10日に露店が並ぶ浅草寺の『ほおずき市』は夏の風物詩で、四万六千日とも呼ばれる観音菩薩の縁日から発展したものです。

(江戸名所図会より)

さて、それでは最後に坂東三十三観音霊場の授与品などをご紹介しましょう。

これが浅草寺聖観音の御影となります。

お姿の擦れ具合に図像の古さを感じますが、これだけの大寺院ともなれば間違いなく印刷物であろうと思われます。

納経所で頂いた坂東三十三観音霊場の御朱印ですが、外国人観光客の方が多く並ばれていたのには驚きました。

御詠歌つき白衣にご宝印を頂戴しました。

深きとが いまよりのちは よもあらじ つみあさくさへ まいる身なれば

納経所にご尊格が並ぶものの、聖観音のご本尊やお前立を拝することが出来ず、仏像マニアとして浅草寺はいつも物足りない遊行となりがちです。

しかし浅草の街には数えきれないキャラクターが林立しており、その意味では決して飽きることのない街歩きが楽しめます。

どうぞ皆様も自らの感性で発見の旅をお楽しみ下さい。

今朝、『鬼平犯科帳』(中村吉右衛門)のDVDボックスが届きました。

時代劇マニアの美月に言わせると、吉右衛門の好演は勿論、江戸の暮らし(特に食べ物?)の描写が細やかで、映像(エンディング含)や台詞の端々に感性を刺激されるそうです。

それは原作が池波正太郎(食通)だからであり、彼が生まれ育ったのは浅草には、まだ江戸っ子気質が色濃く残っていたからに相違ありません。

『大岡越前』好きの私もファンになりましたが・・これからしばらくは毎日『鬼平』漬けになりそうです。

さて、なかなか美月との浅草の思い出が尽きず、坂東三十三観音霊場の本編に入れず誠に恐縮しております。

でも東京は面白いものばかりだから止められません。

この浅草に隣接する『かっぱ橋道具街』にしても、何故「河童」なのかと考え始めると、春日三球・照代の漫才さながら夜も眠れなくなります。

そこで2024年5月、近隣の「かっぱ寺」と称される巨獄山曹源寺を参詣すると、寺伝に河童との関係が掲示されていました。

江戸期の文化年間、当地の雨合羽商人である合羽川太郎(合羽屋喜八)が、雨が降ると洪水になる周辺の低地を、私財を投じて排水の為に掘割工事を始めたそうです。

(かっぱ大明神:天井にも多数の河童が描かれています)

その合羽川太郎の庶民を想う良心に心打たれた河童達は、夜な夜な工事を手伝って合羽(河童)橋の名がついたと言われています。

そう、合羽川太郎さんが『河童の河太郎』のモデルなのでしょうね。

そのような由縁で河童はマスコットとして街の至る所に出没しており、これを訪ね歩くのもまた面白いかと思われます。

また別日、吉原神社を参詣した際、私と美月は勉強(?)も兼ねて昼間の吉原を歩いて回りました。

すると風俗店の玄関に見事な馬の木彫を発見、すると美月は入り口にいた店番の兄さんに「写真を撮らせて欲しい」と交渉を始めました。

男の私が人目を気にしておどおどしているのを尻目に、美月は風俗店という偏見も持たずに堂々と説得して撮影の快諾を得たのです。

驚きました。

比べて私は人を差別する習性に縛られていたのか・・本当に我が身を恥じ入った次第です。