遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

では八大童子も含めた不動明王の眷属(従者)について調べてみましょう。

(京都浄瑠璃寺の案内冊子より)

不動明王を祀る場合、単独像、不動三尊像が多いのですが、この三尊を構成するのが向かって右の矜羯羅(こんがら)童子と左の制多迦(せいたか)童子です。

(奈良生駒聖天にて)

矜羯羅童子は穏やかな表情で合掌しているお姿が特徴で、制多迦童子はまるで悪戯小僧のような好戦的で不敵な面構えをしています。

そして八大童子は、この矜羯羅・制多迦童子に、指徳・阿耨達・烏倶婆誐・清浄・慧喜・慧光童子が加わった不動明王戦隊で、高野山霊宝館の運慶作国宝八大童子が有名です。

これはイスムのフィギュア・カタログですが、ある仏像フィギュアを購入した際に貼付されて来ました。

美月に厭な顔をされつつ購入したフィギュア2体、これは後ほど皆様に自慢させて頂きますが、ヒントはこの愛猫生成AI画像・・わかれば貴方も立派な仏像マニアですね。

他にも不動明王の眷属としては三十六童子、四十八使者があるのですが、少し雑多過ぎるので省略させて頂きます。

さて、信心のテーマパークである目黒不動尊には他にも御仏がいらっしゃいます。

これは地蔵菩薩なのですが、背後に掲げられた『賽の河原地蔵和讃』を初めて詠んで美月と感涙したことを覚えています。

(2018年5月伊豆極楽苑にて)

一重組んでは父のため、二重組んでは母のため・・親よりも早く亡くなった子供達の哀歌に、やるせない切なさで袖を絞らずにはおられません。

そして隣には観音堂があります。

いつ造立されたかわかりませんが、現代的なお顔の美しい聖観世音菩薩であり、その立ち姿も均整がとれていて非の打ちどころがありません。

地蔵菩薩の隣だけにとても心が和みます。

さて、目黒不動尊も回を重ねてきましたが、幾ら調べても未だに明確な答えが出せない石像があります。

次回はその推論を考えていきます。

大阪に住む次男からハロウィンお菓子のお礼写真が送られて来ました。

壁に美月が生成AIでつくった「慈恵ちゃん魔女」が飾られており、次男とお嫁さんの気遣いにただただ頭が下がるばかりです。

本当にありがとう。

さて、目黒不動尊の参詣に戻りましょう。

これは『江戸名所図会』に載る目黒不動堂の本堂付近を拡大した図で、神仏様々なお堂や祠が配置されていることに気づきます。

まさに信心のテーマパークです。

当時とは大きく異なりますが、現在目にすることが出来る諸仏を幾つかご紹介しましょう。

仏像を勉強する今でこそ「これは愛染明王」と自慢気に語ることが出来ますが、初めて参詣した折は、「何だこれは?」と美月と驚いたことを覚えています。

矢を天に向けて構える「天弓愛染明王」は、キューピットとの相似から縁結びの御仏と見做されますが、「天弓」でなくとも愛染明王は若者からの収益源となっているようです。

また境内には虚空蔵菩薩もおられますが、虚空蔵求聞持法(記憶力UP)を修した空海や日蓮のように、学業成就や合格祈願を叶えたい若者をターゲットにしているのでしょう。

本堂裏には『江戸名所図会』が描かれた当時と同様に、不動明王の本地(本来の姿)である大日如来が鎮座されています。

そして大日如来の東西南北を守護するのは大好きな四天王なのですが、踏まれた邪鬼がリアルであるのはちょっと困ったものです。

仏像ではありませんが、1732年の享保の大飢饉において、甘藷(サツマイモ)を救荒食として奨励した青木昆陽(甘藷先生)の胸像がありました。

その墓がある目黒不動尊では、毎年「甘藷まつり」が開かれて参拝者を集めています。

さて、目黒不動尊には「八大童子の山」があり、そこには不動明王の眷属である八大童子の石像が配されています。

ところが仏像に興味がなかった頃で、疲れていたのか、看板だけで石像本体の写真を撮らない大失態を犯してしまいました。

興味がないことに人はほぼ無関心であるものですね。

ハッピーであるかどうかは別としてハロウィンです。

これは2019年10月に川崎で美月と撮ってもらった写真ですが、結婚することも前立腺癌になることも、あの頃は一切夢想だにせず遊んでいたように思います。

良いことも悪いことも、所詮人間には未来を予知する能力などありません。

今年のハロウィンは、大阪に住む幼い二人の孫が喜んでくれるように、せっせとお菓子をダンボールに詰めて送りました。

そしてカード替わりに、美月が得意とする生成AIで、愛猫の慈恵ちゃんが扮する怖い魔女の写真を同梱しました。

美月は生成AIでもう一枚、私の魔法使い写真をつくったのですが、これは私の輝かしい人生を孫に誤って伝えるものと考えて送るのを止めました。

幼い者に与える情報には細心の注意が必要です・・皆様、気をつけましょう。

さて、目黒不動尊の話に戻ります。

仁王門を潜って本堂へ上がる階段(男坂)の脇に「独鈷(とっこ)の瀧」があります。

寺院の開基は808年、天台座主第三代となる慈覚大師円仁が、故郷の下野国から比叡山へ向かう途中、この地で不動明王の霊夢を見たと伝わっています。

そこで後に堂宇を建立する敷地を定めるため独鈷を投げて占ったところ、清らかな泉が湧出したので寺号を瀧泉寺、そして泉を「独鈷の瀧」と称したそうです。

(東京名所四十八景 目黒不動の滝:慶應義塾大学メディアセンターHPより)

『ブラタモリ』的に考察すれば、目黒不動尊はちょうど台地と平地の中間に建立されていることが現在も湧水が絶えない理由でしょう。

龍の姿を絵馬にする寺院も多いのですが、水に関連する目黒不動尊の絵馬龍は一段と迫力がある図柄となっています。

また、この時円仁が夢に見た不動明王を刻んだご尊像が当山の本尊であり、まだ拝したことはありませんが、十二年に一度の酉年にご開帳される秘仏とされています。

おそらく酉年のご開帳である由縁は、不動明王が酉年の守り本尊であるからで、それは燃える光背の炎を吐き出す迦楼羅(鳥)に起因するとも言われています。

(満願寺蔵:横須賀美術館・金沢文庫 運慶展図録より)