お尻で折り紙 -3ページ目

"りんごが鳴いていた"

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ぽこぽこ音がするので
耳をすまして探したら
りんごが鳴いていた
皮は身をお洒落し
へたは冬のバス停だった

丸のまま剥いた
包丁を持つ手 逆の手にも
いつかの甘い昼の笑みと
酸っぱい夜の抗いが匂った
皮は途切れ途切れた
流し台は落陽の歩道になった

バス停まで丘を上ると
芯と恋を真二つにできない私と
十六分割の季節が
種を抱いていたことに気づいた

肌触るりんごを切り分け
駆けた後の息の純度で
鍋に蓋をし火にかけ蒸す
しびしびと音がするので
蓋を持ち上げると
いつかが匂って飛んでいった
霞みをかき混ぜながら
りんごに蓋をして待った

流し台の皮を拾ってかじった
外皮は硬くほろ苦く
内側に十分な実を残していた
冬の飛行機雲のように薄く
軌跡を剥くことはできるだろうか

おやつの鍋に砂糖をふるった
バスはもう行ってしまった
「イツカー」と鳴いてみてから食べた
りんごはじゃれた音を立てて溶けた

"新曲"

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風みたいなもんだから
ふたつといらんよ

鳥みたいに明け暮らし
ぴいとひゃあとすう

紙みたいなもんです
あなたのようでわし

皿にのせたら
さらの雪みたく

キャベツにしてみたら
千かける千かけの千切り

から零れおちた いち
が繰り返した しゃき

そんな風にふたつとない
飛んで渡る鳥の羽根

から零れ着いた いち
が覚えていた道

洗い物終わらしてから
聴こう

"日々を淡く含んだきいろ"

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いつも
きいろい花
僕のうまれた日の
少し前に咲くよ
細い樹の
細い枝から
どんな黄色も
見透かすような
春のこどもと
夏のカーテンと
秋の食事と
冬の空気を
淡く含んだ花が咲くよ

僕のうまれた日
冬の光が椅子に座り
扉の取っ手に雪
時計は溶けて
褪せたこはく色
風を受けて暮らす
からだの草を摘み取って
お粥に乗せて食べよう

それから
うまれた日の少し後に
きいろい花を見つけにいこう
地球儀を回そう
恋に渦まく言葉で
僕と君は巡る
太い樹の
太い枝に
乗って見渡すんだ

あちらこちら咲いてる
月と日の花びら
透かして満ちた
僕と君とみんな

僕はうまれた日
季節に近づいていく
ろうそくの灯が
気持ちを照らすんだ
きいろい花は
いろんな愛を見透かすような
日々を淡く含んで咲くよ

いつでもくちぶえ

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どんなにちゃっちくても、
できなかったことができるようになるということ。

やりたかったことがやれるようになるということ。

それが、わたしを満たし、
もしかしたらもしかして、
だれかを動かして笑顔にしているかもしれないな。

2008年、口笛が吹けるようになった。
それから毎日口笛を吹きながら、
自分でも可笑しくなるくらい吹きながら、
そんなことを考えた。

笑って泣いて動いて疲れる、
熱っぽい、あったかい年を。

わーい。

"下北坂"

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古びた街が息をする

寂しそうに生き生きしてる

天ざるを食べたくなった

それで足り得る昼の光


萎びた道草が花を産む

店の軒先で喋り方を教わる

曲がり角はさざんか

それで焚き上がる午後の君


いつか手を繋いで歩く

老いた夫婦を見た

坂をゆっくり行く背中

老いた夫婦の時間を見た


あちこちで繋がるお喋りの

女子学生が家に帰った夜

車道も歩道もないような

指先で酒と戯れる


さざんか咲いた垣根

曲がり角を覚えた街

黙る 狭い 刻む時

笑い明けたら朝日


老いて おーいで

置いて おーいで


古びた商店街から眺める

坂の先は盛りそばのよう

始まりも続きもつゆのなか

ずずと今日も綴られていく

"トゥエルブ氏"

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ミスタースペインは
トゥエルブ氏だった
ガットギターの
張りつめた弦を爪弾く
その指は冬を遊び場にした
駅に到着した電車から
土砂のように流れくるひと
さまよいとびかう言葉の表
ミスタースペインの
トゥエルブ氏には
夜にも人にも吸い取られない
雲の高さの光と雨の音楽がある
新しい靴に馴れず躓くひと
山のような高層の街の地下で
冷たい風に舞う夜も
大西洋から地中海に愛を運ぶ
重ね着の花びらを奏でよう
ミスタースペイン
トゥエルブ アッハッハ
階段も踊り場さ

"中くらいの猫"

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中くらいの猫が
よたよた枯れ葉を休み歩いてたんだ
振り返ったら
ベンチにもたれた僕の後ろにいたんだ
クリームパンの
パンのところをちぎってあげたんだ
中くらいの猫は
それを食べずに寝たんだ
四つちぎれたパンの
並んでるそばの枯れ葉が蒲団なんだ
午前中の太陽
ひこうき雲が見えたんだ
中くらいの猫は
僕と同じ顔なんだ
おじさんが来て
猫をミイと呼んでなでたんだ
僕はちぎれたパンを
置いたまま立ち上がり行くんだ
猫は太陽に眠り
僕は枯れ葉を気にして歩くんだ
公園はそこに静かに
光の動きに頷いて歩くんだ
染まるだろう
中くらいの
猫の寝言聴かせてくれよ

とりっきりとりっきり

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だんだん気付いていく感じがいい。

だんだん汚く埋もれていく部屋がいいと思っていると、暮らしのそこかしこで打ちのめされるであろう。

お気に入りのものたち。

そこにただあるだけでは、買い主としての楽しみには至らない。

服飾を整理しながら、レコードをまわした。
キース・ジャレットが叩き奏でる音符が、服の皺にまとわっていく。

インスタントカメラで撮りきるように、生活のそこかしこの言葉に立ち止まっていきたい。

おちばかき

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夏に、明治神宮の参道で落葉かきの人を見た。

広い参道の真ん中に立ち、身長の二倍はあろうかという長い箒を左右に振りながら進んでいく。

敷石を乱さず、撫でるように美しい型で葉だけをかいていくおじさん。

夏の始まりにも落葉はあり、いつの間にか土に還る。

今日の風と雨は春の始まりのようであった。

山ほど落ちた紅葉した葉は冬の始まりのはずだった。

1日で四季をそれぞれ感じられる日があるのだなあ。

家の庭の盆栽が葉を落とし始めた。

リンゴとショウガをすりおろし、久しぶりにカレーを作った。

何曜日でも構わなくなった。

ストーブは一度付け始めると習慣になる。

熱に当たりすぎたふくらはぎが痒い。

カレンダーをめくるのを忘れていた。

エリックカールの12月は、籠の中の鳥とちょうちょと雪空だった。

雪を見たら泣いてしまうかもと思った。

いさぎわるさ

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中華をごちそうになった。
おなかを満たされていく過程にある、とてつもなく大きな感謝と、とめどなく流れる時間を忘れてはならない。
贅沢な海老マヨに尊敬の眼差しを。
ごちそうさまでした。ありがとうございます。

新国立美術館でピカソ展を観た。
満たされた腹をベンチで休ませながら。
女性の横顔が好きだ。
解体された静が動き始める頃に、おなかはおさまり、きっと老いた筆は、観てきた時間から観ることのない時間へ橋を渡すのだろう。

日が暮れた美術館は沖に戻る船のようにやわらかい光。

下高井戸に店を開いたばかりの、僕に似ているという彼のコーヒーをいただきにいった。
笑顔をたやさないこと、好きな時間を耕せること。
おいしいコーヒーはいつも、休息と歩足を与えてくれる。
出会いを大切にしよう。

一言で片付けられないことを、二言三言で巡らせていくことにした。
いさぎわるさに対する挑戦。