こんにちは~
出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。
教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です
本日もお忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。
初めての方も、よろしくお願い致します。
京都には、
情趣あふれる行事が多く
特に、
祇園(ぎおん)祭り、
葵祭り、
時代祭りは、
三代祭として
知られています。
今月は、
祇園祭が行われていますが、
期間の長い祭りで、
7月1日の
「吉符(きっぷ)入り」から、
31日の
「疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしさい)」まで、
まる一月を費やして、
様々な神事を行います
祇園祭の起源は、
平安時代の
貞観(じょうがん)11年(869)、
清和天皇の世に、
神泉苑に、
66本の鉾(ほこ)を立てて、
祀りを行ったことにあると
されています。
これは、
御霊会(ごりょうえ)で
政治的に抹殺されて、
恨みを残して死んでいった人々の
疫病や災害を防ぐ祀りです。
鉾が66本であったのは、
66は、
この時代の令制国(りょうせいこく・
今の都道府県)の数で、
鉾に、
都の外に捨てたり、
燃やしたりしていたようです
それで、
祇園祭は、
明治時代までは、
祇園御霊会と呼ばれて
いました。
祇園祭の
「祇園」とは、
教えを説いていた
インドの祇園精舎のことですが、
何で、
日本の祭りに
インドのお寺の名前が
付いているのかと
思ってしまいますよね。
これは、
祇園祭を主宰する
八坂神社の前進である
祇園感神院(かんじんいん)の
祭神が、
牛頭天王(ごすてんのう)である
からです。
牛頭天王は、
祇園精舎の守護神で、
「蘇民将来(そみんしょうらい)」の話しが
よく知られています
それは、
牛頭天王が、
人間界に降りて来て、
南海の
竜宮の姫を妻に迎えるために
旅に出たとき、
巨旦(こたん)将来という
富豪の家に、
一夜の宿を求めるが、
断られてしまいます。
次に、
巨旦の兄の
蘇民将来という
貧しい家を訪ね、
同じように
一夜の宿を求めると、
「何もお構い出来ませんが」と
言いながらも、
精一杯もてなしてくれました
翌朝、
蘇民将来の
家を発った牛頭天王は、
その後も旅を続け、
やがて妻を得たのですが、
蘇民の家を再訪し、
こう宣言しました。
「私は、
牛頭天王である
この後、
だが、
もてなしをしてくれたお礼に、
蘇民将来の子孫だけは、
無病息災を約束してやろう。
戸口に、
「蘇民将来子孫」と札を貼って
おくが良い」と、
牛頭天王が、
そう言って去った後、
巨旦一族は、
皆殺しにされてしまったのです
それで、
多くの民衆が
「蘇民将来の子孫」を
名乗るようになり、
同時に
牛頭天王を祀って
無病息災を
祈念するようになったのです
そして、
興味深いことに、
残した書で、
牛頭天王の由来を
明らかにしているのです
それによると、
巨旦とは、
夜叉国の王の
巨旦大王であり、
国民は皆、
魑魅魍魎(ちみもうりょう)の
類でした。
そして、
牛頭天王は、
巨旦の死骸を
配当し、
おごそかに、
巨旦調伏の祭儀を行ったと
されているのですが
実際に、
重保(ちょうほう)元年(999)に、
祇園社で
三十日間の巨旦調伏の儀式が
行われ、
今の世に至るまで、
その祭儀が
継承されているのです
安倍晴明の書には、
牛頭大王の前世は
道教の神で、
説かれています。
天刑星が、
下界に降りて来て、
牛頭天王になったのですが、
この天刑星は、
それなので、
牛頭天王が、
人の命を守る
なっているのです。
そして、
牛頭天王は
スサノオと同体であると
よく言われていますが、
日本書記には、
スサノオが、
韓国の曽尸茂梨(そしもり)に
行ったことが記されています。
スサノオは、
ここで
農業技術などを
修得したとされていますが、
曽尸茂梨とは、
韓国では、
牛頭を意味するのです
さらに、
古事記には、
五穀が生まれたのは、
スサノオのおかげであることが
象意されていますし、
穀物は、
全てが繋がっているのですが、
天刑星も
牛頭天王も
スサノオも、
共通しているのは、
万物の生命を
危険にさらすことなく、
戦い守る行為です
参考記事
それでは、本日もお読みいただき、ありがとうございました
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