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2019参院選、今の国会の争点
年金問題が大きくとりあげられてきました。麻生大臣の諮問報告書がきっかけですが、私はようやく年金問題が真剣にとりあげられた、これが制度改革へのはずみ、良いきっかけになればと望んでいます。
私は一期目は最低保障年金を事務局長(長妻さんがリーダー)として制度設計し、浪人時代も年金制度が受給者にも若い人にも不安の元になっていると改めて確信し、二期目からも5度厚労委で大臣等に提案を含めて質問・提案をしてきました。しかし、現政権のやる気は感じられませんでした。
(国会での年金に関する質問の様子)
https://www.youtube.com/channel/UCheqozwZ_-ly2bU2m6DDwMw
これからも野党としてはも建設的な提案もしていき、また現政権が計画している低い年金の人(若い人も含めて)に負担を強いる制度改正に反論しています。そして当面どう低年金者を救うかも大事です。このままでは高齢の生活保護者が増加します。
最低保障年金制度構築の為の2012年時点の状況をまとめた私のブログをここにリンクします。ここからどう、年金問題を大方の方、若い方も含めて納得できて、尊厳ある老後(少なくともみじめな思いを強いられることのない老後)日本に生まれて住んで送れることを確信していただける制度にしていくか。これが今の国会と選挙の大きな争点です。
↓
https://ameblo.jp/shiraishiyouichi/entry-11573546708.html
私の提案も貼り付けます。
信念は変えずに
2006年に民主党と出会い、公認を頂き、状況が悪くても、前向きに建設的にと、民主党、民進党の旗のもと3回の選挙を闘ってきました。
今回の件で、今も胸がいっぱいです。
同じ想いの同志も沢山いらっしゃると思います。
皆さまにお伝えしたいのは、お約束することは、
私は自分の信じる政治を変わりなく、
これまで通りに、邁進していく覚悟だということです。
私がしたい政治は、地域のため、
働く人たちや一般の方々の暮らしのため、
痛みや苦しみ、不安なこと、困っている人、
そういった方の声や想いを届けてこそ、政治の意味があります。
子供たちや国の未来のため、みんながみんなのために、
寄りそい、支え合う社会をつくることです。
またそれは多様性を寛容に認める社会です。
それを理念とする政党だから、私は民主党を選んだのです。
政治の世界に飛び込んだ10年前のことです。
その志はこれまで変わることなく、
これからも変えることもなくそのままの自分で、
しかし今回民進党は公認を出さない以上は、
希望の党から出馬することとしました。
政権選択選挙である衆議院選挙で小選挙区制度をとっている以上、
刺客も含めて野党や無所属が割れていては結局相手を利するだけです。
また政党に属して比例ブロックでできるだけ多くの仲間の議席をとらなければ、
与党から政権を奪うことはできません。
これは厳然たる事実であり、政党は大きくまとまることが大事です。
そのような中、私の信念は変えず、必要ならば中から党を変えていく、良くしていく決意です。
これまで主張してきた安保法制にしても立憲主義についても同じ想いです。
皆様にご理解を頂きたくどうかよろしくお願い申し上げます。
平成29年10月3日
白石洋一
熊本地震
今回の熊本と大分での地震により不運にも犠牲になられた方々とご遺族の皆様に衷心よりお悔やみ申し上げるとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
また、自分やご家族も被災者であるにも拘らず支援にあたられる警察、消防、自治体職員の皆様や危険をおかしながらも救援活動されている自衛隊の方々に感謝と敬意を表したいと思います。
この一週間しょっちゅう気象庁の「地震情報(震源・震度に関する情報)」を見る毎日でした。
http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_singendo_index.html
熊本から阿蘇、そして大分に移りながら数は少なくなっているのがみてとれます。
逆に当初の数の多さに驚かされます。一時間に10回もの強い地震があったりします。
その恐怖たるや大変なものだったでしょう。
私も不便な生活の経験も経てきたつもりですが、
家の電球一本が切れるとそれで不便さを感じてしまう我をみて、
テレビで被災者の生活の様子を見ると、
なんと自分は抑制の効かない人間かと恥じ入り、また被災者の方々を本当に気の毒に思います。
地震が鎮まり復旧がなされることをお祈りするとともに、愛媛でも対策も急ぐことが望まれます
阪神淡路大震災から20年
今日で阪神淡路大震災から20年です。私を可愛がってくれたおばも震災で亡くなりました。好きだった和服が詰まったタンスの下になってしまって。今は白石家のお墓に眠っています。
東京勤務だった私はその日、息子の出生届を出しに、妻とその赤ん坊との3人で車で出かけていた時にラジオで震災を知りました。子どもが生まれた喜びがおばの死の悲しみで吹き飛んだ時期でした。
その後、勤めていた霞が関でのオウムサリン事件。生きることの意味を考え始めた頃です。 その息子がこの前、成人式をむかえるまで成長しました。
震災で犠牲になられた方々のご冥福を改めてお祈りするとともに、生きていることに感謝し、生きている限り全力を尽くして生きたいと思います。 白石洋一