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走れメロス 太宰治

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【ブログ=穴埋め・論述問題】

走れメロス
太宰治

 メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐《じゃちぼうぎゃく》の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此《こ》のシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿《はなむこ》として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈《はず》だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺《ろうや》に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「王様は、人を殺します。」
「なぜ殺すのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの人を殺したのか。」
「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣《よつぎ》を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」
 聞いて、メロスは激怒した。「呆《あき》れた王だ。生かして置けぬ。」
 メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏《じゅんら》の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれども威厳を以《もっ》て問いつめた。その王の顔は蒼白《そうはく》で、眉間《みけん》の皺《しわ》は、刻み込まれたように深かった。
「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」王は、憫笑《びんしょう》した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」
「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁《はんばく》した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」
「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて呟《つぶや》き、ほっと溜息《ためいき》をついた。「わしだって、平和を望んでいるのだが。」
「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはメロスが嘲笑した。「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」
「だまれ、下賤《げせん》の者。」王は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔《はりつけ》になってから、泣いて詫《わ》びたって聞かぬぞ。」
「ああ、王は悧巧《りこう》だ。自惚《うぬぼ》れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな。」と暴君は、嗄《しわが》れた声で低く笑った。「とんでもない嘘《うそ》を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
 それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑《ほくそえ》んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙《だま》された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩《やつばら》にうんと見せつけてやりたいものさ。
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
 メロスは口惜しく、地団駄《じだんだ》踏んだ。ものも言いたくなくなった。
 竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前で、佳《よ》き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯《うなず》き、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。
 メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、翌《あく》る日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。メロスの十六の妹も、きょうは兄の代りに羊群の番をしていた。よろめいて歩いて来る兄の、疲労|困憊《こんぱい》の姿を見つけて驚いた。そうして、うるさく兄に質問を浴びせた。
「なんでも無い。」メロスは無理に笑おうと努めた。「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう。」
 妹は頬をあからめた。
「うれしいか。綺麗《きれい》な衣裳も買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。結婚式は、あすだと。」
 メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。
 眼が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。そうして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。婿の牧人は驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、葡萄《ぶどう》の季節まで待ってくれ、と答えた。メロスは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。婿の牧人も頑強であった。なかなか承諾してくれない。夜明けまで議論をつづけて、やっと、どうにか婿をなだめ、すかして、説き伏せた。結婚式は、真昼に行われた。新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのも怺《こら》え、陽気に歌をうたい、手を拍《う》った。メロスも、満面に喜色を湛《たた》え、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の時が在る。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。今宵呆然、歓喜に酔っているらしい花嫁に近寄り、
「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに市に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しい事は無い。おまえの兄の、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、それから、嘘をつく事だ。おまえも、それは、知っているね。亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」
 花嫁は、夢見心地で首肯《うなず》いた。メロスは、それから花婿の肩をたたいて、
「仕度の無いのはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、妹と羊だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ。」
 花婿は揉《も》み手して、てれていた。メロスは笑って村人たちにも会釈《えしゃく》して、宴席から立ち去り、羊小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。
 眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑って磔の台に上ってやる。メロスは、悠々と身仕度をはじめた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。身仕度は出来た。さて、メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。
 私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。王の奸佞《かんねい》邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若い時から名誉を守れ。さらば、ふるさと。若いメロスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止《や》み、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。メロスは額《ひたい》の汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練は無い。妹たちは、きっと佳い夫婦になるだろう。私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気《のんき》さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧《わ》いた災難、メロスの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾濫《はんらん》し、濁流|滔々《とうとう》と下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵《こっぱみじん》に橋桁《はしげた》を跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟《けいしゅう》は残らず浪に浚《さら》われて影なく、渡守りの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。「ああ、鎮《しず》めたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」
 濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽《あお》り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻《か》きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍《れんびん》を垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。
「待て。」
「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」
「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」
「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」
「その、いのちが欲しいのだ。」
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」
 山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒《こんぼう》を振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、
「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙《すき》に、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、流石《さすが》に疲労し、折から午後の灼熱《しゃくねつ》の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈《めまい》を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天《いだてん》、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代《きたい》の不信の人間、まさしく王の思う壺《つぼ》だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身|萎《な》えて、もはや芋虫《いもむし》ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐《ふてくさ》れた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を截《た》ち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は友を欺《あざむ》いた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉《かな》。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。
 ふと耳に、潺々《せんせん》、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々《こんこん》と、何か小さく囁《ささや》きながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬《すく》って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労|恢復《かいふく》と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。
 私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。
 路行く人を押しのけ、跳《は》ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴《け》とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。一団の旅人と颯《さ》っとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ。」ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。その男を死なせてはならない。急げ、メロス。おくれてはならぬ。愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。見える。はるか向うに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。
「ああ、メロス様。」うめくような声が、風と共に聞えた。
「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。
「フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方《かた》をお助けになることは出来ません。」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」
「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。
「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。」
「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。」
「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい。」
 言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。
「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉《のど》がつぶれて嗄《しわが》れた声が幽《かす》かに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。メロスはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、掻きわけ、
「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、齧《かじ》りついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。
「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若《も》し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」
 セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯《うなず》き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑《ほほえ》み、
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」
 メロスは腕に唸《うな》りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。
「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。
 群衆の中からも、歔欷《きょき》の声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶《かな》ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」
 どっと群衆の間に、歓声が起った。
「万歳、王様万歳。」
 ひとりの少女が、緋《ひ》のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
 勇者は、ひどく赤面した。
[#地から1字上げ](古伝説と、シルレルの詩から。)

底本:「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年10月25日初版発行
   1998(平成10)年6月15日第2刷
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月から1976(昭和51)年6月刊行
入力:金川一之
校正:高橋美奈子
2000年12月4日公開
2004年2月23日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/ )で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

学生街

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学生街

学生街(がくせいがい)とは、学校(主に大学)の周辺などに形成される学生の消費行動や生活と密接な街をいい、都市内の市街地の一地区である場合に用いる。

都市の中心部から市街地の連担がなく、孤立性が高いと「大学町」、都市の主産業が研究所や研究施設に関係する場合は「学術都市」、学術都市に商業機能が備わってくると「学園都市」などと呼ばれる。

目次 [非表示]
1 概要
2 日本の主な学生街
2.1 北海道
2.2 宮城
2.3 福島
2.4 茨城
2.5 群馬
2.6 千葉
2.7 埼玉
2.8 東京
2.9 神奈川
2.10 新潟
2.11 富山
2.12 石川
2.13 福井
2.14 愛知
2.15 滋賀
2.16 京都
2.17 大阪
2.18 兵庫
2.19 鳥取
2.20 岡山
2.21 広島
2.22 香川
2.23 福岡
2.24 熊本
2.25 鹿児島
3 世界の有名な学生街
3.1 イギリス
3.2 フランス
3.3 アメリカ
3.4 中国
3.5 韓国
4 学生街で特に多く見られる業態
5 学生街の調査より 学生街の実状と暫定的な学生街の条件
6 学生街の調査より 学生街の形成
7 今後の動向
8 関連項目
9 外部リンク


概要 [編集]
専門書店、古書店、飲食店、喫茶店、賃貸住宅、映画館、不動産屋など学生の勉学、衣・食・住、娯楽の提供に特化した店舗、施設が集中し、食事・遊びともに安価に供給されている。学生独自の文化がにじみ出ている味わいのある街が多く、卒業してからも住み着いたり、また通学に不便なのに雰囲気に惹かれて住む人もいる。この雰囲気などが歌としても歌われ『学生街の喫茶店』などのヒット曲も存在する。また、学生演劇の拠点又は延長として、小劇場の多くは学生街において展開され、日本におけるオフ・オフ・ブロードウェイ的な役割を担っているといえる。

大学は学生の教育の場であるだけでなく学術研究の場でもあるため、学会や研究会が頻繁に開催され外部から大学院生や研究者たちが訪れる。そのため、大学周辺の町には来訪する研究者向けの安価なビジネスホテルも集中する傾向がある。普段は学生で賑わう安価な飲食店は、同時に研究者同士の親睦の場としても使われる。研究に必要な機器などを受注する業者が学生街内やその近辺にあることも多い。

学生街が必ずしも大学所在地周辺に形成されるとは限らず、学生寮の周辺であったり、大学へ行く途中のターミナル駅(繁華街)であったり、アパートの賃料が安価な地域であったりということもありうる。ただし、全ての大学の周辺地域が学生街になるわけではない。授業が終わると学生たちがよその繁華街に出掛けてしまって大学周辺地域との関わりが少ないという場合、その大学周辺は学生街へと発展していかないケースに見舞われる。また、学生街のある大学においても学舎の移転が起こった場合、学生街までもが移転先へと付随していくわけではなく、新たな学生街の形成と成熟に非常に時間がかかり難しいものとなる(あるいは発展していかないというケースも)。そうなった場合、以前に比べ学生たちの生活や外来研究者たちの滞在に不都合が生じやすくなる(後述の#今後の動向”の項目も参照)。


日本の主な学生街 [編集]

北海道 [編集]
札幌駅北口・北12条駅・北18条駅周辺及び北大ななめ通り(札幌市北区)
北海道大学、藤女子大学、北海道武蔵女子短期大学。予備校が複数ある。
大麻・大麻駅周辺(江別市)
高校、大学、専門学校や学生アパートが周辺に複数あるため、比較的小規模であるが、学生街がある。

宮城 [編集]
本町・東四番丁通り・クリスロード(仙台市青葉区)
この近辺に多数存在する専門学校と予備校の学生街。東京の代々木のような街。
一番町南端・柳町通り(仙台市青葉区)
以前は東北大学片平キャンパスの学生街として栄えたが、教養部が片平から川内キャンパスに移ったため衰退している。
柏木一丁目(仙台市青葉区)
東北大学星陵キャンパス(医・歯学部)と雨宮キャンパス(農学部)の間に位置しており、両キャンパスの学生・医師向けアパート、マンション、下宿が多く立ち並ぶ。大学生協の関連施設も当地にある。駄菓子屋や達磨屋、製氷店などは戦前から営業しており、古くからの街並みを色濃く残している。

福島 [編集]
金谷川駅周辺
福島大学を中心に周囲に学生用アパートが立ち並んでおり、住民に占める学生の割合は大きい。しかし、周辺に商業施設や飲食店はほぼ皆無であるため、商業との結びつきはほとんどない。



茨城 [編集]
天久保
筑波大学。



群馬 [編集]
板倉東洋大前駅周辺
東洋大学。板倉ニュータウンの開発計画時から東洋大学の進出を念頭においていたため、学生向けのアパートや店舗が数多く存在しており、周辺の駅とは様相を異にしている。

千葉 [編集]
みどり台駅・西千葉駅周辺(千葉市稲毛区)
千葉大学。
大久保(習志野市)
東邦大学、日本大学生産工学部。

埼玉 [編集]
高坂駅周辺(東松山市)
大東文化大学、東京電機大学、山村学園短期大学。学生向け飲食店やアパートが多い。
松原団地(草加市)
獨協大学。
朝霞
東洋大学、学生向けの飲み屋や古書店などが多く進出している。
志木駅
立教大学、慶應義塾志木高等学校や立教新座高等学校もあり、カラオケ店などが多く存在している。
所沢駅
早稲田大学、日本大学、明治薬科大学、防衛医科大学校の学生が多く集まる。

東京 [編集]
神田駿河台地区
日本国内で最も大学が集中している地区である。大きくは以下のような3つの地域に分かれているが、明治時代に千代田区神田駿河台へ学問所が集積した名残から「神田駿河台学生街」と呼ぶことが多い。この地区には「日本のカルチェラタン」という別名もある。かつては中央大学も当地に所在した。一方で、大学の医学部や付属病院、および一般の市中病院が多く立地しており、医療地区でもある(このような山の手の医療集中地区を、英語ではPill Hillという)。学生向けからスタートした楽器店やスポーツ用品店も多い。
御茶ノ水地区
日本大学理工学部・歯学部・法科大学院、明治大学、東京医科歯科大学、順天堂大学、東京電機大学工学部等。
神田神保町地区
専修大学・共立女子大学。周囲は世界最大の古書店街である。
水道橋三崎町地区
日本大学法学部・経済学部や資格関連の各種専門学校。
高田馬場・早稲田
早稲田大学。
目白
学習院大学・日本女子大学。
下北沢
東京大学教養学部(駒場)、明治大学(和泉)。小劇場、ライブハウスの多いサブカルチャーの発信地である。
池袋
立教大学と東京音楽大学を中心に東武東上線沿線の東洋大学、最寄り駅が学生街となっていないお茶の水女子大学・大正大学・拓殖大学の学生が多く集まる。
本郷
東京大学。
渋谷
東京大学教養学部(駒場)、青山学院大学、國學院大學。
三田
慶應義塾大学。
大岡山
東京工業大学大岡山キャンパス。
白山
東洋大学が代表的だが日本医科大学や文京学院大学、私立中学・高校もここに多数所在している。
飯田橋・神楽坂・早稲田通り
東京理科大学、法政大学、日本歯科大学など。神楽坂には学生向け食堂や古書店などの他、高級料理店が多く立地している。
和泉(明大前)
明治大学。
成城
成城大学。当大学を中心とした街づくりをしており、高級住宅も多く存在する。
江古田
日本大学芸術学部、武蔵大学、武蔵野音楽大学。
小金井
東京農工大学工学部、法政大学工学部。
国分寺
東京学芸大学、東京経済大学。私立中学・高校も多く立地する。
国立
一橋大学・・・但し学生街というより当大学を街づくりの核とした高級住宅街の性格が強い。
八王子
中央大学、首都大学東京をはじめとして、八王子は数多くの大学を擁する国内最大規模の学園都市であり、市内中心部の八王子駅周辺や、各大学の所在地周辺に学生相手の書店や各種商店が集積した学生街が形成されている。

神奈川 [編集]
日吉
慶應義塾大学。
六角橋・白楽
神奈川大学。
向ヶ丘遊園・生田(川崎市多摩区)
専修大学、明治大学。
本厚木
東京農業大学厚木キャンパス、東京工芸大学厚木キャンパス、神奈川工科大学、松蔭大学。1982年に青山学院大学の厚木キャンパスが開設された事により、急激に学生街として発展したが、2003年の閉鎖以降は衰退している。
橋本
多摩美術大学。また、法政大学多摩キャンパスや首都大学東京南大沢キャンパスなど最寄駅が栄えていない大学の学生が近隣のこの駅に集まる。
淵野辺
青山学院大学、桜美林大学、麻布大学。青山学院大学の進出で一気に学生向け店舗が増えて学生街の仲間入りを果たした。

新潟 [編集]
新潟市西区五十嵐地区
新潟大学五十嵐キャンパス

富山 [編集]
富山市五福町
富山大学五福キャンパス

石川 [編集]
金沢市もりの里・若松・田上・鈴見・旭町エリア
金沢大学角間キャンパス
金沢市小立野・石引・宝町・旭町エリア
金沢大学宝町・鶴間キャンパス、金沢美術工芸大学
金沢市太陽が丘エリア
北陸大学
内灘町
金沢医科大学
野々市町
金沢工業大学、石川県立大学

福井 [編集]
福大前西福井駅周辺(福井市)
福井大学文京キャンパス

愛知 [編集]
本山駅(名古屋市千種区)
愛知学院大学歯学部・薬学部・短期大学部、愛知工業大学・大学院。
名古屋大学駅(名古屋市千種区)
名古屋大学。
いりなか駅・八事日赤駅(名古屋市昭和区)
南山大学。
八事(名古屋市昭和区、天白区、瑞穂区)
中京大学、名城大学薬学部。
塩釜口駅(名古屋市天白区)
名城大学。
以上の地区は近接しており、一体となって一大学生街を形成していると考えることもできる。

千種駅周辺(名古屋市千種区)
大手予備校河合塾本部があり、その関連施設や他の予備校、専門学校が集まる。名古屋駅太閤通口周辺も同様の学生街を形成。

滋賀 [編集]
瀬田(大津市)
龍谷大学瀬田キャンパス、滋賀医科大学。
南草津(草津市)
立命館大学びわこ・くさつキャンパス。



京都 [編集]
(京都市内全域に大学が点在している為、京都市自体が学生街と定義してよい)

吉田・百万遍(京都市左京区)
京都大学・京都女子大学・華頂短期大学。
一乗寺・修学院(京都市左京区)
京都工芸繊維大学・京都ノートルダム女子大学・京都造形芸術大学・京都産業大学・京都精華大学。
北大路バスターミナル周辺(京都市北区)
京都府立大学・大谷大学。
烏丸今出川・河原町今出川(京都市上京区)
同志社大学・同志社女子大学・平安女学院大学・立命館大学朱雀キャンパス・京都府立医科大学。
北野白梅町界隈(京都市北区)
立命館大学、佛教大学。
深草・藤森(京都市伏見区)
龍谷大学、京都教育大学・聖母女学院短期大学。

大阪 [編集]
JR阪和線杉本町駅(大阪市住吉区)
大阪市立大学
阪急関大前駅(吹田市)
関西大学千里山キャンパス。
近鉄大阪線長瀬駅・同奈良線河内小阪駅・八戸ノ里駅近辺(東大阪市)
近畿大学、大阪商業大学。
近鉄長野線喜志駅周辺(富田林市)
大阪芸術大学。大学の所在地は隣の南河内郡河南町。

兵庫 [編集]
伊川谷・学園都市界隈
神戸学院大学有瀬キャンパス、兵庫県立大学神戸学園都市キャンパス、神戸市外国語大学、流通科学大学
六甲・六甲道界隈
神戸大学、神戸松蔭女子学院大学
岡本・甲南山手・摂津本山界隈
甲南大学、甲南女子大学、神戸薬科大学
西宮北口・夙川・甲東園界隈
関西学院大学、神戸女学院大学、大手前大学

鳥取 [編集]
湖山エリア(鳥取市)
鳥取大学。

岡山 [編集]
岡山市北区津島エリア
岡山大学本校津島キャンパス、岡山商科大学、岡山理科大学、ノートルダム清心女子大学。
      北区鹿田エリア        岡山大学鹿田キャンパス(岡山大学医学部・歯学部)

倉敷市新倉敷エリア
倉敷芸術科学大学、くらしき作陽大学。
中庄(倉敷市)
川崎医科大学、川崎医療福祉大学、川崎医療短期大学。

広島 [編集]
広島市佐伯区五日市エリア
広島工業大学、鈴峯女子短期大学。
広島市南区霞・宇品エリア
広島大学霞キャンパス(医学部・付属病院)、県立広島大学(本部・広島キャンパス)。
広島市安佐南区沼田エリア
広島修道大学、広島市立大学、広島工業大学沼田キャンパス。
下見(東広島市)
広島大学本部。
松永駅(福山市)
福山大学。

香川 [編集]
三木町
香川大学。

福岡 [編集]
折尾(北九州市八幡西区の折尾駅周辺)
折尾駅から北へ、九州共立大学、産業医科大学にかけて、また西口から南へ折尾愛真学園にかけて学生街ができている
箱崎(福岡市東区)、六本松(福岡市中央区)
九州大学。
西新(福岡市早良区)
西南学院大学。
七隈(福岡市城南区)
福岡大学。

熊本 [編集]
上通(熊本市)
下通(熊本市)
サンロード新市街(熊本市)
大江(熊本市)
熊本学園大学。
子飼,黒髪(熊本市)
熊本大学、ルーテル学院大学。

鹿児島 [編集]
騎射場(鹿児島市)
鹿児島大学。

世界の有名な学生街 [編集]

イギリス [編集]
オックスフォード
オックスフォード大学。
イギリスのケンブリッジ
ケンブリッジ大学。

フランス [編集]
カルチエ・ラタン « Quartier latin »
パリ大学(ソルボンヌ)。Quartier latinとは「ラテン語がよく喋られる町の一角」という意味。直訳は「ラテン語区」。かつての西欧では学問はラテン語で行われるのが基本だった。

アメリカ [編集]
ケンブリッジ (マサチューセッツ州)
ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、ケンブリッジ・カレッジ、レスリー大学、ロンギー音楽大学。

中国 [編集]
中関村(海淀区)
北京大学、清華大学、北京師範大学、中央民族大学。

韓国 [編集]
新村
延世大学校、梨花女子大学校、西江大学校。
弘大アプ
弘益大学校。
大学路
かつてソウル大学校があった所で、現在も若者の街として有名。
なお、韓国ソウルの新村にある梨花女子大学校前(イデ・アプ)は学生街でありながら韓国の流行の最先端を行くファッション・タウンとなっている。


学生街で特に多く見られる業態 [編集]
学業関連
書店
古書店(神田神保町の古書店街はその典型)
コピー屋
住居、衣料
不動産屋
下宿屋
カジュアルファッションを主とした衣料品店
食事
定食屋、ファストフード、その他外食産業
居酒屋(コンパなどに使われる学生向けの店)
コンビニエンスストア
喫茶店
余暇
ビリヤード店
ゲームセンター
雀荘
パチンコ店

学生街の調査より 学生街の実状と暫定的な学生街の条件 [編集]
飲食店に大きなニーズがあり、日常生活用品店やその他にも意外に多様な商店も多く見られる。ついで娯楽施設が多い。 学生街の条件としては

学生の日常生活に必要な物が手に入る。
大変活気がある。
確実に学生が店を利用する。
店に学生のための様々な工夫が見られる。
学校が近くにある。

学生街の調査より 学生街の形成 [編集]
学生街は自然発生的ではなく、学校、学生、商店、企業、インフラといった条件をベースに学生独自の文化と街自体の経済力によって成る。よって学生街を創出するにはある程度、学校、地元、支援者、商店街といった中心者が意図的に学生街のベースとなるインフラを整備しなければならない。通学・帰宅には学生は最短ルートを通り、少し外れた所に興味のある店があっても足を延ばす率は格段に減る。また通学路が分散しないように留意しなければ学生街の形成はならない。


今後の動向 [編集]
1980年代から1990年代にかけ、手狭になった都心のキャンパスから広大な敷地が入手できる郊外へ大学が移転する動きがあったが、学生生活の不便さへの敬遠や、地方出身者の都会生活に対する憧れなどから優秀な学生を集めにくくなってしまうという弊害が生まれた。例えば中央大学は御茶ノ水から八王子へ移転したことによって優秀な学生が集まりにくくなり、それまでトップだった司法試験の合格者数が減ってしまったとも言われている。

このため、明治大学や法政大学といった一部の大学は、元の本拠地である都心部に高層校舎を建て、あくまでも都心部に留まる方針を打ち出した。

さらに、1959年から施行されていた工場等制限法が2002年に撤廃され、都心部でも大学の教室が新設できるようになった。大学全入時代に備え、より通いやすい(より多くの入学者を獲得できる)都心回帰の動きが加速し、縮小していた学生街が活発になる可能性が出てくると予想される。例えば、東洋大学は文京区の白山キャンパス隣接地にたまたままとまった土地の売却があったことから購入、それと前後して同校地の再開発を行い、2002年の法律廃止とともに取得した更地へ新校舎を建設した。そして、それまで朝霞キャンパス(埼玉県朝霞市)に通っていた文系学部の1・2年生も全て都心部へ統合し、広告でも4年間都心へ通えることをアピールしている。白山は東洋大学の朝霞進出とともに学生街としての役割を縮小させていたが、学生向けの店舗が新しくできるなど、再び学生街として活発になりつつある。


関連項目 [編集]
学術都市(学園都市)-筑波研究学園都市のような都市。

外部リンク [編集]
新たな「学生街」への展望半田章二
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%94%9F%E8%A1%97 " より作成
カテゴリ: 街 | 日本の学生生活


最終更新 2009年6月14日 (日)

[ 【富士】には【月見草】がよく似合う⇔太宰には、増版がよく似合う ]富嶽百景(全文)


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【ブログ=穴埋め・論述問題】


[ 【富士】には【月見草】がよく似合う⇔太宰には、増版がよく似合う ]
4 件中 1 - 4 件目 (0.32 秒) 2009-6-19 6:00 TBS


1
太宰治短編小説のベストを20選ぶとしたら?投稿 100 件以上 - 最新の投稿: 5月28日
8 :吾輩は名無しである:04/12/08 09:48:42: 富岳百系・・・富士には月見草が良く似合う。 ...... 俺もまあ嫌いではないけど、太宰にはあの手の小説はいっぱいあるのに、 なぜことさら畜犬談なのかがよく分からなーい。 ...
love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1102428781/ - キャッシュ - 類似ページ -


2
富嶽百景ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合うと、思い込んだ事情があったからである。御坂峠のその茶店は、言わば .... 太宰は本当に、御坂峠で、月見草ごしに富士を眺めて「よく似合う」と言ったのでしょうか?。 富士山と「月見草」 ...
luckypool.hp.infoseek.co.jp/yumeji/dazai.html - キャッシュ - 類似ページ -


富士には月見草がよく似合う・・・太宰治 ろこのつれづれに・・・毎日 ...金剛力草とでも言ひたいくらゐけなげにすつくと立ってゐたあの月見草はよかった 富士には、月見草がよく似合ふ と書いています .... ところで富士山にはやはりオオマツヨイグサが似合うんでしょうね。 ろこ 2006/06/07 00:12 ...
roko-sasaga1417.at.webry.info/200606/article_5.html - キャッシュ - 類似ページ -


国道137号富士には,月見草がよく似合う.』(太宰治,富嶽百景) 「富士には,月見草がよく似合う」.『富嶽百景』だけでなく,これまでに数多く述べられる富士の中でも,ここまで端的に富士を表現し,人々の心に残る言葉はない. 昭和13年11月16日,御坂峠から ...
japan.road.jp/History/Yamanashi-R137.htm - キャッシュ - 類似ページ -
この検索から除外したページがあります。 折りたたむ
読み込み中...






【参考:讀賣新聞 朝刊 2009-6-19 39面】

太宰には、増版がよく似合う

きょう生誕100年・桜桃■

19日は作家・太宰治(1
909~48)の生誕100
年。文庫は例年を大きく上
回るペースで増版が続いて
いる。カバーを一新し、「明
るい太宰像」を打ち出す動
きも目立ってきた。
【新潮文庫】
【初期短編集「地図」】
【ちくま】
【文春】
【岩波】
【集英社文庫】
【「走れメロス」】
【角川文庫】
【富士には月見草】
【長部日出雄】
【玉川上水】
【東京・三鷹市】の禅林寺では、【61回目の「桜桃■」】が行われる。






【太宰治】 約 95万6000 件



太宰治 - Wikipediaこの頃から太宰は、本名の津島修治に変わって太宰治を名乗るようになる。大学は留年を繰り返した挙句に授業料未納で除籍処分を受ける。卒業に際して口頭試問を受けたとき、教官の一人から、教員の名前が言えたら卒業させてやる、と冗談を言われたが、講義 ...
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作家別作品リスト:太宰 治作家名:, 太宰 治. 作家名読み:, だざい おさむ. ローマ字表記:, Dazai, Osamu. 生年:, 1909-06-19. 没年:, 1948-06-13. 人物について:, 津軽の大地主の六男として生まれる。共産主義運動から脱落して遺書のつもりで書いた第一創作集のタイトル ...
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太宰治資料館中央大学渡部芳紀研究室。作家に関する論文やエッセイのほか、作品の電子テキストを掲載。
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富嶽百景
太宰治


 富士の頂角、広重《ひろしげ》の富士は八十五度、文晁《ぶんてう》の富士も八十四度くらゐ、けれども、陸軍の実測図によつて東西及南北に断面図を作つてみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢《きやしや》である。北斎にいたつては、その頂角、ほとんど三十度くらゐ、エッフェル鉄塔のやうな富士をさへ描いてゐる。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。たとへば私が、印度《インド》かどこかの国から、突然、鷲《わし》にさらはれ、すとんと日本の沼津あたりの海岸に落されて、ふと、この山を見つけても、そんなに驚嘆しないだらう。ニツポンのフジヤマを、あらかじめ憧《あこが》れてゐるからこそ、ワンダフルなのであつて、さうでなくて、そのやうな俗な宣伝を、一さい知らず、素朴な、純粋の、うつろな心に、果して、どれだけ訴へ得るか、そのことになると、多少、心細い山である。低い。裾のひろがつてゐる割に、低い。あれくらゐの裾を持つてゐる山ならば、少くとも、もう一・五倍、高くなければいけない。
 十国峠から見た富士だけは、高かつた。あれは、よかつた。はじめ、雲のために、いただきが見えず、私は、その裾の勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであらうと、雲の一点にしるしをつけて、そのうちに、雲が切れて、見ると、ちがつた。私が、あらかじめ印《しるし》をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂きが、すつと見えた。おどろいた、といふよりも私は、へんにくすぐつたく、げらげら笑つた。やつてゐやがる、と思つた。人は、完全のたのもしさに接すると、まづ、だらしなくげらげら笑ふものらしい。全身のネヂが、他愛なくゆるんで、之はをかしな言ひかたであるが、帯紐《おびひも》といて笑ふといつたやうな感じである。諸君が、もし恋人と逢つて、逢つたとたんに、恋人がげらげら笑ひ出したら、慶祝である。必ず、恋人の非礼をとがめてはならぬ。恋人は、君に逢つて、君の完全のたのもしさを、全身に浴びてゐるのだ。
 東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はつきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。しかも左のはうに、肩が傾いて心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。一睡もせず、酒のんだ。あかつき、小用に立つて、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真白で、左のはうにちよつと傾いて、あの富士を忘れない。窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾駆《しつく》し、おう、けさは、やけに富士がはつきり見えるぢやねえか、めつぽふ寒いや、など呟《つぶや》きのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫でながら、じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない。
 昭和十三年の初秋、思ひをあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た。
 甲州。ここの山々の特徴は、山々の起伏の線の、へんに虚《むな》しい、なだらかさに在る。小島烏水といふ人の日本山水論にも、「山の拗《す》ね者は多く、此土に仙遊するが如し。」と在つた。甲州の山々は、あるひは山の、げてものなのかも知れない。私は、甲府市からバスにゆられて一時間。御坂峠《みさかたうげ》へたどりつく。
 御坂峠、海抜千三百|米《メエトル》。この峠の頂上に、天下茶屋といふ、小さい茶店があつて、井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる。私は、それを知つてここへ来た。井伏氏のお仕事の邪魔にならないやうなら、隣室でも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しようと思つてゐた。
 井伏氏は、仕事をして居られた。私は、井伏氏のゆるしを得て、当分その茶屋に落ちつくことになつて、それから、毎日、いやでも富士と真正面から、向き合つてゐなければならなくなつた。この峠は、甲府から東海道に出る鎌倉往還の衝《しよう》に当つてゐて、北面富士の代表観望台であると言はれ、ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞへられてゐるのださうであるが、私は、あまり好かなかつた。好かないばかりか、軽蔑《けいべつ》さへした。あまりに、おあつらひむきの富士である。まんなかに富士があつて、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲《うづくま》つて湖を抱きかかへるやうにしてゐる。私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた。
 私が、その峠の茶屋へ来て二、三日経つて、井伏氏の仕事も一段落ついて、或る晴れた午後、私たちは三ツ峠へのぼつた。三ツ峠、海抜千七百米。御坂峠より、少し高い。急坂を這《は》ふやうにしてよぢ登り、一時間ほどにして三ツ峠頂上に達する。蔦《つた》かづら掻きわけて、細い山路、這ふやうにしてよぢ登る私の姿は、決して見よいものではなかつた。井伏氏は、ちやんと登山服着て居られて、軽快の姿であつたが、私には登山服の持ち合せがなく、ドテラ姿であつた。茶屋のドテラは短く、私の毛臑《けづね》は、一尺以上も露出して、しかもそれに茶屋の老爺から借りたゴム底の地下足袋をはいたので、われながらむさ苦しく、少し工夫して、角帯をしめ、茶屋の壁にかかつてゐた古い麦藁帽《むぎわらばう》をかぶつてみたのであるが、いよいよ変で、井伏氏は、人のなりふりを決して軽蔑しない人であるが、このときだけは流石《さすが》に少し、気の毒さうな顔をして、男は、しかし、身なりなんか気にしないはうがいい、と小声で呟いて私をいたはつてくれたのを、私は忘れない。とかくして頂上についたのであるが、急に濃い霧が吹き流れて来て、頂上のパノラマ台といふ、断崖《だんがい》の縁《へり》に立つてみても、いつかうに眺望がきかない。何も見えない。井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた。いかにも、つまらなさうであつた。パノラマ台には、茶店が三軒ならんで立つてゐる。そのうちの一軒、老爺と老婆と二人きりで経営してゐるじみな一軒を選んで、そこで熱い茶を呑んだ。茶店の老婆は気の毒がり、ほんたうに生憎《あいにく》の霧で、もう少し経つたら霧もはれると思ひますが、富士は、ほんのすぐそこに、くつきり見えます、と言ひ、茶店の奥から富士の大きい写真を持ち出し、崖の端に立つてその写真を両手で高く掲示して、ちやうどこの辺に、このとほりに、こんなに大きく、こんなにはつきり、このとほりに見えます、と懸命に註釈するのである。私たちは、番茶をすすりながら、その富士を眺めて、笑つた。いい富士を見た。霧の深いのを、残念にも思はなかつた。
 その翌々日であつたらうか、井伏氏は、御坂峠を引きあげることになつて、私も甲府までおともした。甲府で私は、或る娘さんと見合ひすることになつてゐた。井伏氏に連れられて甲府のまちはづれの、その娘さんのお家へお伺ひした。井伏氏は、無雑作な登山服姿である。私は、角帯に、夏羽織を着てゐた。娘さんの家のお庭には、薔薇がたくさん植ゑられてゐた。母堂に迎へられて客間に通され、挨拶して、そのうちに娘さんも出て来て、私は、娘さんの顔を見なかつた。井伏氏と母堂とは、おとな同士の、よもやまの話をして、ふと、井伏氏が、
「おや、富士。」と呟いて、私の背後の長押《なげし》を見あげた。私も、からだを捻《ね》ぢ曲げて、うしろの長押を見上げた。富士山頂大噴火口の鳥瞰《てうかん》写真が、額縁にいれられて、かけられてゐた。まつしろい睡蓮《すゐれん》の花に似てゐた。私は、それを見とどけ、また、ゆつくりからだを捻ぢ戻すとき、娘さんを、ちらと見た。きめた。多少の困難があつても、このひとと結婚したいものだと思つた。あの富士は、ありがたかつた。
 井伏氏は、その日に帰京なされ、私は、ふたたび御坂にひきかへした。それから、九月、十月、十一月の十五日まで、御坂の茶屋の二階で、少しづつ、少しづつ、仕事をすすめ、あまり好かないこの「富士三景の一つ」と、へたばるほど対談した。
 いちど、大笑ひしたことがあつた。大学の講師か何かやつてゐる浪漫派の一友人が、ハイキングの途中、私の宿に立ち寄つて、そのときに、ふたり二階の廊下に出て、富士を見ながら、
「どうも俗だねえ。お富士さん、といふ感じぢやないか。」
「見てゐるはうで、かへつて、てれるね。」
 などと生意気なこと言つて、煙草をふかし、そのうちに、友人は、ふと、
「おや、あの僧形《そうぎやう》のものは、なんだね?」と顎でしやくつた。
 墨染の破れたころもを身にまとひ、長い杖を引きずり、富士を振り仰ぎ振り仰ぎ、峠をのぼつて来る五十歳くらゐの小男がある。
「富士見西行、といつたところだね。かたちが、できてる。」私は、その僧をなつかしく思つた。「いづれ、名のある聖僧かも知れないね。」
「ばか言ふなよ、乞食《こじき》だよ。」友人は、冷淡だつた。
「いや、いや。脱俗してゐるところがあるよ。歩きかたなんか、なかなか、できてるぢやないか。むかし、能因法師が、この峠で富士をほめた歌を作つたさうだが、――」
 私が言つてゐるうちに友人は、笑ひ出した。
「おい、見給へ。できてないよ。」
 能因法師は、茶店のハチといふ飼犬に吠えられて、周章狼狽《しうしやうらうばい》であつた。その有様は、いやになるほど、みつともなかつた。
「だめだねえ。やつぱり。」私は、がつかりした。
 乞食の狼狽は、むしろ、あさましいほどに右往左往、つひには杖をかなぐり捨て、取り乱し、取り乱し、いまはかなはずと退散した。実に、それは、できてなかつた。富士も俗なら、法師も俗だ、といふことになつて、いま思ひ出しても、ばかばかしい。
 新田といふ二十五歳の温厚な青年が、峠を降りきつた岳麓の吉田といふ細長い町の、郵便局につとめてゐて、そのひとが、郵便物に依つて、私がここに来てゐることを知つた、と言つて、峠の茶屋をたづねて来た。二階の私の部屋で、しばらく話をして、やうやく馴れて来たころ、新田は笑ひながら、実は、もう二、三人、僕の仲間がありまして、皆で一緒にお邪魔にあがるつもりだつたのですが、いざとなると、どうも皆、しりごみしまして、太宰さんは、ひどいデカダンで、それに、性格破産者だ、と佐藤春夫先生の小説に書いてございましたし、まさか、こんなまじめな、ちやんとしたお方だとは、思ひませんでしたから、僕も、無理に皆を連れて来るわけには、いきませんでした。こんどは、皆を連れて来ます。かまひませんでせうか。
「それは、かまひませんけれど。」私は、苦笑してゐた。「それでは、君は、必死の勇をふるつて、君の仲間を代表して僕を偵察に来たわけですね。」
「決死隊でした。」新田は、率直だつた。「ゆうべも、佐藤先生のあの小説を、もういちど繰りかへして読んで、いろいろ覚悟をきめて来ました。」
 私は、部屋の硝子戸越しに、富士を見てゐた。富士は、のつそり黙つて立つてゐた。偉いなあ、と思つた。
「いいねえ。富士は、やつぱり、いいとこあるねえ。よくやつてるなあ。」富士には、かなはないと思つた。念々と動く自分の愛憎が恥づかしく、富士は、やつぱり偉い、と思つた。よくやつてる、と思つた。
「よくやつてゐますか。」新田には、私の言葉がをかしかつたらしく、聡明に笑つてゐた。
 新田は、それから、いろいろな青年を連れて来た。皆、静かなひとである。皆は、私を、先生、と呼んだ。私はまじめにそれを受けた。私には、誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて、心もまづしい。けれども、苦悩だけは、その青年たちに、先生、と言はれて、だまつてそれを受けていいくらゐの、苦悩は、経て来た。たつたそれだけ。藁《わら》一すぢの自負である。けれども、私は、この自負だけは、はつきり持つてゐたいと思つてゐる。わがままな駄々つ子のやうに言はれて来た私の、裏の苦悩を、一たい幾人知つてゐたらう。新田と、それから田辺といふ短歌の上手な青年と、二人は、井伏氏の読者であつて、その安心もあつて、私は、この二人と一ばん仲良くなつた。いちど吉田に連れていつてもらつた。おそろしく細長い町であつた。岳麓の感じがあつた。富士に、日も、風もさへぎられて、ひよろひよろに伸びた茎のやうで、暗く、うすら寒い感じの町であつた。道路に沿つて清水が流れてゐる。これは、岳麓の町の特徴らしく、三島でも、こんな工合ひに、町ぢゆうを清水が、どんどん流れてゐる。富士の雪が溶けて流れて来るのだ、とその地方の人たちが、まじめに信じてゐる。吉田の水は、三島の水に較べると、水量も不足だし、汚い。水を眺めながら、私は、話した。
「モウパスサンの小説に、どこかの令嬢が、貴公子のところへ毎晩、河を泳いで逢ひにいつたと書いて在つたが、着物は、どうしたのだらうね。まさか、裸ではなからう。」
「さうですね。」青年たちも、考へた。「海水着ぢやないでせうか。」
「頭の上に着物を載せて、むすびつけて、さうして泳いでいつたのかな?」
 青年たちは、笑つた。
「それとも、着物のままはひつて、ずぶ濡れの姿で貴公子と逢つて、ふたりでストオヴでかわかしたのかな? さうすると、かへるときには、どうするだらう。せつかく、かわかした着物を、またずぶ濡れにして、泳がなければいけない。心配だね。貴公子のはうで泳いで来ればいいのに。男なら、猿股一つで泳いでも、そんなにみつともなくないからね。貴公子、鉄鎚《かなづち》だつたのかな?」
「いや、令嬢のはうで、たくさん惚れてゐたからだと思ひます。」新田は、まじめだつた。
「さうかも知れないね。外国の物語の令嬢は、勇敢で、可愛いね。好きだとなつたら、河を泳いでまで逢ひに行くんだからな。日本では、さうはいかない。なんとかいふ芝居があるぢやないか。まんなかに川が流れて、両方の岸で男と姫君とが、愁嘆《しうたん》してゐる芝居が。あんなとき、何も姫君、愁嘆する必要がない。泳いでゆけば、どんなものだらう。芝居で見ると、とても狭い川なんだ。ぢやぶぢやぶ渡つていつたら、どんなもんだらう。あんな愁嘆なんて、意味ないね。同情しないよ。朝顔の大井川は、あれは大水で、それに朝顔は、めくらの身なんだし、あれには多少、同情するが、けれども、あれだつて、泳いで泳げないことはない。大井川の棒杭《ぼうぐひ》にしがみついて、天道《てんだう》さまを、うらんでゐたんぢや、意味ないよ。あ、ひとり在るよ。日本にも、勇敢なやつが、ひとり在つたぞ。あいつは、すごい。知つてるかい?」
「ありますか。」青年たちも、眼を輝かせた。
「清姫。安珍を追ひかけて、日高川を泳いだ。泳ぎまくつた。あいつは、すごい。ものの本によると、清姫は、あのとき十四だつたんだつてね。」
 路を歩きながら、ばかな話をして、まちはづれの田辺の知合ひらしい、ひつそり古い宿屋に着いた。
 そこで飲んで、その夜の富士がよかつた。夜の十時ごろ、青年たちは、私ひとりを宿に残して、おのおの家へ帰つていつた。私は、眠れず、どてら姿で、外へ出てみた。おそろしく、明るい月夜だつた。富士が、よかつた。月光を受けて、青く透きとほるやうで、私は、狐に化かされてゐるやうな気がした。富士が、したたるやうに青いのだ。燐が燃えてゐるやうな感じだつた。鬼火。狐火。ほたる。すすき。葛《くず》の葉。私は、足のないやうな気持で、夜道を、まつすぐに歩いた。下駄の音だけが、自分のものでないやうに、他の生きもののやうに、からんころんからんころん、とても澄んで響く。そつと、振りむくと、富士がある。青く燃えて空に浮んでゐる。私は溜息をつく。維新の志士。鞍馬天狗《くらまてんぐ》。私は、自分を、それだと思つた。ちよつと気取つて、ふところ手して歩いた。ずゐぶん自分が、いい男のやうに思はれた。ずゐぶん歩いた。財布を落した。五十銭銀貨が二十枚くらゐはひつてゐたので、重すぎて、それで懐からするつと脱け落ちたのだらう。私は、不思議に平気だつた。金がなかつたら、御坂まで歩いてかへればいい。そのまま歩いた。ふと、いま来た路を、そのとほりに、もういちど歩けば、財布は在る、といふことに気がついた。懐手のまま、ぶらぶら引きかへした。富士。月夜。維新の志士。財布を落した。興あるロマンスだと思つた。財布は路のまんなかに光つてゐた。在るにきまつてゐる。私は、それを拾つて、宿へ帰つて、寝た。
 富士に、化かされたのである。私は、あの夜、阿呆《あはう》であつた。完全に、無意志であつた。あの夜のことを、いま思ひ出しても、へんに、だるい。
 吉田に一泊して、あくる日、御坂へ帰つて来たら、茶店のおかみさんは、にやにや笑つて、十五の娘さんは、つんとしてゐた。私は、不潔なことをして来たのではないといふことを、それとなく知らせたく、きのふ一日の行動を、聞かれもしないのに、ひとりでこまかに言ひたてた。泊つた宿屋の名前、吉田のお酒の味、月夜富士、財布を落したこと、みんな言つた。娘さんも、機嫌が直つた。
「お客さん! 起きて見よ!」かん高い声で或る朝、茶店の外で、娘さんが絶叫したので、私は、しぶしぶ起きて、廊下へ出て見た。
 娘さんは、興奮して頬をまつかにしてゐた。だまつて空を指さした。見ると、雪。はつと思つた。富士に雪が降つたのだ。山頂が、まつしろに、光りかがやいてゐた。御坂の富士も、ばかにできないぞと思つた。
「いいね。」
 とほめてやると、娘さんは得意さうに、
「すばらしいでせう?」といい言葉使つて、「御坂の富士は、これでも、だめ?」としやがんで言つた。私が、かねがね、こんな富士は俗でだめだ、と教へてゐたので、娘さんは、内心しよげてゐたのかも知れない。
「やはり、富士は、雪が降らなければ、だめなものだ。」もつともらしい顔をして、私は、さう教へなほした。
 私は、どてら着て山を歩きまはつて、月見草の種を両の手のひらに一ぱいとつて来て、それを茶店の背戸に播《ま》いてやつて、
「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。」娘さんは、うなづいた。
 ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合ふと、思ひ込んだ事情があつたからである。御坂峠のその茶店は、謂《い》はば山中の一軒家であるから、郵便物は、配達されない。峠の頂上から、バスで三十分程ゆられて峠の麓、河口湖畔の、河口村といふ文字通りの寒村にたどり着くのであるが、その河口村の郵便局に、私宛の郵便物が留め置かれて、私は三日に一度くらゐの割で、その郵便物を受け取りに出かけなければならない。天気の良い日を選んで行く。ここのバスの女車掌は、遊覧客のために、格別風景の説明をして呉れない。それでもときどき、思ひ出したやうに、甚だ散文的な口調で、あれが三ツ峠、向ふが河口湖、わかさぎといふ魚がゐます、など、物憂さうな、呟きに似た説明をして聞かせることもある。
 河口局から郵便物を受け取り、またバスにゆられて峠の茶屋に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の被布《ひふ》を着た青白い端正の顔の、六十歳くらゐ、私の母とよく似た老婆がしやんと坐つてゐて、女車掌が、思ひ出したやうに、みなさん、けふは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分ひとりの咏嘆《えいたん》ともつかぬ言葉を、突然言ひ出して、リュックサックしよつた若いサラリイマンや、大きい日本髪ゆつて、口もとを大事にハンケチでおほひかくし、絹物まとつた芸者風の女など、からだをねぢ曲げ、一せいに車窓から首を出して、いまさらのごとく、その変哲もない三角の山を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた嘆声を発して、車内はひとしきり、ざわめいた。けれども、私のとなりの御隠居は、胸に深い憂悶《いうもん》でもあるのか、他の遊覧客とちがつて、富士には一瞥《いちべつ》も与へず、かへつて富士と反対側の、山路に沿つた断崖をじつと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやつた。
 老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
 さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。
 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙《あひたいぢ》し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。
 十月のなかば過ぎても、私の仕事は遅々として進まぬ。人が恋しい。夕焼け赤き雁《がん》の腹雲《はらぐも》、二階の廊下で、ひとり煙草を吸ひながら、わざと富士には目もくれず、それこそ血の滴《したた》るやうな真赤な山の紅葉を、凝視してゐた。茶店のまへの落葉を掃きあつめてゐる茶店のおかみさんに、声をかけた。
「をばさん! あしたは、天気がいいね。」
 自分でも、びつくりするほど、うはずつて、歓声にも似た声であつた。をばさんは箒《はうき》の手をやすめ、顔をあげて、不審げに眉をひそめ、
「あした、何かおありなさるの?」
 さう聞かれて、私は窮した。
「なにもない。」
 おかみさんは笑ひ出した。
「おさびしいのでせう。山へでもおのぼりになつたら?」
「山は、のぼつても、すぐまた降りなければいけないのだから、つまらない。どの山へのぼつても、おなじ富士山が見えるだけで、それを思ふと、気が重くなります。」
 私の言葉が変だつたのだらう。をばさんはただ曖昧《あいまい》にうなづいただけで、また枯葉を掃いた。
 ねるまへに、部屋のカーテンをそつとあけて硝子窓越しに富士を見る。月の在る夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立つてゐる。私は溜息をつく。ああ、富士が見える。星が大きい。あしたは、お天気だな、とそれだけが、幽《かす》かに生きてゐる喜びで、さうしてまた、そつとカーテンをしめて、そのまま寝るのであるが、あした、天気だからとて、別段この身には、なんといふこともないのに、と思へば、をかしく、ひとりで蒲団の中で苦笑するのだ。くるしいのである。仕事が、――純粋に運筆することの、その苦しさよりも、いや、運筆はかへつて私の楽しみでさへあるのだが、そのことではなく、私の世界観、芸術といふもの、あすの文学といふもの、謂《い》はば、新しさといふもの、私はそれらに就いて、未《ま》だ愚図愚図、思ひ悩み、誇張ではなしに、身悶えしてゐた。
 素朴な、自然のもの、従つて簡潔な鮮明なもの、そいつをさつと一挙動で掴まへて、そのままに紙にうつしとること、それより他には無いと思ひ、さう思ふときには、眼前の富士の姿も、別な意味をもつて目にうつる。この姿は、この表現は、結局、私の考へてゐる「単一表現」の美しさなのかも知れない、と少し富士に妥協しかけて、けれどもやはりどこかこの富士の、あまりにも棒状の素朴には閉口して居るところもあり、これがいいなら、ほていさまの置物だつていい筈だ、ほていさまの置物は、どうにも我慢できない、あんなもの、とても、いい表現とは思へない、この富士の姿も、やはりどこか間違つてゐる、これは違ふ、と再び思ひまどふのである。
 朝に、夕に、富士を見ながら、陰欝な日を送つてゐた。十月の末に、麓の吉田のまちの、遊女の一団体が、御坂峠へ、おそらくは年に一度くらゐの開放の日なのであらう、自動車五台に分乗してやつて来た。私は二階から、その様を見てゐた。自動車からおろされて、色さまざまの遊女たちは、バスケットからぶちまけられた一群の伝書鳩のやうに、はじめは歩く方向を知らず、ただかたまつてうろうろして、沈黙のまま押し合ひ、へし合ひしてゐたが、やがてそろそろ、その異様の緊張がほどけて、てんでにぶらぶら歩きはじめた。茶店の店頭に並べられて在る絵葉書を、おとなしく選んでゐるもの、佇《たたず》んで富士を眺めてゐるもの、暗く、わびしく、見ちや居れない風景であつた。二階のひとりの男の、いのち惜しまぬ共感も、これら遊女の幸福に関しては、なんの加へるところがない。私は、ただ、見てゐなければならぬのだ。苦しむものは苦しめ。落ちるものは落ちよ。私に関係したことではない。それが世の中だ。さう無理につめたく装ひ、かれらを見下ろしてゐるのだが、私は、かなり苦しかつた。
 富士にたのまう。突然それを思ひついた。おい、こいつらを、よろしく頼むぜ、そんな気持で振り仰げば、寒空のなか、のつそり突つ立つてゐる富士山、そのときの富士はまるで、どてら姿に、ふところ手して傲然《がうぜん》とかまへてゐる大親分のやうにさへ見えたのであるが、私は、さう富士に頼んで、大いに安心し、気軽くなつて茶店の六歳の男の子と、ハチといふむく犬を連れ、その遊女の一団を見捨てて、峠のちかくのトンネルの方へ遊びに出掛けた。トンネルの入口のところで、三十歳くらゐの痩せた遊女が、ひとり、何かしらつまらぬ草花を、だまつて摘み集めてゐた。私たちが傍を通つても、ふりむきもせず熱心に草花をつんでゐる。この女のひとのことも、ついでに頼みます、とまた振り仰いで富士にお願ひして置いて、私は子供の手をひき、とつとと、トンネルの中にはひつて行つた。トンネルの冷い地下水を、頬に、首筋に、滴々と受けながら、おれの知つたことぢやない、とわざと大股に歩いてみた。
 そのころ、私の結婚の話も、一頓挫《いちとんざ》のかたちであつた。私のふるさとからは、全然、助力が来ないといふことが、はつきり判つてきたので、私は困つて了つた。せめて百円くらゐは、助力してもらへるだらうと、虫のいい、ひとりぎめをして、それでもつて、ささやかでも、厳粛な結婚式を挙げ、あとの、世帯を持つに当つての費用は、私の仕事でかせいで、しようと思つてゐた。けれども、二、三の手紙の往復に依り、うちから助力は、全く無いといふことが明らかになつて、私は、途方にくれてゐたのである。このうへは、縁談ことわられても仕方が無い、と覚悟をきめ、とにかく先方へ、事の次第を洗ひざらひ言つて見よう、と私は単身、峠を下り、甲府の娘さんのお家へお伺ひした。さいはひ娘さんも、家にゐた。私は客間に通され、娘さんと母堂と二人を前にして、悉皆《しつかい》の事情を告白した。ときどき演説口調になつて、閉口した。けれども、割に素直に語りつくしたやうに思はれた。娘さんは、落ちついて、
「それで、おうちでは、反対なのでございませうか。」と、首をかしげて私にたづねた。
「いいえ、反対といふのではなく、」私は右の手のひらを、そつと卓の上に押し当て、「おまへひとりで、やれ、といふ工合ひらしく思はれます。」
「結構でございます。」母堂は、品よく笑ひながら、「私たちも、ごらんのとほりお金持ではございませぬし、ことごとしい式などは、かへつて当惑するやうなもので、ただ、あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さへ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます。」
 私は、お辞儀するのも忘れて、しばらく呆然と庭を眺めてゐた。眼の熱いのを意識した。この母に、孝行しようと思つた。
 かへりに、娘さんは、バスの発着所まで送つて来て呉れた。歩きながら、
「どうです。もう少し交際してみますか?」
 きざなことを言つたものである。
「いいえ。もう、たくさん。」娘さんは、笑つてゐた。
「なにか、質問ありませんか?」いよいよ、ばかである。
「ございます。」
 私は何を聞かれても、ありのまま答へようと思つてゐた。
「富士山には、もう雪が降つたでせうか。」
 私は、その質問に拍子抜けがした。
「降りました。いただきのはうに、――」と言ひかけて、ふと前方を見ると、富士が見える。へんな気がした。
「なあんだ。甲府からでも、富士が見えるぢやないか。ばかにしてゐやがる。」やくざな口調になつてしまつて、「いまのは、愚問です。ばかにしてゐやがる。」
 娘さんは、うつむいて、くすくす笑つて、
「だつて、御坂峠にいらつしやるのですし、富士のことでもお聞きしなければ、わるいと思つて。」
 をかしな娘さんだと思つた。
 甲府から帰つて来ると、やはり、呼吸ができないくらゐにひどく肩が凝《こ》つてゐるのを覚えた。
「いいねえ、をばさん。やつぱし御坂は、いいよ。自分のうちに帰つて来たやうな気さへするのだ。」
 夕食後、おかみさんと、娘さんと、交る交る、私の肩をたたいてくれる。おかみさんの拳《こぶし》は固く、鋭い。娘さんのこぶしは柔かく、あまり効きめがない。もつと強く、もつと強くと私に言はれて、娘さんは薪《まき》を持ち出し、それでもつて私の肩をとんとん叩いた。それ程にしてもらはなければ、肩の凝りがとれないほど、私は甲府で緊張し、一心に努めたのである。
 甲府へ行つて来て、二、三日、流石《さすが》に私はぼんやりして、仕事する気も起らず、机のまへに坐つて、とりとめのない楽書をしながら、バットを七箱も八箱も吸ひ、また寝ころんで、金剛石も磨かずば、といふ唱歌を、繰り返し繰り返し歌つてみたりしてゐるばかりで、小説は、一枚も書きすすめることができなかつた。
「お客さん。甲府へ行つたら、わるくなつたわね。」
 朝、私が机に頬杖つき、目をつぶつて、さまざまのことを考へてゐたら、私の背後で、床の間ふきながら、十五の娘さんは、しんからいまいましさうに、多少、とげとげしい口調で、さう言つた。私は、振りむきもせず、
「さうかね。わるくなつたかね。」
 娘さんは、拭き掃除の手を休めず、
「ああ、わるくなつた。この二、三日、ちつとも勉強すすまないぢやないの。あたしは毎朝、お客さんの書き散らした原稿用紙、番号順にそろへるのが、とつても、たのしい。たくさんお書きになつて居れば、うれしい。ゆうべもあたし、二階へそつと様子を見に来たの、知つてる? お客さん、ふとん頭からかぶつて、寝てたぢやないか。」
 私は、ありがたい事だと思つた。大袈裟な言ひかたをすれば、これは人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援である。なんの報酬も考へてゐない。私は、娘さんを、美しいと思つた。
 十月末になると、山の紅葉も黒ずんで、汚くなり、とたんに一夜あらしがあつて、みるみる山は、真黒い冬木立に化してしまつた。遊覧の客も、いまはほとんど、数へるほどしかない。茶店もさびれて、ときたま、おかみさんが、六つになる男の子を連れて、峠のふもとの船津、吉田に買物をしに出かけて行つて、あとには娘さんひとり、遊覧の客もなし、一日中、私と娘さんと、ふたり切り、峠の上で、ひつそり暮すことがある。私が二階で退屈して、外をぶらぶら歩きまはり、茶店の背戸で、お洗濯してゐる娘さんの傍へ近寄り、
「退屈だね。」
 と大声で言つて、ふと笑ひかけたら、娘さんはうつむき、私はその顔を覗《のぞ》いてみて、はつと思つた。泣きべそかいてゐるのだ。あきらかに恐怖の情である。さうか、と苦が苦がしく私は、くるりと廻れ右して、落葉しきつめた細い山路を、まつたくいやな気持で、どんどん荒く歩きまはつた。
 それからは、気をつけた。娘さんひとりきりのときには、なるべく二階の室から出ないやうにつとめた。茶店にお客でも来たときには、私がその娘さんを守る意味もあり、のしのし二階から降りていつて、茶店の一隅に腰をおろしゆつくりお茶を飲むのである。いつか花嫁姿のお客が、紋附を着た爺さんふたりに附き添はれて、自動車に乗つてやつて来て、この峠の茶屋でひと休みしたことがある。そのときも、娘さんひとりしか茶店にゐなかつた。私は、やはり二階から降りていつて、隅の椅子に腰をおろし、煙草をふかした。花嫁は裾模様の長い着物を着て、金襴《きんらん》の帯を背負ひ、角隠しつけて、堂々正式の礼装であつた。全く異様のお客様だつたので、娘さんもどうあしらひしていいのかわからず、花嫁さんと、二人の老人にお茶をついでやつただけで、私の背後にひつそり隠れるやうに立つたまま、だまつて花嫁のさまを見てゐた。一生にいちどの晴の日に、――峠の向ふ側から、反対側の船津か、吉田のまちへ嫁入りするのであらうが、その途中、この峠の頂上で一休みして、富士を眺めるといふことは、はたで見てゐても、くすぐつたい程、ロマンチックで、そのうちに花嫁は、そつと茶店から出て、茶店のまへの崖のふちに立ち、ゆつくり富士を眺めた。脚をX形に組んで立つてゐて、大胆なポオズであつた。余裕のあるひとだな、となほも花嫁を、富士と花嫁を、私は観賞してゐたのであるが、間もなく花嫁は、富士に向つて、大きな欠伸《あくび》をした。
「あら!」
 と背後で、小さい叫びを挙げた。娘さんも、素早くその欠伸を見つけたらしいのである。やがて花嫁の一行は、待たせて置いた自動車に乗り、峠を降りていつたが、あとで花嫁さんは、さんざんだつた。
「馴れてゐやがる。あいつは、きつと二度目、いや、三度目くらゐだよ。おむこさんが、峠の下で待つてゐるだらうに、自動車から降りて、富士を眺めるなんて、はじめてのお嫁だつたら、そんな太いこと、できるわけがない。」
「欠伸したのよ。」娘さんも、力こめて賛意を表した。「あんな大きい口あけて欠伸して、図々しいのね。お客さん、あんなお嫁さんもらつちや、いけない。」
 私は年甲斐もなく、顔を赤くした。私の結婚の話も、だんだん好転していつて、或る先輩に、すべてお世話になつてしまつた。結婚式も、ほんの身内の二、三のひとにだけ立ち会つてもらつて、まづしくとも厳粛に、その先輩の宅で、していただけるやうになつて、私は人の情に、少年の如く感奮してゐた。
 十一月にはひると、もはや御坂の寒気、堪へがたくなつた。茶店では、ストオヴを備へた。
「お客さん、二階はお寒いでせう。お仕事のときは、ストオヴの傍でなさつたら。」と、おかみさんは言ふのであるが、私は、人の見てゐるまへでは、仕事のできないたちなので、それは断つた。おかみさんは心配して、峠の麓の吉田へ行き、炬燵《こたつ》をひとつ買つて来た。私は二階の部屋でそれにもぐつて、この茶店の人たちの親切には、しんからお礼を言ひたく思つて、けれども、もはやその全容の三分の二ほど、雪をかぶつた富士の姿を眺め、また近くの山々の、蕭条《せうでう》たる冬木立に接しては、これ以上、この峠で、皮膚を刺す寒気に辛抱してゐることも無意味に思はれ、山を下ることに決意した。山を下る、その前日、私は、どてらを二枚かさねて着て、茶店の椅子に腰かけて、熱い番茶を啜《すす》つてゐたら、冬の外套着た、タイピストでもあらうか、若い知的の娘さんがふたり、トンネルの方から、何かきやつきやつ笑ひながら歩いて来て、ふと眼前に真白い富士を見つけ、打たれたやうに立ち止り、それから、ひそひそ相談の様子で、そのうちのひとり、眼鏡かけた、色の白い子が、にこにこ笑ひながら、私のはうへやつて来た。
「相すみません。シャッタア切つて下さいな。」
 私は、へどもどした。私は機械のことには、あまり明るくないのだし、写真の趣味は皆無であり、しかも、どてらを二枚もかさねて着てゐて、茶店の人たちさへ、山賊みたいだ、といつて笑つてゐるやうな、そんなむさくるしい姿でもあり、多分は東京の、そんな華やかな娘さんから、はいからの用事を頼まれて、内心ひどく狼狽したのである。けれども、また思ひ直し、こんな姿はしてゐても、やはり、見る人が見れば、どこかしら、きやしやな俤《おもかげ》もあり、写真のシャッタアくらゐ器用に手さばき出来るほどの男に見えるのかも知れない、などと少し浮き浮きした気持も手伝ひ、私は平静を装ひ、娘さんの差し出すカメラを受け取り、何気なささうな口調で、シャッタアの切りかたを鳥渡《ちよつと》たづねてみてから、わななきわななき、レンズをのぞいた。まんなかに大きい富士、その下に小さい、罌粟《けし》の花ふたつ。ふたり揃ひの赤い外套を着てゐるのである。ふたりは、ひしと抱き合ふやうに寄り添ひ、屹《き》つとまじめな顔になつた。私は、をかしくてならない。カメラ持つ手がふるへて、どうにもならぬ。笑ひをこらへて、レンズをのぞけば、罌粟の花、いよいよ澄まして、固くなつてゐる。どうにも狙ひがつけにくく、私は、ふたりの姿をレンズから追放して、ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして、富士山、さやうなら、お世話になりました。パチリ。
「はい、うつりました。」
「ありがたう。」
 ふたり声をそろへてお礼を言ふ。うちへ帰つて現像してみた時には驚くだらう。富士山だけが大きく写つてゐて、ふたりの姿はどこにも見えない。
 その翌る日に、山を下りた。まづ、甲府の安宿に一泊して、そのあくる朝、安宿の廊下の汚い欄干によりかかり、富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出してゐる。酸漿《ほほづき》に似てゐた。
[#地付き](昭和十四年二月―三月)


底本:「筑摩現代文学大系 59 太宰治集」筑摩書房
   1975(昭和50)年9月
入力:網迫
校正:割子田数哉
1999年1月9日公開
2005年10月27日修正
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