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NHKのアナウンサー一覧(2万字)

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放送協会の人物 NHK
2009-06-17 Wed 08:45


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NHKのアナウンサー一覧

日本放送協会 > NHKのアナウンサー一覧
本記事では、日本放送協会 (NHK)に所属するアナウンサーの一覧を示すとともに、単独記事にならないアナウンサーについても詳細に説明する。なお、配列は原則として入局年次、年齢順によったが、各局の統括責任者を、最初とした。

また、丸印はいわゆる「ご当地アナウンサー」である(◎は、出身地もしくは出身地と同一ブロックに勤務、○は、本人が終の棲家に定めた[要出典]地もしくはそこと同一ブロックに勤務)。



目次 [非表示]
1 概要
2 転勤予定者
3 東京本部所属者
4 北海道
4.1 札幌放送局
4.1.1 統括責任者
4.1.2 男性
4.1.3 女性
4.2 函館放送局
4.3 旭川放送局
4.4 帯広放送局
4.5 釧路放送局
4.6 北見放送局
4.7 室蘭放送局
5 東北
5.1 仙台放送局
5.1.1 統括責任者
5.1.2 男性
5.1.3 女性
5.2 秋田放送局
5.3 山形放送局
5.4 盛岡放送局
5.5 福島放送局
5.6 青森放送局
6 関東・甲信越
6.1 長野放送局
6.2 新潟放送局
6.3 甲府放送局
6.4 横浜放送局
6.5 前橋放送局
6.6 水戸放送局
6.7 千葉放送局
6.8 宇都宮放送局
6.9 さいたま放送局
7 東海・北陸
7.1 名古屋放送局
7.1.1 統括責任者
7.1.2 男性
7.1.3 女性
7.2 金沢放送局
7.3 静岡放送局
7.4 福井放送局
7.5 富山放送局
7.6 津放送局
7.7 岐阜放送局
8 近畿
8.1 大阪放送局
8.1.1 統括責任者
8.1.2 男性
8.1.3 女性
8.2 京都放送局
8.3 神戸放送局
8.4 和歌山放送局
8.5 奈良放送局
8.6 大津放送局
9 中国
9.1 広島放送局
9.1.1 統括責任者
9.1.2 男性
9.1.3 女性
9.2 岡山放送局
9.3 松江放送局
9.4 鳥取放送局
9.5 山口放送局
10 四国
10.1 松山放送局
10.1.1 統括責任者
10.1.2 その他
10.2 高知放送局
10.3 徳島放送局
10.4 高松放送局
11 九州・沖縄
11.1 福岡放送局
11.1.1 統括責任者
11.1.2 男性
11.1.3 女性
11.2 北九州放送局
11.3 熊本放送局
11.4 長崎放送局
11.5 鹿児島放送局
11.6 宮崎放送局
11.7 大分放送局
11.8 佐賀放送局
11.9 沖縄放送局
12 嘱託職
13 元アナウンサー
13.1 現在別部署に所属
13.1.1 男性
13.1.2 女性
13.2 NHK放送研修センター・日本語センター所属者
13.3 専属契約高齢者
13.3.1 東京本部関係
13.3.2 東京以外
13.4 他の放送局に移籍したアナウンサー
13.4.1 男性
13.4.2 女性
13.5 フリーに転身したアナウンサー
13.5.1 男性
13.5.2 女性
13.6 その他の退局したアナウンサー
13.6.1 男性
13.6.2 女性
14 関連項目
15 脚注


概要 [編集]
全国の放送局に約500名のアナウンサーが所属しており、アナウンスのほか、番組の取材や企画・番組制作なども行う。
NHKでは組織のスリム化が課題となっていることもあり、一部は放送研修センター日本語センター・情報ネットワークなどに出向している[要出典]。
近年は退職者の再活用も盛んになっている[要出典]。

転勤予定者 [編集]
異動対象となったアナウンサーについては、各局の欄から外し、新任地に着任するまではこの欄に掲載する。

石踊昌一(いしおどり・しょういち)大津チーフ→
石嶺誠一郎(いしみね・せいいちろう)大阪統括担当部長→沖縄局副局長
沖谷昇(おきたに・のぼる)札幌統括担当部長→
佐塚元章(さづか・もとあき)静岡→ラジオセンター[1]
嶋村由紀夫(しまむら・ゆきお)前橋チーフ→
杉原満(すぎはら・みつる)名古屋統括担当部長→
高鍬亮(たかくわ・りょう)帯広チーフ→
高谷智泰(たかたに・ともやす)長野副部長→東京本部
田中孝宜(たなか・たかのぶ)名古屋→
福井茂(ふくい・しげる)旭川チーフ→放送研修センター・日本語センター出向
福澤浩行(ふくざわ・ひろゆき)福岡スポーツアナウンス統括→
藤井克典(ふじい・かつのり)山口副部長→
星野豊(ほしの・ゆたか)水戸副部長→
堀井洋一(ほりい・よういち)鳥取副部長→
松井治伸(まつい・はるのぶ)富山副部長→
山田貴幸(やまだ・たかゆき)秋田副部長→東京本部
芳野潔(よしの・きよし)広島統括担当部長→東京本部
吉松欣史(よしまつ・よしふみ)松山→グローバルメディアサービス出向
和田哲(わだ・さとる)室蘭アナウンス統括→ラジオセンター

東京本部所属者 [編集]
東京の本部には東京アナウンス室直接所属のアナウンサーに加え、ラジオセンター所属者、情報ネットワーク・日本語センター出向者などがいる。アナウンス室所属者だけでも130名を超え、すべてを合わせると200名近くが所属する。所属するアナウンサーの一覧はNHK放送センター#アナウンサーの項を参照してほしい。

アナウンス室長(アナウンス総責任者)
山田敦子
2008年6月12日付で着任、女性では山根基世以来2人目。前任の岩澤忠彦は就任からわずか1年でNHK放送文化研究所の所長に転出。
アナウンス室次長
渡部英美
2007年6月の異動で就任。

北海道 [編集]

札幌放送局 [編集]

統括責任者 [編集]
大出岳史(おおで・たけし)統括担当部長

男性 [編集]
澤岸隆幸(さわぎし・たかゆき)
市川泰(いちかわ・やすし)
南山吉弘◎(みなみやま・よしひろ)
伊藤雄彦(いとう・たけひこ)
冨坂和男(とみさか・かずお)
曽根優◎(そね・まさる)
高瀬登志彦(たかせ・としひこ)
吉岡大輔(よしおか・だいすけ)
星野圭介(ほしの・けいすけ)
赤松俊理◎(あかまつ・しゅんり)
北野剛寛(きたの・たかひろ)


女性 [編集]
森田美由紀◎(もりた・みゆき)
村上里和◎(むらかみ・さとわ)
出田奈々(いでた・なな)

函館放送局 [編集]
西澤洋和(にしざわ・ひろかず)チーフ
筒井亮太郎(つつい・りょうたろう)

旭川放送局 [編集]
志摩悦二郎(しま・えつじろう)チーフ
猪飼雄一(いかい・ゆういち)

帯広放送局 [編集]
北向敏幸(きたむき・としゆき)チーフ
三好正人(みよし・まさと)

釧路放送局 [編集]
河島康一◎(かわしま・こういち)副部長
沢田石和樹◎(さわだいし・かずき)
高橋篤史(たかはし・あつし)

北見放送局 [編集]
福田光男(ふくだ・みつお)副部長→チーフ[2]
原大策(はら・だいさく)

室蘭放送局 [編集]
久保田茂(くぼた・つとむ)
室蘭局の正職員アナウンサーは1人だけである。

東北 [編集]

仙台放送局 [編集]

統括責任者 [編集]
羽塚由(はねづか・とおる)統括担当部長

男性 [編集]
杉尾宗紀(すぎお・そうき)
坂本朋彦(さかもと・ともひこ)
金子哲也(かねこ・てつや)
伊藤慶太◎(いとう・けいた)
杉澤僚(すぎさわ・りょう)
津田喜章◎(つだ・よしあき)
杉岡英樹(すぎおか・ひでき)
宮島大輔(みやじま・だいすけ)
津田總一朗(つだ・そういちろう)
新井信宏(あらい・のぶひろ)


女性 [編集]
高橋さとみ(たかはし・さとみ)

秋田放送局 [編集]
坪倉善彦(つぼくら・よしひこ)副部長
高橋康輔(たかはし・こうすけ)
堀越将伸(ほりこし・まさのぶ)
松田利仁亜◎(まつだ・りにあ)
大沢幸広(おおさわ・ゆきひろ)
鈴木貴彦(すずき・たかひこ)


山形放送局 [編集]
柴田徹◎(しばた・とおる)副部長
中谷文彦(なかや・ふみひこ)
佐々生佳典(ささお・よしのり)
西川順一(にしかわ・じゅんいち)
山田朋生(やまだ・ともき)
寺門亜衣子(てらかど・あいこ)女性
伊藤海彦(いとう・うみひこ)2009年入局


盛岡放送局 [編集]
八尋隆蔵(やひろ・りゅうぞう)副部長
上原康樹○(うえはら・やすき)
比田美仁(ひだ・よしひと)
中山準之助(なかやま・じゅんのすけ)
利根川真也(とねがわ・しんや)
酒匂飛翔(さこう・あすか)男性、2009年入局


福島放送局 [編集]
福井裕一郎(ふくい・ゆういちろう)副部長
高山真樹(たかやま・まさき)
片山智彦◎(かたやま・ともひこ)
丹沢研二(たんざわ・けんじ)
小林陽広(こばやし・あきひろ)
合原明子(ごうばる・あきこ)女性、2009年入局


青森放送局 [編集]
渡辺英紀(わたなべ・ひでき)副部長
斎康敬(さい・やすたか)
高木修平(たかぎ・しゅうへい)
和田光太郎(わだ・こうたろう)
狩野史長(かのう・ふみひさ)


関東・甲信越 [編集]

長野放送局 [編集]
田村泰崇◎(たむら・やすたか)副部長
浅野正紀(あさの・まさのり)
関口泰雅◎(せきぐち・たいが)
本田俊介(ほんだ・しゅんすけ)
森田洋平◎(もりた・ようへい)


新潟放送局 [編集]
一般局には珍しく、地元出身者を多く擁する。
熊倉悟◎(くまくら・さとる)副部長
山崎智彦◎(やまざき・ともひこ)
小山径◎(こやま・けい)
稲垣秀人◎(いながき・ひでと)
小正裕佳子(こまさ・ゆかこ)女性、2009年入局


甲府放送局 [編集]
阿部陽子◎(あべ・ようこ)女性副部長
角井雅好◎(つのい・まさよし)
吉田一之◎(よしだ・かずゆき)
鹿島綾乃(かしま・あやの)女性
大野済也(おおの・せいや)
小宮山晃義◎(こみやま・てるよし)
森花子◎(もり・はなこ)女性


横浜放送局 [編集]
緒方宏一郎(おがた・こういちろう)チーフ
中澤輝◎(なかざわ・あきら)

前橋放送局 [編集]
鈴木桂一郎◎(すずき・けいいちろう)チーフ
佐藤克樹◎(さとう・かつき)

水戸放送局 [編集]
栗田晴行◎(くりた・はるゆき)チーフ
泉浩司◎(いずみ・こうじ)
大木浩司(おおき・こうじ)
平野哲史◎(ひらの・てつし)
向井一弘(むかい・かずひろ)


千葉放送局 [編集]
和田成弘(わだ・しげひろ)チーフ
関口健(せきぐち・たけし)

宇都宮放送局 [編集]
金井直己◎(かない・なおみ)チーフ
徳永圭一(とくなが・けいいち)

さいたま放送局 [編集]
渡辺裕之◎(わたなべ・ひろゆき)チーフ
結城さとみ◎(ゆうき・さとみ)女性

東海・北陸 [編集]

名古屋放送局 [編集]

統括責任者 [編集]
入江憲一(いりえ・けんいち)統括担当部長

男性 [編集]
森中直樹(もりなか・なおき)
藤井康生(ふじい・やすお)
近藤冨士雄◎(こんどう・ふじお)
内多勝康(うちだ・まさやす)
村竹勝司◎(むらたけ・しょうじ)
堀伸浩(ほり・のぶひろ)
大蔵哲士◎(おおくら・てつし)
鈴木聡彦(すずき・あきひこ)
長野亮(ながの・りょう)
船岡久嗣(ふなおか・ひさつぐ)
浅野光成◎(あさの・みつなり)
斉藤孝信◎(さいとう・たかのぶ)
糸井羊司◎(いとい・ようじ)
田中洋行(たなか・ひろゆき)
酒井博司◎(さかい・ひろし)


女性 [編集]
森山春香◎(もりやま・はるか)
橋本奈穂子(はしもと・なおこ)

金沢放送局 [編集]
福井慎二(ふくい・しんじ)統括担当部長[3]
宮﨑浩輔(みやざき・こうすけ)
塚本堅一(つかもと・けんいち)
金城均(かねしろ・ひとし)
片山千恵子(かたやま・ちえこ)女性


静岡放送局 [編集]
武田涼介(たけだ・りょうすけ)副部長
田中朋樹(たなか・ともき)
別井敬之(べつい・たかゆき)
神門光太朗(かんど・こうたろう)
中山庸介(なかやま・ようすけ)
佐藤誠太(さとう・せいた)2009年入局


福井放送局 [編集]
藤崎弘士◎(ふじさき・ひろし)副部長
小澤康喬(おざわ・やすたか)
田中秀樹(たなか・ひでき)
網秀一郎(あみ・しゅういちろう)
戸部眞輔(とべ・しんすけ)
杉浦友紀◎(すぎうら・ゆき)女性


富山放送局 [編集]
伊藤源太◎(いとう・げんた)副部長
伊林毅暁(いばやし・たかあき)
吉田一貴◎(よしだ・かずたか)
笠井大輔(かさい・だいすけ)
三輪洋雄(みわ・ひろたか)
三條雅幸(さんじょう・まさゆき)
深川仁志(ふかがわ・ひとし)2009年入局


津放送局 [編集]
大湖弘之(おおこ・ひろゆき)チーフ
望月豊◎(もちづき・ゆたか)
梶原典明(かじわら・のりあき)

岐阜放送局 [編集]
橋爪秀範◎(はしづめ・ひでのり)チーフ
青木希久子◎(あおき・きくこ)女性
宮崎大地(みやざき・だいち)

近畿 [編集]

大阪放送局 [編集]

統括責任者 [編集]
岸本多万重(きしもと・たまえ)女性、統括担当部長

男性 [編集]
小野塚康之(おのづか・やすゆき)
石川洋(いしかわ・ひろし)
住田功一◎(すみた・こういち)
斉藤寿朗(さいとう・ひさあき)
広坂安伸(ひろさか・やすのぶ)
田代純◎(たしろ・じゅん)
加藤成史(かとう・まさひと)
田中崇裕(たなか・たかひろ)
真下貴◎(ましも・たかし)
野村優夫(のむら・まさお)
山岡裕明(やまおか・ひろあき)
永井克典(ながい・かつのり)
根岸昌史(ねぎし・まさふみ)
和田政宗(わだ・まさむね)
大坂敏久(おおさか・としひさ)
中村淳平(なかむら・じゅんぺい)
秋鹿真人(あきしか・まさひと)
早瀬雄一(はやせ・ゆういち)
塚本貴之(つかもと・たかゆき)
近藤泰郎(こんどう・たいろう)


女性 [編集]
上田早苗○(うえだ・さなえ)
山本美希◎(やまもと・みき)
西堀裕美◎(にしぼり・ひろみ)
中村慶子(なかむら・けいこ)

京都放送局 [編集]
吉田賢(よしだ・まさる)副部長
中川緑(なかがわ・みどり)女性
高橋秀和(たかはし・ひでかず)
吉田浩(よしだ・ひろし)
今道琢也(いまみち・たくや)
飯島徹郎(いいじま・てつろう)


神戸放送局 [編集]
佐伯真規◎(さえき・まさのり)チーフ
今城和久◎(いまじょう・かずひさ)
下境秀幸(しもさかい・ひでゆき)
小西政親(こにし・まさちか)元千葉局船橋営業センター、営業制度の抜本見直しもあり配置転換[要出典]

和歌山放送局 [編集]
大野克郎(おおの・かつろう)チーフ
小野卓哉(おの・たくや)
田中寛人(たなか・ひろひと)

奈良放送局 [編集]
中村宏(なかむら・ひろし)チーフ
大山武人◎(おおやま・たけと)
鏡和臣(かがみ・かずおみ)

大津放送局 [編集]
小山正人◎(こやま・まさと)チーフ
若月弘一郎◎(わかつき・こういちろう)
後藤康之(ごとう・やすゆき)

中国 [編集]

広島放送局 [編集]

統括責任者 [編集]
小見誠広(おみ・なりひろ)

男性 [編集]
周山制洋◎(すやま・のりひろ)
出山知樹(でやま・ともき)
里匠(さと・たくみ)
坂梨哲士(さかなし・てつし)
遠藤亮(えんどう・あきら)
高山哲哉◎(たかやま・てつや)
三浦拓実(みうら・たくみ)
武藤友樹(むとう・ともき)
江藤泰彦(えとう・やすひこ)
横井健吉(よこい・けんきち)


女性 [編集]
杉浦圭子◎(すぎうら・けいこ)

岡山放送局 [編集]
児玉隆(こだま・たかし)副部長
北村紀一郎(きたむら・きいちろう)
内藤雄介(ないとう・ゆうすけ)
芳川隆一(よしかわ・りゅういち)
佐々木智一(ささき・ともかず)
魚住優(うおずみ・ゆう)


松江放送局 [編集]
三上弥(みかみ・わたる)副部長
堀江清市◎(ほりえ・せいいち)
昼間敬仁(ひるま・たかよし)
岡隆一◎(おか・りゅういち)
横山哲也(よこやま・てつや)
井上裕貴(いのうえ・ゆうき)


鳥取放送局 [編集]
齋藤哲(さいとう・あきら)副部長
村上真吾(むらかみ・しんご)
岩野吉樹(いわの・よしき)
関根太朗(せきね・たろう)
佐藤俊吉(さとう・しゅんきち)
児林大介◎(こばやし・だいすけ)


山口放送局 [編集]
土方康(ひじかた・ひろし)副部長
安田真一郎(やすだ・しんいちろう)
柴田拓(しばた・ひらく)
浅井僚馬(あさい・りょうま)
打越裕樹(うちこし・ひろき)
牛田茉友(うしだ・まゆ)女性、2009年入局


四国 [編集]

松山放送局 [編集]

統括責任者 [編集]
瀬戸秀夫(せと・ひでお)統括担当部長

その他 [編集]
掛川雅夫◎(かけがわ・まさお)
古谷敏郎(ふるや・としろう)
鳥海貴樹(とりうみ・たかき)
伊奈正高(いな・まさたか)
喜多賢治(きた・けんじ)
永松隆太朗(ながまつ・りゅうたろう)
横林良純(よこばやし・よしずみ)
古賀一(こが・はじめ)
中倉隆道(なかくら・りゅうどう)


高知放送局 [編集]
小寺康雄(こでら・やすお)副部長
厚井大樹(こうい・だいき)
大槻隆行(おおつき・たかゆき)
松岡忠幸(まつおか・ただゆき)
田中逸人(たなか・はやと)
新井隆太(あらい・りゅうた)


徳島放送局 [編集]
髙木康博(たかぎ・やすひろ)副部長
飯塚洋介(いいづか・ようすけ)
畠山大志(はたけやま・だいし)
杉嶋亮作(すぎしま・りょうさく)
大嶋貴志(おおしま・たかし)
二宮直輝◎(にのみや・なおき)
佐々木彩(ささき・あや)女性、2009年入局


高松放送局 [編集]
白崎義彦(しらさき・よしひこ)副部長
田中秀喜(たなか・ひでき)
斎藤政直(さいとう・まさなお)
芳賀健太郎(はが・けんたろう)
池野健(いけの・たけし)
上條倫子(かみじょう・のりこ)女性
廣瀬雄大(ひろせ・ゆうた)2009年入局


九州・沖縄 [編集]

福岡放送局 [編集]

統括責任者 [編集]
小原茂◎(おばら・しげる)統括担当部長

男性 [編集]
山田重光○(やまだ・しげみつ)
内山俊哉◎(うちやま・としや)
松尾剛◎(まつお・つよし)
三瓶宏志(さんべ・こうし)
比留間亮司(ひるま・たかし)
宮田貴行(みやた・たかゆき)
大石真弘(おおいし・まさひろ)
塩澤大輔(しおざわ・だいすけ)
柴崎行雄(しばさき・ゆきお)


女性 [編集]
渡邊佐和子(わたなべ・さわこ)

北九州放送局 [編集]
原田徹◎(はらだ・とおる)チーフ
後藤理○(ごとう・ただし)
井原陽介◎(いはら・ようすけ)

熊本放送局 [編集]
冨永禎彦(とみなが・さだひこ)副部長
有田雅明◎(ありた・まさあき)
猪原智紀◎(いはら・とものり)
新井秀和(あらい・ひでかず)
田所拓也(たどころ・たくや)
池田伸子(いけだ・のぶこ)女性、2009年入局


長崎放送局 [編集]
比留木剛史(ひるき・よしふみ)副部長
塩屋紀克(しおや・ただよし)
山田大樹(やまだ・ひろき)
瀬田宙大(せた・ちゅうだい)
三輪秀香(みわ・ひでか)女性
八田知大(はった・ともひろ)2009年入局


鹿児島放送局 [編集]
浦田典明(うらた・のりあき)副部長
荻山恭平(おぎやま・きょうへい)
岩元良介(いわもと・りょうすけ)
越塚優(こしづか・ゆう)
吉田真人◎(よしだ・まこと)
藤井まどか(ふじい・まどか)女性


宮崎放送局 [編集]
荒井匡(あらい・ただし)副部長
原口雅臣(はらぐち・まさおみ)
塩田慎二(しおだ・しんじ)
藤澤義貴◎(ふじさわ・よしたか)
清水敬亮(しみず・たかあき)
角谷直也(かくたに・なおや)2009年入局


大分放送局 [編集]
金澤利夫(かなざわ・としお)副部長
島田稔◎(しまだ・みのる)
富田典保(とみた・のりやす)
河村太朗(かわむら・たろう)
浅野達朗(あさの・たつろう)
黒田信哉(くろだ・しんや)


佐賀放送局 [編集]
中村豊(なかむら・ゆたか)副部長
三上たつ次○(みかみ・たつじ)
原田裕和(はらだ・ひろかず)
川崎寛司◎(かわさき・かんじ)
谷口慎一郎◎(たにぐち・しんいちろう)
早坂隆信(はやさか・たかのぶ)


沖縄放送局 [編集]
飯田紀久夫(いいだ・きくお)副部長
細田史雄○(ほそだ・ふみお)チーフ
土橋大記(つちはし・もとき)
白鳥哲也◎(しらとり・てつや)
鹿児島県出身。長崎→京都→松山→沖縄。 池田耕一郎(いけだ・こういちろう)
瀧川剛史(たきがわ・たけし)
松岡孝行(まつおか・たかゆき)
中野淳(なかの・あつし)


嘱託職 [編集]
東京本部所属者については、NHK放送センター#アナウンサーの項を参照。

相馬宏男◎(そうま・ひろお。仙台)
二見和男○(ふたみ・かずお、金沢)2007年10月から
清川徹◎(きよかわ・とおる。広島)
板倉卓人○(いたくら・たくと。松山)
二宮正博◎(にのみや・まさひろ。福岡)


元アナウンサー [編集]
()内の年度表記は在籍期間を示す。記事項目の内容も参考のこと。


現在別部署に所属 [編集]

男性 [編集]
肥土貴美男(あくと・きみお)
小田川肇(おだがわ・はじめ)
鹿児島→静岡。2008年夏の異動で国際放送局へ。
斎藤洋一郎(さいとう・よういちろう)
故郷・新潟局でアナウンサー生活を終え、現在は子会社NHK文化センター新潟支社長。
品田公明(しなだ・きみあき)
過去には大分局、鳥取局、故郷・北海道の3局(札幌・函館・釧路)なども勤務。
寺澤敏行(てらさわ・としゆき)
富山→名古屋→東京アナウンス室。現在は報道局国際部記者。
渡辺俊雄(わたなべ・としお。衛星放送局で映画担当に[要出典])
田中浩史(たなか・ひろふみ)
1996年にチーフアナウンサーのままNHK放送研修センター・日本語センター出向、話し言葉講座講師を務めた。2007年にNHK放送文化研究所主任研究員(部長)へ異動し、現在(2009年3月)も所属中である。

女性 [編集]
迫田朋子(さこた・ともこ。解説委員室を経て現在ディレクター)
道傳愛子(どうでん・あいこ。解説委員室)
堀江さゆみ(ほりえ・さゆみ。マルチメディア局)

NHK放送研修センター・日本語センター所属者 [編集]
専属者はNHK放送研修センター・日本語センター#専属アナウンサーを参照。
NHK本体からの出向者についてはNHK放送センター#NHK放送研修センター・日本語センター出向を参照。

専属契約高齢者 [編集]
既に65歳を超えるなどして雇用関係が終わったものの、外部プロダクションには属さずNHKと専属契約を結んで出演している元アナウンサーとする。それ以外の活動も行っている者は「フリーに転身したアナウンサー」の扱いとするが、活動範囲がNHKグループにとどまっている場合(例:NHKカルチャー講師)は本項で扱う。


東京本部関係 [編集]
明石勇(あかし・いさむ)
秋山士郎(あきやま・しろう)FM放送「能楽鑑賞」案内役を担当。
朝妻基祐(あさづま・もとすけ)NHKワールド・ラジオ日本のニュースを担当
飯塚浩之(いいづか・ひろゆき)
石平光男(いしひら・みつお)月曜日の株式市況の前半を担当。気象通報の月曜日22時放送分・火曜日9時放送分を担当。
岸田高佳志(きしだ・たかし)
児玉士誠(こだま・しせい)NHKワールド・ラジオ日本のニュースを担当
佐藤桂一(さとう・けいいち)
関口巌(せきぐち・いわお)
関野武(せきの・たけし)
瀬田光彦(せた・みつひこ)
中村昇(なかむら・のぼる)
星静夫(ほし・しずお)
山田誠浩(やまだ・よしひろ)
横山義恭(よこやま・よしやす)

東京以外 [編集]
佐藤敏彦(さとう・としひこ。札幌)
現在は土曜日の昼間・夕方の地域ニュースを担当(ラジオ・FMのみ)
館野直光(たての・なおみつ。札幌)
現在は日曜日の昼間・夕方の地域ニュースを担当(ラジオ・FMのみ)。2009年3月までは日曜日の早朝・昼間の地域ニュース(ラジオ・FMのみ)と全国放送の「リレーニュース郷土の話題」の北海道地方分も担当していた。
田沢真(たざわ・まこと。福島)
久保田宗孝(くぼた・むねたか。長野)
石橋純一○(いしばし・じゅんいち。松山)
現在は非常事態時の応援で出てくるのみ。
平瀬隆之(ひらせ・たかゆき。徳島)
現在は日曜日昼間の地域ニュースを担当。
牧港襄一◎(まきみなと・じょういち。沖縄)
旧沖縄放送協会時代からのアナウンサーだった。『うちなぁジョッキー』司会。

他の放送局に移籍したアナウンサー [編集]
※は現役アナ。


男性 [編集]
あ行
上松康郎(1934年入局、→TBS)
大岡優一郎(おおおか・ゆういちろう、→テレビ東京)※
越智正典(→日本テレビ放送網)
か行
久保田麻三留(くぼた・まさる、→テレビ東京)※
小坂秀二(→TBS)
さ行
た行
田丸一男(たまる・かずお、→毎日放送)※
土井敏之(どい・としゆき、→TBS)※
な行
は行
原和男(→文化放送→日本テレビ放送網)
平野貞一(1939年入局 →TBS)
舩山陽司(ふなやま・ようじ、→ラジオNIKKEI)※
ま行
升田尚宏(ますだ・なおひろ、→TBS)※
や行
安田一雄(1944年入局→TBS)
山田二郎(→TBS)
吉岡伸悟(よしおか・しんご、→東日本放送)※
ら行
わ行


女性 [編集]
か行
来栖琴子(→TBS)
や行
頼近美津子(→フジテレビジョン)

フリーに転身したアナウンサー [編集]
現在フリーとして活動中の人物に限る。

男性 [編集]
大塚範一(おおつか・のりかず。1973年4月~1994年3月)
草野仁(くさの・ひとし)
佐藤誠◎(さとう・まこと。大阪)
2007年度で嘱託契約は終わったが、担当番組はそのまま。放送はNHK専属。
佐藤隆輔(さとう・りゅうすけ)
千田正穂(せんだ・まさほ)
寺谷一紀(てらたに・いちき)
寺内夏樹(てらうち・なつき)
堀尾正明(ほりお・まさあき。1981年4月~2008年3月)
松平定知(まつだいら・さだとも)
宮川俊二(みやかわ・しゅんじ)
宮本隆治(みやもと・りゅうじ)
森本毅郎(もりもと・たけろう)

女性 [編集]
久保純子(くぼ・じゅんこ)
須磨佳津江(すま・かつえ)
放送においてはNHK専属状態であるが、放送以外の活動も積極的に行っている[要出典]。
膳場貴子(ぜんば・たかこ)
山根基世(やまね・もとよ)
元アナウンス室長(2005年6月 - 2007年6月)

その他の退局したアナウンサー [編集]

男性 [編集]
対象者が多数のため、右端の[表示]をクリックしてご覧ください。[表示]
あ行
相川浩(あいかわ・ひろし:1957年入局)
青木裕次(1934年入局)
青木一雄(1939年入局)
明石弘(1946年入局)
赤山政治(1937年入局)
秋本竹次郎(1937年入局)
秋山武雄(1938年入局)
我孫子亨(1945年入局)
阿部二郎(1939年入局)
荒川修(あらかわ・おさむ:1955年入局)

朝倉保(入局年不詳)
浅沼博(1934年入局)
荒木寿彦(1930年入局)
安斉義美(1936年入局)
飯窪長彦(いいくぼ・ながひこ:1954年入局)
飯田次男(1936年入局)
石井鐘三郎(いしい・しょうざぶろう:1951年入局)
石井武志(1936年入局)
石井登志雄(1934年入局)
石田武(いしだ・たけし:1948年入局)

石橋省三(いしばし・しょうぞう:1961年4月 - 1998年)
大相撲中継で活躍。現在も『大相撲・幕内の全取組』案内役を務める
市川路吟(1925年入局)
伊藤鑛二(いとう・こうじ:1955年入局)
伊藤治窮(1936年入局)
稲田稔(1929年入局)
井上一郎(1931年入局)
岩成重雄(1937年入局)
今尾安五郎(1932年入局))
今福祝(1938年入局)
井村正誠(入局年不詳)

岩崎剛(1932年入局)
上田正(1936年入局)
上山英治(入局年不詳)
魚谷忠(1926年入局)
薄田太郎(1928年入局)
宇田道夫(1931年入局)
宇津木啓太郎(1938年入局)
生方恵一(うぶかた・けいいち:1956年入局)
生方孝一(1932年入局)
海野春樹(1939年入局)
江木理一(1928年入局)
及川伊之助(1930年入局)
及川源次郎(1931年入局)

大川茂(1932年入局)
大木貞一(1934年入局)
大澤誠(1936年入局)
大平伊太郎(1932年入局)
大竹正(1936年入局)
大西義雄(1937年入局)
大野臻太郎(1939年入局)
大羽仙外(1925年入局)
大堀貞雄(1929年入局)
岡崎英一(1937年入局)

岡崎真三(1925年入局)
小笠原博雄(1939年入局)
岡田実(おかだ・みのる:1944年入局)
岡野憲太郎(1933年入局)
岡部桂一(1931年入局)
岡本正一(1936年入局)
小川和夫(1936年入局)
奥山憲三(1931年入局)
小此木通孝(1931年入局)
小沢猛(1932年入局)

小谷傳(おだに・でん:1960年入局)
小川宏(おがわ・ひろし:1949年入局)
沖野皓一(おきの・こういち:1959年入局)
御宿正統(入局年不詳)


か行
貝山晋(1932年入局)
賀川安邦(入局年不詳)
河西三省(1929年入局)
笠間守彦(1936年入局)
片根信行(1934年入局)
加藤不二太郎(1938年入局)
加藤幸男(1939年入局)
金子喜三郎(1934年入局)
金子正造(1936年入局)
金谷熈(1933年入局)
金谷良信(1937年入局)
鎌田正(1931年入局)
神川柳太郎(1929年入局)
狩野真一(1925年入局)
川井巌(1931年入局)
川崎正三郎(1939年入局)
川崎忠男(1929年入局)
川添照夫(1937年入局)
川名正一(1936年入局)
川端義明(かわばた・よしあき、1975年入局)
沖縄局長、ラジオセンター長を経、視聴者サービス局長を歴任した。
河原武雄(1939年入局)
河村清太郎(1929年入局)
川村正之(1927年入局)
喜久川鼎(1929年入局)
北山秀年(1930年入局)
京田武男(1925年入局)
桐野音次郎(1925年入局)
櫛引清(1945年入局)
國井勝彦(1932年入局)
久保田公平(1933年入局)
熊谷幸博(1938年入局)
熊崎真吉(1925年入局)
熊野五郎(1934年入局)
栗村盛孝(1934年入局)
小泉汪
小島九十三(1937年入局)
小高正嗣
高野国本(1931年入局)
小浜稔(1939年入局)
小林邦夫(1938年入局)
小林茂雄(1934年入局)
小林利光(1939年入局)
小森幸正(1925年入局)
さ行
斉木武志(1997年入局、国政選挙立候補表明のため退職)
斎藤芳郎(1932年入局)
三枝賢正(1938年入局)
榊原弘(1937年入局)
坂口英一郎(1937年入局)
坂本武雄(1925年入局)
佐久間節夫(1929年入局)
佐藤光照(1926年入局)
椎谷健(1933年入局)
柴田融(1931年入局)
島浦精二(1931年入局)
島崎直正(1937年入局)
島野俊男(1937年入局)
志村正順(1936年入局)
下山博通(1939年入局)
庄司寿完(1931年入局)
白井滋之(1936年入局)
白井英之(1936年入局)
杉崎健次郎(1937年入局)
杉本亀一(1931年入局)
鈴木英吉(1932年入局)
鈴木健二(1952年入局)
隅田格(1936年入局)
瀬戸義久(1931年入局)
善田英夫(1937年入局)
た行
高嶋修平(1932年入局)
高谷宗之助(1929年入局)
高月福太郎(1932年入局)
高橋邦太郎(1933年入局)
高橋圭三(1942年入局)
高橋光太郎(1932年入局)
高橋左太郎(1933年入局)
高橋博(1936年入局)
伊達徳雄(1935年入局)
竹内啓祐(1938年入局)
竹脇昌作(1934年入局)
田島輝雄(1938年入局)
但木顕禎(1938年入局)
立川福蔵(1934年入局)
橘内英次(1928年入局)
館野守男(1938年入局)
田中清芽(1932年入局)
田中元秀(1934年入局)
田辺元晴(1937年入局)
丹羽益根(1933年入局)
丹羽卓郎(1929年入局)
千葉俊象(1934年入局)
長笠原栄風(1933年入局)
津島定一(1928年入局)
辻本栄(1926年入局)
津田貫太郎(入局年不詳)
津田誠(1938年入局)
寺内久平(1939年入局)
友安義高(1930年入局)
土門正夫(1951年入局)
な行
永尾都美(入局年不詳)
中川次郎(1934年入局)
長倉男士(1932年入局)
永瀬健次郎(1938年入局)
永原芳雄(1931年入局)
中村重尚(1932年入局)
中村茂(1925年入局)
中村精(1939年入局)
中村彦二(1932年入局)
成毛勉(1938年入局)
西内正丸(1937年入局)
西村晃(1981年入局)
根岸忠夫(1936年入局)
野口芳太郎(1932年入局)
野溝浩(1945年入局)
は行
波木井醇(1936年入局)
長谷川肇(1951年入局)
秦豊(1945年入局)
服部逸郎(1934年入局)
原二郎(1932年入局)
原岡一郎(1934年入局)
福岡幸成(1936年入局)
福島幸世(入局年不詳)
藤井重雄(1938年入局)
藤井史郎(1932年入局)
藤倉修一(1940年入局)
船越章(1934年入局)
古田正信(1939年入局)
星子正寿(1933年入局)
本多睦雄(1934年入局)
本間英太郎(1934年入局)
ま行
前田晃(1934年入局)
牧真(1932年入局)
益井三弘(1932年入局)
町田五郎(1932年入局)
松内則三(1925年入局)
松隈敬三(1930年入局)
松田義郎(1926年入局)
松野善弘(1938年入局)
松原通夫(1937年入局)
摩尼清之(1933年入局)
三浦巌(1929年入局)
三浦重雄(1925年入局)
宮岡修(入局年不詳)
宮川三雄(1932年入局)
宮田喜久夫(1933年入局)
宮田輝(1942年入局)
宮本敬之助(1939年入局)
村崎敦夫(1933年入局)
村瀬宣行(1932年入局)
村田正雄(1937年入局)
村山武雄(1932年入局)
米良忠麿(1931年入局)
元橋俊彦(1937年入局)
森芳郎(1936年入局)
森本信一(1929年入局)
守屋素衛(1938年入局)
や行
八木恒徳(1937年入局)
矢野圭介(1930年入局)
矢野俊明(1930年入局)
山川静夫(1956年入局)
山口清(1932年入局)
山口政保(1934年入局)
山崎良夫(1932年入局)
山村恒雄(1934年入局)
山本恒雄(1937年入局)
山本照(1932年入局)
湯本修治(1931年入局)
吉田晴一郎(1936年入局)
吉田隆嘉
吉田良三(1937年入局)
米沢喜兵衛(1932年入局)
ら行
わ行
若菜三雄(1938年入局)
鷲尾正次(1925年入局)
和田信賢(1934年入局)

女性 [編集]
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あ行
相沢泰子(1944年入局)
赤沼つや(1939年入局)
天野綾子(1942年入局)
荒牧富美江(1944年入局)
安藤幸子(1944年入局)
石井庸子(1991年入局)
石坂幸子(1944年入局)
磯部和(1944年入局)
井出鈴江(1945年入局)
伊藤由紀子(1992年入局)
稲陰千代子(1926年入局)
大坪静江(1931年入局)
大橋富美子(入局年不詳)
大牧靖子(1944年入局)
大村郁子(1926年入局)
大山ツヤ子(1944年入局)
岡志津子(1944年入局)
小笠原綾子(1926年入局)
岡本ふみ子(入局年不詳)
岡村照子(1925年入局)
乙葉多喜子(1926年入局)
小山幸子(1944年入局)
か行
粕谷晴子(1926年入局)
川上龍枝(1925年入局)
川西佐知子(1937年入局)
河野アイ(1944年入局)
菊一昌子(1944年入局)
木村八重子(1944年入局)
栗栖琴子(1944年入局)
黒田恵美子(1944年入局)
小西重子(1944年入局)
小宮山洋子(こみやま・ようこ:1972年入局)
現:民主党衆議院議員
小柳敏子(1944年入局)
近藤富枝(1944年入局)
さ行
佐治与史子(1944年入局)
佐藤一枝(1936年入局)
杉原宏子(1944年入局)
鈴木きよ(1929年入局)
た行
高井真理子(1992年入局)
高橋明子(1945年入局)
武井照子(1944年入局)
武田千鶴子(1944年入局)
立石奈々(1944年入局)
な行
永井多恵子(ながい・たえこ)
一旦退局後副会長として復帰するも橋本元一会長とともに退任
錦島法子(1944年入局)
西村道子(1944年入局)
西本美代子(1944年入局)
二宮久子(1944年入局)
野際陽子(のぎわ・ようこ:1958年入局)
現:女優
中村愛(2005年入局)


は行
長谷川美智子(1944年入局)
畑恵(はた・けい)
元参議院議員、現:作新学院副理事長
福士夏江(1944年入局)
星野雅江(1990年入局)
ま行
松崎千代子(1927年入局)
松沢知恵(1932年入局)
三沢はま(1944年入局)
翠川秋子(1925年入局)
三原登美(1928年入局)
村岡秀子(入局年不詳)
や行
山上みち子(1944年入局)
山下晶子(1944年入局)
與那嶺紗希子(2005年入局)
ら行
わ行
和田実枝子(1939年入局)



関連項目 [編集]
NHKの契約アナウンサー一覧

脚注 [編集]
^ 2009年度(4月6日放送分)から、既に週末早朝の全国向けラジオ番組(ラジオあさいちばん|土曜あさいちばん・日曜あさいちばん)担当となっていた。
^ 2009年6月の人事で“降格”。小規模局故の特殊事情である。
^ 金沢局は、北陸地区の統括局という位置づけがなされていることもあり、一般局としては異例の部長級統括者配置となっている。
[隠す]表・話・編・歴日本放送協会 (NHK)

最高意思決定機関: 経営委員会 | リンク: www.nhk.or.jp

執行部トップ
(会長・副会長) 現在 会長: 福地茂雄 | 副会長: 今井義典

過去 野村秀雄 | 阿部眞之助 | 前田義徳 | 小野吉郎 | 坂本朝一 | 池田芳蔵 | 島桂次 | 川口幹夫 | 海老沢勝二 | 橋本元一 | 永井多恵子


国内テレビ放送部門 地上波放送 総合テレビ (G) (番組一覧)| 教育テレビ (E) (番組一覧・NHKワンセグ2)

衛星放送 BS1 | BS2 | BShi(BS番組一覧)


国内ラジオ放送部門 AM放送 ラジオ第1 | ラジオ第2(AM番組一覧)

FM放送 NHK-FM(FM番組一覧)

地上デジタル音声放送 NHK(番組一覧)


国際放送部門 NHKワールド NHKワールドTV(番組一覧)| NHKワールド・ラジオ日本(番組一覧)

その他 NHKワールド・プレミアム(番組一覧) | テレビジャパン | JSTV


放送局 北海道 札幌 | 旭川 | 函館 | 室蘭 | 帯広 | 北見 | 釧路

東北 仙台 | 青森(八戸・弘前) | 盛岡 | 秋田 | 山形(鶴岡) | 福島(いわき・郡山)

関東・甲信越 放送センター | 水戸 | 宇都宮 | 前橋 | さいたま | 千葉 | 横浜 | 甲府 | 長野(松本) | 新潟

東海・北陸 名古屋(豊橋) | 富山 | 金沢 | 福井 | 岐阜(高山) | 静岡(浜松) | 津

近畿 大阪 | 大津 | 京都 | 神戸(姫路) | 奈良 | 和歌山

中国 広島(福山) | 鳥取(米子) | 松江 | 岡山 | 山口(下関)

四国 松山 | 徳島 | 高松 | 高知

九州・沖縄 福岡 | 北九州 | 佐賀 | 長崎(佐世保) | 熊本 | 大分 | 宮崎 | 鹿児島 | 沖縄

閉鎖・停止 樺太:豊原 | 南洋群島:パラオ


ラジオ送信所 NHK菖蒲久喜ラジオ放送所 | NHK大阪放送局のラジオ送信所一覧

関連施設 Category:NHKの施設
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関連人物 Category:日本放送協会の人物


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最終更新 2009年6月16日 (火)


オーストラリア

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オーストラリア


オセアニアの大陸についてはオーストラリア大陸を、その他の用法についてはオーストラリア (曖昧さ回避)をご覧ください。
オーストラリア連邦
Commonwealth of Australia

(国旗) (国章)

国の標語 : なし 国歌 : アドヴァンス・オーストラリア・フェア 公用語 英語
首都 キャンベラ
最大の都市 シドニー
政府
元首 エリザベス2世
総督
首相 クエンティン・ブライス
ケビン・ラッド

面積
総計 7,686,850km²(6位)
水面積率 0.9%

人口
総計(2008年) 21,293,000人(52位)
人口密度 3人/km²

GDP(自国通貨表示)
合計(2008年) 1兆1,817億[1]オーストラリア・ドル

GDP(MER)
合計(2008年) 1兆0,106億[1]ドル(15位)

GDP(PPP)
合計(2008年) 7,953億[1]ドル(16位)
1人当り 37,298[1]ドル

独立 イギリスより
1901年1月1日
通貨 オーストラリア・ドル(AUD)(A$)
時間帯 UTC +8 から +10(DST: +8 から +11)
ccTLD AU
国際電話番号 61

註1 : 国歌は公式には『アドヴァンス・オーストラリア・フェア』であるが、女王や総督が臨席する場合には『女王陛下万歳』が用いられる。 オーストラリア(英語 : Australia)またはオーストラリア連邦(オーストラリアれんぽう、英語 : Commonwealth of Australia)は、オセアニアの国でイギリス連邦の一国である。南東にはニュージーランド、北には、インドネシア、パプアニューギニア、東ティモールがある。世界で6番目に面積の大きい国である。英連邦王国の一国。

目次 [非表示]
1 国名
2 歴史
2.1 先史 - 人類の移動、居住、氷河期の終焉
2.1.1 更新世の地球環境、人類の移動
2.1.2 人類の居住以降
2.1.3 氷河期の終焉
2.2 ヨーロッパ人の到達以後
3 地理
3.1 動植物
3.2 環境問題
4 政治
4.1 地方区分
4.1.1 州
4.1.2 その他の特別地域
4.1.3 主要都市
4.2 地方自治
4.2.1 概要
4.2.2 全国の地方自治体数
4.2.3 地方自治体の名称
5 経済
5.1 基本情報
5.2 概要
6 国民
6.1 言語
6.2 宗教
6.3 教育
6.4 人種差別問題
7 文化
7.1 スポーツ
7.1.1 ラグビー
7.1.2 クリケット
7.1.3 競馬
7.1.4 サッカー
7.1.5 バスケットボール
7.1.6 モータースポーツ
7.1.7 野球
7.2 世界遺産
8 祝祭日
9 その他の話題
9.1 ナショナルカラー
9.2 日本との交流
10 脚注
11 関連項目
12 外部リンク


国名
正式名称は、Commonwealth of Australia(英語、コモンウェルス・オヴ・オストレーリア)。通称、Australia。

日本語の表記は、オーストラリア。Commonwealth に対応する語として「連邦」を付加し、オーストラリア連邦とされることもあるが、この場合の Commonwealth は「連邦」という意味ではないので、これを正式名称訳とするのは必ずしも正確ではないが、連邦制国家であることは間違いなく正式名称訳として用いられる。また、漢字による当て字で濠太剌利と表記され、濠または常用漢字の豪と略記され、濠洲(ごうしゅう、常用漢字では豪州と表記)とも呼ばれる。また「濠太剌利」の「剌」(ラツ)は、常用漢字である「刺」(シ・さす)と誤って書かれることもある。

国名の由来はterra australis(ラテン語 : 南の地)で、これはヨーロッパでの伝説上の大陸、テラ・アウストラリス・インコグニタ(ラテン語 : Terra Australis Incognita、メガラニカとも)に由来している。

なお、ヨーロッパの国であるオーストリアと間違われることもあるが、こちらはドイツ語(同国の公用語)で Österreich(エスターライヒ)といい、「東の国」という意味である。

マシュー・フリンダースも参照


歴史
詳細はオーストラリアの歴史を参照


先史 - 人類の移動、居住、氷河期の終焉

更新世の地球環境、人類の移動
40000~45000年前(60000年前、更にそれ以前とも言われる)、更新世の何回かの氷河期の結果海面が100~150m下降した更新世末期の、今日より海面が低い時にアボリジニがニューギニア方面からオーストラリアに渡って先住民となったと考えられている。

沿岸はティモール海域、ニューギニアに伸び、オーストラリアとともに一つの陸地(サフル大陸)であり、アラフラ海、カーペンタリア湾、トレス海峡をつないでいた。スンダ列島から海の短い距離の部分を渡って Sahul へ、続いて陸橋を渡ってオーストラリアへ来たと考えられている。

考古学的証明では、西オーストラリアのスワン川上流に40,000年前、タスマニア(タスマニアも当時大陸に繋がっていた)には30,000年前に人類居住跡が見つかっている。また約42,000年前とされる人類の化石もニューサウスウェールズ州で発見されている(例: ムンゴマン)。

オーストラリア、ニューギニアとインドネシアでの動物・植物種の共有は、当時の陸橋の結果である。最後の氷河期の終わりに海面が上昇し、オーストラリアとニューギニアの間は海でへだてられた。海面レベルは6000年前から現代までほとんど同じである。


人類の居住以降
木炭の発見から、火の使用も確認されている。狩猟採集民族は森林、硬葉樹林を開拓するためなどに使用した。耐火性の高いモクマオウ、ユーカリ、アカシアなどが残った。

動物種では人間より大きい巨型動物類は絶滅し、多くの小型動物もいなくなった。ディプロトドン(全長3m、有袋類の草食動物で史上最大の有袋類、カバに似ている)、数種の大きな飛べない鳥、肉食のカンガルー、5mの長さのトカゲ、小型自動車ほどの大きさの亀などを含む、約60種の脊椎動物が絶滅した。

大規模な絶滅の原因は分かっていない。火、狩猟、気候変動などと考えられるが、最も大きな原因は人間の介入だと思われている。

ヨーロッパ人による侵略以前の人口は分かっていない。


氷河期の終焉
13,000年前に更新世末期、氷河期終焉を迎え、トレス海峡、ヴィクトリアとタスマニアの間のバス海峡、カンガルー島との間に海面が広がった。

アボリジニの伝説によると、氷河期の終焉は早く(あっという間に訪れた)、海面の上昇(陸地の失現)とともに、魚が天から降って来た、津波があったと伝えられている。

そのとき以来、タスマニアアボリジニは地理的に孤立し、9,000年前にバス海峡の島々とカンガルー島の人間は消滅した。

オーストラリアとオーストロネシアの人々との交流は長期にわたってあったと言語学、遺伝学的に証明されている。


ヨーロッパ人の到達以後

イギリスのジェームズ・クックは、エンデバーを指揮してボタニー湾に上陸、領有宣言を行った。1606年にオーストラリア大陸に最初に到来した白人はオランダ人のWillem Janzであった。だが、赤道付近の熱帯の北部地域に上陸し、その周辺のみしか探索しなかったため、植民地には向かないと判断し、オランダ人は入植しなかった。1770年にスコットランド人のジェームズ・クックが温帯のシドニーのボタニー湾に上陸して領有を宣言し、入植が始まった。東海岸をニュー・サウス・ウェールズと名付けた。アメリカの独立により、1788年からアメリカに代わり流刑植民地としてイギリス人の移民が始まった。初期移民団1030人のうち、736人が囚人でその他はほとんどが貧困層の人間であった。また、当時は軽犯罪でもオーストラリアに流刑されたという。

1828年に全土がイギリスの植民地となり、開拓が進んだ。内陸を探検し、農牧地を開拓した。その段階で先住民のアボリジニから土地を取り上げて放逐し、反抗者は(時には反抗しない者も)殺害した。1830年までに純血のタスマニア先住民は絶滅させられた。19世紀の初めにはスペイン産メリノー種羊を改良し、以後、羊毛産業が発展した。なお、羊が重宝されたのは羊毛に関してだけでなく、まだ冷凍船がなかった頃、肉類の中で羊肉が1番長持ちしたためである。1850年代にゴールドラッシュが発生すると中国系の金鉱移民に対する排斥運動が起こり、後の白豪主義につながった。


州設立の歴史オーストラリアは、1901年にイギリスから事実上の独立をしたが、独立後もイギリス国王への忠誠からイギリスの戦争には度々参加した。第一次世界大戦ではオーストラリア・ニュージーランド軍団 (ANZAC) として英仏軍と共にガリポリの戦いに参加し、オスマン帝国軍との激戦を経験した。ANZAC軍のガリポリ上陸記念日である4月25日はANZACの日として国民の祝日となっている。第二次世界大戦では日本軍の爆撃や特殊潜航艇によるシドニー港攻撃を受け、ニューギニアやボルネオで日本軍と戦い、日本占領にも参加した。戦後、ヨーロッパからの白人移民は減り続け、国力となる人口増加は鈍った。そこで1980年代からは白豪主義を撤廃し、世界中から移民を受け入れることとし、「多文化主義」へと移行した。ベトナム戦争にも積極的に参加し、アメリカと共に戦い、その後ベトナム難民を数多く受け入れた。1975年、ニューギニア信託統治地域がパプアニューギニアとして独立した。2003年のイラク戦争にも参加した。

距離は離れているものの、同じアングロ・サクソンのイギリス、アメリカや、移民出発地の他のヨーロッパ諸国との結びつきが依然強い。もっとも、地理的に、北半球の欧米諸国の一員ばかりではいられない場面も多い。特にフランスの南太平洋のムルロア環礁での核実験の際には、北半球の欧米諸国が黙認する中、隣国のニュージーランドと共に猛抗議した。市民の間にもフランス製品不買運動が広がり、大都市のフランスの有名ブランド店では一時休店したところもある。ただし、その背景にはアングロサクソン特有の嫌フランス感情があるともいわれる。また、2008年の北京オリンピックでは、お家芸の水泳競技の決勝時間が、同じくお家芸でライバルであるアメリカの(ニューヨークなど)東部時間のゴールデンタイムに合わされたため(北京時間では朝)、北京より進んだオーストラリア時間では決勝生中継が昼になってしまい、猛抗議している。

オーストラリアの周りは荒い海であったために、16世紀頃の世界地図にTerra Australis Incognita(テラ・アウストラリス・インコグニタ、「南方にある未知の大地」という意味)と表されていた。

首都がキャンベラとなったのは、シドニーとメルボルンで首都争奪戦の末、妥協案として、シドニーとメルボルンの中間に新たに都市を建設して首都としたためである。


地理
詳細はオーストラリアの地理を参照


オーストラリア上空からの衛星画像。国土のほとんどが砂漠で覆われているため、人口の多くは沿岸部に集中している。オーストラリア大陸とタスマニア島及び、その他の小さな島で構成される。オセアニア州のオセアニア大陸とは、ほとんどオーストラリア大陸に等しい。オーストラリア大陸は平均高度が340mと全大陸中もっとも低い。さらに、2000m以上の地点の面積比が計算上0.0%となり、これも全大陸中もっとも低い。しかしながら、高度別の頻度分布では200~500mに相当する面積が最も広く42%に達する。これも他の大陸にない特徴である。つまり、オーストラリア大陸は低い大地が一面に広がり、起伏が小さな大陸だと言える。

オーストラリア大陸の東側には古期造山帯のグレートディバイディング山脈が延びる。最高峰は首都キャンベラの南南西120kmの地点にそびえるコジアスコ山 (Kosciuszko) 。標高2228m(オーストラリア政府)、2230m(理科年表2006)。更に東側は温暖湿潤気候、西岸海洋性気候の過ごし易い気候で人口はこの地域に集中し、ブリスベン、シドニー、メルボルンといった大都市は全てこの地域にある。グレートディバイディング山脈の西側は乾燥したステップ気候の大鑽井盆地(グレートアーテジアン盆地)であるが、井戸を掘れば水が出るので、羊の放牧が行われている。大鑽井盆地より更に西はグレートサンディ砂漠、グレートビクトリア砂漠、ギブソン砂漠等の砂漠が広がり、人はあまり住んでいない。大陸の西海岸にパースがあるぐらいである。

大陸の北東部は熱帯雨林気候または熱帯季節風気候に属し、サンゴ礁が広がるグレートバリアリーフが有名で観光地になっている。ケアンズが観光拠点になっている。

ノーザンテリトリーのウルルは複合遺産として認められたオーストラリアの代表的な自然景観で、有名な観光地になっている。

グレートディバイディング山脈では石炭が、大陸の北西では鉄鉱石が、西部では金が産出する。大陸北部ではボーキサイトやウランが産出し、世界有数のボーキサイト・ウラン輸出国になっている。


動植物

コアラコアラ、カンガルー、ポッサムなどの有袋類やカモノハシ、ハリモグラなどの単孔類、エミューに代表されるように、地理的隔離と気候の多様性が生んだその生態系は非常に個性的である。オーストラリアの森林率は19%であり高山植物から熱帯雨林まで様々な植物の自生地帯が存在するが、大陸の大半は砂漠とステップ(半乾燥帯)で占められる[2]。

多くの固有の生物を守るために、厳しい検疫を行っている。


環境問題
オーストラリアの自然環境は非常に苛酷であるとされ、大陸の40%が非居住地域(アネクメネ)となっている。その理由は土壌の栄養分が極めて乏しいこと、塩害が発生しやすいこと、降雨量が少ないことの三つである。こうした悪条件により、穀物生産や牧畜業、果樹生産など広範な分野においてオーストラリアの農業生産性は極めて低い。また河川から海に流入する栄養分も貧弱なため、漁業生産もその広大な排他的経済水域から考えると非常に少ないとされる[3]。このような苛酷な環境に加え、近年の地球温暖化の影響により、降雨量が更に減少し、農業、畜産、日常生活に大きな影響を与えている。

また、本来生息しないはずのラクダが外部から持ち込まれ、大部分が砂漠気候であるオーストラリアで野生化・繁殖するケースも目立っている。さらに近年深刻な問題となっているのが、南極上空付近のオゾン層破壊による紫外線問題であり、紫外線照射による皮膚炎、皮膚ガン患者数は年々増加している。政府は国民に対し、外出の際には紫外線対策を怠らないように警告を促している。


政治
政体は立憲君主制・連邦制である。成文憲法のオーストラリア憲法をもつ。イギリス国王・女王と同一人物であるオーストラリア女王が国家元首とみなされるが、実際にはオーストラリア総督が国王・女王の代行を務める。その権限は専ら儀式程度に限られる。ただ1975年に上下院が対立して予算案が議会を通らずに労働党政府の維持が困難になった際に、総督が憲法に基き議会を解散、ウイットラム首相を解任するという事件が起き、論議を呼んだ。

議会は二院制で、連邦制のため上院が優越する。選挙権は18歳以上(義務投票制)。上院は任期6年で、議員は各州から12名ずつ、特別地域(首都とノーザンテリトリー)から2名ずつの計76人から構成され(単記移譲式投票)、州を代表する。下院は任期3年で、小選挙区から1名ずつ選出され、定員は150人。主な政党は労働党、自由党、国民党、緑の党(グリーンズ)、民主党。

政府は議会に対してのみ責任を負うイギリス型の議院内閣制。政府機関には移民市民権省等オーストラリア特有の機関がある。

共和制へ移行して名実共に英国から独立すべきと主張する共和派も活動しており、君主制の是非を問う国民投票も何度か実施されたが、僅差で否決されている。

2007年に11年9か月ぶりの与野党交代があり、労働党のケビン・ラッドが首相に就任した。


地方区分
詳細はオーストラリアの州と特別地域を参照


オーストラリアの地図オーストラリアは六つの州とその他の特別地域に区分されている。



オーストラリア首都特別地域 (ACT)
西オーストラリア州 (WA)
ビクトリア州 (VIC)
クイーンズランド州 (QLD)
南オーストラリア州 (SA)
タスマニア州 (TAS)
ニューサウスウェールズ州 (NSW)
ノーザンテリトリー (NT/北部準州)

その他の特別地域
アシュモア・カルティエ諸島
オーストラリア南極領土
クリスマス島
ココス(キーリング)諸島
コーラル・シー諸島
ジャービス湾
トレス海峡諸島
ハード島とマクドナルド諸島
マッコーリー島
ノーフォーク島
ロード・ハウ群島

主要都市
都市 行政区分 人口 都市 行政区分 人口
1 シドニー NSW 4,336,374 11 ホバート TAS 207,467
2 メルボルン VIC 3,806,092 12 ジーロング VIC 169,544
3 ブリスベン QLD 1,867,594 13 タウンズビル QLD 157,174
4 パース WA 1,554,769 14 ケアンズ QLD 135,856
5 アデレード SA 1,158,259 15 トゥーンバ QLD 123,406
6 ゴールドコースト-トゥウィードヘッズ QLD/NSW 583,657 16 ダーウィン NT 117,395
7 ニューカッスル NSW 523,662 17 ローンセストン TAS 104,071
8 キャンベラ-クイーンビアン ACT/NSW 388,072 18 オルベリー-ウードゥンガ NSW/VIC 101,842
9 ウロンゴン NSW 280,159 19 バララット VIC 89,665
10 サンシャイン・コースト QLD 230,429 20 ベンディゴ VIC 86,510
2007年国勢調査

地方自治

概要
オーストラリアの地方自治は、各州ごとの憲法あるいは地方自治体法 (Local Government Act) により設置された地方自治体 (Local Government) という単位で行なわれている。地方自治体のいくつかが統合されて広域自治体 (Regional Council) となる場合もある。


全国の地方自治体数
2006年4月時点の地方自治体は656で、各州ごとの自治体数は次のとおり[4]。

州・特別地域 地方自治体数
ニューサウスウェールズ州 151
ビクトリア州 78
クイーンズランド州 124
西オーストラリア州 141
南オーストラリア州 68
タスマニア州 29
ノーザンテリトリー 65


地方自治体の名称
地方自治体の名称は、都市部では、市 (City Council) 、ミューニシパリティ (Municipality) 、タウン (Town) 、農村部では、シャイヤー (Shire Council) 、ディストリクト (District) という呼称が使用されることが多い。


経済

基本情報
会計年度 - 7月1日から6月30日
貿易組合 : APEC、WTO、OECD
GDP : 8640億 AUD (2005-2006)
GDP成長率 : 3%
1人あたりGDP : 43,000 AUD
産業 - 農業 (3.4%) 、鉱業 (4.9%) 、工業 (23.2%) 、サービス業 (68.4%)
労働人口 - 1千万人
失業率 - 5.2%
貿易

輸出 - 1,270億 AUD
相手国 - 日本、中国、韓国、アメリカ、ニュージーランド
輸入 - 1,495億 AUD
相手国 - アメリカ、中国、日本、ドイツ
ODA出資 : 25億 AUD


概要
西洋型混合経済、インフラの多くを国、州などが権利を持つ

公共企業 :

電話 - テルストラ
公共交通(鉄道・バス・フェリーなど)
小売業 - ウールワース、コールス・グループ
自動車 - 乗用車を製造(GMホールデン、フォード、トヨタ、三菱)
農業 - 多くが自給、牛肉(オージー・ビーフ)
穀物 - 小麦、ホップなど
鉱業 - 鉄鉱石、ボーキサイト、チタン、ウラン、金、石炭、オパール、原油、天然ガスなど、中でもアルミニウムの原料であるボーキサイトは、ほぼオーストラリアでしか取れないほどである(鉄鉱石も有名だがチタンの方が世界的に取れる割合が圧倒的に多い。詳しくはチタン鉄鉱を参照)。
観光 - 豊かな自然のため、オーストラリア主産業の一つ。
ギャンブル - 合法、多くの主要都市にカジノがあり、庶民・観光客の娯楽となっている。
航空 - 英語圏最古の航空会社、カンタス など。
教育 - 留学生の受け入れが産業としても顕著。
多くのアメリカ系・日系企業などが進出している。


国民
住民の約90%が白人であり、その他にアジア人が約7%、アボリジニなどが約2%となっている。移民は全体の約2割を占め、出身国はイギリス、ニュージーランド、中国、イタリア、ベトナムが多い。


言語
公用語は英語(オーストラリア英語)で、人口の78.5%が家庭で英語のみを使用し、最も広く使われている。また移民の割合が高いため、非英語圏から来た移民あるいはその子孫の中には、家庭で祖国の言葉を使う者もおり、中国語が2.1%、イタリア語が1.6%等少数だが存在する。


宗教
宗教はキリスト教が主であり、2006(カッコ内は2001)年の国勢調査によれば、ローマ・カトリックが25.8%(26.6%)、聖公会が18.7%(20.7%)等を含めたキリスト教徒全体が約64%、非キリスト教が約5%(4.9%)、無宗教が18.7%(15.5%)、無回答が約12%(11.7%)である。また別の統計によれば[5]、週に少なくとも1回は教会を訪れるのは、人口の7.5%であるという。


教育
詳細はオーストラリアの教育を参照

オーストラリアの公立校は各州の教育省が管轄しており、州によってカリキュラム、中学校への進学学年、学期制度などが異なる。

6歳から15歳(日本の高等学校1年)、あるいはタスマニア州の16歳(高校2年)までが義務教育期間となる。他の先進国同様、共働き家庭などの子どもはデイケアに預けられ、小学校入学前にキンダーガーテンまたはプリスクールと呼ばれる就学前教育機関に通う。キンダーガーテン(幼稚園)を幼児教育ではなく、アメリカ合衆国のように初等教育の一部とする州もある。小学校は男女共学で6年または7年生まで。中等教育はセカンダリー・スクールと呼ばれる中高一貫教育校で12年生までが通うが、例外はタスマニア州で7年から10年までのハイスクールと11・12年のセカンダリー・カレッジに分かれている。

オルタナティブ教育が盛んで、アメリカで言うところのマグネット・スクールが多く設置されており、理数系、芸術系、外国語イマージョン・プログラムなど特化教育を行っている。私立校はキリスト教主義学校とくにカトリックと聖公会に属すものが多い。教会直属の学校のほかに、イギリスと同様、インデペンデント・スクールと呼ばれる学校が多くあり、一部は名門校として知られている。授業料が比較的安いためカトリック系インデペンデント・スクールは人気があり、私立校の一分野を築いている。職業訓練の要素が強い中等後教育コースであるTAFE(州立)やVET(私立)を選択することもできる。

義務教育(高校1年あるいは2年)を終えた時点で終了試験を受け、合格すれば義務教育終了証を得るが、大学に進学しない者も3年生まで通って各州で統一された卒業試験を受ける生徒が多い。大学は卒業試験と、高校の最終2年間の成績をもとに入学審査を行う[6]。

どの州にも共通しているのは

1月末から2月はじめの夏の終わりごろに新学期が始まる
公立校でも小学校から制服がある。紫外線が強く、通学帽としてだけでなく休み時間や屋外で行う授業でも制帽の着用が義務づけられている。
一クラスの人数は20人から25人程度で、教科書も各学校や学級ごとに異なる。
小学校から留年(該当科目だけ留年の場合も有り)がある
といった点である[7]。


人種差別問題
住民の主流を占める白人による、オーストラリア先住民アボリジニや他の有色人種の移民に対する迫害や差別の歴史があり、現在も黄色人種、黒人、中東系などの有色人種に対する優越思想や白豪主義が一部に存在し、2005年にはシドニー人種暴動が発生した[8]。このため、有色人種が住民の主流を占める国々の旅行会社の中には、人種差別的な犯罪に注意を促すところもある。[要出典]

なお、オーストラリア・ウェスタン・シドニー大学の調査によると、オーストラリア国民の10人に1人が「人種至上主義者」である事が明らかになり、人種差別的視点を持つ者が少なくないことが明らかとなった[9]。

近年では、特にインド人に対する迫害が激しくなっている。犯人はほとんどが10代の少年であり、「カレーバッシング」と称してインド人を襲っている。昨年末にインド人男性を殺害し逮捕された少年2人は18歳、先週シドニーで大学生を襲ったのは12歳から16歳の少年6人である[10]。インドでは大々的に報道されており、「オーストラリア人は人種差別主義者?」と報じられ、オーストラリアの異常な人種差別の実態が知られるようになってきている[11]。

ケビン・ラッド豪州首相は「事件の背景に人種差別があるわけではない、オーストラリアは今でも世界有数の安全な国」と主張しているものの、インドのマンモハン・シンインド首相は議会演説で「分別のない暴力と犯罪には身の毛がよだつ。その一部は人種的動機から、オーストラリアにいるわが国の学生に向けられている」と指摘、外交問題に発展する様相を見せている[12]。


文化

スポーツ
詳細はオーストラリアのスポーツを参照

オーストラリアではオーストラリアン・ルールズ・フットボール(オージーボールとも)とラグビー(特にラグビーリーグ)、クリケットが絶大な人気を誇っている。特にクリケットの国際試合で活躍した選手は国民的英雄の扱いを受けている。海水浴に適した海岸線が長いことからサーフィンや海水浴客の救助から発祥したライフセービングなどマリンスポーツが盛んである。バスケットボールも人気があり、NBLというプロリーグも存在する。またテニスも非常に盛んであり、夏場(日本の冬の時期にあたる)ではほぼ毎日テニスの試合がテレビで放送されるほどである。また、レイトン・ヒューイットなどの有名なテニスプレーヤーを輩出している事も知られている。


ラグビー
ラグビーはラグビーユニオンとラグビーリーグに大別できるが、ニューサウスウェールズ州やクイーンズランド州では13人制のラグビーリーグの方が盛んである。とはいえ、いずれも世界的に見れば強豪国である。15人制のユニオン代表チーム(ワラビーズ)はワールドカップで優勝二回、準優勝一回の強豪である。トライネーションズでのニュージーランドとの対戦では国中が盛り上がる。州ごとのクラブチームもスーパー14に参加している。


クリケット
ラグビーは冬のスポーツであるが、夏のスポーツの代表格となるものがクリケットである。クリケットは野球と似ており、投手が投げたボールを打者が打ち、打ったボールがフィールドを転がる間に打者が走る事で点を重ねるゲームである。野球はアメリカ発祥だがクリケットはイギリスが発祥国で、イギリス連邦などで絶大な人気を誇っているがオーストラリアもその例外ではない。


競馬
詳細はオーストラリアの競馬を参照

競馬は馬が持ち込まれてすぐの1810年に初めて開催され、現在でも非常に盛んに行われている。一人当たりの馬券購入額は日本やイギリスを凌いでおり、競馬場の数は平地競走、障害競走、繋駕速歩競走、クォーターマイル用を全て合わせると大小480場を数える。サラブレッド生産頭数は約18000頭でアメリカ合衆国に次ぐ世界2位、スタンダードブレッドも約6000頭でフランス、アメリカ合衆国に次ぐ規模である。

オーストラリアには地域ごとに大レースがあり、それぞれカーニバルが並行され大きく盛り上がる。その中でも最大のメルボルンカップは、メルボルンの都市圏が祝日となり国の機能が停止すると表現されるほどの盛り上がりとなる。また、騎手や競走馬が大きな名声を得ることもあり、競走馬では、北米遠征初戦で勝利するも謎の死を遂げ反米感情のシンボルとなったファーラップ、2003-05年にメルボルンカップを3連覇したマカイビーディーヴァ等が有名。また2006年には日本のデルタブルースが優勝。2着のポップロックと共に日本馬のワンツーを決めた。オーストラリア第3の都市ブリズベンでは、農業省の祝日であるエッカホリデーでの競馬が有名である。エッカホリデーの競馬では、皆が正装(男性は主にスーツ、女性は主にドレス)し競馬を楽しむ。エッカホリデーでは朝からビールなどアルコール類を飲み楽しむオーストラリア人を多数目撃する事ができる。その結果として、公共トイレは男性も女性も大行列になっており、移動式のトイレなども競馬場に多数用意されている。また、非常に多くの者が競馬観戦をするため、最寄りの駅などの交通機関は完全に麻痺する。電車などは東京の品川駅などの通勤ラッシュを彷彿させるほどの混雑ぶりである。これはオーストラリアではとても珍しい事であり、エッカホリデーのレースのイベントの重要性が伺える。


サッカー
ヨーロッパからの移民(英国圏、イタリア、クロアチアなど)が多いため、サッカー競技人口自体は多かったものの、国民のナショナルチーム「サッカールーズ」への関心は薄かった。これは例えオセアニアで一番になろうと、オリンピックに出場しようと(出場枠が1)ほとんど反響がなかった。しかし「眠れる巨人」と言われたオーストラリアサッカーは、これまで主力選手が海外で活躍していたが、2005年に国内のプロリーグAリーグが発足したことに加え、代表チームは2006年ドイツワールドカップ進出を決め(32年ぶり2度目)、日本を3-1で破って初勝利を飾るなど活躍し、決勝トーナメントへ進んだ。1回戦でドイツ大会を優勝したイタリア相手には、試合終了直前にPKを決められ1-0で惜しくも敗退した(但し、このPKは疑惑のPKと呼ばれ、のちにFIFA会長のジョゼフ・ブラッターがオーストラリアが勝ち進むべきだと異例とも取れる発言を行った)が、その予想以上の活躍ぶりに国内では盛り上がりを見せた。2010年大会の開催国は南アフリカに決定されているが、問題が生じて代替開催地として有力視されている。

女子代表チームの愛称は「マチルダズ」(「ワルチング・マチルダ」に因む)。

これまではオセアニアサッカー連盟 (OFC) に加盟していたが、2006年1月よりアジアサッカー連盟 (AFC) に移籍した。


バスケットボール
オーストラリアのバスケットボール選手を参照

外国人としては史上2人目のNBAドラフト1巡目1位指名選手となったアンドリュー・ボーガットが最も有名。国内にはNBLと呼ばれるプロバスケットボールリーグを持つ。男子代表はこれまでにオリンピック出場11回、世界選手権出場9回を誇る。1996年アトランタオリンピック、2000年シドニーオリンピックと2大会連続で4位になるなど、オセアニアの王者としてだけでなく、世界的にも強豪である。その後の2004年アテネオリンピックや2008年北京オリンピック、世界選手権には出場し続けるものの、成績はやや不振気味。現在若手への世代交代の最中でアンドリュー・ボーガットを中心とした新たなチーム作りをしている。このボーガットを中心に、近年NBAにドラフト指名される選手が複数出てきており、復活の兆しが見えている。男子代表チームのニックネームは「Boomers」。ニュージーランド代表とは熾烈なライバル関係にある。


男子以上に世界的に有名で強いのが、女子代表である。女王ローレン・ジャクソンを始め、数多くのWNBA選手を輩出し、2000年のシドニーオリンピックから2008年の北京オリンピックまで3大会連続で銀メダル獲得。2006年の世界選手権では遂に優勝し、金メダルを獲得した。世界最強のアメリカ代表にとって最大のライバル国となっている。女子代表チームのニックネームは「オパールズ」。


モータースポーツ
メルボルンでF1、MotoGP、WSBが年1回行われており国内選手権なども盛んに行われている。 数多くの年間王者を輩出しており高い人気を誇っている。


野球
2004年のアテネオリンピックでは元メジャーリーグ所属選手を中心としたマイナーリーグ所属選手、およびNPB所属のジェフ・ウィリアムスなどを擁し、日本プロ野球のドリームチームと呼ばれた日本代表を予選リーグ、決勝トーナメントともに破り、銀メダルを獲得した。→野球オーストラリア代表

オーストラリアン・メジャーリーグ (AMLB) というプロリーグも存在するが、リーグ戦の期間は短く、多くの選手は兼職で、また有力な選手はメジャーリーグを中心として海外に流出しているため、代表チームの競技レベルは上がっても国内の競技レベルと人気は上がらないのが実情である。


世界遺産
オーストラリア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2物件、自然遺産が10物件、複合遺産が4物件の合計17物件ある。詳細は、オーストラリアの世界遺産を参照。主に自然に関する物件ばかりである。


祝祭日
祝日は州毎に定められている。下記の他に競馬の大レース(メルボルンカップ、アデレートカップ、ローンセストンカップ等)や農業ショーの日は都市、地域限定の祝日となる事がある。

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 New Year's Day
1月26日 オーストラリアの日 Australia Day
イースター 聖金曜日 Good Friday 復活祭前の金曜日
イースター 復活祭 Easter Saturday 西オーストラリア州を除く
イースター 復活祭後の月曜日 Easter Monday 復活祭翌日の月曜日
4月25日 ANZACの日 Anzac Day
6月の第二月曜日 女王の誕生日 Queen's Birthday 西オーストラリア州では移動祝祭日[2]。
不定期※ 労働者の日 Labour Day 州によっては違う
12月25日 クリスマス Christmas Day
12月26日 ボクシングデー Boxing Day 南オーストラリア州ではProclamation Day


その他の話題

ナショナルカラー
オーストラリアではゴールドと緑色をナショナルカラーとして1984年4月19日から制定している。そのため、この二色は様々なことに好んで用いられる。例えば、クリケットやラグビー、サッカーのオーストラリア代表ユニフォームにこの二色を採用している。


日本との交流
詳細は日豪関係を参照

オーストラリアにとって日本は最大の輸出相手国であり、鉄鉱石、石炭、牛肉などが輸出されている。近年、オーストラリアではアジア・太平洋地域との結びつきを重視し始めており、日本製品(主の自動車や電子機器などの工業製品)を多数輸入している。オーストラリア国内には日本製品が多数存在し、オーストラリア人の生活には欠かせないものとなっている。これらのことから、現在日豪FTAと呼ばれる日本とオーストラリア間のFTA(自由貿易協定)交渉が行われている。

内外から批判は多いものの、イラク戦争で共同歩調をとったことから政治的な友好関係が深まり、2006年には日米豪閣僚級戦略対話が行われるなど、政治、安全保障、経済、科学技術などの面での関係拡大が図られ、政治面でもアジア・太平洋地域における日本の重要なパートナーとなりつつある。1976年に日豪友好協力基本条約が締結され、締結30周年目に当たる2006年は「日豪交流年」とされている。これを記念して、オーストラリア最大のコレクションを誇るナショナル・ギャラリー・オブ・ビクトリア(メルボルン)では日本の漆に焦点をあて「フォーカス・オン・ラッカー展」を開催した。1984年来、同美術館に所蔵されている木漆工芸家菅沼三千子創作の赤漆盛器が改めて日豪交流の一役を担った。2007年3月には日豪首脳会談において、日豪間の外交・防衛協力の緊密化を謳った「安全保障協力に関する日豪共同宣言」が調印された。戦後の日本にとって防衛に関する共同宣言は、アメリカ以外では初めてのことであった。これに関連し、防衛外交当局者による定期的な会議(2プラス2)の開催も決定した。

日本からは留学生や観光客がオーストラリアを訪れているほか、オーストラリアはワーキングホリデー協定を最初に締結した国(1980年)であり、現在でも対象国中で高い人気を誇っている。ケアンズやゴールドコーストのサーファーズパラダイスでは、日本人店員や日本人観光客が多数いて、日本語の看板も多く目にする。また、近年、日本ではケアンズを修学旅行先として選ぶ学校もある。だが、増加を続けるオーストラリアの外国人観光客のうち、日本人観光客は前年比の10%減少をしており、日本人の海外旅行先の多様化や、上記のシーシェパードへのオーストラリア政府の支援による対オーストラリア感情の悪化などの影響を受けて、依然として減少を続けている。

一方、オーストラリアからも近年、スキー・スノーボード目的の観光客が、日本の北海道のニセコに多く訪れている。北海道の雪質が好まれる他、「地理的にさほど離れていない・時差が少ない・季節の逆を利用して楽しめる」等の点が人気のようである。また、オーストラリア人の日本語学習者も多く、有名な観光地では日本語を話す事ができる人や日本に留学したり住んでいたりする人も多くいる。オーストラリア人の日本語学習者は実際数も、総人口に占める日本語学習者の割合もどちらも欧米諸国の中でトップである。ちなみに、日本人がオーストラリア大陸に初上陸した場所はメルボルンであった。このことは、2002年の『全国高等学校クイズ選手権』の関東大会第一問にもなった。

なお、前述のように太平洋戦争において日本はイギリス連邦の一員であるオーストラリアと交戦しており、委任統治領やダーウィンなどで日本軍の空爆や艦砲射撃を受けているが、日本ではあまり知られていない。その為、北部地域では高齢者中心に対日感情はあまりよくない。加えて、近年オーストラリアの白人の間では日本の調査捕鯨に反対する世論が高まり、環境問題に関して過激な思想を持つ団体の支持を公然と行う者が現れたり、本来豪州の主権が及ばない海域で日本船に対して、日本やノルウェーなどの捕鯨船に対する発砲や爆破、当て逃げ行為を行う国際テロ集団である「シーシェパード」がテロ活動を行うことをオーストラリア政府が黙認(事実上の支援)している状況である。実際、オーストラリアの白人の一部では文化的差別感情や人種差別思想や反日感情を持つ者もいるようである(後述)。


脚注
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^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
^ http://adl.brs.gov.au/forestsaustralia/_pubs/sofr2008reduced.pdf
^ ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』13章「搾取されるオーストラリア」(草思社2005)
^ THE AUSTRALIAN LOCAL GOVERNMENT GUIDE APRIL 2006より。
^ NCLS Research: NCLS releases latest estimates of church attendance(英文)
^ APLa オーストラリアの教育
^ オーストラリア教教育ネットワーク:オーストラリアの教育
^ JAMSTV、シドニー人種暴動の記事
^ "オーストラリア人の約1割は人種至上主義者=調査". ロイター. 2008年9月29日 閲覧。
^ "豪州で広がる「カレーバッシング」 対印関係に暗雲". 産経新聞. 2009年6月3日 閲覧。
^ "カレー・バッシングは「人種差別」 反発強めるインド". 産経新聞. 2009年6月3日 閲覧。
^ インド人留学生の暴行被害が多発、外交問題に発展も - CNN 2009年6月12日

関連項目
詳細はオーストラリア関係記事の一覧を参照

オーストラリア関係記事の一覧
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最終更新 2009年6月13日 (土)

NHK 2009-6-16 6:40 放映中  上高地

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高大連携情報誌 調べもの新聞

【ブログ=穴埋め・論述問題】


上高地


河童橋と穂高連峰(2002年5月撮影)
早朝に撮影された梓川(2006年8月撮影)
梓川と焼岳(2002年6月撮影)
大正池(2005年10月撮影)
明神池(2001年8月撮影)
千丈沢と焼岳(2005年10月撮影)
田代湿原(2005年10月撮影)
田代池と六百山(2005年10月撮影)上高地(かみこうち)とは、長野県西部の飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地で、標高約1,500m。松本市域に含まれ、中部山岳国立公園の一部ともなっており、国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)に指定されている。

温泉があり、穂高連峰や槍ヶ岳の登山基地ともなっている。

「かみこうち」の名称は本来「神垣内」の漢字表記だが、後に現在の「上高地」の漢字表記が一般的となった。「神垣内」とは、穂高神社の祭神、穂高見命(ほたかみのみこと)が穂高岳に降臨し、この地(穂高神社奥宮と明神池)で祀られていることに由来する。

目次 [非表示]
1 地形・自然
1.1 上高地の花
2 歴史
3 アクセス
4 みどころ
5 温泉
6 情報発信施設
7 宿泊施設
8 登山対象となる山
9 関連項目
10 外部リンク


地形・自然 [編集]
上高地は、北アルプスの谷間にある、大正池から横尾までの前後約10km、幅最大約1kmの堆積平野である。かつて岐阜県側に流れていた梓川が焼岳火山群の白谷山の噴火活動によってせき止められ池が生じ、そこに土砂が堆積して生まれたと考えられている。狭義にはこの平野のうち、観光名所として知られる河童橋の周辺だけを指す場合もある。この高度でこれほどの広さの平坦地は、日本では他に例が少ない。

気候的に山地帯(落葉広葉樹林帯)と亜高山帯針葉樹林の境界線付近の高度に位置しているため、ブナ・ミズナラ・シナノキ・ウラジロモミ・シラビソ・トウヒなど、両者の森林の要素が混在し、更にヤナギ類やカラマツを中心とする河川林や湿原が広がるなど、豊かな植生で知られている。

梓川や大正池には渡りをしないマガモが住んでおり、ほとんどの個体は人を恐れない。ニホンザルも通年住んでおり、冬季は下北半島のニホンザルよりも厳しい条件である当地で越冬する。

最終氷期(ウルム氷期)には、上高地の上部に位置する槍沢と涸沢には山岳氷河が発達し、もっとも拡大した時期には氷河の末端が上高地最深部の横尾にまで達していたと考えられている。


上高地の花 [編集]
イワカガミ
ニリンソウ
エゾムラサキ
小梨

歴史 [編集]
17世紀 樹木伐採のため、徳本(とくごう)に松本藩の役人小屋が作られる。
1828年(文政11年)越中富山の僧侶播隆(ばんりゅう)が槍ヶ岳に登り、仏像を安置する。
1885年(明治18年)上高地牧場開設。
1896年(明治29年)ウォルター・ウェストンが日本アルプスをイギリスに紹介。
1910年(明治43年)現在河童橋がある場所にあった丸太の跳ね橋を吊り橋に変更。
1915年(大正4年)焼岳の噴火で梓川が堰き止められ、大正池が生まれる。
1924年(大正13年)手掘り工事により旧釜トンネル開通。
1926年(昭和2年)中ノ湯まで車道開通。
1927年(昭和3年)霞沢発電所への取水ダムを大正池に設置。
1928年(昭和4年)国の名勝および天然記念物に指定される。中ノ湯まで乗合バス運行。
1933年(昭和8年)乗合バスを大正池まで延長。帝国ホテル開業。
1934年(昭和9年)中部山岳国立公園に指定される。上高地牧場廃止。
1935年(昭和10年)乗合バスを河童橋まで延長。徳沢牧場廃止。
1937年(昭和12年)ウェストン碑取り付けられる。
1947年(昭和22年)第1回ウェストン祭。
1949年(昭和24年)上高地の主であった内野常次郎は窮乏のまま死す。
1952年(昭和27年)国の特別名勝特別天然記念物に指定される。
1975年(昭和50年)7-8月のマイカー規制開始。
1977年(昭和52年)大正池に堆積した土砂の浚渫(しゅんせつ)を開始。
1996年(平成8年)通年のマイカー規制開始。
1997年(平成9年)安房トンネル開通。
2004年(平成16年)7月-8月の観光バス規制開始。
2005年(平成17年)新釜トンネル開通。
2007年(平成19年)日本の地質百選に選定(「上高地と滝谷花崗岩」)。

アクセス [編集]
上高地へのアクセスは、長野県松本市や岐阜県高山市を拠点とする国道158号を利用する。なお、一部地図では通行可能に見える上高地乗鞍スーパー林道の白骨温泉~安房峠間は、現在は閉鎖されており通行できない。上高地への岐阜県側の入口となる国道158号の安房峠は難所であり、九十九折りの狭い峠道を大型観光バスが離合するため、行楽シーズンには大渋滞を引き起こし、また晩秋から春にかけては積雪のために冬季閉鎖されていた。しかし、1997年(平成9年)に安房峠道路(安房トンネル)が完成して交通難が解消されると同時に、高山側から中ノ湯への通年アクセスが可能になった。


上高地バスターミナル。左奥には情報発信施設である上高地インフォメーションセンターが見える。安房峠から上高地へ通ずる長野県道24号上高地公園線は、通年でマイカー規制が行われているため、一般車は通行できない。一般車は、長野県側の沢渡か岐阜県側の平湯温泉の郊外にあるアカンダナ駐車場に車を止め、シャトルバスかタクシーを利用して上高地バスターミナルへ向かう(なお、夏から秋にかけての土曜・日曜の一部は観光バスも沢渡・平湯でシャトルバスに乗換が必要となる。マイカー規制についてはこちらを参照のこと)。上高地への入口には民間の警備員がおり、一般車両の誤進入に備えていてる。なお、中ノ湯から上高地までの間は冬季(例年11月16日から翌4月16日だが、積雪状況により前後する)閉鎖されており、この間は徒歩でしか上高地に入ることができない。しかし、照明と歩道を完備した新釜トンネル開通後は、静かな上高地を求めてバスがない時期でも、積雪前及び融雪後の上高地に徒歩で入る人が増えている。ただ、中の湯には一般向けの駐車場が存在しないため、中の湯まではタクシーを使うか松本~高山の路線バスを利用するか、中の湯温泉旅館に宿泊して旅館の駐車場を利用するかのいずれかの方法が使われる。

バス路線は松本電鉄バス・濃飛バスによる松本バスターミナル・新島々~上高地バスターミナル、高山駅(高山濃飛バスセンター)~平湯温泉~上高地バスターミナルなどがある。


みどころ [編集]

河童橋(2004年11月撮影)
梓川と穂高連峰(2004年11月撮影)
上高地空撮画像(2007年2月撮影)梓川
大正池
田代湿原
田代池
千丈沢
ウェストン碑
河童橋
明神池
小梨平

温泉 [編集]
上高地温泉
坂巻温泉
中の湯温泉

情報発信施設 [編集]
上高地ビジターセンター
上高地インフォメーションセンター

宿泊施設 [編集]
上高地アルペンホテル
上高地帝国ホテル
上高地清水屋ホテル
上高地西糸屋山荘
上高地温泉ホテル
五千尺ホテル
五千尺ロッヂ
ホテル白樺荘
大正池ホテル

登山対象となる山 [編集]
穂高岳
槍ヶ岳
焼岳
蝶ヶ岳
常念岳
霞沢岳

関連項目 [編集]
ウィキメディア・コモンズには、上高地に関連するカテゴリがあります。ウォルター・ウェストン
上條嘉門次
安曇村
松本電気鉄道 - シャトルバスとしてハイブリッドカーを導入
松本電鉄上高地線 - 新島々駅から乗り換え
釜トンネル
リゾート
天然記念物
日本の地質百選
日本国指定名勝の一覧

外部リンク [編集]
上高地の地形発達史-火山活動史・礫組成から見た梓川上流部の流路変遷PDF
上高地公式Website
上高地ビジターセンター
上高地シャトルバスセンター - アルピコグループ
国指定文化財 データベース(文化庁)
この「上高地」は、日本の地理に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(P:日本の地理/P:日本の都道府県)。

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最終更新 2009年5月31日 (日)